自動ドア 3
アツシが聞いたのは、こんな話だった。
C組のホームルームが終わり、生徒たちがそれぞれ帰り支度をしている中、木蒔さんは自分の席でいつも読書をしていて、すぐには帰らないらしい。もちろん、他にも教室に残って友人同士雑談しながら残っている生徒は他にもいる。だけど、その教室に最後まで残っているのは、いつも木蒔さんなんだとか。それ自体は別段おかしな話ではない。何かしらの理由、例えば家庭の事情とかで、家に帰りたくない生徒がいても特に不思議ではない。
ただあるとき、部活終わりにたまたま忘れ物を取りに戻ったC組の女生徒が廊下を歩いていると、教室の中から木蒔さんと誰かの話し声が聞こえた。いつも一人で本を読んでいる木蒔さんが誰かとお喋りをしているなんて珍しい。もしかして教室で別のクラスの友人と待ち合わせをするために、いつも本を読みながら残っているのだろうか。そう思いながらその女生徒が教室に入ると、いつもと変わらず、木蒔さんが一人で本を読んでいた。
あれ?と疑問を浮かべる女生徒だが、とりあえず忘れ物のノートを自分の机から回収しつつ彼女に尋ねてみた。
「ねえ木蒔さん、さっき誰かと話してなかった?」
そう尋ねられた彼女は、本から目線をこちらに移し、
「いえ、ずっと一人で本を読んでましたよ。」
と答えた。
なんだ気のせいか。そう思い、それじゃあまた明日、と声をかけて教室を後にする。いつも一人でいる木蒔さんが誰かと話していると思ったものだから、どんな人が友達なのか興味あったのになぁ、と残念がって教室を出る。すると、その女生徒が出てすぐに、教室からまた話し声が聞こえた。
えっ、と女生徒が振り返って足を止める。やっぱり気のせいなんかじゃない。確かに教室の中から、木蒔さんともう一人、別の誰かの声が聞こえる。その誰かの声は木蒔さんより少し高めで、子供のような幼さを感じる声だった。やっぱり誰かいるじゃない、そう思った女生徒が教室を覗き込もうと入り口に近づいた瞬間、木蒔さんではない方の誰かが、急に大きな笑い声をあげた。最初こそ子供の無邪気な笑い声に聞こえたそれは、しかしだんだんと、奇妙なものに形を変えていく。声の高さが、人間では不可能なほど、一言一言で激しく上下し、子供や、老婆や、何かわからない奇妙な声に変質するのだ。そして、その声の聞こえる場所が、走り回っているように、教室の中のあちこちから聞こえてくる。ゾクリと、女生徒の体に悪寒が走った。一体、教室の中で何が起こっているのだろうか。木蒔さんは何を見て、何と話しているのだろうか。気になるものの、恐怖で足がすくんで動けない。教室の手前で生徒が固まっていると、ふいに笑い声が止んだ。
そしてその瞬間、生徒の隣、その耳元に、
「あなたはだあれ?」
と、囁くような、しかしはっきりと声が聞こえた。その何とも言いがたい奇妙な声を聞いた瞬間、生徒は悲鳴をあげ、声がする方向を決して見ないように走って逃げたという。
「怖い!!」
アツシの話を聞き終えた私は、世界一シンプルな感想を口にした。
「なにそれホラー映画じゃん!いや学校といえば怪談はつき物だけどさ!え、なに?木蒔さん幽霊と話をしてたの?ていうかC組に幽霊いるの?あそこいわくつきなの?」
矢継ぎ早に感想と質問で攻め立てる私を、まあ落ち着けと右手で制すアツシ。でも仕方がないじゃん。幽霊やUMAやUFOなんてものの話は、好奇心旺盛な中学生にとって、恋愛に次ぐストライクゾーンど真ん中のホットな話題だ。いつでもランキングに入っている。しかもその話の登場人物に、ついさっきお会いしたのだからなおさらである。サイン貰っておけばよかったと思っても仕方がないだろう。
「いやわけわからんぞ。‘あなたが出てくる怪談を聞いてファンになりました、サインください!‘とか同級生から急に言われたら、俺ならまず引くし、その後で丁重にお断りしつつ距離を置くと思う。」
アツシは両手を交差させてバツマークを作り、 拒否の姿勢を取りながら言った。
「う、嘘でしょ・・。」
「ショック受けすぎだろ。オカルト系の話が好きなのはわかるが、一回しか会ったことのない相手がその勢いでいきなり会いに来たら、ちょっと怖いというかキモいだろ。わかったらハンカチで我慢しとけ。」
そう言ってアツシは手をひらひらさせながら、はしゃぐ犬をなだめる飼い主のように私を諭す。
「キ、キモいだと・・。多感なお年頃の女性に向かってなんてこと言うんだこの男は。そんな無神経なこと言うやつは女の子にもてないぞ、ざまぁ見ろ!」
キモい発言にかなりのダメージを受けた私だが、言われっぱなしはなんとなく気に入らないので、よろめきながらも、悪足掻きもとい渾身のカウンターを放つ。異性からのダメ出しはさぞ効くだろう。私もすごく効いた。ついさっき実証済みだ。
「・・・。」
そのアツシと言えば、ぽかんと口を開けたまま、何も言わずにこっちを見ていた。む、ショックで言葉が出てこないか。いや、私の発言に呆れて言葉が出ないようにも見えるけど、きっと気のせいだ。
「あー、そういえばアサヒにはまだ言ってなかったか。俺、先週彼女ができたんだよ。」
「うぇ?」
まるで予想外の返答に、私は口から間抜けな声を出してしまった。気のせいか、私のカウンターが綺麗に空振りした音が聞こえる。
「実はさっきの話って、彼女が最近体験したことなんだよ。ほら、木蒔さんともう一人登場人物いたろ。あれあれ。」
あー・・・、笑いながら教室を走り回ってた幽霊さんか。そっか、こいつの彼女は幽霊さんかー。
「違うわ。忘れ物取りに来た生徒だよ。この怪談の体験主。それが俺の彼女。」
あまりの衝撃にとうとう言葉が出なくなる。
先週からっていうことは、昨日一昨日と私が一人でゲーセンに通い馬鹿みたいにはしゃいで遊んでいた時、すでにこいつは彼女持ちのリア充だったのか。こいつが彼女といちゃいちゃしている時に、私は一人で能天気にUFOキャッチャーにおこずかいを注ぎ込んでいたのか。・・・マージかー。
「で、無神経の俺は何にもてないって話してたんだっけ?」
ニヤニヤしながら意地悪い質問をしてくるアツシ君。ちょっと待ってよ、こっちは渾身のカウンターを放ったら、ミサイルになって返ってきたくらいの衝撃を受けて、立っているのもやっとだというのに。その上追い討ちとか鬼畜か。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・そ、そんなことよりUFOの話でもしませんか?」
不自然に長い沈黙の後でなぜか敬語になってしまったが、強がりの、それ故にとても不自然な愛想笑いを浮かべながら、私は途切れそうな意識を保つのに精一杯であった。<続く>
あんまりホラーじゃなくてごめんなさい