最弱の委員長②
アイグレに案内された中で一番気になっていたのは、図書塔である。元々、小説が好きなアストレアはどんな本があるのが気になって仕方が無かった。
図書塔は本館に連なる東生徒棟(各委員会の部屋があるらしい)のすぐ南側に立つ薔薇園の近くにある建物だ。
そっと軋む扉を開け、中に入ると埃っぽい空気と共に積み上げられた本が出迎える。まるで本の壁のようだ。図書塔の中は円形になっており、何層にも階がある。螺旋状になっている階段を上がって上に行くらしい。壁側が本棚になっていて階段のところにも本がぎっしりと並べられている。蔵書数はどのくらいなのだろうか、もしかするとユーリエフ王国の王立図書館くらいにはあるかもしれない。
「うわっ、凄い本の数……誰かいませんか?」
アストレアの声は、響くだけで返事はなかった。中のものを触っていいかどうか不安だったが、好奇心に勝てず近くにあった本の山から一冊手に取る。
「凄い、魔法書だ……」
彼女が手に取ったのは、およそ100年前に書かれた魔法書だった。しかも南の国ガルードの魔法士が書いた貴重なものだ。北の国ユーリエフでは、交易ルートがまだ整備されていないガルード王国の本など滅多に手に入らない。もともとユーリエフでは本を読むという習慣があまりないため、本を仕入れることが少ないのも理由の1つではある。読書好きの彼女にとっては、この学院の図書塔はまるで楽園だ。
「あっ、いらっしゃい」
声のする方を見上げると、美しい銀髪にクランベリー色の瞳を輝かせてこっちを見ている人がいた。中性的で整った顔立ちをしており、高くも低くもない特徴的な声。アストレアは惹きつけられるようにじっと見つめる。はしたないと分かっていても、まるで目が固定されたかのように動かない。
「こ、こんにちは」
慌てて立ち上がり、手に持っていた本を閉じて元に戻すと、本の山から顔を出していたその人物はくすりと笑った。
「図書塔にあるものは、誰でも読んでいいんだよ」
「ありがとうございます……」
「ところで、君は見ない顔だね? 新入生……でもないし」
上手に本の山を避け、アストレアの前に立つ。実際こうして見ると、アストレアよりも随分と背が高い。
「編入生です。今日からこの学院に通う、アストレア・リラ・リエール」
「僕はキルケ・フォン・ジルバーン。西の国サイオン出身だよ。キルケって呼んで、あと敬語はいらないよ」
キルケと名乗る彼は、アストレアの右手甲にそっと口づけをする。見惚れてしまうほどの美しい所作に、だらしなく見つめていると、キルケがふっと笑った。
(何て素敵な笑い方をするんだろう)
彼の笑顔を見ると、胸がきゅっと締め付けられる感覚になる。元婚約者に会った時でさえ、こんなことは無かったのに何でなんだろう、と思わず制服の上から胸をおさえた。
「アストレア嬢、君は本が好き?」
「ええ。魔法書も好きだし、小説も好きよ。歴史書はちょっと苦手だけど」
「ふふっ、十分だよ。ところで、君は委員会にはもう入った?」
キルケは本の山から数冊本を手に取ると、図書塔の壁にもなっている本棚へ戻していく。
「いいえ」
アストレアがそう答えると、キルケがくるりとこちらを向いた。
「僕等を助けて欲しいんだ」
*
「レオン先輩!」
図書塔の螺旋階段を上がり、最上層へと連れてこられたアストレアは、何やら難しそうな本と睨めっこをしている人物と目が合った。
キルケがレオン、と呼ぶ彼はアストレアの姿を見るなり、キルケとアイコンタクトで会話をし始める。
(何を話しているのか全く分からないわ……)
苦笑を浮かべるアストレアに、レオンは勢いよく頭を下げる。
「いきなりですまない! 図書委員を救ってくれ!!」
「唐突に言われても困ります! それにあなたはどなたですか? まずは名乗るのが礼儀というものだと思いますが」
そうアストレアがぴしゃりと返すとレオンは慌てて名乗る。
「そ、そうだよな……俺はレオン。図書委員の委員長を務めている。そこにいるキルケは副委員長だ」
副委員長、ということは年上なのだろうか。思わず流れで敬語を使わずに話していたが、もしかしたらキルケという人物はアストレアよりも上の貴族の令息かもしれない。今まで外国人と出会ったことがなかったため、いつものように接してしまってはいたがとんでもない失態を犯してしまっていたのではないだろうか。そんな想像が頭から離れない。
「俺はもう5年生で、今年から考古学者になるためのカリキュラムを受けることになっているんだ。委員長を務められるのは、4年生までで頼りない1年坊主のキルケが委員長になるなんて不安過ぎるし……、誰か任せられないかなと困っていたところだったんだ。ほとんどの学生は他の委員会に所属しているし、構成員が俺たち2人だけ、っていう最弱委員には誰も入らないし」
「それで、無所属のわたしに声がかかった、ということですね」
良かった、キルケは同い年だったみたいだ。なんて話に関係ないことに胸を撫で下ろしたことは秘密である。
「そういうこと。しかも今、図書委員は壊滅の危機に立たされているんだ」
レオンに変わってキルケが、口を開いた。
「構成員が2人だけ、そして特に目立った活動もしていない僕等は、生徒会に傘下に入るように圧力を掛けられているんだ。もし、生徒会の傘下になれば自由に本を購入する権利が無くなって、生徒会の良いように使われるのは目に見えている。だからどうしても傘下には入りたくない。そこで、アストレア嬢の力を借りたいんだ」
「でも、わたしに出来ることなんてないわ。だって今日、この学院に来たばかりだし、委員会の知識だって無いもの。それにわたしだってまだ1年生よ」
「そこを何とか……! 副委員長として僕も全力でサポートするから!」
手を合わせて懇願するキルケに、アストレアは苦笑する。
(自分が委員長になるっていう選択肢はないのね)
しかし、目の前で困っている人を見ると放ってはおけない。このまま「はい、そうですか」と何事も無かったかのように振る舞うのも心が痛むし、何よりアストレアの正義感が許さない。だが、本好きとしてはこのピンチを乗り越えたい、という思いもあるが何せ編入してきたばかりだ。模擬国家として存在する委員会の委員長を務められるだろうか。そんな対立する気持ちが次々に湧き上がる。
迷うアストレアにキルケがとどめの一言を突き刺した。
「図書委員になれば自分の好きな本を買えるよ」
「やるわ」
さっき見た貴重なガルードの魔法書だけでなく、東の国シズクの本、キルケの故郷でもあるサイオンの書物も購入できるということだ。故郷では遠い国の書物を買うのにかなりお金がかかってしまう。それをここで安く出来るのなら。
やるしかないだろう。(幾ら地位の高い公爵家出身といえど、アストレアは守銭奴なのだ)
こうして成り行きで図書委員の委員長になったアストレアは、図書委員の危機を救うため立ち上がることになる。それがのちに、様々な事を引き起こすことになろうとはこの時のアストレアは微塵も思っていなかった。
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