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▼4.少年は世界に冷たい

 少年が通う学校の屋上は、本来立ち入り禁止の場所である。

 元々が憩いの場を想定して作られていないのだから当然だ。好奇心のみで近寄るには危ないところである事は間違いない。


 しかし、なんとかと煙は高い所に上るという慣用句が示す通り、考えなしの人間ほど無茶をしがちで夢を見がちだ。危険にあえて近寄る愚かな行為、あるいは身の程知らずとも言うが、そんな正論など生徒が抱える浪漫の前には無に等しい。


 制限がかかれば尚の事奮起する人間もいる。そういった人間の積み重ねで、屋上の扉はちょっとしたコツで簡単に鍵が開いてしまう状態になっている。知る人ぞ知る事実だった。


 無論、それを利用している姿を教師に見つかればただではすまない。生徒達も決して阿呆ではないので、それこそ告白だとか、特別なイベントの際に使うことが暗黙の了解となっていた。


 その暗黙の了解を平然と破りながら、少年は恋人である藍風あいかぜ鈴花りんかと二人きりで昼食を取っていた。


「なあ鈴花りんか、最近困っていることは無いか?」


「え、あ、はい、大丈夫です。今はもうイジメられたりとかそういうのは全く……」


「それは俺も毎度見に行っているから分かってるんだ。そういうんじゃなくて、他にだ。例えば最近どこぞの宗教勧誘が酷くて、とかそういう奴だ」


「あ、それなら、宗教勧誘が酷くて困ってます」


「そのまま言えって言ったわけじゃないんだがな」


 苦笑する少年に、違うんですと少女は純白の髪に手櫛をかけつつ困ったような笑みを見せた。


「や、本当にです。天命教てんみょうきょう……?とかいうところの勧誘が最近多くて。どうもお隣さんがそこに入ったみたいで、世間話からいつの間にか流れるようにお誘いの話になってるんですよ」


「ほう?面倒そうだが相手がお隣さんなら家族も困ってそうだな。一家の大黒柱に一度ガツンと言って貰うのもアリなんじゃないか?」


「それ、駄目なんです。私一人暮らしだから」


「珍しいな。この学校に通う為に一人暮らしを始めたとかそういう奴か?」


「はい、そうです。親には随分反対されちゃいましたけど、そこはこう、押し切ったんです。具体的にはこの学校の合格通知と他に受けた全学校の不合格通知を見せて」


 鈴花はいたずらっ子のようにえへへ、と笑ってぺろりと舌を出した。幼さが残る仕草だったが、やっていること自体はかなり危ないものだ。つまるところ、この学校一本で受験したと言っているも同然であり、意図してそれをやるなど並みの度胸では到底不可能なことだろう。あるいは入試に余程の自信があったのかもしれない。


「はは、やっぱり強いな」


 そうですかねー、と鈴花が間延びした口調で答えると、少年は再び苦笑を漏らしてしまった。


「んと、話を戻しますけど、宗教勧誘はお隣さんも諦め始めてるっぽいので、困ってるとは言ったものの、もうそろそろ大丈夫かなって思ってます。ご心配なく」


「もしかして、帰りに誘うと難色示すのはそれが理由だったりするのか?」


 鈴花がこくん、と頷くと少年はほっと胸を撫で下ろした。

 こうして弁当は一緒に食べるし、抱きついたところで嫌がらないという事実はあるものの、その一点だけは決して譲らない彼女の本音がどうなのか、不安ではあったのだ。


「わざわざ私の事を教主様にお尋ねしたらしいんですよ。そしたら、近いうちに運命の人と出会えるとかなんとか、そんな予言があったらしくてですね、先輩と一緒の所見られるとややこしいことになりそうだったので……」


「なるほど。事実、俺という恋人ができたからなあ」


 もうすっかりお馴染みの事であったが、ごく自然に恋人と言ってしまう少年の物怖じの無さに鈴花は中々慣れないでいたようだった。


 その言葉が耳に入るたび意識してしまうのか、分かりやすいくらいに柔らかそうな頬を朱に染めてしまう。一方の少年はそんな鈴花にも既に慣れてしまったようで、特に気にすることなく、漫然と遠くを見つめしみじみと呟く。


「結局独力で解決できるってことか。やっぱり強いな、お前は。妹もお前みたいに強く育って欲しいもんだ」


「──あ。……やっぱりお兄さんなんですか?」


「やっぱりってなんだ」


「や、なんていうか、それっぽい感じが凄くするんですよね、先輩って」


「そういうお前は妹って感じだな。兄貴とかいるんじゃないか?」


「いませんよ。わたしは一人っ子だから」


「そうなのか?いそうだと思ったんだがな」


「そう見えますか?でも本当に私は一人っ子ですから……」


「本当に?」


 妙に食い下がる少年から異様な気配を感じて、鈴花はびくりと震えた。


 疑心暗鬼。

 少年の瞳は疑心に包まれ暗がりの鬼を写す。事実として少年は鬼を見ているのだ。彼女の後ろに立つ小さな鬼を。その気配は幻の冷気となって鈴花の身を凍えさせた。


「私に、兄弟は……」


「いないのか?」


「は……」


 言葉が詰まる。鈴花は頷けなかった。正真正銘、一人っ子であると認識しているのに何故だか頷けなかった。


 ────本当に兄も姉もいないのか?


 どうしてかそんな考えが生まれてしまう。それは正しく少年と同じ疑心の念。すなわち、見るものを惑わせる心の迷路へと誘う道しるべだ。


 困惑し、狼狽し、幻視する。


 視界が歪みはじめ、鈴花は体をくの字に折って荒い息をつく。目に映るコンクリートの床がぐにゃぐにゃと揺れる中、どういうわけか周りが乱れれば乱れるほどしっかりと形作られていくものがある。


 くつ

 靴だった。小さな小さな、少女と呼ばれる年代の彼女よりも余程小さな、幼子おさなごの靴だった。そこから上に伸びた、同じく小さな白い素肌がやがて実体を持ち始める。


「あ……う……そ……」


 息が苦しい。頭が重い。見てはならない。彼女の心は激しく戦慄わなないている。けれども止められない。彼女は自らの意思で、顔を上げようとするその行為を止められない。


 目に入ったのは子供だった。精々五歳といったところのあどけなく笑うだった。そう、少年と見まがうほどに似ていたのだ。幼くとも、それが過去の少年の姿だと、どうしようもないほどに思えてしまう。


「なん……で……?」


 その言葉への返答だったのか、幼子は血のように真っ赤な口内を覗かせて無邪気に笑う。そして、唐突に顔を苦しみに歪ませた。


「い、や……」


 いつの間にか幼子の首筋に腕が伸びていた。前触れもなく這い出て来たその手にどんどん力が込められていく。自分の手ではない、幼子の手でもない、また別の誰かの手だ。その手の持ち主が誰なのか、今本来居るべき少年の手のようにも思えて鈴花は声にならない声で鳴く。


「や、め……」


 願いに答えて鈴花の顔は更に上向く。子供の頭よりもさらに上、瞳が映した先には漆黒が広がっていた。何も見通せない、深く、どす黒い闇だった。


 全てを閉ざし、拒絶するかのような闇の中に突然白い光が踊る。


 どくん、と未だかつて経験したことがない程の勢いで心臓が波打った。


 闇すらも切り裂いて、縦に横にとまさしく縦横無尽に踊るその光のなんと恐ろしいことか。陽光よりも白く、炎よりも燃え盛るような勢いを見せている。温かみなど欠片もない、全てを消し飛ばそうとする冷徹なる光だった。


 その光は闇から這い出し伸びる。幼子へと伸びる。


「やめ……て……!」


 声も願いも届かない。

 光は幼子の頭を貫き、それだけに留まらず鈴花の胸をも突き刺した。痛みはない。触感すらない。けれども、その衝撃は鈴花の体全体を、細胞の一つ一つが沸騰したかのように震えさせ────抗う意思も木っ端微塵に砕かれ、あっけなく鈴花の意識は途切れた。


「それが答えか」


 倒れ伏した少女を抱え、現実の少年が立ち上がる。零れてしまった食べかけの弁当がコンクリートに散乱しているのを一瞥すると、ゆっくりと歩きだした。


 その目には先程の疑心の欠片もない。どこまでも透き通って、真っ直ぐと何かを見ていた。



 ◆



 少年は鈴花を保健室のベッドに寝かせると一息ついた。少年は相応に体を鍛えてはいるが、それであっても鈴花は案外重い。少なくとも、身長に見合った重さではない。


「俺の彼女はぽっちゃりさんだからな」


 少年にとって、それはさしたる問題ではない。問題は保健室に来るまでの道のりだった。少女を抱える少年の姿が目に入れば奇異に映らないはずがない。端的に言えば、随分と目立ってしまったのだ。


 美月にまた怒られそうだな、と少年は安らかな寝息を立てる鈴花の頬に手を添えて呟いた。その寝顔は酷く穏やかだった。ともすれば狂いかねない心理的圧迫など忘れてしまったかのようだった。


「悪かったな。手伝わせてしまって。助かったよ」


「い、いえ……」


 少年が振り向いた先に居たのは、鈴花と同じ一年生の女子だった。緑色の髪を一房の三つ編みにし、色気のない眼鏡をかけ、さらにどこかおどおどとした態度は、テンプレートな文学少女を思わせる。たれがちな目と泣き黒子ぼくろが彼女の気弱さを余計に強く印象付けていた。


 少年が保健室へ入った際に肝心の保険医は不在で、たまたまその場に居合わせた彼女が気を利かせて鈴花を寝かせるのを手伝ったのだ。人は良さそうな反面、あまりそういった自己主張的な行動を取りそうにもなかったので、少年は内心驚いていた。


「あ、あの。ひ、緋ヶ瀬(ひがせ)先輩……私の事、おお、覚えてますか……?」


 問われ、少年は眉根を寄せた。


 ────誰だ?


 少年は質問に答えようと、記憶を呼び覚ましていく。脳が軋むような痛みすら感じるその行為に耐えながら、記憶の洪水を遡っていく。


 覚えはある。覚えている。抽出された記憶はいとも簡単に彼女と関連する過去を導き出した。実感は薄いが、彼女の声と顔は確かに残っている。


 彼女と出会ったのは学校内の話ではない。商店街の路地裏での話だ。

 人通りの少ないそこで、少女は誰かに襲われていた。


「ああ。確か三島みしま亮子りょうこさん、だったかな?あれから大事だいじないか?」


「えっ、はっ、はい!」


「本当に大丈夫か?熱でもあるんじゃないか?顔真っ赤だぞ?」


「ちっ、ちが、違います!」


 驚くような大きな声だった。過去出会ったときとは雲泥の差だ。少年は少々驚きはしたものの、鈴花が起きてしまうのではないかと人差し指を立てて彼女に促す。


「す、すみません……」


「いや、いい。随分と元気が出たようで良かったよ」


 人形のように虚ろな目をした彼女の姿を頭に浮かべ、少年は薄く笑う。


 あの時の三島亮子は、如月のようなファッション不良とは一線を画す、本物の、道理を知らない馬鹿者達に襲われ、放心した状態にあった。不良達の醜悪な笑みを潰したあと、血塗れた手で少年が触れてもほとんど反応がなかったくらいだ。一種のショック症状だったのだろう。


 破れた服から覗く素肌を隠そうともせず、うんともすんとも言わない彼女を背負って、どうにか警察まで送り届けたことを少年は思い出していた。

 細かい話は聞かないままに家族に引き渡してしまったが、三島の様子を見る限りではそう深刻な事態となってはいなかったようだ。


「あれからまた襲われたりとかはしてないんだな?」


「はい。でもまだ恐くて、今は日が落ちる前には必ず帰るようにしてますし、できる限り人通りの多いところを通るようにしているので……」


「自衛は大事だ。今後もそうするといい」


「はい……」


 三島が簡素に答えると、会話が宙に浮く。静まり返った保険室内で、鈴花の安らかな寝息だけが小さく響いていた。


「……それじゃあ、俺は教室に戻るよ」


「まっ、待ってください先輩!緋ヶ瀬(ひがせ)先輩!」


 動き出した少年の学ランの裾を掴み、三島は突然叫んだ。またも彼女の印象とかけ離れた行動に少年はたじろぐように身を反らせた。


「お、おう」


「わた、私は……私はあれから、ずっと先輩を見てました。だから、知ってます。彼女がいることも、彼女ために先輩がやっていることも」


 眼鏡の奥に強い光を見て、少年は息を呑む。彼女は全身でなんらかの決意を示そうとしている。それがなんなのか、少年の想像は及ばなかったが、妙な胸騒ぎと悪寒が何かの警鐘ように心中で暴れまわり始めた。


「でも、だから!そんな先輩だから私は余計に諦め切れなくて……っ!好き!好きなんです!先輩の事が好きなんです!」


 告白。たかが知れた青春の一ページ。実際に聞いてみればそれだけのことだった。一瞬で冷え切った頭の中で、少年は自らの内で燃え盛った焦りを一笑に付した。


「……そうか」


 口から出たのは恐ろしいほどに冷たい相槌だった。彼女の想いの強さと反比例するかのように情動の少ない、溜息じみたものだった。


 それゆえに三島への効果は覿面てきめんだった。たった三文字の言葉に気圧され、眼鏡の少女はうう、と呻いて掴んでいた裾を放してしまった。


「残念だが、俺は」


 少年はたじろぐ三島に気付いている。だのに、全くもって遠慮はしない。一度は助けた女であるのに、この場では気遣いの欠片も見せない。


「俺は、お前に興味がない」


 辛辣という評価に尽きる一言だった。

 三島はその表情を一瞬で悲しみに歪ませ、声にならない声を上げる。


「─────っ!!」


 当然であろう。ただでさえ厳しすぎる一言だというのに、それを向けられたのが当人に想いを寄せる多感な思春期の少女であれば、受けた衝撃の度合いは計り知れない。耐え切れず、零れる涙を散らしながら、三島は保健室の外へと飛び出していった。


 遠ざかる足音を聞きながら少年は目を閉じ、再び薄く笑う。


「酷いわね」


 やがて聞こえたのは、先程の少年に勝るとも劣らない冷たい響きだった。目を開けて声のした方を見てみれば、そこには絵画のように美しい、それゆえに少年が知る限りで最も現実感の薄い存在である黒髪の少女がいた。


 言葉以上に冷たい眼差しをもって、その少女、美月は少年を見据えている。


 そのような目を向けられても少年はたじろがない。笑顔を崩そうともしない。己のやったことに、何一つ後悔はしていないと態度をもって示しているようだった。


「聞いてたのか」


「聞こえたのよ」


「……そうか」


「だから、これは彼女の代わり」


 美月はつかつかと少年へと歩み寄り、頬を張った。

 衝撃で少年の顔が横向くほどに鋭い一撃だったが、それでも尚笑いは止まらない。


「酷いわね」


「かもな」


 少年は笑う。珍しく眉根を寄せた美月の前で、ひたすらに笑う。それは常軌を逸した行動と言ってもよかった。


 少年は知っているのだ。こんな世界で人間らしくありたいと願っても、それは前提からして叶わない。この世界に本当の人間なんて一人としていない。それは己も含めて全てに当てはまる。


 醜悪ささえ同居した酷薄な笑みは、全てを受け入れ、全てを捨て去っていた。


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