開演(3)
アンデルは、通路の先の小部屋の前で立ち止まった。
「ここが楽屋なんだ。」
コンコン、とノックをし、おう、と中から声が返ってきたのを確認してドアを開けた。カチュアが追って部屋に入ると、先ほどまで賢者と熾烈な魔法合戦の様相を呈していた魔王が座っていた。さきほどまでの魔王と違うのは、青い肌の大半をコットンで拭き取られ、地肌が露わになっていることだった。
「おう、お疲れさん!」
椅子に座ったまま片手をあげる魔王に、そのメイクを落としてあげていた黒髪の女性の怒声が飛ぶ。
「動かないでよウェイク!目に入ったら失明じゃすまないわよ!」
「わかったよ…」
さきほどまでの威厳はどこ吹く風、しおらしく座っている魔王ことウェイク。カチュアはその温度差に役者の凄さを覚え、素直に感心した。
「その子が例の後輩の子か?」
大人しく目を瞑ったままのウェイクが、カチュアの存在に言及する。一瞬さきほどの舞台を思い出していたカチュアは咄嗟に反応できなかった。
「そうだ。王立魔術学院のヨットハム嬢だ。」
「カチュア=ヨットハムです!本日はよろしくお願いします!」
アンデルの紹介を継いで、カチュアは本日何度目になるかわからない定型文を口にする。
「貴族様がなんでこんな汚い劇団に見学に来るの?」
ウェイクのメイクを落としていた黒髪の女性が、こちらも見ずに質問する。
「学院のカリキュラムに、卒業生が勤めている職場を見学するって授業があるんだ。確かに宮廷魔術師のいる魔術騎士団や、聖女様のいる教会なんかが学生たちに人気で、うちに来るなんて稀かもしれないけどな。」
答えるアンデルに対し、カチュアの頭には教会を見学先に選んだ幼馴染の姿がちらりとよぎったが、慌てて大きくかぶりを振った。
「そんなことないです!確かに魔術騎士団や教会が人気ですけど、アンデル先輩は魔術師の新しい生き方を開拓したって注目されています!」
まくしたてるカチュアの剣幕に、一同しばしのぽかん顔。
「それに、私、イムカ様の大ファンです!」
真っ直ぐに黒髪の女性を見つめるカチュアの視線に、
「あら、私のファンなの?なんだいい子じゃない!」
にんまりと笑顔の花を咲かす黒髪の女性。どこか異国情緒のあるその長く美しい黒髪と相まって、カチュアが惚けてしまうのも無理がない美しさであった。
「なんだよ団長に憧れて見に来たんじゃねえのか!」
とわっはっはと高笑いするウェイクの額を、動くなと言わんばかりにイムカが小突く。
「いえ、勿論アンデル先輩を尊敬していますし、あの、その・・・」
と言葉尻弱目に赤面してしまうカチュア。
「まあ学院時代に悪い意味で注目されていた俺を尊敬なんてしなくていいさ。」
と、自嘲気味な苦笑いをこぼすアンデルはつづけて着席を勧める。
「さあ座って。お茶ぐらいしかおもてなしはできないけど。」
すみません、と一声かけカチュアは腰かける。とふと、
「悪い意味で?」
というアンデルの言葉に疑問を覚え、口をついた。