お兄さんと?
「本当に何もないのか?」
蓮の質問の意味が解らず、美夜は蓮の愛想の欠片もない顔を見上げた。
すると彼と目が合った。
どうやら蓮は美夜を見ているらしい。
見ていると言うより、見下ろしているだが。
「えっと、ごめんなさい。何が?」
「何がって、あいつと、本当はどういう関係なんだ?」
「お兄さんと?」
「お兄さんって呼んでるのか?」
美夜は蓮の声の大きさに驚いた。
こんな声出すんだ。
そういえば、蓮の声を学校で聞いたことはなかった。
「あの、違うよ。佐藤君から見て、お兄さんってことだからね、お兄さんのことは佐藤さんって呼んでるよ」
「あいつはあんたのこと、美夜ちゃんて」
「私下の名前美夜だから」
「知ってる」
「そうだったね、ごめんなさい」
「いちいち謝らなくていい」
「うん」
「で、どういう関係だ?」
「どういうって、えっと、本貸してもらって、お菓子くれて」
「お菓子?」
「うん、お菓子」
「何で?」
「わかんない」
「もう、家に上がるのやめてくれないか?」
「えっと、その、何で?」
「変な噂でも立ったら困る」
「えっと、どんな?」
「淫行だとか」
「え?」
「あいつ一応作家だし、身内が淫行だとか児童ポルノ所持で逮捕とかなるのとか冗談じゃないし、お婆ちゃんに何て言うんだよ」
「お婆ちゃん子なんだ」
「別に、普通だろ。老い先短い年寄りに孫が逮捕されたとか言うの可哀想すぎるだろ。こんな田舎じゃ噂なんかすぐ広まる」
「あのね、何かすっごく勘違いしてるみたいだけど、お兄さんと私何にもないから」
「何にも?」
「当たり前でしょ、佐藤君。お兄さんに失礼だよ。あんな聖母みたいな人」
「聖母?あんた何言ってるんだ?」
「どう見ても聖母でしょ、顔ものすごく綺麗じゃない」
「男が聖母って」
「だって、本当にそうだもん。本当に綺麗だし、優しいし、天上人って感じ」
「そんなわけないだろ、普通より上ってだけで、そうたいしたことないだろ」
「たいしたことあるよー、佐藤君は身内だからそう思うんだよ、見慣れてるから」
「そんなに見慣れてない。一緒に暮らしたことないし」
「そうなの?」
「ああ」
年離れてるからかな?
複雑な事情とかだったら踏み込んじゃいけないだろうなと美夜は思い口を噤んだ。
「別にたいした話じゃない、母親が違うから」
話すんだ。
何かほぼ初対面の人間に話すことかな。
はっきり言って美夜には受け止められる度量はない。
重い話になるのなら、薄情なようだけど、本当に申し訳ないけど自転車で逃げ去ってしまいたい。
「こっち来てから会うの二回目だし、あんなに長いこと喋ったのも初めて」
「そうなんだ?嬉しい?」
「は?そんなわけないだろ」
「ごめんなさい」
「だから謝らなくていい」
「うん、わかった」
「本当に何もないんだな?」
「ないよ、あるわけないじゃない。私みたいな子供と」
「ロリコンなのかと」
「そうなの?」
「知るか、あいつの趣味なんて」
「あの、心配いらないから、あのね、でもね、これだけは言わせてほしいんだけど、お兄さんのおかげで、少なくとも私は本を読むようになったよ」
「は?」
「はって、あのね、私、本全然読めなかったんだよね、でもお兄さんが坊ちゃん貸してくれて、それがすっごく面白かったの。生れて初めて本って面白いと思った。佐藤君読んだことある?」
「坊ちゃん?ない。本嫌いだから」
「お兄さんの本も?」
「読むわけないだろ、気持ち悪い」
「そういうもの?」
「ああ、それに身内に見られたくないだろ、自分が思ってることとか俺は知られたくない」
「小説だから、作り話でしょ?」
「それでも、考えたことだろ」
「そっかー、そうなのかな」
次の曲がり角を曲がると美夜の家ってところまで二人は漫画の話やゲームの話をしながら並んで歩いた。
「あの、もうそこ家だから」
「ああ」
「あの、佐藤君の家はどのへんなの?」
「大藪」
「えっと、すっごい遠回りだよね?」
「ああ」
「えっと、その」
「念を押すが、あいつとは本当に何にもないな?」
「うん、ないよ、本当に」
「今後もないな?」
「うん、ないよ」
蓮の瞳が淡く揺れていた。
その色は見たこともないほど深く呑み込んでしまいそうな色をしていた。
何でこんな瞳で見るのだろう。
そう思えるほどに蓮の黒は何かを孕んでいた。
「じゃあ、また」
「えっと、うん、じゃあ、その、また、ね」
「ああ、それ読むのか?」
蓮は自転車の籠に入っている「虞美人草」の文庫本を一瞥した。
「うん、読むの楽しみ」
「ホントに面白いのか?」
「うん、面白いよ。読みだしたら漫画と一緒だよ」
「どこが?」
「えっと、漫画だと絵でその状況を説明してくれてるんだけど、小説は言葉で説明してくれてるんだよ、そしたらね、読んでるとね絵がね自分で浮かぶの」
「絵が?」
「うん、顔が浮かんでくるよ、坊ちゃんとか特に」
「読むのめんどくさくないか?」
「うーん、だって漫画もゲームも字読んでるじゃない?それと一緒だよ」
「そう、か」
「うん、それにファンタジーだよね、明治時代って」
「は?」
「だって着物着てるし、携帯ないし、テレビないし」
「ないな」
「うん、異世界だよ。魔法のない」
一時間後祖母の家に行き、佐藤さんとも少し話した。
佐藤さんの瞳を美夜はじっと見て見たけど、その黒の中に蓮が持っていた不思議な色を見出すことはできなかった。




