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事実は小説より奇なり

この一週間佐藤さんは何だか変だ。

付き合いが浅く、どちらかというと鈍感だと言われることの多い美夜ですらわかるほどに、何か言いあぐねているのか、別れ際必ず何か言いかけてやめる。

「嵐が丘」は相変わらず進まない。

三学期はもうすぐ終わるというのに、何もできていない。

やっぱり予てからの最終計画を二年生になったら実行に移すべきだろうか。


「美夜ちゃん」


自転車の傍でため息をついていると佐藤さんに声を掛けられた。

まだ少し寒いため黒い厚手のタートルネックのセーターに黒いカーディガンを羽織っていて、そのカーディガンが少し大きめで萌え袖になっていて可愛い。


「佐藤さん、こんばんは」


二月と違って三月も中ごろになれば大分日が長くなり、六時を過ぎてもまだ明るいから、こんばんはというのはどうなんだろうと思ったけど、こんにちはではないなとも思い気にしないことにした。


「こんばんは、美夜ちゃん」


佐藤さんはちょっと待っててとは言わない。

少し目線を逸らし、ここ一週間ずっとそうだったが、何か言いたいのに言えないそんな顔をしている。

その顔は自分が教室で窓際の一番後ろの席の眼鏡をかけた彼をを見ている時の顔と似ているような気がした。

勿論顔の出来というか、地力が全然違うので、こんな儚い憂いを帯びた表情にはなっていないんだろうけど。


「あの、佐藤さん。そのー、気のせいだったら、すみません。あの、何かお話したいこと、あったりします?」

「えっ?」


あれ、違ったのかな?

佐藤さんは少し俯いた。

そのためらいがちな角度が如何にも嫋やかで朧げで、こんな人と毎日話しているのは奇跡に思え、やっぱり佐藤さんは同じ世界の住人ではない気がした。

佐藤さんそのものが美夜が見ている長い長い夢なのではと。

でも夢にしては鮮烈だ。

それに可笑しい。

お婆さんの隣に引っ越してきたイケメンに毎日お菓子を貰う、そんな夢。

でも、本当に佐藤さんと美夜はそれだけの関係だ。

そこには変な修飾も脚色も一切ない。

少しお話しするにしても今日はいいお天気だねとか今日も寒いねとか佐藤さんが今日は此処に行ったんだっていう当たり障りのないものばかりで、お互いの突っ込んだ話なんかしたこともない。

美夜は佐藤さんのこと実際は何も知らない。

佐藤さんも美夜のことは何も知らない。

通っている高校も話したことはないし、佐藤さんが東京で何をしていたのかも知らない。

知っているのはお互いに名前だけ。


「すみません、そのー、変なこと言って、あの、忘れてください、じゃあ、その」

「ああ、ごめん。ちょっと待ってて」


佐藤さんはお家に入ると筒状のマーブルチョコレートと黒いスマホを持って出てきた。

マーブルチョコレートを受け取りお礼を言い佐藤さんを見ると、佐藤さんは右手でスマホを握りしめたまま、居心地悪そうに立っている。


「あの、佐藤さん」

「うん」


佐藤さんは意を決したように美夜を見て、スマホを操作した。


「美夜ちゃん、あのさ、その、俺さ、美夜ちゃんに、ずっと言おうと思ってたことあって」

「はい」

「あのさ、美夜ちゃんいつでもいいんだけど、休みの日さ、ちょっと付き合ってくれないかな?」

「付き合うってどこに、ですか?」


思いもよらなかった発言に美夜は少し棒読みになってしまったことに気づき、申し訳なくなった。

別に警戒心なんかない。

付き合ってと言うのは、そのままの意味でそれ以上他意などないことはわかっていた。


「彦根をさ、探検してるって言ったでしょ?毎日一人で歩いてるんだけど、ちょっとお喋りしながら歩いてみたいなって」

「あー」


如何にも間の抜けた声が出た。

何が「あー」だ。

他に言うことあるでしょ。


「あのね、それで、俺のことなんだけど、その、美夜ちゃん、俺言ってなかったけど、俺ね、怪しいものじゃないんだ、本当に」

「はい」


だから「はい」じゃない。

全く気が利かない。

怪しいなんて本当は思っていない。

事実は小説より奇なりなんて言うけれど、自分の周りでそう変わったことが起こると美夜は思ったことなどない。

静かで穏やかな何も起こらない日常。

ひょっとしたら佐藤さんが美夜にとっての非日常なのかもしれない。

何も起きてないけど、毎日佐藤さんの美しさに触れている。

佐藤さん以上に美しい人に出逢うことなど、美夜の今後の人生でまずないだろうと断言できるほどに佐藤さんの容姿は特別だ。

十代の頃の佐藤さんもさぞ美しい少年だっただろうけど、今の佐藤さんには長い年月により、磨き抜かれたような宝珠的美しさがある。

だから今美夜は流星が光の洪水のように降り注ぐよりも稀な体験をしているのかもしれない。

この上佐藤さんは自分に何を言おうとしているのだろう。

答えがその薄いスマホの中にあるのは明白で、でも一気に知っちゃうのは勿体ない気がして、美夜は口をキュッと堅く結んだ。














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