メイドの業務とお約束
「お嬢様、間違っておられます」
「うえっ、どこ!?」
「ここ、そこ、あそこ、あとこれもですね」
「うええ!」
「そうねぇ、その通り。エレノアさんは優秀だわ。さ、ヴィオレッタ様も頑張ってくださいな」
「ひどい!エリー、うらぎり!」
「心外です。私は、先にお茶をいれてきますからね」
「ひぃーん!」
私とお嬢様の手元には貴重な教材、目の前には家庭教師。どうしてこうなったのか、それは最初に旦那様と交わした約束が関係している。
***
『やくそく、ですか』
『うん』
極めて優しい顔で、当主は頷いた。
ああ、やはり、とは思った。一癖も二癖もありそうなこの人が、平民の娘を保護し使用人に加える事にただで頷くはずがない。何か交換条件があるだろうということはなんとなく予想していた。
『私の娘を任すには、それなりに心配することもあるんだ。私は正直、君よりも娘が大事だからね。君が娘に何かまちがいを抱いた時点で命はないと思いなさい』
歯に衣着せぬ物言いに、柔和な声だったものが娘の話では剣呑な光を宿した声に変わったところ、相当な子煩悩だと察せらる。それに自分とて、命の恩人である少女をどうこうしてやろうという気持ちなど微塵もない。「はい」と頷けば、不穏な空気は一変ぱっと明るく頷いた。まるで別人のようだ。
『そうか、そうか!よかった。娘にも同年代の友達が欲しいと思っていたんだ』
__平民、しかも下町の薄汚れた女が、ご令嬢のお友達とな。娘も娘なら親も親で変わっていると見た。こんなに簡単に受け入れられて、何とも形容しがたいむずがゆさが体を走る。無意識にうつむいて服の裾をひっぱった。
『さて、約束の話だったね。そう、エレノアには三つの約束をしてもらう』
ぴっと立てられた三本指を、じっと見つめる。今すぐここで自害しろ、と言われる以外は守る所存だ。それに、存外私はあの少女を好いている……と思うから。当主は私を見て「いい目だ」とちらり笑った後に、話を続けた。
『ひとつ。侍女として娘に仕える以上、その立ち振る舞いや言動は矯正するように。メイド業務を覚えると同時進行でそれも教わるように』
なんだ、そんなことか、と私は頷く。流石に今までの態度では他のご令嬢の前には出られない。当主様は頷いて、話を続ける。
『ふたつ。娘は勉強が苦手でね、張り合う人がいればきっともっと上手くいく。だから一緒に学ぶように。地理、歴史、算段……その他いろいろ。これもメイド業務を覚えると同時進行だ』
私は、え、と拍子抜けする。
「やっぱり時間が足りないかな」と困った顔で笑う当主には申し訳ないが、その顔をしたいのは私の方だ。
だって普通に考えて、一介の使用人……しかも平民の孤児の娘には勿体無すぎる。寧ろ何かの罠か?いやいや、小娘に罠を仕掛けたところで何の意味にもならないだろう。では何故、と思考を巡るが答えは見えない。……とはいえ口答えなどできる理由はないので、「やります」と答える。罠かどうかは分からないが、今後何があるとも限らない、学べるのなら学びたい。
当主は「いい返事だ」と微笑んだ。
『そして、みっつ。これが一番大事だよ。三つ目は__』
***
まあ、三つ目はおいおい話すとして、つまりそういう事情で私も学ぶことになっている。一使用人にはやはり勿体無いことこの上ないが、為になるので甘えてさせていただいている。今のところ罠らしきものは感じられない。本当に只の勉強だ。ますます親子そろってへんなひとたちだ。勿論褒めている。
朝も昼も夜も三つの約束で忙しいが、それでもやりがいのある面白い生活だ。
紅茶を入れるのもだいぶ慣れた。前は牛の前にも出せないなど酷評を受けたが、今ではメイド長からお嬢様に出しても良いとお許しを頂けるほどに成長した。まだまだ修行中だが、大きな進歩だと思っている。
「さ、早くしないと、冷めてしまいます」
「ううう、わかってるよお!」
「うふふ、仲がよろしいこと」
他の家からしたら極刑かもしれない態度だが、ここではこれが普通だ。むしろ硬い方が怒られる始末。最初は流石に戸惑ったが、お嬢様に仕えて早三ヶ月、だいぶ慣れた。
そして分かったことがある。
お嬢様は変わり者なんかじゃない。
お嬢様は、『大の』変わり者だ。
まず、メイドの私に呼び捨てと愛称呼びをさせようとする。あの時は旦那様との約束を守るかお嬢様の言うことを聞くかで相当揺れた。
「おねがい、エリー!わたしのことはヴィーとよんで!ねっ、ねっ!」と、言われてしまって、正直堪えた。
それでも、一使用人の立場は変わらない。妥協してもらい、二人きりの時は『ヴィー様』と呼ぶことに決まった。呼び捨ては流石に勘弁して欲しい。そして態度もフランクに、という事なのでその指示にも従っている。口調にしか言及されてないし、大丈夫だと押し切られた。
それから、公爵令嬢なのに、木登りしたり探検したり脱走したりで忙しない。その度に侍女が悲鳴をあげるものだから、同年代で尚且つお嬢様より身体能力の高い私が捕獲係に駆り出されてしまう。今ではすっかりそれが板についた。脱走報告が随時私のところに飛んでくる。
さらに、変なアイデアを思い付いては実行させ、それを成功させてしまう。例えば、この前開発した『アンコ』たるものは中々に美味だったと記憶している。突然家畜の餌を引っ張り出してきたかと思うとそれを食べると言い出して、ついに気が狂ってしまわれたかと思いもしたが……否。なんとまあ美味しい食べ物に変えてしまった。変な魔法も使っていないというのに、不思議だ。初めて食べる味だったが不思議と口に馴染み、それを告げれば『ああ、そんな気はしてたの!髪とか目とかからして!』とお嬢様は喜んでいた。……髪や目が食の好みに関係するとは思えないが。
私は、そんなブッ飛んでいるお嬢様が、この三ヶ月でずっとずっと好きになっていた。
お嬢様の笑顔が。私を呼ぶ声が。あたたかな手のひらが。全てが尊くて愛しくて。
だから。
これを穢すものは、一匹たりとも残さず始末する。
ふと、旦那様の声が蘇ってきた。約束を交わした時のことだ。
『三つ目は、護衛だ。お世辞にも治安が良いとは限らないあそこで、その年で生き延びていたんだ。きっと素質があるんだろう。娘をね、守ってほしいんだ。相手だって、君のような可愛らしいお嬢さんは警戒しないだろうしね。何があっても娘を守る。最重要事項だ』
『何があっても』。それは、自分自身がどうなろうと、それこそヴィオレッタを死んでも守れということだ。
そんなの__そんなの、当たり前だ。
一度死んだも同然のこの命。大事な主君の為に散らせる事をどうして拒否できようか。私はむしろ喜んでこの命を差し出そう。
幸い人の『気』を感じ取るのは得意だ。意識を集中させ、この館に居るべきでない異分子に意識を巡らす。
……一人。
異質な『気』が混じっている。
不快な反応だ。どこの家からの刺客かは知らないが、この家を__お嬢様を害する気ならば、私とて容赦はしない。
「お嬢様の為に、死んでください」
そのねずみの背後に近付き、ひたりと首にナイフを突き立てる。
殺さなきゃ殺される。お嬢様が、そんな状況に巻き込まれたらどういう反応をするのだろう。でも、そんなことは、させない。
そうさせないように、私が殺す。
あの清らかな手は、いつまでも白いままでいるべきだから。