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ジークリンデ公爵令嬢専属メイドの受難  作者: ねぎぬた
一章 見習いメイド
2/37

メイドの成り立ち

5/29…文の修正、追加、それから多少の年齢操作をしました

 エレノアはゆっくりと目を覚ます。まず飛び込んできた真っ白い天井に一瞬眉根を寄せ、すぐに記憶を思い起こしその皺を解いた。


 いつまでも慣れそうにないな、とエレノアはひとつ息をついた。


 その部屋は、言ってみればそう広いわけではない。通常サイズの、成人男性一人が難なく寝れる程度の大きさのベッド、よくあるシンプルなデザインの木で出来た机と椅子、その他棚とクローゼットがベッド三つほどの大きさの部屋に収まっているだけの、寧ろぎっしり詰められているだけ狭いと感じられるほどの部屋だ。


 それでも、エレノアにとって、目覚めた時目の前に広がる光景が空ではなく天井であり、寝床が硬い岩ではなく柔らかなベッドであることが、何より贅沢で慣れないことであった。


 エレノアが『エレノア』と名を与えられて、この豪邸__ジークリンデ公爵家に住み込みメイド見習いとして雇って貰い、早ひと月も経とうとしている。だが、未だ自分の置かれている状況がいまいち飲み込めていないエレノアは、目覚める度にその眉を顰めていた。

 この部屋より、影が差し込む汚い路地の方が、余程住み慣れていたからだ。


 そも、何故エレノアが公爵家に居るのか。

 エレノアの出生から辿っていくことにする。



***


 私に名などなかった。

 母だと思う人はいた。ぼろの部屋に蹲っていつも泣いているだけの女。母、というよりは、自分を産んだ女、という印象だ。子供として接された思い出はない。いや寧ろ、邪険に扱われていたと記憶する。


「おまえができてしまったから」

「向こうに押し切られただけなのに」

「私は被害者なのよ」

「なんでおまえの髪の色はあの人のものじゃなかったの!」


 私の髪を掴み、叩きつけ、暴力を振るった。

 その後には決まって泣き崩れ、面倒極まりなかった。私はそんな環境の中、なけなしの食べ物で食いつなぎ、意地でも生きていた。


 それでも、その生活は終わりを告げた。

 私は何故か、産まれた頃から自我がはっきりしていて、思考は子供より大人寄りだったと思う。うまく口が回るようになった五歳の頃、私は女に楯突いた。すると、女は真っ赤になって怒り狂い、暴力を振るい、更にそれで収まりきらず、なんと刃物を持ち出し始めた。


 __殺される。


 本能的に感じた私は早かった。振り下ろされた刃を交わし、そして咄嗟に卓上のナイフを引っ掴み、女を刺した。

 一回だけでは動いたから、動かなくなるまで刺した。

 女の震えも止まり、ようやく手を止めたところで、自分が真っ赤に染まっていることにふと気付いた。

 殺した。女を。

 それでも後悔はなかった。だって、殺さなきゃ自分が死んでいたから。……腐ってもこの女は自分の親だ。根本的な部分、女と同じように私もろくでなしなんだろうと簡単に結び付いた。


 それからは早い。さっと血を拭い服を着替え、女を殺したナイフとなけなしの金、家にある金目のものは全部引っ掴み、家を飛び出した。野外での生活の始まりだった。


 最初は少ない金をどうにか節約しやりくりしようとしたが、文字も読めない私には難しかった。あっという間に諦めて、私は泥棒の道に走ることにした。どうせ女を殺した時点で罪人だ。今更罪を重ねたって変わりはしない。


 そうして盗人まがいのことをして暮らして二年。早々に馴染みやり手の盗人になった私は、少々油断していた。あろうことか店主に捕まり、その名の通りにボコ殴りにされ。命からがら逃げ出しては来たが、満身創痍だった私は安全な場所にたどり着く前に、路地で斃れた。

よくあることだ。

 貧民の子供が飢えて死ぬ。この下町は路地裏の町よりも治安はいいが、それでもままある話だ。道行く人が偶に同情の目を向けてくるが、手を差し伸べる人はいなかった。


 ……その、はずだったのに。



『あ、あ、あなたっ、だいじょうぶっ!?』



 酷く慌てた幼い少女の声に、微睡み掛けていた意識が引き戻される。

 美しい白金の髪の、美しい少女。

 あ、天使か。

 私は、割と本気でそう思った。きっと迎えにきたのだろうと。しかし、それは違ったらしい。


『だいじょうぶ……なら……たおれてない……』

『たいへん!ちりょうしなくちゃ!』


 ちりょう、とは。ちりょう、チリョウ、治療。つまり私を助けようと。

 ふ、と鼻で笑ってしまった。天使(?)がむっとした顔をするが、仕方が無いだろう。


『こんな……しにかけ、かねにもにくにもならないごみ……たすけるなんて、ばかいないわ』


 自暴自棄になっていたのだとは思う。なんせ天使様がそこまで迎えに来ているのだ。いや、誤解だったけれど。

 金になるなら奪う。食べ物になるなら奪う。それでも、その時の私はそれらのどれも持っていなかった。だから、誰も助けるはずがない。ここはこういう世界だから。


 だのに、その少女ときたら。


 きょとんと、その菫色の瞳を丸くさせた後、少し微笑んで。


『だって、あなた、いきたいでしょ?』


 がつんと頭を殴られた感じがした。

 そんなことを、考えたことなんてなかった。なかったはずだ。

 でも。よく考えてみれば、そうだったのかもしれない。


 あの時、刃物を持ったあの女に反撃したのは。

 あの時、食べ物に困って盗みを働いたのは。

 あの時、満身創痍でも這い蹲って逃げ出したのは。


 全部、生きたいから。

 死にたくないから。


 ここでは、死にたくない。だから。



『ねえ』



 天使が__少女が、口を開く。



『わたしといっしょにくる?』



 本当に、私はその時、天使様を見たのだと思う。



***


 その後のことは覚えていない。

 気付いたら豪華な部屋にいて、治療を受けていた。


 しばし現実かはたまた天国か考察していた私の元に、息を切らした天使__もとい少女が飛び込んできた時、倒れた時のことを思い出して、ああ生きているのだと実感した。


『起きたっ!?よかったぁ!』


 よく、他人が生きているだけでこうも嬉しがれるものだ。きっと心根が酷く優しい人なのだろう、と私は結論できた。

 そうして現実を受け入れ、はいありがとうございましたと去ろうとした私は、少女がニコニコ笑顔で告げた事実に、愕然とすることになる。



『おとうさまにたのんだの。あなたをね、わたしのメイドにするの!』



 メイド。メイド、とは、高貴な身分の人の世話をする係で。

 到底、私が、卑しい身分の私が、すべきものではない。

 それでもペラペラと嬉しそうに少女は話す。まるで決定事項のように。困って周りをちらりと見ると、周りの使用人は呆れたように笑むばかりで、こちらはますます困惑した。そのうちの一人と目が合うと、困ったように微笑まれた。どうやら、私がメイドをするのは決定事項らしい。そして同時に、断れないことも察した。


 絶対に、私なんかがメイドなんておかしい事なのに、何故か誰も反対しない。少女は俄然乗り気だ。いや寧ろ少女が推したのかもしれない。


 ぼろの貧民女を拾って、助けて、メイドにするなんて。良家の少女がすることじゃない。明らかにおかしい。なのに、嫌な気は微塵も起きない。


 へんなひと。


 緩く、頬が上がってしまう。こんなことは初めてだ。

 面白い。おかしい。……嬉しい。

 産まれて始めて、『しあわせ』を感じた出来事だった。



 そして少女はというと。


『……エリ……?』


 愕然とした顔で、私を見て、何かを呟いて。

 それは私の耳には届かなかったけれど、いつの間に来ていた妙齢の男性の耳には届いていたらしく。



『ほう、エリーか。(エレノア)の愛称かな?もう名を上げたのかい?』

『おっ、お父様っ!?』



 豊かな茶髪に、菫色の瞳を持った、身なりのいい男性。

 この公爵家の当主だ。


『我が娘ながらいい名だね。いいかい、君。今日からの君の名前だ。今の話は聞いてた?』


 私は突然の当主の登場にびっくりして、暫し黙ったままこっくり頷いた。当主様に対してするには不敬極まりない態度だったと思うが、当主は気にすることなく鷹揚に頷いた。 


『よろしい。では早速手続きをしなくちゃね』


 あっさりと頷き部屋を出ていった当主を無言で見送り、その三日後、当主に呼び出された私は書類の最終確認と少々お話を受け、正式にメイド見習い『エレノア・オールズフェン』として公爵家に仕えるようになった。そうして今に至る。


 あまりにもあっさりしすぎて、今でも現実味がまるでない。


 それでも、少女、ヴィオレッタお嬢様は相変わらずで、私の一番大事な主人になり、当主は大事な旦那様になり、使用人たちは大事な仲間になった。


 居心地の良すぎるここを失ってしまったら__そう考えては、ネガティブなエレノアは憂鬱になる。幸せの反面芽生える不安な気持ちを押さえつけ、エレノアは「憂鬱だわ」と呟いて今日も出勤するのだった。


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