守るのは平穏? それとも犠牲?
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鉄製の扉の向こうには、先程見ていた景色が広がっているのだろう。今までキルケとコーネリアスの試合を見ていた観覧席のギャラリーは、どんな生徒たちの試合が見られるか今か今かと待ちわびていることだろう。
全校生徒のいる前で自身の魔法を披露するのは緊張するものだ。それにプレッシャーもある。図書委員を応援する生徒はほとんどいないだろうが、それでも『人の目がある』ということには慣れない。
魔法士が着用する防御の魔法を繊維に組み込まれた黒いローブと、大きなとんがり帽子を被りアストレアは始まるのをじっと待った。
『それでは、次の試合を発表します。図書委員長アストレア・リラ・リエール、武道委員所属フレイ・ヴァナヘイム!』
対戦相手はフレイだった。初めて知ったのだが、コーネリアスはわざとアストレアとフレイが当たるように仕組んだらしい。いや、おそらくは生徒会長か。
(まさか、わたしの相手がフレイだなんて……)
きっとどこかでコーネリアスが嘲笑っているのだろう、と予測する。
勝利条件として提示したフレイの解放。そのフレイと試合とはいえ、傷つけ合いをしなくてはならないとは。
目の前の鉄製の扉が開く。そして、アストレアがゆっくりと足を踏み入れる。向こうから同じように魔法士の戦闘服に身を包んだフレイが、怯えた目でこちらを見つめていた。傷つけあいたくないのはどちらも同じだ。それでも、戦わなくてはならない。フレイを助けるためにも、図書委員の未来のためにも。
アストレアは覚悟を決めて、頬を叩く。そして、ゆっくりと目を瞑ると瞬時に対応できるように魔力を循環させておく。
フレイがどんな魔法属性なのかは分からない。だが、“水と地の魔法学”を受けていた以上、アストレアと同じ水属性か、あるいは水に有利な地属性のどちらかだろう。地属性になると、圧倒的に水魔法士は不利になる。アストレアは覚悟を決めた。
どちらにせよ、フレイが水属性でも地属性でも戦いにくい相手なのには変わりない。
『始めっ!』
銅鑼が鳴る。試合開始の合図だ。
お互い魔法の射程距離に入る。出来るだけ傷付けないようにしよう、そう思った途端アストレアの踏みしめる地面がぐらりと揺れた。フレイの方を見ると彼が淡く茶色に光り輝いている。魔法発動時の現象だ。
(フレイは地魔法士なのね……)
アストレアの足元の地面はぐらりと揺れたと思えば、渦を巻きまわりの砂を巻き込んで竜巻のように彼女の足を飲みこんでいく。その場から出ようと足掻くが、蟻地獄のように抜け出すのを許さない。
「アストレアさん……おれ、あの時嬉しかった。おれを助けようと正義感溢れる貴方は英雄のようだった。でも……」
フレイの目に涙が浮かぶ。だんだんと視界が砂に脅かされていく。
「同時に余計なことするな、って思ったんだ。貴方がコーネリアスさんを注意すればするほど、おれへの当たりが強くなる。おれはこれ以上何も望んでいないんだ!! 平穏を守るためならおれくらい犠牲になったっていいんだ!!」
彼の叫びにアストレアは気付く。彼を助けるにはコーネリアスを止めるだけじゃ足りないのだ、と。
(それだったらあなたにとって学園生活は誰の為のものなの……フレイ)
悲しいフレイの胸の心中に気がつけなかった自分が憎いのもあった。だが、それ以上に彼への怒りの方が大きかった。いつしか怒りは魔力へと変わり、凄まじい勢いで体内を循環していく。
血流に混じった魔力は一気に体温を上昇させていった。そして、アストレアは前を見据えると詠唱を始める。
「大波!」
フレイの場合、そう魔力は大きくない。しかし、地属性である彼にとっては試合場自体が武器そのものという絶好の場所だ。
(水で勝つには……わたしには、人よりも多い魔力がある。それを生かして水で勝つには……。地に勝つには全てを流せばいい。少ない量でも増やせば水はどんなものにも勝てる)
詠唱を終えた途端、体中の熱が放出されていくのを感じる。
やがて大きな音が鳴り響いたと思った瞬間、アストレアの背後に図書塔よりも高いであろう波が出現する。アストレアは自身の作り出した大波に巻き込まれないよう、泡で自分を包む。
フレイは咄嗟に砂で壁を築き上げ、波を防ごうとしていたが威力に大きな差がある。高度な魔力を練り込まれたアストレアの水魔法は、呆気なくフレイの砂壁を壊して彼を襲う。
アストレアが試合場で大きくうねる波を消し去るイメージを浮かべると、それ通りに引いていきやがて濡れた地面に倒れ込むフレイの姿があった。
彼の魔力はおそらく枯渇しているはずだ。アストレアに立ち向かう気力があれば別だが、その様子もない。アストレアは優雅に彼の近くに降り立つと、うっすらと目を開けてこちらを窺うフレイに言う。
「フレイ、確かにわたしのやり方は返ってあなたを苦しめるだけだったかもしれない。でも、自分の平穏のために自分を犠牲にするなんて、それは平穏とはいえないわ」
「だからって……誰が助けてくれるのさ。この世界にはおれの味方なんていないんだ」
涙を流すフレイ。彼にどう言葉を掛ければ良いか、思い浮かばなかった。
やがてゆっくりと立ち上がると、アストレアを濡れた瞳に映す。
「コーネリアスさんの家は没落貴族であるおれの家を援助しているんだ。だから何をされようと、おれの父さんはコーネリアスさんを怒らせるなって言うばかりで……先生に言っても、トレモイユ家を敵に回したくないからおれのことを見て見ぬふりをする。そんな世界でどうやって生きろっていうんだよ……」
大粒の涙は彼の頬を濡らし、地面に零れ落ちていく。
「わたしには貴方の苦しみを理解することは出来ないわ」
アストレアの言葉に顔を上げるフレイ。その表情は泣いているようでもあり、戸惑っているようにも見えた。
「勘違いはしないで、理解することは出来なくても理解しようとすることは出来るわ。完全に理解することが出来る人なんて同じ境遇じゃないとほとんどの人は無理よ。だからわたしも、貴方の苦しみを完璧に分かってあげられない。でも、想像する事は出来る、貴方が受けた苦しみや悲しみを」
そっとフレイに近づき、強く彼を抱きしめた。
彼が抱え込んでいた苦しみ、悲しみを少しでも分かってあげられるように、そう感じながら抱きしめる腕に力を入れる。
「でもね、そこで折れてしまったら終わりなんだって思うの。小説の中のヒーローも、辛い境遇にあっても決して負けない。心にある剣が折れない限り、人は立ち向かっていけるのだわ。そしてその姿はどんなものよりも美しくて、輝いているの」
「……っ」
フレイの嗚咽が耳元で聞こえてくる。顔は見えないが、見えなくても分かる。
「だからフレイ、どうか諦めないで。どんな理不尽があろうとも、立ち向かう貴方は素敵よ。そうすれば、いつしか貴方に手を差し伸べてくれる人が現れるはずよ。……わたしとかね」
「……うっ、ずっと、ずっと辛かった。本当は助けてもらいたかったんだ」
「そうね、そうよね。貴方はずっと耐えた、素晴らしい騎士だわ」
『……しょ、勝者は図書委員長アストレア・リラ・リエール!』
躊躇いがちに勝者を告げる声と共に観覧席の生徒たちが一斉に拍手を送ってくれた。フレイから離れ、一番前にいた銀髪の少年と目が合う。キルケがこちらに向かって手を振っていた。
(ありがとう、キルケ……)
キルケに笑顔を浮かべて控室に戻ろうとした時だった。観覧席の生徒たちの様子が何やらおかしい。みな一点に視線を送っている。
ふと、必死にキルケが口の動きとジェスチャーでアストレアに何かを伝えようとしていた。
(う、し、ろ、を、み、て……? 後ろ?)
ゆっくりと振り返るとそこには、いつかの校外学習で見た深紅の目をした水牛の魔物だった。




