腕
「蓮、付き合ってもいない女の子の腕を取るなんてダメだよ。美夜ちゃん怖がってる、放しなさい」
蓮は美夜の腕を放し、視線を逸らした。
「悪い、ごめん」
「ううん、全然」
「ごめんね、美夜ちゃん」
「いえ、全然」
「兎に角帰ろう、佐藤」
「美夜ちゃんは帰らないよー、もうちょっとゆっくりしていってくれるんだもんね?」
「は?」
蓮は声に力を取り戻した。
というより怒りが又ふつふつと湧いて来たようだ。
先ほど美夜に謝った時のしょげた様な声と全然違う。
あれはあれでレアなんだろうな。
「美夜ちゃんは俺とこれから書庫に籠って本探すの」
「何で?」
「何でって、美夜ちゃん本読むの好きだから」
「本?あんたいつも神谷達とゲームの話ばっかりしてるじゃないか」
「聞いてるの?蓮。盗み聞き良くないよー」
「聞こえるんだ。神谷の声がデカいから」
「あー、たっくんの声高いし大きいよね」
「ああ、うるさい」
「ごめんなさい」
「別に、あんたのせいじゃない」
「うん、でもごめんなさい」
「蓮も本でも読んだら?全然読まないでしょ」
「面白くない」
「漫画は読むでしょ?」
「漫画は面白い」
「小説も面白いよー、貸したげるから読んだら?」
「いい、面倒」
「ケーキまだあるけど、食べる?」
「食べる」
蓮は無言で白い箱を美夜の前に置いた。
先に選ばせてくれるということだろう。
「モンブラン貰っていい?」
「ああ」
「二人で全部食べていいよー」
「佐藤さん全然食べてないです。お誕生日なのに。いいんですか?」
「うん、アイス食べたしねー」
「アイス?」
「うん、ビバシティで美夜ちゃんと」
「は?」
何回も聞くとこの絶対零度のような「は?」は慣れるなと美夜は可笑しくなりモンブランを掬って口に運んだ。
「美味しい?美夜ちゃん」
「はい、美味しいです」
「良かった、その顔が、見たかったんだ」
「おっきな栗入ってますー」
「それは良かったね」
「はい」
蓮はチョコレートケーキを取り、空になったマグカップを兄の方へやった。
「コーヒーでいい?」
「ああ」
「美夜ちゃんは?」
「はい、いただきます」
残りのケーキを平らげ、本しかない部屋に佐藤と美夜が入ると蓮は忌々しそうな顔でついてきた。
「何これ、狭い」
「じゃあ、蓮。帰ったら?」
「まだいいだろ」
美夜は背の高い二人に挟まれ、心なしか背が縮んだ気がした。
「何でこんな狭いんだよ」
「これは俺のせいじゃないよ、お爺ちゃんだよ」
「何探すんだ?」
「今美夜ちゃんは夏目漱石読んでるんだ、蓮も読んだら?」
「字が小さいから」
「そんな理由?最近の文庫本は大きいよ」
「字しかないからいい」
「面白いのに、ねー、美夜ちゃん?」
「はい、面白いです」
「だって」
「面白いのか?」
「うん、面白いよ」
「どこが?」
「どこがって言われても」
「勝手に喋ってくれるんだって」
「勝手に喋られるなんて嫌だけど」
声が随分降ってくるなと美夜は思った。
似た声だけど、柔らかさが全然違う。
佐藤君の声には微妙な棘がある。
でも上手く相殺されて何だか気持ちが良い。
「あんたよく来るのか?」
「え?」
「ここ」
「えっと、お婆ちゃんに毎日ご飯届けてるから」
「知らない人についてくなって親に教えられなかったのか」
「知らない人じゃ、ないし」
「知らない人だろ、赤の他人だ、変質者だったらどうするんだ」
「蓮、本人の前で酷いなー」
「本当のことだろ」
「えっと、すみません」
「蓮、本当に怖いなー。学校でもいつもそうなの?」
「知るか」
「そんなことないです、あの、佐藤君すごく人気あるんですよ」
「顔だけはいいからね」
「同じ顔で言うな」
「俺は顔が良くても蓮みたいにいっつも不機嫌な顔してる子は嫌だなー。ケーキも美味しそうに食べてくれないしー」
「美味しそうな顔って?」
「美夜ちゃんの顔」
「隣で食べてたから見てない」
「見なくていいよ、そんな、私みたいなたいしたことない顔」
「美夜ちゃんは可愛いよー。毎日食べてる美夜ちゃん見たい」
「やっぱりロリコンなのか、もう帰ろう佐藤」
蓮は腕を取ったら悪いと意識したのか、美夜のカーディガンを引っ張った。
「そんなわけないだろ、ねえ美夜ちゃん?」
「はい」
「何なんだ、あんたも」
「まあでも、そろそろ美夜ちゃん帰らないとだめだよね、また夕飯持ってこなきゃならないし」
「はい」
「帰るのか?」
「うん、帰るよ、そろそろ」
「虞美人草渡しとくね、こころより先の作品だよ。今の美夜ちゃんならすぐ読めると思うよ」
「はい、ありがとうございます」
「帰ろう、佐藤」
蓮は再び美夜のカーディガンを引っ張る。
その仕草が如何にも子供じみていて可愛らしく、美夜は学校一のイケメンが立派な弟属性であったことを確認した。
「じゃあ、またね、美夜ちゃん」
「はい、今日はありがとうございました。とっても美味しかったです」
「良かった」
「帰ろう」
蓮は待ち合わせ場所に遅れたのを詰るような声で言う。
美夜は自転車の鍵を差し込んだ。
「俺、歩きなんだけど」
美夜が自転車に跨り、蓮に「じゃあね」と言おうとすると、蓮は言わせまいとするような強い強制力を持つ声を出した。
美夜は蓮の顔を見た。
そして彼の声より、その顔が持つ絶対評価にひれ伏すしかないと悟った。
そのくらい彼の顔は整っていて、近い将来間違いなく兄と同じ領域に至ることが約束されていた。
この顔だ。
これなら何ら特徴のない顔をした美夜は顔面格差により彼に従うしかない。
まあ、途中で別れるだろうし。
蓮の家がどこかは知らないが、中学が違うことからも同じ方向ではないと思われる。
美夜は自転車を降り、歩き始めた。
蓮は美夜の左横に並び彼女の歩調に合わせゆっくりと長い脚を動かした。




