お宮さんの宮?
学校から帰ると玄関に鞄を置いて制服のまま自転車に乗り一人暮らしの祖母の家に夕飯のお弁当を届けるのが日課だ。
今日もいつも通り祖父が生きていた頃は自動車置き場だった今は特に何も置いていない広い場所に自転車を悠々と止めて、高野山と書かれた可愛らしいお坊さんのキーホルダーのついた合鍵で家の中に入る。
祖母は玄関の一番近くの和室に一人広い炬燵に入りテレビを見ている。
「お婆ちゃん、来たよー」
返事はないがいつものことなので気にしない。
トートバッグからお弁当箱を取り出し炬燵に置く。
祖母はテレビから目を離さない、だからといってテレビに夢中ってわけじゃないのは知っている。
「何か欲しいものある?」
「鯖の竜田揚げ、今日テレビでやってた」
「お母さんに言っとく」
「肉じゃがのグリーンピース多い、食べるのめんどくさい」
「体にいいんだよ」
「もう年なんだから体にいいものなんか食べなくていいんだよ」
「一応言っとくけど、お母さんいろどりで入れてるんだから、また入れると思うよ」
「入っててもいいけど多すぎるって言ってるんだよ、箸で一つ一つ食べるのめんどくさい」
「スプーンで食べたら?」
もういいよとばかりに無言になった。
お弁当のふたを開けたので帰れということだろう。
突然玄関のチャイムが鳴った。
珍しいことだ。
祖母を訪ねてくる人などいないから、何かの勧誘だろうか?
こんな夕方に?
「どちら様ですかー?」
聞こえてきた声は勿論聴いたことのないもので、予想もしていないことを言った。
「こんな時間にすみません。お隣に引っ越してきた佐藤と言います。引っ越しのご挨拶に伺いました」
お隣はお婆さんが一人で住んでいたけど、施設に入ったって聞いていた。
借家になったのかな?
「今開けますー」
ドアを開けるとそこには見たこともない、優し気な美貌の男性が立っていた。
黒いダウンジャケットを着ているから、寒いんだろうなと思ったけど、そう言えば自分もダッフルコートにマフラーを巻いたままだ。
「すみません、このお家の子、かな?」
まるで聖母のような笑みを湛えた美形は天上人が地上の民に話しかけるような声音で言った。
凄い、顔の綺麗な人って声まで美しいんだ。
同じ髪の色なのに不思議、この人の黒は別の色に見える。
「あっ、えーっと、違います。ここ私のお婆ちゃんの家で」
「そうなんだ、お婆さんは一人暮らし?」
「はい、そうですけど、すみません。ちょっと人に会いたくない人で」
「そうなんだ、どこか悪いわけじゃないんだね?」
「はい、いたって健康です、どっこも悪くありません」
祖母は家から一歩も出ない。
最後に出たのは、祖父のお葬式だからもう五年以上前だ。
よく健康な生活は適度な運動とバランスの取れた食生活と他者との楽しい交流と言うけれど、そんなの全然関係ないんじゃないかと思う。
祖母は祖父の生きていた頃から食事の用意は祖父に任せっきりで、掃除と洗濯くらいしかやらなかったし、人付き合いなんか一切しなかった。
だって外にほとんど出ないのだ。おかげで顔は真っ白で綺麗、シミ一つない。
「それなら良かったね、一人にしといて大丈夫なら、お風呂とかも一人で入れるの?」
「はい、一人で入ってくれてます」
掃除はするんだよね、毎日そこそこ広い家を。
お弁当箱は洗わないけど。
「これ、つまらないものだけど、お婆ちゃんと一緒に食べて」
そう言って黒髪サラサラヘアーのこんな田舎の住宅街に現れた奇跡といった趣のちょっと大きな天使さんは紙袋と言うのは勿体なすぎる黒い袋を差し出した。
この袋、見たことがある間違いない。
わざわざ他の物を引っ越しのご挨拶にこの袋に入れてくる人などいない。
この王者の風格なんて俗物的なことを言うのは失礼なほどのお上品な黒。
とらやだ。
そしてこのずっしりとした幸せの塊のような重さ、羊羹だ。
「こんな素晴らしいもの貰っちゃってもいいんですか?」
「うん、羊羹好き?」
「はい、大好きです。嬉しいです」
「そう、良かった、喜んでもらえて」
「ホントに嬉しいです。すっごく高いじゃないですかー、家じゃ絶対買ってもらえないですよー、貰いものでしか食べたことなくて」
「そういうものじゃないかな、俺もお土産でしか買ったことないよ」
「そうですか」
「うん、甘いもの好きなの?」
「はい、大好きです、洋菓子も和菓子も」
「そう、高校生?」
「はい、一年生です」
「そう、お婆ちゃんの家にはよく来るの?」
「はい、毎日ご飯届けてるので」
「そう、じゃあこれからよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「俺も毎日家にいるけど、人が訪ねてくることもないし、五月蠅くしないから」
「そうですか、そんな気になさらないでください」
毎日家にいるって何をしている人なんだろうと少し疑問に思ったけど、羊羹と優しい声と、その震えすら感じさせる美貌に簡単にかき消された。
単純。
だけど、初対面の人にご職業は?なんて聞いていいわけないし。
「名前」
「えっ?」
「名前、聞いてもいい?」
「あ、はい佐藤です、佐藤みや」
「お宮さんの宮?」
「いえ、美しいに夜って書きます」
「そう、綺麗な名前だね」
貴方は?
そんな恥ずかしい仰々しい聞き方はできないなと美夜は思った。
じゃあ、どうやって年上の人に名前なんて聞くんだろう?
そういえば佐藤さんて言っていた。
同じ名字。
「佐藤さんは、その、何ておっしゃるんですか、その下のお名前?」
「俺?ああ、ごめんね、俺から名乗るべきだったよね、佐藤しんいちと言います。新しいに数字の一だよ」
「そうですか」
「うん、じゃあ、またね。美夜ちゃん」
「はい、また」
仏壇に羊羹を一本進ぜて、一本はお家に持って帰った。
何だか自然とふわふわした気分が家に帰ってからも続いた。
肉眼であれほど美しい人を見たのは初めてだった。
美夜の高校にも学校一のイケメンで校内の女子の称賛を一身に集める男の子がいる。
友達の彼氏が同じクラスなので、たまに拝むことができ、そのたびに関心はするけれど、彼は佐藤さんのような聖母オーラもなければ、圧倒的光属性でもない、だとらかというと無属性な唯のイケメンだ。
彼は美夜が今まで見た中で一番のイケメンだったけれど、至近距離で見ることなどまずないから、今日美夜は人生で初めてのイケメンオーラを浴びたと言うことになる。
でも、威圧感など微塵もない、包み込むような柔らかさがあった。
暖かくて安心する。
季節で言うと冬の終わりの休日の朝。
まだ布団から出たくない、このためなら全てを捨ててもいいと思えるような心地良い微睡。
ふわふわしたまま眠れたら良かったけどカレンダーを見て寂しさと自分のふがいなさに嫌気がさして、せっかくのイケメンからの庇護力が霧散しそうになるので、慌ててかき集めた。
三学期はもう終わる、クラス替えがあるんだから、なんとかしないと。
そうやって浮かんだ彼は眼鏡以外に特徴のない顔。
でも素敵な小道具なら持っている。
本というミステリアスを演出するのに最高に都合のいい王道武器が。




