はじめての修行
「すみません、追い出した形になってしまって……」
保健室から静かに出てきたキルケは廊下で待つククルカンとミネルヴァに頭を下げる。
「どうってことないぞ、抱いてきたか? がはは!」
豪快に笑うミネルヴァにキルケは苦笑しながら力なく答える。
「そこまでの勇気はありませんよ……」
「抱くのは別に俺がどうこう言わないが、場所は変えてくれよ?」
ククルカンも意地の悪そうな笑みを浮かべてこちらを見やる。
どうやらこの2人はキルケをからかうのが面白いらしい。何となく似ている2人だ、と項垂れていると、廊下の向こうから聞き慣れた声がした。
「いた! キルケ!」
銀灰色の髪と瞳を持つ、武道委員会の委員長アレスだった。
「アレス先輩」
彼はククルカン達を見やると、キルケに静かに問う。
「アストレアさんは?」
「眠りました」
「そうか……怪我の具合はどうなんだ?」
どうやらアレスもアストレアを心配してやって来てくれたらしい。彼女の身を案じ、ククルカンに状態を聞くアレスを見て、キルケは心がざわつくのを感じた。
明るく前向きで、優しさを持った強い彼女が人気なのは分かっている。それがキルケには関係の無い事だとそう言い聞かせても、心はどうもひねくれているらしい。
憧れる先輩にもいとも簡単に醜くなってしまう。
「僕がついているんで、アストレア嬢は大丈夫ですよ」
つい強めの口調で告げてしまう。かっこ悪いことだと分かっていても何故か、口から言葉が出てしまった。
「そうだな、キルケがいるもんな」
「そうだぜ、アレス。俺達は見守ればいい」
「あたしらが出る幕じゃない」
ミネルヴァやククルカンには自分の心の内がバレているらしい。
「ところで、ちょうど良かった。アレス先輩を探しに行こうとしていたんだ」
「俺を?」
「アレス先輩、学院祭まで僕を稽古してくれませんか?」
その言葉に驚いたのはアレスだけでは無かった。ミネルヴァも驚き、目を見開いている。ただ1人だけ、予想していたのかククルカンだけは涼しい顔をしていた。
「アストレア嬢を……僕1人でも守れるくらいに強くなりたいんです」
「お前は今のままでも十分に強いじゃないか」
「それでは駄目なんです。誰かを守れるくらいに強くないと。僕は彼女を守る騎士になりたいんです」
アレスに向かって勢いよく頭を下げる。
こうして誰かにお願いをするなんて今までしたことが無かった。何でも自分のことは1人でやろうとしていた。人を寄せ付けず、笑顔で線引きをする。決してその中に立ち入ろうと、関わろうとしなかった彼が今は、彼女の為に自分が変わりつつあることに、何よりもキルケ自身が驚いていた。
「……だが」
渋るアレスにククルカンが助け舟を出してくれた。
「姫を守ろうとする騎士の願いだ、老いぼれは助力してやるのが仕事だろう?」
「そうだなぁ、図書委員には色々迷惑をかけているし、おそらく次の学院戦争ではお前らと組むだろう。そうなれば、戦力強化も悪くない」
アレスはそう言うと、顔を輝かせて言った。
「覚悟しておけよ、俺の稽古は厳しいぞ、弟子!」
「はい、アレス師匠!!」
「ところでキルケ君~。『彼女を守る騎士になりたい』ってどういう意味で言ったんだい~?」
悪い笑みを浮かべてミネルヴァが追及してくる。キルケはしどろもどろになりながらも首を振った。
「他意はありません!」
「本当かなぁ~?」
*
「よろしくお願いします、ククルカン先輩!」
今日は待ちに待ったククルカンとの修行だ。定期的に放課後、こうやって彼自身がアストレアを鍛えてくれる。図書委員の仕事はキルケと交代制で行うことにした。
「じゃあ、まずはお嬢ちゃんに精霊や幻獣、神について説明しようか」
「はい!」
実際の所、アストレアは精霊使いやアマデウスの事に関してあまり知らない。
知っている事と言えば、精霊は特定の素質のある人間のみ使役する事が出来、さらに上位の存在である神が選んだ者しかアマデウスになれないということ。
精霊と神は非常に近いが、力は大きく変わる。
精霊よりも高位な魔力を持ち、かつ無尽蔵と思えるほどの魔力量を持っているのが神だ。そして、精霊使いは精霊を使って魔法を発動させる際に使役する精霊の属性の近くにいないと魔力を消費してしまう。例えば、水の精霊を使役する時、水辺で魔法を使うのは問題ないのだが、水もない草原で使役する場合は水を作るために術者の魔力を使うのだ。一方のアマデウスは、神を使役するのでいつでもどこでも属性関係なく、神が生み出すことが出来るので魔力を消費することがない。
精霊使いとアマデウスの差はそれくらいある。
「お嬢ちゃんはそれぞれのデメリットが何か分かるか?」
「デメリット……精霊使いは、魔力を消費してしまうこと。アマデウスは……ごめんなさい、分かりません」
アストレアの回答にククルカンは笑って頷いてくれた。
「そうだな、精霊使いは魔力消費量が激しいことだ。しかし、デメリットが無さげなアマデウスだが、神の使役が非常に難しいこと。神は俺達人間より、精霊よりも上の次元にいる。そんな神を俺達人間が使役するのは、ある意味その才能が要る」
彼曰く、アマデウスになっても神を使役するほどの器と才能が無ければ宝の持ち腐れになるらしい。アマデウスになる素質と使役が出来る才能は別物だという。
「まあ、お嬢ちゃんは比較的、神との距離も近いからおそらくその心配はしなくても良いだろうが、頭に入れて置いて欲しいのはどのアマデウスもラジエル坊ちゃんのように使役することは出来ないということだ」
ククルカンはそう言うと、気紛れに現れたユリウスを見やる。
「せっかくアマデウスに選ばれたのに、使役する才能が無くて何も出来ない奴はいっぱいいる」
「アマデウスに選ばれる人間の条件って何ですか?」
アストレアは水のアマデウスに選ばれたわけだが、今一つ実感もしていなければ何故自分なのだろうという疑問もまだ持っていた。自分がそれほど特別な人間だとも思えないのだ。
「それはまだ解明されていないんだ。諸説あるが一般論としては、神と似た魔力の質を持った人間、とは言われているな。そこはどうなんです、ユリウス神」
『さあな! 私はアストレアが可愛い、と思ったからアマデウスにしたのだ』
らしいぜ、と苦笑を向けるククルカンにアストレアも愛想笑いを返す。
「さあ、修行を始めるか。おい、シルフィード」
ククルカンが名前を呼ぶと、虚空から小さな竜巻が起き、風を斬り裂くようにして美女が現れた。
透明感のある緑色の髪と、角度によって色味を変えるエメラルド色の瞳。その容姿から彼女が精霊だということは一目で分かる。
『何かしら、ククルカン』
彼女はそっと寄り添うと熱っぽい視線をククルカンに送る。
何となくその様子にどぎまぎしてしまう。
「あーもう、くっつくなシルフィード」
『つれない人……わたくしはあなた様をお慕いしているのに』
「何度も言うが、俺は恋愛に興味ない」
ククルカンとシルフィードのやり取りを見ていると、隣でユリウスが教えてくれた。
『シルフィードという風の精霊は恋に落ちやすいのだ。伝承でもよく人間の男に恋をしているのだ』
「そうなんだ……」
「すまないな、お嬢ちゃん。本題に戻ろう、まずお嬢ちゃんにやってもらうのは『視覚共有』だ」
視覚共有とは、そのままの意味で、精霊達と自身の資格を共有することだ。
自分が行けない場所に精霊達を送り、視覚共有することで情報を集めるという事によく使われている。スパイをする精霊使いには必須の技であり、負担も少ないことから初心者の練習に起用される。
まずはククルカンが手本を見せてくれた。
彼はそっと目を閉じると、意識を集中しながら言葉を紡ぎ始める。
「芽に光と影を 眼に虚と実を 汝のウォルンタースを 我が心に」
それはまるで歌のようだった。不思議な響きを持った言葉は、空中に放たれ浮遊しているように感じる。
シルフィードは目を閉じ、頷くとククルカンのように歌で返す。
『汝の命を承ろう』
シルフィードがそう返した瞬間、2人の体は淡く緑色に輝いた。輝きがおさまるとククルカンは閉じていた瞼をおもむろに開け、アストレアを見やる。
「これが、精霊や神を使役するやり方だ」
「今のは……歌ですか?」
「ああ。そうだ、“古代音楽”と言って古の時代より使われている特殊なものだ。今は伝統芸能として受け継いでいる一族や、アマデウスや精霊使いとして育てられる子ども以外は知らないだろうな」
ククルカン曰く、その古代音楽は別名チャングと呼ばれ、精霊や神以外に幻獣を使役する時に使う言葉の魔法らしい。古代語に特有の韻をつけ、声で魔法を発動させる技だ。
一般的な詠唱を使っての魔法と似ているが、詠唱と違って体内にある魔力を発動させるスイッチの役割ではなく、歌そのものが魔法なのだという。
「韻を踏んでやる、っていうのは理屈じゃない。そういうのは感覚だ。とりあえずやってみるしかねぇぜ」
「はい」
「声に魔力を流し込むイメージで歌え」
彼がやった通りに目を閉じ、意識を集中させる。
そして、息を思いきり吸い、
「めぇに光と影を めぇに虚とじぃつぅを」
「ちょっと待てお嬢ちゃん!」
目を開けると、必死の形相になって止めるククルカンと、耳を塞いでいるシルフィードと、この世の終わりといった表情をしたユリウスがいた。
「えっと、何でしょう?」
「お嬢ちゃん、今まで歌を歌ったことはあるか?」
「いいえ、いつも合唱の時はピアノをしていました。先生直々のご指名で」
「だ、だろうな……お嬢ちゃん、その韻を踏んで魔力を言葉に乗せるっていう難しい話は抜きにしてだな、まずは普通の歌の練習をする方が良いと思うぜ」
言いにくそうにそう告げる彼に、伝えたいことが伝わってしまう。
「つまり……わたしは音痴、だと?」
「……」
その沈黙は肯定だとアストレアは思った。
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