何年か前に流行った
「朝霧木蔦って知ってる?」
「知ってる」
夕食後八朔を食べながらテレビを見ている姉達に聞くと、あっさりと言われそこで終わってしまった。
二人はテレビが見たいのか、みずみずしい八朔を食べるのに夢中なのか「朝霧木蔦がどうしたの?」とは聞いてくれない。
「誰?」
姉二人の代わりにお母さんが聞いてくれた。
「作家。何だっけ?何年か前に流行ったじゃない?何だっけ?」
恭ちゃんは思い出せないようだ。
「何だっけ?君の名前だけは、とか言う、何か恋愛小説でしょ?読んでないよ」
優ちゃんは家では一番本を読む人だけど、読んでないと言うことは、やっぱりそんなに有名じゃないのだろうか。
ウィキペディアには三百万部突破の大ベストセラーにって書いてあったけど。
「君の名前だけは忘れないように大切にしまっておいたんだ」
美夜が早口言葉のように言うと、姉達二人は「あー」と声を揃えて言った。
「そんなタイトルだったよー、いつだったっけ、高校の頃かなー、映画すっごく流行ってさー、結構見に行ってたよねー、ビバシティにも来たもん」
ビバシティとは彦根唯一の映画館が入っている地元スーパー平和堂が誇る大型商業施設であり、彦根市民でお世話になっていない人間などいないと断言できる、彦根市民最大の週末の予定地である。
カラオケ、ボーリング、ゲームセンター、映画館があり、勿論選挙期間には期日前投票もできる。
一階には飲食店が並び、ラーメン、和食、マクドナルド モスバーガー、ケンタッキー、サブウェイ、イタリアンと取り揃えており、洋菓子店、彦根銘菓、電気屋、百円ショップと、まあビバに行けば大体何でも揃う、と基本的に彦根市民は思っている。
「テレビでやった?」
映画など見に行かない美夜の母親が聞いた。
テレビでやったなら見たはずだと。
「やったよー、でもお母さん見てないんじゃないの?アニメだもん。私も見てないなー」
「何で?」
さっきから朝霧木蔦さんに対して、称賛や憧憬が聞こえてこない。
イケメン作家なのに有名じゃないのだろうか。
容姿に関する言及もなされない。
「高校生男女の恋愛映画なんて興味ないし」
「ないねー、あれ女の子同士だったら見に行っても良かったよねー」
「わかる。あれ設定聞いたときー、女の子同士なら見たいって思ったもん」
「どんな話?」
「主人公が死んじゃった好きな女の子のために、全部のパラレルワールドに行って、彼女を生き返らせる話」
「そうそう、でも何であんなに流行ったんだろね?」
「アニメは良かったんじゃない?実写は寒すぎたよね?キャスト見ただけでうわーって思ったもん、特にヒロイン。あの子儚さまるでないよね?あの後何だっけ?何で干されたの?」
「独立問題じゃなかったっけ?」
「主人公もイケメンだけどさー、縁起下手過ぎてさー、予告見るだけで見る気しなかったもん」
ネガティブキャンペーンかってほどいい話が出てこないため、美夜は「佐藤さんが朝霧木蔦なんだよ。作家さんなんだよ。無職じゃないから、サイコパスの殺人鬼なんかじゃないんだからね。普通の人なんだよ」と言い出しかねた。
「でもさー、マジョプリは悪くなかったよ、初期の頃は」
「あー、中学生までは良かったよね」
「マジョプリって?」
「魔法少女マジョリティプリンセス。アニメにもなったよ。アニメは見た。原作は読んでないけど」
「一期は良かったよね。結局何期までやってたの?」
「三期までは見たけどー、四期からはアナザーストーリーで、主人公変わっちゃったから見てない」
「何年前だっけ?中学の頃?」
「多分」
ウィキペディアによると高校在学中に「魔法少女マジョリティプリンセス」でデビューって書いてた。
今の美夜と同じ年でもう作家だった。
ずっと東京かと思ってたら、出身は京都府京都市。
京都大学卒業。
卒業後は会社員となり、去年まで兼業作家。
滋賀県彦根市在住は書いていないけど、本名佐藤新一は書いてあった。
イケメンとして有名とかそんな雑な記述はなく、ツイッターもやっていないし、好きな食べ物も、血液型すら書いていない。
何て不親切。
「その人がどうしたの?本読みたいの?」
「ブックオフに文庫本が多分百円であると思うよ、ものすごく売れたから」
「図書館になるんじゃないの?もう大分昔のだから予約しなくても借りれると思うよ」
「うん」
そうか。読んだ方がいいのかな?
でもなー。
読めるかな?
「美夜、嵐が丘はどうなったの?」
恭子に聞かれ美夜は素直に現状の有りのままを報告した。
「どうやったら読めるかな?」
「どうやったらって、読んだらいいだけでしょ」
やはり双子だと美夜は思った。
二人とも読めないことがあり得ないことのように話す。
「それができないから聞いてるんだよー」
「読まなきゃいいんじゃないの?宿題とかじゃないんでしょ?」
「そうだけどー」
「もうちょっと短いの読んだら?江戸川乱歩先生の短編がお勧め」
優ちゃんはテレビが面白くないのか、八朔を食べ終わったからか、江戸川乱歩先生の話がしたいのか、顔を美夜の方へ向けた。
「短編って本薄い?」
「嵐が丘に比べたらね。でも短編集だから結構分厚いよ。その代り一本一本が短いからすぐゴールできるよ、読み終わるのが重要でしょ?」
「まあ、そうなのかな?」
でも彼はいつも結構厚めの文庫本を読んでる。
嵐が丘は彼が最もよく手にしている厚みだったのだ。
「江戸川乱歩って怖い本でしょ?寝る前に読むのに向いてないんじゃないの?」
お母さんが呼び捨てにしたので優ちゃんは「先生」と口を尖らせ言い、もっと読まれるべき小説家と言い、嵐が丘級の恋愛小説書いてるからと力説した。
「でも、美夜やめた方がいいと思う。結構引きずるもん。大人になってから読んだ方がいい」
恭子はそう言うとテレビのチャンネルを次々に替え、面白いものが見つからなかったのか、新聞を取りテレビ欄を見た。
「それはあるかも。陰獣怖くてさー、夜中読んでたんだけど、怖すぎて後ろ振り返れなかったんだよね。
犯人後ろにいる気がしてさー。いるわけないのに。もうそのまま布団被ったもん」
「怖かったよねー。わかる。美夜。あれ読みなよ。エドガーアランポー」
美夜は恭子が何を言っているのかわからなかった。
さっき大人になったらと姉は言わなかっただろうか?
「美夜、エドガーだからね。江戸川じゃないからね、アメリカ人だよ」
「江戸川乱歩、先生じゃないの?」
「ペンネームの元ネタになった人。江戸川乱歩先生は本名平井太郎だもん。推理小説も書いてるけど詩がいいんだよ、詩集読みなよ。すっと入ってくるよ」
「アナベル・リーいいよね。ロリータ読んだとき読んだわ」
「詩といえばエミリー・ブロンテのさ、私高校の時あんまり感動してさ、綺麗な字で清書して、机の引き出しから出して、寝る前暗唱してた。」
「書いてたよねー、格言。私もやってた。君の骨も乾かぬうちに君の名も行為も忘れられた。もうやんないけどねー」
「今でも残ってるよ。もう見ないけど」
「どんなの?」
美夜は率直に聞いてみた。
優子に詩を暗唱するような文学少女な一面があったなんて知らなかった。
姉達は中学高校とバドミントン部だったし、漫画は読んでるが小説を読んでいた印象はない。
今だってどちらかというと二次創作の小説と漫画にお金をかけ、本棚には文庫本が並び、図書館にあるようなごつい文学全集やハードカバーの最新の小説などは一冊も持っていないのに。
「富などくだらないもの、愛だって笑い飛ばして見せよう、名誉欲なんて朝の訪れとともに消えてしまう夢だったっていう」
「それだけ?」
「もうちょっとあるけど、最後が一番好き。結構唱えてた」
「何て?」
「全文は嵐が丘の最後の解説に載ってるよ」
「そこまでいかないよー」
「ネタバレしていいんなら解説先読んだら?読みたくなるかも」
「恭ちゃんは、先読むの?」
「読むときもある、解説読んで読もって思うことあるよ」
「そう?」
「生も死も雄々しく耐えらる縛られない魂」
「えっ?」
「最後」
「ごめん、聞いてなかったよー、もっかい言って」
「嫌、まあ恭ちゃんの言う通り解説読みなよ。エミリー・ブロンテの人生知ったら読ますにいられなくなるって」
優ちゃんにそうは言われたけれど、結局美夜は「朝霧木蔦」が佐藤さんだと言えなかったので、明後日佐藤さんと出かけることも言えなくなってしまった。
誰かに話したくてたまらず、花恋にラインしようかと思ったけど、佐藤さんに友達に言ってもいいのか聞いていないことを思い出し、そのまま寝ることにした。
ふと、彼は「朝霧木蔦」を知っているだろうかと思った。
知っていたら喜ぶだろうか?
それとも姉達のような反応だろうか?
どちらにせよ初めての会話にはふさわしくないと思った。
今まで話したこともないクラスメイトと話すのに美夜自身まだ読んだこともない作家の話をすると言うのは。
まあ、美夜が読んだことのある作家など、ほとんどいないのだけど。
彼は今までどれだけの本を読んだのだろう。
バドミントン部の姉達ですら詩を暗唱できるのだから、文芸部の彼なら自作の詩を披露するくらいのことは簡単なのだろうか?
それとも無口な彼は心でそっと唱えるのだろうか?
彼はこれからどれだけの本を読むのだろう。
美夜は今まで読んできた本の数を、絵本をカウントしていいなら、そこそこあるはず大丈夫と、水増し請求しながら数え、それが羊となり、いつの間にか眠っていて、夢すら見なかった。




