水の神ユリウス
「まさか……あの時の魔物? ど、どうして?」
アストレアが驚くのも無理はない。校外学習で襲い掛かってきたあの魔物は、キルケに急所を狙われ倒されたはずだった。別の魔物か、と思ったがあの時の水牛の魔物に姿形、攻撃方法までもが酷似している。
アストレアにも保健委員長のククルカンのように、魔物に対する深い知識があるわけではないが、魔獣使いが操っているのだろう。
そしておそらく、その人物は生徒会の者であるということ。
しかし、今試合場にはフレイとアストレアしかいない。水牛の魔物は目の前で震えるフレイを標的としている。
(震えている場合じゃないわ、わたしが彼を守らないと……)
フレイは先ほどの戦闘でもう魔力を枯渇させているのだ。魔力がまだ残っているアストレアしか、彼を守れる者はいない。
「ブォオオオ!」
水牛の魔物が天に向かって咆哮をする。鈍い不気味なその声は観覧席の生徒を怖がらせるのに打ってつけで、巻き込まれないように一目散に逃げていく生徒もいる。
キルケ達の方を見ると、どうやらキルケと武道委員の副委員長の2人は、アストレア達のいる方へ駆けつけようとしているが、生徒達に抑え込まれている。
おそらく、生徒会の人間だろう。危険だから、という理由もあるのだろうが、アストレアを狙っている魂胆が見え見えだ。
(ううん、今はそんなことを考えている場合じゃないわ。魔獣使いが操っているとはいえ、この水牛に攻撃をされては怪我をしてしまう)
それは彼女自身が身を持って経験したことだった。水牛のあの鋭い角は、易々と皮膚を斬り裂いてしまう。
「水壁!」
アストレアはフレイの目の前に大きな水の壁を出現させると、いきなり突進してくる魔物から彼を守った。
「フレイ、わたしが引きつけている間に貴方は逃げて!」
「で、でも……」
渋るフレイにアストレアは叫ぶ。
「魔力が枯渇している貴方がいる方が危険だわ!」
フレイは苦渋の表情を浮かべ、アストレアに向かって謝りその場から走って逃げる。
(そういえば、校外学習の時もこういった感じだったわね)
あの時は自分の魔法が相手に効かないと焦り、結果その焦りで負傷してしまった。
「でも」
アストレアはキッ、と標的を自分に移した水牛の魔物に対峙すると喉を震わせて言った。
「やられっぱなしの女の子だなんて思わないでちょうだいね! あの時の借りは絶対に返すから」
そして、体内に魔力を循環させる。体温が上昇していくのを感じながら詠唱をする。
「水鞭!」
アストレアの右手から伸びるように現れた水の鞭。前回はあまり食い止めることは出来なかったが、今回は違う。冷静に魔物の足を狙い、走りにくくする。
「水泡」
魔物の顔部分によく狙って、水の玉を作り出す。水牛の魔物は驚き、足踏みをしようとするが足部分は水で縛られている。うまくバランスが取れなくなり、地面に倒れ込む。
このままいけば、魔物は息を吸う事が出来ない。弱ったところをとどめを刺せば、被害を大きくすることもないだろう。
しかし、アストレアの計算外の事態が起きる。魔物が顔に発動した水泡を口で吸いこんだのだ。
(えっ、どうして……? あっ、まさか)
ようやくここで、ククルカンの言葉を思い出す。
『お嬢ちゃんが言う水牛の魔物っていうのは、タウロスの一種かもしれないな。だが、あいつは水属性の魔物とはいえ、こんな場所には生息していない』
この魔物は水牛で、しかも水属性の魔物なのだ。おそらく、アストレアの攻撃はこの魔物には効かないものなのだ。
(わたしが水属性だったから……?)
同じ水魔法を吸収した魔物は、体内に魔力を取り込み同じ攻撃をアストレアに向かって放ってくる。厄介なことに、アストレアが放った水泡と同じ大きさの水の玉を休むことなく、連続で放ってくるのだ。
一気に防御へと転じることになったアストレアは、自身を守る魔法を発動させるのに必死で足を縛っていた水鞭を解除してしまう。
足が自由になった魔物は、地面をかき、咆哮を上げると猛突進してくる。
(水壁を何枚も発動して勢いを殺すことが出来れば……)
対するアストレアは、魔物の進行方向に何枚もの水壁を発動させた。
1枚、2枚、と突破されていくうちに魔物の姿がだんだんと大きくなっていく。それほどまでに近づいてきた時には、もう彼女の目の前だった。
(まずい……)
反射的に目を瞑りそうになった時、声が聞こえた。
「アストレア――ッ」
あの時みたいに舞い降りてきた彼の背中が、アストレアのすぐ前にあった。
「キルケ……」
彼は、ゆっくりと鞘から剣を引き抜き構えの姿勢をとる。
(駄目、キルケ……その魔獣は前回と違う、逃げて)
そう言いたいのに震える口からは言葉が出ない。こんな時に怖がる自分を呪いながら、だんだんと近付いてくる魔物の中にキルケが消えてしまいそうな感覚になる。
(嫌だ、キルケが傷付くのは嫌……、嫌!)
目を瞑り心の中で叫ぶ。
『私の可愛いアストレア……力を貸そう』
ふいに薔薇園で聞こえてきた、不思議な響き渡る声がアストレアに投げかけられる。おそるおそる目を開けると、そこには海のような深く美しい青色の長髪と、空のように爽やかな水色の瞳を持った中性的な人物が立っていた。
人間ではないのは一目で分かる。その人物の周りには、自分達の持つ魔力とはまた性質の異なった神秘的な魔力の流れがあるのが感じられた。
「貴方は……?」
『私は水の神、7月の守護神ユリウス。神に愛された“水のアマデウス”よ。おまえに力をやろう』
そっと差し出される手を、気が付けば握っていた。
触れた途端、ユリウスの持つ神秘的な魔力がアストレアの中に流れ込んでくるのが分かる。
『良いか、思いっきり放つのだ』
「はい」
アストレアは地面を蹴り、水の力で飛びキルケと魔物の間に降り立つ。後ろでキルケが息を飲むのが分かった。
「キルケを傷付けないで……タウロス!」
アストレアは両手を魔物にかざす。ユリウスから流れてきた魔力を一気に解放する。
「水神の槍!!」
両手に魔法陣が発動し、そこから無数の水槍が突出する。勢いよく突進してきた魔物はそれを避けることが出来ず、額や頬などに貫通する。
急所を突かれた魔物は断末魔の叫びをあげて、煙のように消えていった。
目の前で消えていった魔物を見て、アストレアはようやく安堵する。全身の力が抜け、地面に膝をつく前にキルケに抱き寄せられた。
「アストレア嬢、怪我がなくて本当に良かったよ。君は本当に無茶をするんだから」
「ふふっ、ごめんなさいキルケ」
2人は顔を見合わせ笑いあった。
*
実技大会の様子を貴賓席から見ていたラジエルは、魔物との戦闘を見て頬を紅潮させていた。傍で控えるオリヴィエに座りながら彼は言う。
「オリヴィエ……彼女、水のアマデウスとして覚醒したみたいだよ」
「そのようですね」
オリヴィエにとっては、そんなことよりも気になることがあったのだ。
「しかし、会長。実技大会にあの魔物が乱入してくるなど……」
オリヴィエが最後まで言う前にラジエルは人差し指で口止めする。
「どんな時でも事故はあるんだよ、オリヴィエ。いやぁ、それにしても図書委員を牽制出来なくても1番厄介だった武道委員を片付けられそうだなぁ」
まるでオリヴィエに聞こえてなどいないかのように、彼は呟く。
(それではもう自分が起こした、と言っているようなものじゃないか)
オリヴィエは自身の長い髪に触れながらそんなことを思う。
(図書委員や他の委員には申し訳ないが、残酷な手段も行え、統率力のある会長こそ、俺が仕えるべき主君なんだと度々思うんだよな。いつか、図書委員だけじゃなく、この学院の委員会全てが生徒会の敵になろうとも、俺は最後まで会長についていく)
そっと温かい風がオリヴィエを髪をなびかせた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
次回の更新で第1章は完結となります。




