不穏な気配②
「えっと、次は魔法学の授業だから中教室ね」
アストレアは自作の時間割を確認しながら次の授業の準備をする。授業ごとに使用する教室が決まっていて、生徒たちがそこへ移動するという仕組みだ。これもリリー女学院ではなかったことだ。
魔法学の1年生向けの授業はそれなりに人が多い。魔法学といっても幾つか種類があり、アストレアが受けているのは“水と地の魔法学”である。水の魔法を使うアストレアにとっては、非常にためになる授業でお気に入りでもあった。
「おい、フレイ! アレスについて探りを入れて来たのかぁ?」
魔法学の授業を受けるため、教室へとやってきたアストレアの目に入ってきたのは、か弱そうな少年を背が高く、力強そうな少年たちが数人取り囲んでいる光景だった。
どう見ても仲が良い者同士のじゃれ合いには見えない。
アストレアは眉を吊り上げると、少年を円状に取り囲み胸倉を掴んでいるリーダー格の少年に向かって声を張り上げた。
「ちょっと、ここで何をしているの?」
すると、リーダー格と思われるそばかすが特徴の少年がアストレアの前に一歩出る。彼女より身長が高く、体格もそれなりにある彼はそれだけで威圧感がある。しかし、怯むものかとアストレアは睨みつけた。どこかで見たことがある顔だったが、どこで見たのか思い出せない。
「何だよ、おまえ。僕に何か文句でもあるのか?」
「人を苛めているんじゃないわよ、みっともない」
「はあ? 苛めてねーよ、僕達は友達だ。友達のじゃれ合いに女が入ってくるな」
「誰がどう見てもじゃれ合いには見えないわ」
凛として相手を見据えるアストレアに、それを面白そうに笑う少年。そんな彼の態度が癪に障る。
「彼に謝りなさいよ!」
「うるせえよ、女が出しゃばってくるな。それより、見たこと無い顔だな」
「あなたには関係ないわ」
すると、彼が少年の胸倉を掴んでいた手を離し、アストレアの方へ距離を縮めてくる。ぐっと肩を掴まれ、その不快さに思わず背筋が凍る。悲鳴をあげないように堪えていると、そばかすの少年は下品な笑いを浮かべた。
「あ、分かった。編入生だろ? 噂は届いているぜ、図書委員の委員長になった変わり者だって」
「変わり者で結構。あなたには関係ないもの。それより触らないでくれる? レディに失礼よ」
「そうだよ、彼女に触れないでもらえますか。コーネリアス・ド・トレモイユさん?」
聞き慣れた声が聞こえてきた。アストレアの肩を触っていた彼の手を、白いキルケの手がはたく。怒気にはらんだその声は、笑顔を浮かべていても彼が激怒していることを示している。
キルケと彼を見合い、ようやくそこで気付く。
(この人……校外学習でキルケと同じチームだった人だわ)
魔獣学の校外学習をキルケと行っていた彼だった。遠くから見ていても2人は相性が悪そうで上手くいってなさそうに見えたのを覚えている。
「何だよ、ジルバーン侯」
「女性に対しての礼儀がなっていませんね、先輩? 幾ら貴族ではない貴方でも女性への礼儀作法はご存じのはずでしょう?」
キルケがそう言うと、彼は顔を真っ赤にしてキルケを睨みあげる。何も言い返せない様子は、おそらく嫌な部分を突かれたせいだろう。取り巻きを引きつれ、彼は去って行った。
「アストレア嬢、大丈夫だった?」
心配してくれるキルケを見ると、それだけで恐怖に支配されていた心が落着きを取り戻す。彼の顔や声を聞くだけで安心する。来てくれて良かった、と心から思う。
「ありがとう、キルケ。あなたのおかげだわ……。わたしだけじゃ、彼を追いかえせなかった」
「本当はああいう脅しは嫌いなんだけどね……。でも君が無事で良かった」
「そこまでしてくれてありがとう。あ、そういえば! ねえあなた大丈夫?」
先程、コーネリアスにいじめられていた少年に駆け寄る。可哀相に、彼は震えながらアストレア達を見ていた。びくびくしながら辺りを伺う様子は、まるで子ウサギのようだ。
「だ、だいじょうぶ……」
震えながら笑みを浮かべようとするウサギ少年にアストレアの心が痛む。
(こんなくだらないことをする人がいるなんて)
許せなかった。弱い者をいじめるのが強い者ではないはずだ。本当に正しく強い者ならば、弱い者を守るのが当然であるとアストレアは考える。
「初めまして。僕はキルケ。出会った瞬間に踏み込んで申し訳ないけど、君と先輩って何の関係があるの?」
キルケがアストレアの隣に立ち、そっと彼に質問をした。ウサギ少年は言おうか、言うまいか逡巡したあと、おずおずと口を開く。
「お、おれと……コーネリアスさんは同じ委員会に入っていて……」
「武道委員会?」
「うん……」
ウサギ少年は、コーネリアスに“アレスについて探りを入れたか”と聞かれていた。
それが少年にとって自身の立場を危うくするようなことなのは、何となく感じる。
見ず知らずのアストレアに根掘り葉掘り聞かれたくはないだろうが、アストレアは少年に聞いてみた。
「さっき、“アレスについて探りを入れて来たのか”なんて聞かれていたわよね。あれってどういうことなのか、話せるかしら?」
踏み込んでこようとするアストレアを不審に思ったのか、少年は固く口を閉ざす。
どうやら口を開くつもりはないらしい。アストレアはそんな彼の態度を察し、話題を変えた。
「あなた次の授業は魔法学?」
「う、うん……」
「じゃあ、わたしと一緒に受けましょう。あ、わたしはアストレア。よろしく」
そう言い、教科書を持っていない方の手を差し出すと、ウサギ少年はそっとはにかんで握ってくれた。小さくてとても温かかった。
「おれ、フレイ……」
「よろしく、フレイ。キルケもありがとう、授業に間に合うようにしてね」
「ありがとう、アストレア嬢。じゃあまた後で。さよなら、アストレア嬢、フレイ」
そう言い、キルケは手を振って自分の受ける授業の教室へと向かった。小さくなる背中をずっと見ていると、フレイが入らないの? と手招いていたので慌てて教室へ入る。
教室に入るとすぐに授業が始まる鐘の音が響いた。それに合わせるように魔法学の教師がやって来て、教科書を開くように指示をする。
「今日はそれぞれの魔法属性を司る神に愛された者“アマデウス”について勉強する。教科書を開いて……リエール嬢? 教科書を開きなさい」
「あ、は、はい」
さっきの事が気になり過ぎて授業が進んでいることに気がつかなかった。おかげで教科書を開いていないことを注意されてしまった。慌てて先生が指示する教科書のページを開く。
「そもそもこの世界での魔法の属性は、生まれた月によって決められている。例えば、1月だと守護神ヤヌスの属性になる。空間魔法士はみな1月生まれだろう? その中でも魔力、という個人差がある媒介が無尽蔵にある人間を神に愛された者、“アマデウス”と呼ぶのである。彼らは神と対話することができ――」
コーネリアスのことが気になって、その日の魔法学の授業は、あまり頭に入ってこなかった。




