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田舎娘とヘドロ薬師

 お風呂に使う薪を割り終え、空に向かって思い切り背伸びする。

 今日も絶好の洗濯日和。


 昼前に干した洗濯物ももうすでに乾いているんじゃないかな?

 取り込んだらさっさと仕舞って、早めに夕飯の準備に取り掛かろうっと。


 今日のおかずは何にしようかな~なんて考えていると後方から聞きなれた声が聞こえてくる。


「今日も綺麗な真っ二つですね〜」

「郵便屋さん!」

 のんびりとした話し方が特徴的な彼は、月に一度、こんな山奥の村まで郵便物を届けてくれる唯一の人物である。

 手紙や新聞(運搬の関係上、1週間以上は前のもの)はもちろんのこと、商人がやってこないこの村に日用品を売りに来てくれるのも彼一人である。だが次の訪問日までまだしばらくあったはず。近々天気が大きく変わるなんてこともなさそうだけど……。


 急な訪問に首を傾げると、彼は大きな郵便バックから一枚の紙を取り出した。


「サリエルさんは使用人、なんて興味ありませんか?」

 そう言って差し出された紙には大きく『使用人募集』と書かれていた。それだけなら新聞の下の方にちょこんと載せられているのを何度か目にしたことがある。

 もちろん住んでいる場所が場所だし、そもそもその募集を見た時にはすでに新聞が発行された日から1ヶ月も離れている。その時にはすでに募集などとっくに締め切っていることだろう。つまり全く関係のない話であった。けれど今回はそんな、新聞の一部を借りて出された募集とは訳が違う。


 なにせ今回募集しているのはお国なのだから。


「えっと、これ……兵士見習いの募集と間違っているんじゃなくて、ですか?」

「使用人だよ。間違いない。ちゃんと確認したからね」

「使用人で間違いはない……となると王都って今、そんなに人手不足なんですか?」

「そんなことはない」

「じゃあなぜ?」

「少し、訳ありなのさ」


 郵便屋さんは目を細めて笑った。けれど私にはその『訳』というのが何なのか全く想像もつかない。


 なにせお城の使用人といえば貴族のご令嬢か、平民でも貴族の紹介ある職人さんがなるのが一般的だ。もちろん貴族と繋がりを持たない平民はお城に勤められないというわけではない。


 使用人や調理師、庭師、医師などは無理でも一部例外的な仕事はある。


 それは主に文官・薬師・魔術師・兵士の4つだ。

 これらは不定期で、人数が不足した際にのみ募集が行われる。なんでも一月まるまるかけて行われる試験には国中から何百もの希望者が集まるのだそうだ。


 あくまで郵便屋さんから聞いた話で、何百人なんて人が一体どれくらいなのか想像すらついていないのだが。だがそんなことよりも気になることがある。郵便屋さんの行動だ。



「それで、訪問日までしばらくあるのになんでわざわざ郵便屋さんは訳ありな使用人募集のお知らせを持ってきてくれたの?」


 お知らせに書かれた日時はまだ3ヶ月も先のことで、急ぐような内容でもない。


 なのに、なぜ?

 じいっと郵便屋さんの顔を見つめると、彼はにっこりと笑った。


「この募集、サリエルさんにどうかなって思ってさ」

「え?」

「お城の使用人なら給料も高いし、学園の学費くらい数年も働けば貯まるよ」

「そんなに高いの!?」


『学費』という言葉に思わず反応してしまう。


「仕事内容にもよるだろうけど、王城で働くからには給料は他で働く何倍ももらえるのは間違いないよ」

「……そっか」

「もしよければ今度の訪問日に連れてってあげる。だからそれまで家族と話し合ってみれば?」

「……ありがとう。郵便屋さん」

「いえいえ〜」


 郵便屋さんはふふふと笑って村を後にする。

 彼の背中が見えなくなってもなお、私の頭を『学費』と『使用人』の文字がグルグルと回り続けた。


 頭の出来のいい一番下の弟、ガリウスを王都の学校に通わせたいというのは私達家族全員の願いだ。弟自身はそんなのいいよ、と遠慮するが、こんな山奥で才能をくすぶらせるにはもったいない。


 ガリウスは生粋の天才なのだ。

 ガリウスの考案で山に何本も植えられた木々の成長スピードが異常であることが何よりの証拠だ。ただの魔法だよ、と笑って誤魔化すがそもそも平民生まれで魔法を使えるのはかなりのレアケースだ。そのため、村には魔法の使い方を教えられる大人が1人もいない。なのにガリウスは一人で学び、使いこなせるようになった。その上、少し土を弄って木の性質を変えてしまうのだから天才と呼ぶ以外の何者でもない。それだけなら魔法使いの募集が出るのを待って、王都で活躍すればいいだけだ。募集さえあればガリウスなら確実に採用されることだろう。それについてはなんの心配もしていない。


 けれどガリウスの才能はそれだけに止まらなかった。

 独学で読み書きや算術をマスターしたかと思えば、郵便屋さんが間違って持ってきた異国の新聞までスラスラと読んでしまうほど。しかもそれが初見であったはずなのに、だ。分かるだけでこんなにも才能を持ち合わせている。

 そんな弟が王都の学校で、専門知識のある大人の元、しっかりとした教育を受ければ今まで以上の成長を遂げることだろう。


 ガリウスの成長のためにも学校に通わせてあげたい……が、その学校は元々お貴族様が通うための場所。平民も一定以上の学力を持ち合わせていれば入学資格を満たすこと自体は可能だ。


 けれど学費が異常に高い。

 専門家を集めて授業を開いてもらうのだから仕方のないことなのだろうが、とてもではないがただの平民が出せるような額ではない。お貴族様の他に通えるとすれば羽振りのいい商人の子供くらいならものだろう。


 ここで残念……と諦め切れればいいが、生憎と私を含めた家族は皆、諦めが悪かった。

 父は今まで以上にギルドの仕事をこなし、1個下の弟達は2人そろって王都で兵士見習いとしてせっせとお金を稼いでいる。2つ下の弟はガリウスが成長させた木を倒して近くの村に売りに行っては小金を稼ぎ、4つ下の妹は少し離れた町で針子見習いをしている。服を作る内職をしている母の代わりに私が家事を引き受けて――ととにかく私達家族はみんなガリウスが15歳になるまでに学費を集めることで頭がいっぱいなのだ。


 そんな時に舞い込んできた、高収入の仕事の募集。

 一も二もなく頷きたいところだが、よりによって『お城の使用人』なんて『品』が求められそうなものは私には出来そうもない。お城で使う分の薪をひたすら割り続けるだとか、大きな浴槽をタワシでゴシゴシと洗うとかそんな仕事だったら出来るかもだけど。

 夕飯時に、ちょっと気になるんだよね〜なんて軽い気持ちで話せば、意外にも母さんは「いいんじゃない?」なんて言ってくれた。


「え、でも……」

 母さんの言葉を聞いてもまだ悩み続ける私の背中を今度は父さんが押してくれた。


「ダメならダメでうちに帰って来ればいいだけだろ。気になるなら行って来いよ」

 だから私は拳を作ってやる気を注入する。


「当たって砕けろ、だね」

 これはよくガリウスが口にする言葉。

 何事もやってみなければ分からないからとにかくやってみよう! みたいな意味だと思う。


 もちろん砕けたくはないし、お金はがっぽりと欲しい。

 けれどまずは当たるところからだ。




 それから何日か日が過ぎ、訪問予定日にやって来た郵便屋さんに「よろしくお願いします!」と頭を下げる。こうして私は王都で行われる使用人採用試験の会場へと向かった。




 郵便屋さんの馬車に揺られること数日――。

 途中で休憩も入ったけれど、王都は想像以上に遠かった。

 あまりの遠さに地面に立っているよりも馬車でガタガタと揺れることに慣れてしまうほど。今では地面に立つと少しだけ違和感を覚えてしまうけど、しばらくすればまた元に戻るだろう。ユラユラと揺れる感覚が抜けない私に視線を寄越してから、郵便屋さんはアゴでクイっと前方の建物を指した。


「あれだよ」


 レンガを積み重ねて作られたらしいその建物は山で一番大きな木よりも少し低いくらい。でも木と違って指を引っ掛けるポイントは少ないし、登りにくそう。外に植えてある木との距離も微妙に遠くて、窓へ飛びうつれそうもない。その必要は全くないのだが、ついついそんなことを考えてしまう。


「着いたよ。ここで一旦解散」

 私がどうでもいい想像をしている間に郵便屋さんは検問を済ませたらしかった。


「今日は宿が用意されて、一次試験の結果次第で明日以降どうなるかって感じだから、明日の昼頃に顔見せに来るね」

「何から何までありがとうございます」

 そう私がペコリと頭を下げた時だった。

「一次試験合格です。このままあちらの会場にお進みください」


 いつのまにか私の頭の上に木の杖を構えていた男性が機械的な動作で『合格』と書かれた紙を渡してきたのだ。


「えっと……これは?」

「一次試験合格証です。あなたの試験結果が書かれています」

「何も見えませんけど……」

「魔法紙ですから」


 魔法紙って何? なんて聞く暇もなく、男性はスタスタと違う人の元へと歩いていく。

 そして私にしたのと同じように頭の上に木の杖を運んでは『合格』『不合格』との判定を下していく。


「とりあえず一次試験突破おめでとう」

「ありがとう、ございます?」


 郵便屋さんは祝ってくれたけど突破した実感がない。

 そもそも何が判断基準だったのかも分からないままだ。

 それでも『合格』を貰えた私がラッキーであることは、次々に『不合格』と言い渡されては肩を落としていく周りの人達を見ていれば何となく察することができた。


 ならば訳がわからずとも合格した私は次に進むべきだ。

 頬っぺたを両手でパチンと叩いて気合いを入れてから、郵便屋さんの顔を見る。


「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい。頑張ってね」

 そして私は郵便屋さんに見送られながら第二会場へと足を踏み入れた。



 ――のだが進んだ先でもやはり意味のわからないことの連続だった。



 第二試験は少し先の台に置かれた紙を取ることと、お湯を沸かすこと。

 制限時間も何もない上に歩いて取りに行った紙を渡した後に、火を起こしてから鍋でお湯を沸かせば合格通知を貰うことが出来た。


 一体何だったのだろう?

 火起こしが出来るかどうかの見極め、にしては紙の方のテストは意味わからないし……。


 うんうん唸りながらも案内された先で提示された第三試験の内容は水ガメを水で満たすこと。


 聞いた時はなるほど、生活魔法が使えるかどうかのテストか! と思ったものだが、なぜか少し離れた場所には同じようなカメと木製のタライが置かれていた。


 だから生活魔法ですら使えない私は水の入ったカメを空っぽのカメの近くまで運んでから水を注ぐことにした。

 水を溢さずに注ぎ込んだ時点で私には『合格』が言い渡された。


「それでは次で最終試験になります」

 ただ突っ立って、紙を取って、お湯を沸かして、水を移し替えただけ。たったそれだけ。よほど幼くなければ誰にでも出来るようなことで最終試験まで来てしまった。


 けれど周りを見渡せば残っていたのはたったの7人だけ。

 初めにこの建物にやってきた時は相当な人数がいたはずだが、いつのまにこんなに数を減らしていたのだろう?

 考えても初めの試験以外に落ちる要素が見当たらない。私みたいな魔法が使えない者でも残っているのが何よりの証拠だ。


 マグレだったのかな?

 どこら辺がマグレだったかの想像すらつかないけれど。でも最終試験はきっと相当の難題が突きつけられる筈だ。


 今度は何が何でもマグレで通過なんてありえない!

 そう思っていた私に告げられた最終試験は『洗濯』だった。ここに来てまさかの洗濯。

 ここまでの試験で一番使用人らしいっちゃらしいが、最終試験で試すような内容ではないだろう。


 呆れた表情をする私などお構いなしに、試験官さんは私達の前に洗濯物をズドンと置いた。量はたらい3つほどで、わりと綺麗なものばかり。大家族かつ泥汚れには慣れっこな私には少ないと言える。これならすぐ終わるだろう。


 ルンルンと用意されていた新しいタライに水を溜め、洗濯板を設置する。洗濯の山から1枚タオルを手にとって、水と石鹸をつけながらゴシゴシと洗っていく。


 そんな私の横で、他の7人はサッと魔法、おそらく洗浄魔法、をかけて洗濯物を一瞬にして綺麗にしてしまった。


 そんな短時間で終わるの!? 魔法って凄すぎる!

 思わず隣をじいっと見つめていると、それぞれの洗濯物を試験官さん達がチェックしていく。綺麗になってるかのチェックだろう。テキパキと確認した上で、7人にはそれぞれ合否が告げられていく。


 合格したのはわずか2人。

 みんな一瞬だったのに、だ。


 この様子だとまだ終わっていないどころか魔法を使う様子すらない (そもそも使えない)私なんて不合格だろう。もしかして溜まった洗濯物を少しでも消費させるために私みたいなのを残していたのだろうか?


 他の人が一瞬で終わるようなことをわさわざ私に割り振るなんて時間の無駄だと思うけど。

 まぁいいや。とりあえず割り振られた分は洗おうと、家にいる時と変わらずに洗濯物をこなしていく。


「洗い終わったのってどこに干せばいいんですか?」

「外に竿がありますのでそこに干していただければ」

「分かりました」


 ちなみに竿なんて他の人達は使っていない。

 どういう原理なのかはわからないけど、濡れていないのだ。


 一瞬のうちに乾燥まで使ったのかな?

 やっぱり魔法って便利なものだ。ピッと伸ばしながら干して、洗濯バサミで挟んで――っと。ようやく洗濯を終えた私は外まで付いてきていた試験官さんに「終わりました」と告げる。


 多分、不合格だろうけど。

 けれど試験官さんが発した言葉は「合格です」の一言だった。思わず耳を疑ってしまったが、合格で間違いはないらしい。


「明日から1週間のマナー講座の後、1ヶ月の見習い使用人研修を行います。その後、担当の部署に配属されますが、その辺りの詳しいことは研修中に説明がありますので」


 一体どこに合格要素があったのだろう? 洗浄力? だが他の人達の洗濯物はどれも綺麗に汚れが落ちていた筈だ。


 なぜか合格した私には最終試験で落ちた5人の鋭い視線が痛いほどに突き刺さる。気持ちはわかるけど、私だって理由がわからないのだ。

 それに合格理由がわからないのは他の合格者である2人も同じだろう。信じられないという気持ちを隠そうともせずに、目をまあるく見開いているのだから。




 翌日、迎えに来てくれた郵便屋さんに合格したことを告げた。


「良かったね!」

 驚くことなく、純粋に喜んでくれた郵便屋さんに家族への手紙を託す。

 本当は自分の口で伝えたいけれど、休みなのは今日一日だけ。明日からはマナー講座が始まり、終わった日には研修に突入するのだという。使用人として働かせてもらえるようになってからもしばらくはお休みなんて簡単に取れないだろうし、会うのはずっと先になるだろう。


 寂しいけれど手紙なら郵便屋さんが届けてくれるし、何よりガリウスのためだ。

 手紙を運んでくれる郵便屋さんの背中を見送って、頑張るぞ! と気合いを入れる。


 全てはガリウスのため。

 そう思えばきっついマナー講座も、なぜかメイド長とマンツーマンの魔法を使わない使用人研修も乗り切れた。

 研修初日に告げられた月給の想像以上の値段は私の心を何度も支えてくれた。




 けれど王都に来てから1ヶ月と少し経った今――私の心は折れかかっている。


 なにせ私が配属されたその場所は薬師の世話係で、よりにもよって担当は悪臭をばら撒くことで有名な『ヘドロ』ことヘドリック様なのだから。貧乏くじも良いところだ。


 私を哀れに思った同期の2人が集めてきてくれた情報によると、彼の担当になった使用人のうち、3日ともった者はいないらしい。


 外に出た時点で悪臭を纏っているのだから、室内の匂いはもっと強烈なのだろうとのこと。その上、非常にクセが強い人物らしく、そのまま城を去るまでがパターン化してしまっているらしい。


 好意で調べて来てくれたのはよく分かっているのだが、出来ることならば初出勤前からやる気をへし折らないで欲しかった。


 会う前からすでに心が折れかけている私は、とりあえず支給されたメイド服の上から割烹着を着て、頭巾を頭から被った。そして中に匂いを閉じ込めるような魔法がかけられているらしいドアの前で分厚い布をマスク代わりに装着した。


 あまりの臭さに鼻が折れませんように。

 ドアを三度ノックしながらそう願いを込める。そして気合いを入れてドアを開いた。


「私、本日よりヘドリック様の世話係に、なり……まし……」

 けれど真っ先に折れたのは鼻でも心でもなく――膝だった。


「ゔぇっ」

 まさか担当の方の顔より先に荒れきった床と対面を果たすなんて……。想像以上の匂いだわ。これは単純な臭さではない。複数の匂いが混ざり合って作られた異臭だ。とてもじゃないがこの場所で人間が生活できるとは思えない。


「窓、開けていいですか?」

「そこの窓を少しなら……吐くなよ?」

「大丈夫、だと思います……」

 指定された窓をほんの少しだけ開けて、そこにピタリと鼻と口をくっつける。換気もあるが、それよりも私の身体に新鮮な空気を取り入れることが目的だ。ハァハァと息を荒くして窓に顔を付ける姿は側から見たらどんなど変態だと思うだろうが、人目を気にしたら負けだ。今は何よりもまず、人命確保をすることが大事なのだから。


「お前、新しい世話係か?」

 はぁはぁと呼吸を繰り返す私に、ヘドリック様は問いかける。それは私の呼吸音にすらも負けそうなほどに微かな声。けれど確かに私に投げかけたものだった。失礼だとは100も承知だが、首すらも捻らずに「はい」とだけ答える。


「また余計な真似を……いらん。帰れ」

「いらんと言われましても私の判断だけではどうとも……」

 そんなあからさまに迷惑そうな声を出されたところで私はただ配属されただけだ。希望してきた訳ではない。メイド室に帰っていいなら喜んで帰る。けれど帰ったところで次の仕事場所があるのかは怪しい。


 なにせ同期の2人の研修内容とはまるで違うものを受けてきたのだから。


「とりあえずしばらくはここに置いていただけませんか? …………ある程度換気が終わるまでこの窓から離れられそうもないので」

「お前……」

「ダメですか? 今ここから離れたら最悪の事態が発生する可能性もあるんですけど」

「……時間になったら帰れ」

「はい!」


 こうして私の侍女生活1日目は、お世話対象であるヘドリック様の顔をろくに見ずに終了した。



 体力がゴリゴリに削られた状態で私が真っ先に向かったのはヘドリック様の部屋の隣にあるシャワー室だ。衣類は全てそこで脱ぎ、洗濯した後にシャワーを浴びるように研修で教えられている。


 あの時は清潔感って大事なんだなと安易に考えていたが、今なら確実に『臭いを城にばら撒くな!』という意味なのだと分かる。


 すっかり鼻が麻痺してしまった私だってこんな臭いで城を歩きたくはない。素直に洗濯をしたメイド服などその他諸々を干した上で厳重に身体の臭いを落としていく。ボディーソープやシャンプーも特殊な物を使用しているのだろう。だが念には念を入れて、特に臭いがつきやすい髪は三度も洗った。そしてリボンの色が違うメイド服へと着替え、乾燥魔法が施してある魔法道具で乾かした髪をお団子に結い上げた。



 それから今日の成果と世話係は不要であると告げられたことを報告するため、メイド長室へと向かった。

 怒られるかな? もしかしたら解雇されるかも? なんて怯えていた私を迎えたメイド長の顔は明るいものだった。


 何かいいことでもあったのだろうか?

 おずおずと報告をすると、彼女の目は爛々と輝く。


「新記録だわ!」

 手を叩いて喜ぶメイド長は首を傾げる私に、あの部屋に滞在できた時間が過去最高であったことを教えてくれた。だがいくら長時間滞在できたからといっても、成果などないに等しい。なにせ滞在時間のほとんどは窓の隙間から必死に呼吸していただけなのだから。


 けれどメイド長は私の肩に両手を乗せて、新たな情報を教えてくれる。


「それにあの部屋が換気されたのは3年ぶりよ」

「え……」

 3年も開けてなければ臭くもなるはずだ。呆れて思わず身体から力が抜けていく。


「しかもそれだって、魔法使いの見習いが暴発させた魔法で窓が破られたときで換気しようとしたわけじゃないわ。まさか初日で換気をするなんてお手柄よ!」

「ありがとう、ございます」


 換気がお手柄って、私は一体何を試されているのだろうか。

 というかこの様子だと明日からも私はあの部屋に通い続けるのは確定のようだ。


 高収入が得られる仕事を続けられるのは嬉しいけれど、数日も通っていたら鼻が魔女みたいにへしゃげてしまいそうだ。


 解雇されなくて良かったと喜ぶべきか、はたまたあの部屋担当が続くことを嘆くべきか。

 はぁとため息を吐きそうになった私だったが、次の瞬間、メイド長が発した言葉に気分は急上昇する。


「これは初日からボーナスを出すしかないわね!」

「ボーナス!?」

「ええ。もちろん今後もあなたが快挙を成し遂げる度に給料に追加して出すわ」

「本当ですか!?」

「だからこれからも頑張ってちょうだい」

「もちろんです!」


 聞いていた値段にさらに上乗せですって!?

 しかもそれは私の頑張り次第で何度か発生すると来た。


 これは頑張らない訳がない。

 若干鼻がへしゃげたところで、実家の近所に歳の近い男性なんていないのだ。


 それよりも金だ、金!

 ヘドリック様の部屋の臭さと彼の迷惑そうな声を頭の隅に追いやった私は、早くガリウスの学費が貯まるといいな~なんて少し先の未来に思いを馳せるのだった。



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