1.太陽と月が重なる日
ある小さな町に、まずしい大工の夫婦がくらしておりました。
ふたりはまずしくとも、つつましく、仲むつまじく日々すごしていました。
ある日、子を宿した妻は夢を見ました。
神さまがわが子にあるおくりものをする夢です。
それは世界の金銀財宝を手にすることができる、すばらしくきらきらとした二本の腕でした。
めざめた妻は夫に夢のおはなしをしました。
「それは縁起のいい夢だね。きっといい子が産まれるよ」
夫は妻のほほにやさしくキスをすると、にこりと笑いました。
その日の午後、妻は産気づきました。
おりしも数年にいちどあるかないかの、太陽と月が重なる日でした。
雲ひとつない空に明々とかがやいていたはずの太陽はみるみる欠けていき、本当はうららかなひざしがふりそそぐはずの街路はみるみるくらくなっていきます。
頭上でどんどんやせ細っていく太陽をしり目に、うすぐらい道を大工は産婆をよびにかけだしました。
息を切らせてたどりついた町はずれにある産婆の家の戸を、大工はドンドン、とたたきます。
「はやく! はやくきておくれ! 赤ん坊が産まれるんだ!」
太陽を月が完全におおい、一瞬まっくらになった世界でただただ、大工は戸をたたきます。なぜか、産婆はでてきてくれません。
「おねがいだ、この戸をはやく開けておくれ!」
何度も何度も、手が痛くなるほど戸をたたきつづけると、ようやっと産婆は細く戸を開けました。
「……うるさいね。やめておくれ。今日は外にでたくない」
年老いた産婆はしわがれた声でそういいました。
そのまま戸を閉められそうになり、あわてて大工は戸をおさえました。
「まってくれ! どうしてだい? うちの子が産まれそうなのに」
産婆はこわごわと空を見上げます。
「……こんな日に産まれた子どもはわざわいをよぶ。とりあげるわたしも、無事ではいられまい。外を歩くのもこわい。すまないが、他をあたっておくれ」
「そんなはずはない! 夢にでてきたんだ。うちの子は神さまからおくりものをもらった、世界をしあわせにする子どもだ! この町に産婆はあんたしかいない。どうにかして、うちへきてもらうぞ」
それでも眉間にしわをよせたままの産婆は首をたてにはふりませんでした。
業を煮やした大工は年老いて小さくなってしまった産婆をかるがるとかつぎあげると、まっくらな道をかけもどります。
大工にかつがれた産婆はかすれるようなしわがれた声で、観念したようにつぶやきました。
「神さまが、すべて良い神さまなら苦労はしない。――どうなってもいい、かくごはあるんだな?」
夢中でかける大工の耳に、産婆の言葉はとどきませんでした。
やがて、太陽はふたたびいつもの明るさをとりもどし、いつものように世界を赤く染めながら地平線にしずみました。夜になると一変、空はかきくもり、大粒の雨がふりだしました。
嵐がどんどんひどくなる中、深夜になっても、子は産まれません。
家の奥の部屋では、くるしそうにうなる妻の声がひびきました。大工はとなりの部屋で、ただ、いのるしかありません。
「さあ、もう少しだ! がんばりな!」
産婆は妻をはげまします。
赤ん坊をとりあげようとして、産婆ははっとして手を引きました。
「これは……」
赤ん坊の頭と肩が見えました。肩が、なぜだかひかっているように見えました。
「――おまえさん、ほんとうに産みたいかい?」
青ざめた産婆のふるえる声の問いかけに、妻はくるしみながらも、うなずきました。
「いのちとひきかえにしても?」
「もちろん……! わたしは、どうなっても、かまいません……! 赤ちゃんを……!」
産婆は深く息をはきました。
「……いいだろう。どのみちここまできてしまったら、産むしかない。赤ん坊だけは助けよう。わたしが責任をもって、とりあげる」
妻は産婆の言葉が理解できませんでした。ただ、くるしい。
はやく産まれてほしい。
――子どもに、なにか、問題があるのでしょうか。
たずねようとした妻も体に違和感を感じました。
下半身から、少しずつ、しびれを感じ始めたのです。
出産の痛みではなく、それとはべつのしびれでした。
足が、少しずつ動きにくくなっているのです。
しかし、すぐにそんなものをふきとばす出産の痛みがおそいました。
妻はなにも考えられず、ただわが子に会いたい、とねがいました。
「わたしがとりあげるさいごの子だ。かならず無事にとりあげる。……さあ、がんばれ!」
妻は必死で子どもを産み落としました。
産屋に赤ん坊の泣き声がひびきました。
「赤、ちゃんは……?」
「――元気な男の子だ」
産湯につけて体を洗い、おくるみにくるんだ赤ん坊を、若い母親にさしだします。
ぐったりと臥所に横たわった若い母親は赤ん坊を胸にだいて、ほほえみました。
「わたしの、あか、ちゃん……」
ちいさくつぶやいた声はしあわせそうで、安堵したようにはかれた息がふたたび吸われることはありませんでした。