本棚があり、本棚しかなく
「入って」
「はい、お邪魔します」
佐藤さんに案内されたのは玄関を入ってすぐの左の部屋。
部屋の中は図書館のような天井に届きそうな高さの本棚があり、本棚しかなく本がぎっしり詰まっている。
「本いっぱいありますね」
「本しかないよ、本の部屋だから」
「すごい、です」
「狭くてごめんね」
「いえ」
図書館のように本棚と本棚の間にゆったりとしたスペースがない。
人が通ることを想定していないからだろう。
「文庫本だったよね?」
「はい」
「美夜ちゃん、取りあえず嵐が丘は一旦お休みしよ」
「お休み、ですか?」
「うん、長いし、美夜ちゃんが読むの慣れてからにしよう」
「読むの慣れる?」
「うん、取りあえず日本の小説から始めたほうがいいと思うよ、人名が入ってこないでしょ?」
「あー、そうかもしれません」
「で、短いのから読も、最初から長い距離走れないでしょ?」
「あー、確かに」
「どういうのがいいかな、今まで読んで面白かった小説ある?」
「ないです」
「ないんだ?」
「はい、すみません」
「ううん、そう言えば俺も聞いていい?」
「はい」
「何で美夜ちゃんは本を読もうと思ったの?」
いきなり的のど真ん中に矢が突き刺さり、美夜は感覚としてよろめいた。
佐藤と美夜は本棚の前に並んでいるため美夜には佐藤の顔が見えていないし、佐藤にも美夜の顔は見えていないのだが、美夜は頬を掴まれ、美しい宝石のような黒い瞳が嘘を付けなくする暗示をかけている様に感じられた。
「同じクラスに」
「うん」
「気になる男の子がいまして」
「いまして?」
「その子がいつも昼休み本を読んでいるんです」
「うん」
「それで、何読んでるのかなって気になって」
「うん」
「一度話してみたいなって」
「うん」
「でも何て言ったらいいかわからなくて」
「うん」
「何読んでるのって聞いてみてもその本知らなかったら会話続かないだろうし」
「うん」
「そう思ってるうちに時間だけ過ぎていって」
「うん」
「もう三学期でクラス替えあるから違うクラスになったらもう見ることもできないし」
「うん」
「だからクラス一緒になれなかったら掛け持ちでいいっていうので文芸部入ろうかなって思って」
「その子、文芸部なんだ?」
「はい、でも文芸部入っても本全然読んだことなかったら、邪魔になるだけだろうし」
「活動内容にもよるだろうけど、まあ基本的に本好きな子が入る部活だろうね」
「はい」
「クラス一緒でも席一度も近くになんなかったし、何の接点もないから見てるだけで本当に何にもなくて」
「うん」
「もうすぐ春休みに入っちゃうし、文芸部学校休みの日は活動しないから、春休みになったら会えないし、夏休みなんか地獄で」
「そんなにかっこいい子なの?」
「いえ、全然」
「でも気になってるんだ?」
「はい、何か気になってます」
「そう」
「はい」
全部話してしまった。
洗いざらい全部白状した。
そうすると何だかすとんと荷物を下した様になった。
本棚の圧迫感が何故だか心地いい。
本に囚われたようだけど。
「そんな可愛い理由があったんだね」
「不純です」
「そんなことないよ、一番可愛い動機だよ」
「そうですか?」
「うん、その子何ていうの?」
「高瀬君です」
「高瀬君。じゃあ森鴎外の高瀬舟読む?」
「面白いですか?」
「面白いけど、後味のいい話ではないかな、そうだ俺、美夜ちゃんに言ったよね、美夜ちゃんのみやはお宮さんの宮って」
「はい、言いました」
「それね、金色夜叉のヒロインの名前なんだよ。鴫沢宮」
「こんじきやしゃ?」
佐藤さんは尾崎紅葉全集という武器になりそうな硬そうな本を引っ張り出した。
「俺は尾崎紅葉なら多情多恨が好き。ヒロインが主人公に葡萄酒を飲ませてくれるシーンがあるんだけど、たんと召し上がれって言うんだ。そのたんとってのが好きでさ、そのシーン何回も読んだ。
面白いんだよ。主人公がさ、奥さんを亡くして悲しんでいるんだけど、その奥さんは、主人公のことをそんなに好きじゃなかったみたいなんだよね、でも主人公は奥さんが亡くなって本当に悲しんでるんだよね、しょっちゅうお墓前りに行って、ずっと哀しんで」
「どうなるんですか?」
「どうにもならないよ、一応の結末はあるけど、どうかなったかっていうとどうもなってない」
「面白いですか?」
「うん、読んでる間ずっと楽しくてワクワクしてた」
「ワクワク?」
「うん、でも文体が厄介かな。主人公女の子のほうがいい?」
「うーん、別にどっちでも」
「高瀬君ってどんな子?」
「普通の子です、眼鏡かけた」
「そう」
「別にかっこいい子じゃないんです。ただ何か淡々としてて、堂々としてるんです、こう軸があるっていうか、芯があるっていうか」
「うん」
「後本を読んでる姿が、しゅっとしてて、本読んでる時だけは、そのー、かっこいいです」
「そうなんだ」
「はい」
そう、本を読んでいる高瀬君は、全然違う。
その時の彼は不協和音から遠ざけられている。
まるで彼の読む本から時が溢れる様に。




