校外学習②
「い、いやぁぁああ!!」
甲高い女性の悲鳴がする。おそらくルーシィだろう。迷宮内ではないとはいえ、付近も安全とは言えない。魔物に襲われていてもおかしくはない。
アストレアは気を引き締めると声のする方向へ行く。
「ルーシィさん!」
そこにいたのは地面に座り込んで震えるルーシィの姿と、まるで何かに憑りつかれたかのように赤い眼をした水牛の魔物だった。黒光りする体躯は夜の闇を思わせる不気味なもので、異様に光る赤い瞳は獲物しか見ていない。恐ろしいほど尖った角は貫通してしまいそうなほどだ。
水牛の魔物は本で見たことのない名前の知らないものだが、おそらくこの近辺でもかなり手ごわい方だろう。直感で分かる。
魔物はルーシィに近づき、蹄で地面をかくと空に向かって咆哮する。空気を震わす魔物の声にルーシィはより怯えて逃げ出すことも出来なかった。
「水鞭!」
アストレアは近くに流れている川を利用して水の鞭を魔法で編み出し、魔物の角を固定する。そして震えるルーシィに言い放った。
「ルーシィさん、早くわたしの後ろへ!」
この場から逃げ出せる気力がなくてもせめてアストレアの近くにさえいれば、どうにか魔法で彼女を守ることが出来る。彼女の咄嗟の判断にルーシィは何も言わず従った。
足をガクガクと震わせながら懸命にこちらへやって来る様子は、先程まで強気だった令嬢とは思えないほどだ。
水牛の魔物は、ルーシィから標的をアストレアに移したようでまたも地面をかく。
そして、上半身を後ろに大きく逸らしたと思えば勢いよく突進してくる。
「水壁!」
瞬時に分厚い水の壁を作り出す。しかし、魔物の力は強くアストレアが水魔法で抑え込んでもびくともしない。むしろこちら側が押されつつあるほどだ。
「ルーシィさん、今のうちに逃げてください」
怯えるルーシィを逃がし、この場から離れたと確認してアストレアは水壁で魔物に触れている部分から槍を作り出し、魔物を突き刺す。水とはいえ、魔力のこめられたそれは本物の槍のように魔物の体に傷をつけた。
(どうしよう……どうやってこの魔物を止めれば……)
焦る気持ちが魔力にも伝わったのか一気に魔法の維持が不安定になる。その隙をつくように魔物が水壁を無理矢理にこじあけ、アストレアへと突進してきた。
「きゃっ」
身を守ろうと自身の周りに水壁を作ろうとしたが、動揺しているせいかうまく魔法が発動しない。そうこうしているうちに、魔物の角がアストレアの横腹を抉るようにして引っ掛かる。
「いっ……」
ズキン、と痛む脇腹を押さえると指の間から血が滴り落ちる。
貫通はしておらず表面だけの切り傷だが、それでも深かったようで心臓の動きに合わせるように血が噴き出してきた。
骨にひびくような衝撃も受けたのでおそらく打撲もしているだろう。アストレアは魔物から逃げようと少しずつ下がり、隙を伺う。
しかし、魔物の方はアストレアを逃がすつもりはないらしくまたも雄叫びをあげてアストレアの方へ突き進んでくる。
今度こそ魔法を発動させなければ。そう思った時、視界の端に揺れる銀の髪がいつの間にか目の前にあった。
美しい銀の髪の持ち主は流れるような手つきで鞘から剣を引き抜くと、こちらに突進してくる魔物に刃先を向けると踊っているかのような足踏みで次々に斬りかかっていく。
その様子は蝶が舞いあがるようでもあり、思わずアストレアは見惚れてしまう。
地面を軽く蹴り、彼が剣先を深く魔物の喉元へ突き刺すと空気の漏れる唸り声をあげながら魔物は消滅していった。
「アストレア嬢! 大丈夫……じゃないみたいだね、ごめんね、僕がすぐ来なかったせいで」
やって来た銀髪の剣士、キルケはくるっとこちらに向き直ると心配そうにアストレアの脇腹を見た。そっとアストレアの手を離し、怪我の具合を確認する。
「ごめんね……君のチームの女の子が教えに来てくれたんだけど、来るのが遅くなって……本当にごめん」
深々と頭を下げるキルケにアストレアは首を振る。
「いいえ、助けに来てくれてありがとう」
魔法に関しては得意な方だと自負していたが、実際の戦闘になると得意だという自信だけでは通用しないことに驚いてしまったアストレアは、一瞬の気持ちの動揺で魔法を発動させることが出来なかった。きっとあのままだと焦る一方で、魔法を繰り出すことすら出来なくなってしまっただろう。そうすれば今よりもっとひどい怪我を負うのは目に見えているし、何よりキルケが助けに来てくれたこと自体が一番嬉しいのだ。
キルケはアストレアの元へ向かう前に、保健委員長のククルカンを呼んで来てくれたようですぐに治療を受けることが出来た。
「こりゃまたお嬢ちゃんには痛い怪我だな……おい、“マルバス”」
妖艶な保健委員長のククルカンは、アストレアの怪我を見るなり何かの名前を呼ぶ。
すると、地面に光り輝く魔法陣が現れ空間がねじれる。一層輝いたと思った時には、魔法陣のあった場所に漆黒のたてがみを持つライオンがいた。
『我を呼び出しおって。汝は精霊使いが荒いな』
反響する不思議な声で話しかけるそれは、魔物でも幻獣でもない。不服そうな黒獅子にククルカンは苦笑いを浮かべながら指示をする。
「お嬢ちゃんの怪我を治してやってくれ」
『仕方ない、いいだろう』
黒獅子はそうククルカンに一言放つと、ゆったりとした足取りでアストレアの方へやってくる。そして驚く彼女をよそに黒獅子は怪我を負った脇腹に鼻を近づけ、ふうっと息を吹きかけた。不思議なことに黒獅子が吹きかけた箇所の怪我はみるみるうちに治っていく。痛みも傷口も出血も何もかも怪我を負う前のように綺麗な状態になっていた。
呆気にとられていると黒獅子はアストレアを興味なさそうに一瞥して、光の粒になって消えていく。
「今のは……?」
アストレアの顔が面白かったのかククルカンが笑いを堪えながら答えてくれた。
「治癒能力を持つ精霊、マルバスだ」
「もしかしてククルカン先輩は精霊使いなんですか?」
アストレアがそう聞くと彼は頷いた。
「四重奏の1人、“精霊王”の異名を持つのがククルカン先輩なんだ」
後ろで治療を見守っていたキルケがそう説明してくれる。
精霊使い、ということは先ほどの魔物にも詳しいだろうか。一般的に精霊と魔物は異なるが、使役する際にはほとんど似通っており精霊使いは魔物に関する知識もある程度はあると聞いていた。アストレアは思い切ってククルカンに聞いてみる。
アストレアの説明を聞いていたククルカンは、しばらく黙って聞いていたがふいに思い出したかのように立ち上がった。
「お嬢ちゃんが言う水牛の魔物っていうのは、タウロスの一種かもしれないな。だが、あいつは水属性の魔物とはいえ、こんな場所には生息していない。というより、あいつが暮らせるのはもっと森の中で、開けたここでは生きていけないからな」
「ということは、あの魔物はこの辺りの魔物ではないっていうことですか?」
「ああ、お嬢ちゃんが見たっていう魔物が本当なら……おそらく誰かが操っている使役魔獣だろうな。タウロス級の厄介な魔物を使役できるんだ、腕の良い魔獣使いなんだろう」
魔獣使い。その言葉を聞いて何だか腑に落ちる。だからあんなに異様なまでに深紅の目をしていたのだろうか。
「もし、魔獣使いがいるとして……その人はわたしを狙っているってことでしょうか」
恐ろしい考えにいきあたり、アストレアは思わずキルケの方を見る。すると、心配いらないとでも言いたげに微笑んでくれた。
「だろう。タウロス級の魔獣使いなんて俺が知っている限り、生徒会の人間くらいだろうな。お嬢ちゃんは確か……」
「図書委員長のアストレアです」
「ああ、そうそう、図書委員。おそらく、お嬢ちゃんは生徒会から狙われていることになるな。それも図書委員を傘下に入れる為の強硬手段として」
この学院の生徒会はそんなことまでするのだろうか。ククルカンの言っていることが正しいのなら、これから図書委員が無事でいるはずがないということを意味する。
アストレアはそっと身震いをした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
ここから展開がだんだん動いてくる(予定です)




