ハゲループ
○鶴岡の場合
薄皮一枚にぎっしりと包まれた肉たちは自分の居場所はここなのだと、そこに立ち尽くしては主張していた。たまに放出されては新たな肉が詰め込まれ、隙間の無い密閉空間の中で肉汁したたる熱気も内包される。
差し詰め私は存在価値の薄いネギだなと、つり革に捕まり満員電車に揺られていた。ヒョロヒョロとした鶴岡の体型が肉と肉のわずかな亀裂に入り込み、今夜はギョウザで一杯やりたいなどと関係のないことを考えてはこの時間が早く過ぎる事をぼかした。スマホをいじるのさえ躊躇われるほど、ひしめきあう肉たちが鶴岡の行動を限定していた。
顔とつり革を掴んでいる右腕以外は絶えず誰かの身体と接触しており、女性だろうが男性だろうが関係ない。セクハラや痴漢に間違えられるのはさすがに勘弁してほしいので左腕は通勤用の革のカバンを抱えていた。中身がスカスカでたいしたものも入っていないのだが、鶴岡はそのカバンを毎日抱えて出勤している。おかげでそのような被害、冤罪などに巻き込まれたことはないがどの程度この行為に効果があるのかは測定できない。
初めは、乗り降りのもみくちゃにまぎれて鶴岡の背面にまわった誰かの何かが接触しただけだと気にも留めていなかった。しかし、その何かは鶴岡のお尻を優しくさすり、何も抵抗しないのを確認すると力を込めて大胆な行動をとるようになった。
じわじわと奥深くからこみ上げてくる恐怖に、鶴岡は声をだす勇気も、その犯人の手を捕まえる気概もなく、されるがままにお尻を触られていた。揉んでいるだけだった手が、お尻の割れ目をなぞるように指でなぞりだした時は、背筋に寒気が走った。痴漢をされている女性は恐怖で声をあげられずに、ただじっとしてその場を耐え凌ぐという気持ちが今やっと理解できた。声をだそうとはするのだが、声にならない声が鶴岡の中からかすれでていくだけで誰の耳にも届かなかった。
次の駅についてすぐに痴漢の手は鶴岡のお尻を離れた。時間にすれば5分とも満たない痴漢行為であったが、鶴岡の心を深く抉るには充分だった。早くこの体験を払拭したくて寄り道をせずに家路につき、食事もそこそこに久しぶりに妻を抱いた。いつも控えめで大人しく、性にたいしても積極性をみせることのなかった旦那が、激しく自分のことを求めてくるのはまんざらでもなかった。とにかく上書き保存がしたかったのだ。照明の明かりが鶴岡の頭部で乱反射していた。
しばらくすると怒りも混じりだし、怖くて逃げたいのか痴漢やろうを罵りたいのか混乱してきた。動悸おさえるために抱いた妻には悪かったが、ハゲのガリヒョロ中年が痴漢されたなど告白したところで信じてもらえるだろうか。隣で眠る妻のあらわになった肩に触れては、その行為が幸せにも恐怖にも感じることに嫌悪感が押し寄せてくる。自分はこの世界に己の意思で存在しているというのに、その意思は薄弱で脆く、他人の少しした悪意で不安定に形を変化させていた。顔のわからぬ旅人は去ったはずなのだが、突き刺されたままの刃がいつまでも残り続けては傷口をさらに悪化させるように回転していく。もうどうしようもない、いつかこの剣も抜けるだろうと妻にならって鶴岡は目を閉じた。
鶴岡と同じくハゲあがった神様が彼に語りかけてきた。後光が神様の頭により磨きをかけて、夢のなかとはいえ眩しくてたまらない。
「ワシはチンコの神」
「チンコの神?」
「左様。そなたに力を授けよう」
白ヒゲをたくさん蓄えた神様は彼を粛々と見据える。
夢ならばもうどうでもいいと、鶴岡は流れに従い力を要求した。
「では、私を痴漢したやつを懲らしめる力をください」
「そんなものは知らん」
神様は杖を振りかざし、鶴岡は身体に電撃が走ったのと同時に目が覚めた。
妻はまだ隣ですやすやと気持ち良さそうに眠っており、時刻を確認するも3時間ぐらいしか経っていなかった。
午前のつまらない役員会議に出席し、鶴岡は早くも眠気を催していた。あれからなかなか寝付けず無駄に時間を持て余し、それならば朝の満員電車は避けようと誰よりも早く出社した。
若手の社員たちからは影で「ハゲの七光り」と呼ばれている会議の面々は、本日も清々しくハゲ上がっている。ハゲが七人寄れば文殊の知恵ではないのだ。たいして意味のない、サボりともあろう拘束時間が、会議という名目を与えられているだけにすぎない。まだ役員のなかでは一番下っ端である鶴岡には酷な時間だった。ただでさえ大人しいのに、会議が始まるとさらに大人しくなる。裁量権を放棄した女子会のような会議は、給料だけでなく時間をも泥棒している。働き盛りである若手社員の労働を搾取し、そしらぬ顔をした役員たちが彼らのやりがいを消費していた。
発言も消極的な鶴岡は早く終わってくれ………と、一番下っ端であることにあぐらをかき、ただ経過を見守るだけだったのだが、意外にも今日の会議はすぐに終わった。
……ほっ……珍しいこともあるもんだ……
役員たちは颯爽とミーティングルームを後にして、トイレの個室へ急いでいた。ひとつのフロアにつき男性用トイレの個室は3つしか用意されていなかったので奪いあうように取り合い、入れなかった役員は他のフロアに移動してトイレを探した。
図らずしも鶴岡のチンコの神様の力が暴走し、役員全員を会議中にフル勃起させていたのだ。意図せず勃起させられた役員たちは会議を早く切り上げて、自身と個別ミーディングを行うためにトイレへ駆け込む必要があった。頭とは相反してフサフサと毛の生い茂る直属の部下を相手に、時には激しくしごき、時には優しくトイレットペーパーで拭き取って機嫌をなだめるのに大変だった。
鶴岡だけそのような事件が起きてるとはつゆ知らず、会議をする度に役員がトイレに駆け込むという珍事が頻発するようになった。会議後、毎回鶴岡以外の役員がトイレにこもってなかなか出てこないことは新たな噂となり、会議中にいったい何をしているのだと社員たちから懸念の目を向けられるようになる。やがてそれも日常になり、フロアの個室トイレが埋まっていると「ああ、会議終わったのか」と合図のような役割を果たすようになった。
○光山の場合
会議中になぜかフル勃起してしまうという体質になってしまったと勘違いしている光山は、自分の性癖を心配するのもそうなのだが、会議の能率がさらに下がってしまったことに焦っていた。ただでさえ薄かった会議が、時間が短く限定されたことによりさらにひどくなり、勃起をするために会議をしているというわけのわからないリズムが生まれている。幸運だったのは他の役員たちも同様の面持ちだったようで、個室トイレで社内留学個別エレクト指導塾を開講していることは暗黙の了解となりつつあった。毎度のことなので予習と復習を繰り返し、塾は良い成績をおさめつつあるが、会議をおざなりにするわけにはいかないと今更のごとく危機感を抱くようになった。
事前に話し合わずにすむ事は報告書をメールでPDF送信して会議の論点を抽出させ、脳内で自分の指揮するほうに話が進むようシュミレーションしては会議に挑んだ。そんなもの会議を行ううえで当たり前のことなのだが、勃起をすることでようやく若かりし頃の仕事に対する情熱を思い起こされた。気持ちよく会議が終わった時は、ご褒美にとトイレで保護者のTENGAさんを呼び出しては三者面談を行っていた。勃起をすることで会議は効率よくなるというエレクト指導塾は大盛況であり、光山のカバンにはいつも複数の保護者がスタンバイするようになった。
「ワシはアイデアの神」
新陳代謝もよくなり生活リズムも安定してきた光山の夢に突如としてあらわれた老人は神を名乗った。風貌こそ威厳がありそうで神々しいまっさらな白い布に包まれた神は、頭だけは光山と同じく光り輝いていた。
「アイデアの神?」
「左様。そなたに力を授けよう」
「ならば、爆発的にヒットする商品アイデアをください」
「そんなものは知らん」
神の振りかざした杖から電撃が放出され、直撃を受けた光山の脳内に無数のアイデアが氾濫した。彼はそのアイデアを起きてすぐスマホのメモ帳に書き留めて、すぐさま会社で部下に指示をだしては開発に勤しんだ。
早速、開発した商品を頭に取り付けて試運転をしてみると、瞬く間に方々から驚嘆の声が上がった。頭に取り付けたプロペラが思考を読み取り、目的地まで空輸で運んでくれるという画期的な発明であった。髪の毛があると思考を遮り誤動作を併発してしまうので、使用するには毛がないことが必須の条件である。「ハゲコプター」と名付けた商品は男性の間で爆発的な大ヒットとなった。決してパクりのアイデアではない。青い猫が訴えてくることもない。満員電車や渋滞など、頭を磨き上げることで通勤の呪縛から解放してくれる「ハゲコプター」により、空を規制する法もできつつあった。
会議のメンバーである光山たちは「ハゲの神セブン」と称され、彼らの頭を触ればアイデアが浮かぶと、デザイナーや脚本家などのクリエイターから絶賛の支持を得た。
晴れの日にはスーツを着用したシメジたちが空を悠々と闊歩するという不可思議な光景が散見されるようになるまでには、さほど時間がかからなかった。
○鏡の場合
「ミュシェ」に勤める鏡は、自分の仕事がなんなのかわからなくなりつつある。
髪をいじることが好きで美容師になったというのに、「ハゲコプター」なるものが発売されたおかげで坊主頭を注文するお客さんが殺到するようになった。
お前ら、まじで自分でやれよ、と言いたいのをこらえてバリカンで次々とハゲを量産していく。技術もたいして必要とせず、短時間で済むので回転率は上がっていき、経営的にはハゲを馬鹿にすることができなかった。
今日も頭だけがサムライジャパンになった人たちを世に放つ日々だ。
通勤通学の利便性のために頭を丸めていくのであって、ハゲになったところで格好がよくなるわけではない。女性の美しい髪を触って美容師らしく軽快にハサミを動かしたいというのに、男性が入店するたびに「新しいハゲがきた」と、バリカンを持たざるをえない。他の同僚も同じ思いであり、新規の女性客は取り合いになることも多々あった。悶々とした思いが積もり積もって、自分の頭がハゲそうになるくらい悩んだ。
「ワシはフェイシャルマッサージの神」
ハゲに悩まされる日々に、ついには夢にまでハゲの神様があらわれた鏡はイライラがマックスに到達していた。
「ああん?てめえもハゲてんのか!敵か!」
「そうではない。ワシはフェイシャルマッサージの神」
「うるせえハゲが!お前らはハゲさえすれば満足だろうが!」
「それはワシの管轄する領域ではない」
「っち。神のくせに全能じゃねーのかよ。くそ使えねーゴミくずハゲだな」
「ワシはフェイシャルマッサージの神である」
「わかったから、中途半端にうちらの仕事の領域に入ってくんじゃねえ!」
「そなたに力を授けよう」
「話きいてないハゲだな…」
夢の中でまでハゲに翻弄されるとは大変不本意だが、目が覚めたら終わると思えばどうでもいいかと、なすがままに鏡は力を授かった。
女性誌ではハゲをゲットする特集が組まれるようになり、歴史上きたことあるのかどうか定かではない「ハゲメンブーム」が世間に浸透していった。「この季節もっともホットなハゲ」「今つかまえておきたいノンヘアーイケメン」「素敵な彼をハグしちゃおう」など、様々な特集が生まれては頭皮の状態とは反比例し、女性たちが群がるようになった。流行語大賞候補には「ハゲソムリエ」というワードがあがるなど、ハゲの地位がぐんぐんと確立していく。
そのハゲメンブームの火付け役となったのが鏡のフェイシャルマッサージであった。神様からもらったフェイシャルマッサージの力を使用すると、ハゲたちがハゲの似合うイケメンになっていくのだ。頭皮の髪を根こそぎ削ぎ落とし、フェイシャルマッサージをしてはダイ・ハード化していく。来店した時とは別人となってでていくハゲたちは、もはや誰なのかわからない。
鏡の技術は美容業界で拡散され、ハゲ専門店まであらわれる始末だ。鏡は人気がでればでるほど、ハゲ専門トータル美容師となり、女性からは完全に遠ざかっていった。
○輝崎の場合
「もうハゲ以外愛せない」という近畿地方のイケメンが怒りだしそうなタイトルをつけた恋愛アプリはリリースから1週間で1000万ダウンロードを突破した。幼なじみのイケメン、クラスメイトのイケメン、街でナンパしてくるイケメン、部活の後輩のイケメン、バイト先でのイケメン、次々とハゲ散らかしたイケメンがヒロインにアタックしてくるという、ハゲメンブームに乗っかった乙女ゲームだ。
立ちの悪い事に物語のクライマックスシーンでヒロインに性的暴行を働こうとする悪役たちだけが、しっかりと毛髪を携えていた。そこに一番好感度の高いハゲのイケメンが颯爽とあらわれて、ヒロインを救出するというギャグなのか真面目なのか判断しづらいゲームは概ね好評を博した。
キャラクターデザイン担当のイラストレーター輝崎はハゲのイケメンたちの描きわけに、今までで一番苦労していた。ハゲとイケメンが必須条件であり、かつ二次元に落とし込んでも魅力を損なわないように8人もデザインすることは至難を極め、もうこんな難しい仕事したくないと嘆いた。
輝崎はイラストレーター兼漫画家なので在宅で仕事をすることが多く、ハゲコプターを日頃から使用するほどの距離を移動することが無かった。丁度よくハゲていたので試しに数回ハゲコプターを利用したことはあるのだが、ハゲキャラをメインとしたデザイン出しの仕事がまわってくるとは考えていなかった。
仕事の休憩中に、ふとテレビドラマをつけてみれば俳優たちのハゲ率が高く、バラエティにでている芸人などはほぼすべてハゲあがっており、少し引きの画面になると誰が誰なのかさっぱりわからない。ひな壇に並んだ肌色のイクラたちが、番宣目的で出演している女優のライトアップを補助している。
時代とともに移ろいでいく美的感覚が圧倒的な加速度をもち、輝崎を過去の価値観へと置いてけぼりにしていた。情報を発信し、少なくとも流行を担った生業であるため、これから先ハゲたちを描きつづけなければならないのかと思うと気が重くなった。
自らが自然とハゲているため、ハゲメンブームに反発しようにも説得力が伴っていない。自分は養殖のハゲたちとは違うのだと主張したところで、目に写るのは同じハゲなのでやはり発言権はないのと同義だろう。SNSではハゲに反発するハゲは痴呆とあしらわれ、髪を生やして反発すると「ハゲろ!」と一斉射撃を喰らうだけなので議論がいっこうに進みそうにない。やがてそのような攻撃を受けた人たちもストレスでハゲてくるので、ハゲが次々と誕生するサイクルが出来上がっていた。ハゲのマニュフェストが流れ出し、男性の毛髪は悪という思想が植え付けられていった。
「ワシは育毛の神」
夢の中にあらわれた神様は、世間を圧迫するハゲたちに漏れず同じくハゲあがっていて、やはり発言に説得力が無かった。育毛の神がハゲているのだ。こんなひどい詐欺師に会った事ない。
「あんたもハゲているじゃないか」
「そうではない。これはそなたの中にある神のイメージを投影しているだけである」
「ハゲてる神様にそんなこと言われても信用できないぞ。何が育毛の神だ。まずは自分の頭をどうにかしてみてくれよ」
「ふむ。しかたがない。では、そなたの思い描くイメージを変更してみよ」
「はんっ。騙されないぞ。そんなことで引っかかるやつがどこにいるんだ。どうせ手品かなんかに決まっている」
想像力には自信のあるほうだったが、なぜかここで負けてはいけない気がして反発していた。
「ええい。面倒なやつじゃ」
神様は、投げやりに電撃を放った。
目が覚めると輝崎の頭は変わらずハゲたままだった。
一瞬でも信じてしまいそうになった自分を呪いたい。
イライラしてきた輝崎はその憤りをすべて作品にぶつけた。クリエイターならSNSで気軽に呟くことではなく、自分の土俵・作品で主張をしてやる!と、ひたすら漫画を描いた。もうどうなってもいいと、一生分の念を込めて描いた漫画が描き終わる頃には、輝崎の頭にカイワレダイコンのごとく毛髪が蘇っていた。
これは……反撃ののろしを上げるチャンスだ!
輝先の漫画は読めば毛が生えてくると話題になり、「育毛ウィルス」とあだ名された書籍は全国の書店・デバイスにばらまかれた。ハゲコプターの商品開発が進み、新バージョンのヘルメット型が発売されたため、ハゲておく必要性も薄れてきていた。近々、商品名も変更するらしい。
動画共有サイトには輝崎の漫画を読む読者の様子がアップされ、植物の成長を早送りで観察する映像のように、頭から毛がニョキニョキと生え揃った。見ていて気持ちのいいものではないが、これはハゲメンブーム死滅の光である。
一過性のブームに感化された世論は風向きが変わると、手のひらを返して育毛に力を注いだ。おもちゃにされた毛根たちが静かに怒っていた。
○剃町の場合
「育毛ウィルス」がばらまかれたせいで剃町は窮地にたたされていた。
ハゲメンブームの時は気分転換にということでまだ購入していくものは少なからずいたのだが、あのウィルスのせいで人類の頭髪が整い、剃町の作るカツラがまったく売れなくなってしまった。
芝居演劇用のカツラぐらいしか売れるものがなく、このままいけば廃業待ったなしだ。今では自由自在に毛量を調節できるようになり、毛が足りないという状況が希有になってしまった。人類としては大変喜ばしいことなのだろうが、それでは剃町が食いっぱぐれてしまう。なんとしてでももう一度ハゲのブームを起こすか、人毛を使用した新しい商品を開発しなければならない。
数週間、試行錯誤するも打開策が見えず、経営は下降線を辿るばかり。
気が狂いだした剃町はついに犯罪に手を染めようとした。バリカンとスタンガンを手に持ち、オヤジ狩りならぬ毛髪狩りを決行することにしたのである。
輝崎の漫画の欠点は一度読むと頭皮に耐性ができるので、再読したところであまり効果が望めないところにあった。フサフサと毛を生やしている人は一度頭皮の破壊と再生を行っているはずなので、現状の毛さえ刈り取ってしまえば自分の仕事が増える!と、剃町は意気込んだ。
まずはスタンガンを使用し対象を気絶させる。それからバリカンでありったけの毛を盗んでやろうと、人通りの少ない道を探しながら脳内シミュレートした。犯行時、自分が捕まるなどとはあまり考えておらず、殺人を犯すわけではなく毛を刈るだけなんだからなんとかなるだろうと、バイアスがかかっていた。数日後に輝崎の新刊が発売されるなど、ファンでもない剃町が気づいているわけがない。
決行日、毛髪狩りへと闇にくりだした剃町はオヤジ狩りにあい、ボロボロになりながら帰宅した。いざ、人に攻撃をあてようとすると手が躊躇しだし、それが命取りとなり気づいたら自分が袋だたきになっていた。残り少なかった財布のお金もすべて盗られ、心身共々疲弊した。
「ワシは透明の神」
傷の癒えぬまま眠りについていた剃町の夢に神はあらわれた。
夢の中まで自分の顔は腫れ上がり、半目でしか確認することができない。
「神?」
「左様。そなたに力を授けよう」
「力?そんなのいらない、神なら金をくれ。一攫千金ぐらいわけないだろう」
「そんなものは知らん」
「ちょっとまってくれ、神なんだろ、ちょ、え!あああああ!!!」
以下、電撃。
透明の神だと?ふざけるなよ……
今頃になって自分をオヤジ狩りした若者に腹が立ちだし、その怒りを無断で人の夢にあらわれた神にぶつけようとしていた。
透明にできるものならしてみやがれってんだ……剃町は洗面所で洗顔しているついでに半信半疑で力を入れてみることにした。すると、なんと鏡に写った自分が姿を消したのだ。そこにいたはずの自分がいない。ここにいるのは自分の事なのでわかっているのに、どこを探しても鏡の中に自分はいなかった。
…はあ?……透明の…力?……
剃町は寝間着のまま外にでて、その効果がどの程度のものなのか確かめた。通行人の目の前で手を振ろうが何も反応されない。周りをグルグル歩きまわって不審者同然の動きをしても反応がない。肩に触れてみるとさすがに反応されたが、それは剃町に視線を捉えたのではなく、触られた部位に違和感でも感じただけのようにいっしゅんだけチラ見しただけだった。
これは……本物か……これで心置きなく毛髪狩りできるぞ!
本来なら透明化の能力というのは、ほぼ100%エロいことをするために行使するものなのだが剃町の頭の中には毛を刈ることしかなかった。こうして無差別通り魔である切り裂きジャックならぬ、切り裂きマジックミラーが誕生した。
○額淵の場合
カラーギャング達は毛狩り事件のせいで、すべて強制的に肌色にさせられていた。抗争をしていたはずなのに気づくと頭がおはだけになっているのだ。おかげで坊主頭が金属バットを振り回していると、「また野球部が公園で暴れている」と揶揄されるようになった。街の縄張り争いをしていた野球部たちは、ひっそりと沈下の一途を辿る。
額淵はカラーギャングではなかったが毛狩り事件に巻き込まれていた。犯人を目撃したものはいなく、頭に何か当たっていると思うと毛が次々と地面に落ちていくのだ。電気ショックのようなもので気絶させられてから目覚めると毛が無くなっていたという人もいたが、最近では犯行が雑になってきたのか気絶させずにいけるとこまでいってみようという精神に犯行内容が変更されたらしく、中途半端な被害者が大量発生した。これなら坊主のほうがマシだろうという落ち武者ばかりが、残りの魂の無念を晴らすために自主的に毛を刈る作業に取り組まざるをえなくなった。襟足やサイドならまだなんとかなるが、大抵の場合センターから毛を刈られるので、そこから修復するには坊主にするしかなかった。額淵も泣く泣く残りの毛たちを供養するために頭を整えたところだった。
せっかくまた生えそろたというのに坊主へ逆戻りしてしまった額淵は馴染みのバーに立ち寄った。つい今しがた恋人と微妙な空気になってデートを終えてきたところだ。毛狩り事件の被害者とはいえ一度ブームが過ぎ去ったものに、間を置かずまたこのような頭に変貌を遂げてしまった。取り繕うようなアクションはみせてくれるものの彼女の反応はいつもよりよそよそしかった。毛が整うまでカツラでも買うしかないのか……と落ち込んだまま一人でウィスキーを流し込んだ。ぼんやりと照らされた薄暗い店内の照明が今の心境には丁度よく感じた。
「あらん。ヤケ酒かしら」
ごく自然にオカマが隣に鎮座していた。メイクに力が入りすぎて逆に不気味であり、香水も匂いがきつくてたまらない。なんだこのオカマ。
「うるせえな。誰だお前は」
「やだ。おこんないの。あたしはしがないオカマよ」
「そんなの見りゃわからあ」
ぐいっとグラスに残っていたウィスキーをすべて飲み干した。
「ま。乱暴ね」
オカマは額淵の手にそっと自分の手を添えた。
「あたしでよかったら、愚痴きいてあげるわよ」
オカマが見つめてくるので額淵も見つめ返すが2秒以上耐えられなかった。薄暗い店内のせいもあるが、ホラーと大差ない。
「っせえな!ブス!」
お金をテーブルに叩き付けて額淵はバーをでた。
「ワシは男色家の神」
酒を飲み過ぎたせいか幻覚がみえる………頭がガンガンしてきた額淵はいきなりあらわれた神々しいハゲを睨みつけた。
「ホモじゃねえか!」
「うるさい」
以下、電撃。
一週間ぶりに会った彼女はごめんなさいと、今までの付き合いを否定するかのように額淵の前を過ぎ去っていった。この2年間は何だったんだよ……結婚も視野に見据えるべき年齢に差し掛かっていた二人の恋は、毛とともに散ってしまった。
「あんたまたヤケ酒してるのね」
「っち。またお前か」
一週間前に遭遇したオカマがまた額淵の隣にセッティングしてきた。1人酒するのに気に入っていたバーなのに、こうもオカマに絡まれては店を変えるしかない。本当に今日は踏んだり蹴ったりだ。
「絡んでくるなよ。俺は一人で飲んでるんだ」
「冷たいのね。………さては」
「なんだよ」
「女に振られたんでしょう」
「はあ?そんなわけねえだろ。アボカドみたいな顔しやがって」
「やーだーちょっとひどーい。マスター聞いたー?」
「店に迷惑だろうがアボカドブス!」
「やあね。アボカドって美容にいいのよ。食べてみる?」
「何いってんだお前………」
またも見つめてくるオカマに一瞬意識を持っていかれそうになる。
無いクセに胸元を大きく開いた服を来やがって……
……ん…よくみりゃかわいい顔………してる……か?……
酒の飲み過ぎでこの前は変な神様があらわれたくらいだ。これもきっと夢なのだろう。オカマがかわいく見えたことなど一度足りとてないのに。
「……どうする?美味しいかもしれないわよ」
オカマが自分の領域に引き込もうと額淵を手にとり、上目遣いで誘ってくる。
「……は?………おれは……おれは……」
以下、ホテル。濃厚なラブシーン1000文字ほど割愛。
○桂の場合
パートナーが新しい香水をつけて部屋をでていったことに桂は黙って見送っていた。
いつもつけているあのマグノリアの香水は僕との想い出が染み付きすぎている。だから誰か別の男と遊ぶ時は、違う香水をつけて夜に出かけるのだろう。僕を想い出さないように………
3階の窓から見下ろすとパートナーがタクシーに乗り込むところだった。桂はそのタクシーが夜に紛れて消えるまで目で追いかけていた。
ただ、君が帰ってくるのを待つことしかできない。
初めて僕の存在を認めてくれたのは君だから、どこの誰と遊ぼうとも僕に何かを言う権利はないけれど、きっと最後には僕のところに帰ってきてくれる………
一人の時間はよけいなことばかり考えてしまってよくない。桂は悲観にくれるのはやめようと、一杯だけ酒を口に含んでから寝ようとした。これ以上パートナーのことを考えるのはやめようとするが、そうするほど考えてしまう。詮索ばかりしてめんどくさいやつなどと思われたくないのに、一度考えだすとそれがとまらなくなる。この想いを打ち明けられたらどれだけ楽だろうかと思う反面、関係が壊れてしまっては怖いので聞くことができない。
思考を開始した脳が停止するまでに2時間を要した。
パートナーが帰宅したのは桂が目覚めて30分後のことだった。
ホットコーヒーで身体を温めてパートナーの帰りを待つ。廊下に響く足音で3秒後にドアを開けて「ただいま」と言ってくれるのがわかる。
3、2、1……「ただいま」
ほら、君はやっぱり帰ってきてくれた。
きのうあれだけ考えたのことが杞憂に終わり、桂は出迎えのミネラルウォーターをいれた。
「お疲れさま」
「ありがと」
「お仕事どうだった?」
「絡み酒がひどいお客いて大変だったわー。悪いけど3時間後に電話して起こしてくれない?今日どうしてもとりに行かなきゃならないものがあるのよ」
「うん。わかった」
桂はコーヒーカップをさげて大学に行く準備をした。
知ってる。
仕事じゃなくて男と会ってたんだって知ってる。
とりに行かなきゃならないものがないのも知ってる。
代わりにまた別の男と会う約束なのも知ってる。
知ってる。知ってる。君の事ならなんでも知ってる。
だけどどの想いも、口からこぼれて言葉として具現化することはなかった。
「ワシは勇気の神」
「!?………勇気……の神??」
「左様。そなたに力を授けよう」
「……そんなもの…いらないです」
「なんと。必要せぬと申すか。無償の勇気であるぞ」
「……僕は……たしかに勇気が足りません……でも、他人からもらった勇気なんて……そんなものは僕の勇気とは言えないと……思います」
「ふむ。なるほど。よくわからんが電撃をくらえ」
「え」
以下、電撃。
満員電車が、桂とパートナーの場所を遠くへと運んでくれた。このまま今の関係が永遠に続くかどうかなんてわからないのに、自分だけが愛を誓っているようで心もとない。
今日も違った匂いをまとわせて二人で朝を過ごしたね……
…勇気…勇気…勇気かあ………
揺れては押しつぶされる車内のなかで桂は自分を奮い立たせようとしていた。
もし僕が、他の男と仲良くしていたら心配してくれるのだろうか……
勇気の神様の効果がどんなものなのかはわからない。
ただ、このままではいけないと前から思っていた。
勇気!
勇気!!
勇気!!!
僕だってやってやるんだ!!
やらないで後悔するより、やってから後悔してやる!
桂は前方に立っているハゲでか弱そうなサラリーマンのお尻を触った。
以下、冒頭に戻る。