薔薇の園に佇む彼
無我夢中で走って図書塔から出てきたアストレアは、気付くと薔薇園にいた。見ているだけでは綺麗だが、棘だらけのカーテンをくぐらないと辿り着かないため、ほとんどの人が寄りつかないとアイグレが言っていた場所だった。ここなら1人になれる、と思っていた。
「おやぁ? 珍しいなぁ、ここにお客人だなんて」
誰も寄りつかないはずの薔薇園には、先客がいた。淡く輝くような金髪に、左右で青と緑の異なる瞳をこちらに向けている。楽しそうな色を浮かべるその瞳には、どこか神秘さを感じさせた。柔らかな笑みを浮かべる彼の顔立ちは、とても甘くどんな令嬢でも見惚れてしまうほどだろう。だが、アストレアにはキルケよりも魅力は感じなかった。
(どうしてそこでキルケが出てくるのよ……)
彼の顔を見た途端、同時にキルケも浮かべてしまった自分に恥ずかしく思う。さっきのハプニングが影響しているとはいえ、幾らなんでも引きずり過ぎだとも感じた。
「あ……失礼しました」
そっときびすを返そうとするアストレアに、彼は凛とした声で呼び止める。
「良いんだよ。ここに居てくれてもさぁ。だって、ここには誰も来ないから。キミみたいなお客人は珍しいから、大歓迎」
こっちに座りなよ、と彼が立ち上がって自分の座っていた前の椅子をアストレアの為に引いてくれる。彼にお礼を言いながらアストレアは座った。
「キミとは1度会って話がしてみたかったんだぁ。編入生のアストレア・リエール嬢?」
「どうしてわたしの名前を……」
すると、彼は楽しそうにはにかむ。その微笑みは美しいが、キルケの笑みと違って胸が締め付けられる感じがしない。その違和感に首を傾げていると、彼が口を開いた。
「ボクはこの学院のことなら何でも知っているからさぁ」
「何でも? あなたは、どこかの委員会の委員長ですか?」
「さあね、どうだろう~? とりあえず、名乗らないでおくよ。そっちの方が面白そうだし」
秘密の多い不思議な人だと思った。しかし、彼の纏う柔らかな雰囲気はアストレアの警戒心を解くのに十分で、いつの間にか他愛のない話で盛り上がっていた。
「なるほど~、キミは生徒会からの傘下へ入るように圧力がかからない為にどうすればいいか悩んでいると」
委員長としてどう行動すればいいか悩んでいることを告げると、彼は大げさに頷いて見せた。芝居がかったその動作に思わず笑みがこぼれる。
「ええ、他の委員会がどんなことをしているのか分からなくて」
「まあ、委員会に入る理由には色々あるだろうけど、なりたい職業によっておおかた決めている生徒が多いよ。例えば、文化委員なんかは文官を多く輩出しているし、キミが所属している図書委員は、学者を多く輩出しているし~」
確かに元委員長のレオンも考古学者になる、と言っていた。歴代にはそうした生徒が多いのだろう。考えてみれば図書塔の中には様々な種類の本があり、学者を目指す人間からすれば絶好の場所だ。
生徒会から圧力がかからないようにするにはまず、構成員の確保が必要になってくる。これは昨日、レオンに聞いたことなのだが構成員が多いということは委員会同士の戦争で有利になるらしいからだ。この学院では、委員会同士の衝突、つまり戦争が認められており物事を武力行使で決める際にとられる手段である。構成員が多いと戦力も多いことになるので、構成員の確保は出来るだけ積極的に行いたい事項だ。
そして、活動アピール。
生徒会は弱小委員会や学院に不必要そうな(この場合、生徒会が仕事を遂行できると判断された委員会などだ)委員会を傘下に入れる。別の言い方では“植民地化”と言われている。そうならない為にも各委員会は行事を取り仕切ったり、目立つことをしたりして生徒会の植民地化を避けているのだ。
アピールの為の活動にも構成員は必要となってくるのだ。どうにかして構成員を増やしたいのだが、なりたい職業で人員確保という手段はあまり現実的ではないだろう。実際、学者を目指す人間は少ないために図書委員の現状があるのだ。
そう悩んでいると彼がそういえば、と手を叩く。
「あとはそうだね……実技大会で好成績を出している委員長の所には、よく人が集まるかな~。委員長のカリスマ性も必要ってことだろうね」
「実技大会?」
「この学院では月に1度、実技大会といって剣と魔法の腕を試すんだ~。言ってみれば試験だよね。これには、全生徒が見るしほとんどの生徒が参加する。ちなみに、ほとんどの委員長が出場しているよ。自分のところの委員会をアピールするチャンスだから」
優しく吹き付ける風に目を細めながら彼は言った。
どうやら実技大会は、剣を専攻している生徒の大会と魔法を専攻している生徒の大会をひっくるめたものらしい。全校生徒が見にくる試合なのでそこで勝てば委員会の大きなアピールになるという。良い成績を修めればそれだけ注目されるということらしい。
人員確保の手っ取り早い方法かもしれない。
「その実技大会はいつなの?」
「今月はもう終わっちゃったんだ~。来月に期待」
「今すぐに出来るわけじゃないのね……。何かないかなぁ」
アストレアがそう呟くと、彼は楽しそうに笑った後、しばらく考え込む。そして、独り言のようにつぶやき始めた。
「この世界はさ~、読み書きが出来る人間とそうでない人間がいる。何でだと思う?」
「えっと……教えてもらっていないから?」
「正解~。教育を受けられる立場とそうじゃない立場の人間がいるんだ。ボク達は前者だね。でも、後者の人達にも教えることが出来るのは、前者であるボク達じゃないかな?」
じっとオッドアイの彼の瞳を見つめる。アストレアの故郷、ユーリエフ王国でも識字率は高くない。読み書きが出来るのは貴族の人間か、或いは裕福な家庭の平民層だけだ。他の国も似たようなものだと聞く。彼の言う通り、読み書きが出来ない人々に教えるのは出来る人間である自分達である。
答えを出そうと考えるアストレアに、まるでヒントを出すように彼が囁いた。
「東の国シズクでは、“テラコヤ”という平民が子供たちを教える施設があるんだって~。だから、シズク国は大陸で一番識字率が高いんだとか」
「つまり、図書委員として似たような事をすれば、活動アピールになるってことね!」
今すぐこの提案をキルケに言いたい、とアストレアは駆け出しそうになるのを堪え、名前も知らない彼にお礼を言った。
「ありがとう、おかげで助かったわ。ええと……」
「ユーリ、でいいよ~」
「ありがとう、ユーリ」
またね、と手を振るユーリに挨拶をしてからアストレアは駆け出した。これなら、良い活動アピールになるかもしれない。そう胸が躍る。
委員長になって初めて手ごたえのある仕事に楽しみを隠すことが出来ない。思わずスキップしながら薔薇園から出ようとすると、あちこちに薔薇の棘が制服に引っかかってしまった。それでも気にすることなく、図書塔へ向かうとキルケがまだそこに居た。男子寮に帰っていなくて良かった、とほっとしながら慌てて階段を登る。
薔薇園から小走りに図書塔へやって来たので荒く息を切らしてしまう。ぜえぜえ、と息を切らす令嬢らしからぬ有様にキルケは苦笑を浮かべてどうしたの、と聞いてくれた。
「いい案を思いついたのよ」
「いい案って?」
「シズク国のようにわたし達も、読み書き出来ない子供達に無償で教えるの!」