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第六章 真相解明

 一月十八日、午後一時。

 その瞬間を、僕たちは固唾を呑んで待っていた。

 内側からはどうする事も出来ない。

 声が、機材の音が、クリアになってゆく様子を黙って聞いていることしかできない。

 朝霧山荘のフロントロビーで、五人の男と一人の女性が、じっと閉ざされたままのドアを見つめていた。

『見えたぞ!』

『いいか!』

 三、二、一……


「長野県警です! 皆さん御無事ですか! 黒井警部はっ?」


 どやどやと、どれが誰だか判らないほどの、警察やら救護班やらが押し寄せてきた。その背には、切り通しのように一部分だけ開けた道。的確に、要所だけ除雪して掘り進めてきたようだ。

「こっちです。いやぁ、よく来てくれました。助かった」

「絞殺魔・西原和幸がここに逃げ込んだと断定されました。被害者は……」

「……それが、残念ながら」

 警部さんが、先頭を切って入ってきた若手刑事と言葉を交わし、それから僕たちは全員容疑者として食堂での待機を命じられた。


 あとから到着した警視庁特別捜査班から、改めての事情聴取を受ける。

 五人きりしかいない生存者の証言は一時間も要せず終わり、逮捕なり警察署への連行なり指示が出るまで、食堂で時間を持て余すこととなった。

「じっとしているのも、なんですし」

 そんな中で香山さんが明るく振る舞い、残っている食材を使ってスープを作ってくれた。

「あったまるね。ほとんど野菜丸ごとっていうのが良い。ジャガイモがホクホクしてる」

 口笛を吹いて、橘さんがご機嫌に野菜と格闘している。

 人参、ジャガイモ、玉ねぎに白菜、ねぎ、色々な野菜にソーセージが丸ままだったりゴロリと切られ、大雑把に見えるがスープの味付けが絶妙だ。

「これは、オーナーにも負けませんね。驚きました」

 堀口さんが牛丼以上の評価を口にする。

「ふふ、ママ直伝のポトフです。圧力なべでズルしちゃいましたが」

 暖かな食事というのは、人の心を解す。

 食堂の外では現場検証のため警察官たちが走り回り、遺体の鑑識、移動も行なわれているというのに、僕らはホカホカのスープで寛いでいた。

 正直な話、ここまでくればどうとでもなれ、である。

 誤認逮捕、真相解明、一時拘束、どんな結果が出ても、受け入れるしかない。

 そんな開き直りが、それぞれの胸に有ると思う。

「ポトフか。学校給食を思い出すなー。もとはフランス料理なんだっけ?」

 僕の感想はどこまでも庶民の王道だ。

「そうですね。『具だくさんの主食としてのスープ』なので、ママの故郷スウェーデンでも定番なんです」

「へぇ…… オーナーが作ってくれたトマトスープ、ああいうのも?」

 松村さんが訊ねる。

 ボルシチ。あれもおいしかった。真奈さんが見せてくれた最後の笑顔がよみがえり、胸がチクリと痛んだ。

 それと同時にオーナーの説明に引っかかりを感じた事を思い出し、僕も松村さんと一緒に答えを気にかける。

「あ、ええと、あれは……」

 急に香山さんの表情が曇る。ああ、嘘をつけない子なんだな、と改めて思った。

 悲しみ、驚き、戸惑い、人によっては全て同じように振る舞う事の出来る感情が、彼女はコロコロとストレートな色で応える。

 僕も天然だなんだと言われるけれど、たぶんそれよりずっと純粋だ。

「ボルシチはロシア圏の言葉ですけどね。スープ自体は具材を指定していませんから、同じようなものは西欧でも珍しくないのでは」 

 堀口さんが、助け舟という名の泥舟をスープへ浮かべた。堀口さんは……違和感に気づいていたのだろうか。しかし、それが何を意味するかまでは僕には解らない。

「ですよ ね」

「……ハハハ」

 香山さんも僕たちも、引き攣った笑いをして、その泥船に乗り込むしかない。


 一月十八日 、午後四時三十分。

 食事を終え、香山さんが洗い物をして僕はお茶を淹れる。

 橘さんが実の無い話をしては松村さんが丁寧に頷き、堀口さんは無関心な風で文庫本を読んでいる(カバーをかけているのでタイトルは解らない)。

 殺人事件の終幕には、いささか暢気な時間が流れていた。

 そこへ、黒井警部が流れる汗をハンカチで拭きながら現われた。

「さて皆さん。警視庁と県警の合同捜査班が到着し、先ほどから現場検証をしておりますが、今頃ノコノコやってきていったい何を調べようというのか」

 いつになく声を張り上げている。まるで演説だ。

「私も伊達に刑事生活三十年を過ごしてきた訳ではありません。長年の勘と経験によって私は犯人を既に特定しております。これまで気付かぬふりをしておりましたが、そろそろ事実をお話しする頃でしょう」

 おお、演説だ。

 僕はもちろん、他の面々も思うところがあるはずだ。フロントロビーへ出て救援を待つ間、それぞれの犯行についてどう思うか黒井警部に訊かれたのだ。

 たぶん、それに基づいて黒井警部は答えを出している。

「えー、それでは……。まず村上梓さんの殺害犯ですがこれはハッキリしています。死亡した山田孝樹ですな」

 山田さん、ごめん!

 あなたじゃないような気がするんだけども僕も一票入れました。

 ああ、しかも大声で強姦殺人という最も酷い罪名を叫ばれている。

 意外なのは香山さんの反応で、あれは多分、山田さんが犯人ではないと――知っているわけじゃないな。信じたいんだ。

 聞こえているか、山田さん。たとえ十二人中十一人が山田さんを疑っても、とりあえず香山さんだけはハッキリと君の味方でいてくれているよ。

 だから、あの、化けて出ないでくださいネ。

「そして本村捜査官の殺害は、これは少し難しいのですが、これまでの経緯からみて連続絞殺犯によるものか、麻薬絡みの犯罪か……正直わたしも迷っております。もしも麻薬絡みの殺人であれば……堀口さん、あなたしかおりませんな」

 ビンゴ。僕は心の中で叫ぶ。

 黒井警部がそこまで断定的に話すとは意外だった。堀口さんの正体を知っているのは、僕と橘さんだけ。他に知っている人間がいたか、黒井警部自身も何かを掴んでいたのか。

 逮捕する! 実に気持ちよさそうに宣言し、警部さんは堀口さんへ手錠をかけた。堀口さんは何かしら言い返すかと思っていたが、大人しくしている。姿勢だけは。なんだろうな、あの不敵な笑みは。捕まっても終わりではないような、そんな顔つきだ。

 ……。一億円鞄。ふと思い出した。僕は橘さんが持ち去ったのかと思っていたけれど……まさか。

「そして本村氏殺害のもう一人の容疑者。これは過去に三人を絞殺した連続絞殺殺人魔であり、山崎氏、山田、田村氏の殺害もこの男の手によってなされました」

 しかし僕の思考を置き去りに、黒井警部はどんどん話を進める。あーあー、そんな手錠したからって気を緩めて、背後の堀口さんから返り討ちにあったらどうするの!

「西原和幸……またの名を松村滋、連続絞殺魔は貴様だッ! よくもこれだけの短期間に七人もの人を殺したものだ。貴様のような奴を死刑台に送れるのは、この黒井にとって生涯の誇りになるだろう。フッフッフッフ……」

 なんだろう、僕も予想は似たようなものなのだけど、黒井警部が得意げになるとなんとも不安になる。

 松村さんは落ちついた表情でいて、感情を読み取れない。それから気になって香山さんを見ると、驚いた表情で布巾を握りしめていた。肩が小さく震えている。どういうことだ?

「やだなあ、黒井さん。僕は絞殺魔なんかじゃないですよ。実は……」

「言い訳は署で聞く。それまでは大人しくしていろ!」

 ノリノリの黒井警部は聞く耳を持たない。問答無用で手錠をかける。実はってなんですか松村さん!もっと早く、さっきの茶飲み時間に話して欲しかった!

 ガシャリ、という金属音に、香山さんはますます身を強張らせている。そりゃ、女の子がこんな場面を見たら怖いに違いない。

 『殺人犯がいるかもしれない』と『間違いなくこの人が殺人犯です』では、まったく違うのだ。

 誰が犯人かも判らない状況で、香山さんを始めオーナー達も、誰を怪しむでなく――怪しんでいたとしても見せないで、最後の最後まで、僕たち宿泊客の世話をしてくれた。

 この山荘では今回が初めてのバイトでありながら、慕っていた先輩に頼りにしていたオーナー夫妻、支えの全てを失ってしまった香山さんには強烈すぎる現実だ。

「理沙くん、私は残念だ。まさか君が夫人を殺そうとは……。しかしどういう理由があるにしろ殺人は許されない。それは君自身が言っていたことだ」

 ――は?

 はぁああああああ?

 そればかりは納得いかない。

 香山さんも、信頼していた黒井警部からそんなことを言われて困惑している。反論するが聞き入れてもらえない。

 彼女の細い手首に無骨な金属が噛みつこうとした瞬間、

「ま、待ってくれ! やめてくれ! その子は犯人なんかじゃない、僕が言ったことはすべてデタラメなんだ、演技なんだよ! 警部さん頼む、僕の話を聞いてくださいッ」

 実に、たいへん実に今更ながら、手錠をかけられた松村さんが叫んだ。

 いわく。

 東京で舞台俳優をしている松村さんは大きなオーディションを控えながら芝居に行き詰まり、役柄として与えられた殺人犯を今回の連続殺人に見立て、「犯人である演技」に取り組んだ、というのだ。

 暗い過去を持つ少女、というのも芝居の設定。

 香山さんは、恐らく松村さんの舞台公演を観たことがあるのだろう。

「役の事で頭がいっぱいで、ついついあんなバカげた演技をしてしまいました。理沙ちゃん、本当にごめん。僕のせいで君にまでこんな……」

「私も思い出しました……。私が観たのはシェークスピアの『夏の夜の出来事』。あなたは村の青年で、出番は少なかったけど、私、感動で涙が止まらなかったの。松村さんの演技、とても素敵でした、輝いていました。それでお覚えていたのだと思います」

「理沙ちゃん……」

 以下略。

 リア充ばくはつすればいいのに!

 松村さんに恋人がいるのは事実らしいので、本当にこの人は爆発すればいいと思う。オーディションに合格してスターダムを駆け上がり多忙を極めてしまえばいい。

 松村さんの演技がどれだけ素晴らしかったかは、僕の彼に対する容疑の掛け方を参照して頂ければ幸いだ言わせんなよ恥ずかしい!

 しかして、告白のタイミングを完璧に間違えた松村さんは、警部さんにコッテリ絞られた。

「しかしそうなると……誰が夫人を殺したんだ? 部屋は密室だったはずだが」

 その時、一人の青年が食堂に入ってきた。齢は三十代半ば。容姿端麗、見るからに高そうなスーツを着込んでいる。

 怜悧な印象で、いかにも「キレ者エリート」という雰囲気だ。

「黒井さん、ちょっといいかい?」

 しかも、この口ぶり。

 彼の名は九条孝彦。長野県警の僅か後から到着した(県警が雪道を開けるのを待っていたらしい)警視庁特別捜査班を率いる警視だそうで、僕達も既に個別で事情聴取を受けていた。

 見るからに叩き上げの黒井警部は彼を苦手としているらしく、登場とともに今までの勢いを消失してしまったようだ。

「田村真奈の死因を教えておこうと思ってね。彼女は自殺だよ」

 ……まさか。

 展開へついていけない状況に、さらなる一石が投じられ、僕の心のスープに浮かんだ泥船は沈没・散開・行方不明となった。

「現場のすぐ上に照明を掛けるフックがあっただろう。真奈夫人は自分で針金を首に回し、端を捩って フックにかけた。ベッドの上に枕や掛布団を置いて台にしたんだろうね」

 あらゆる音は、寝具が吸収した。これで解決。

 針金の被覆についていた塗料がフックのものと一致、これで完璧。

 ――そんな、まさか、こんな。こんな、悪夢のような連続殺人事件の、最後の最後が自殺だって?

 どうして、どうしてだ、真奈さん!

「では、ご主人の亮介氏が殺されたことで生きる望みを失ったのでしょうな……」

「まあそれも当然あるだろう。しかし自殺の理由はそれだけじゃない」

「と言いますと? ……」

「その前に山田のことだが、黒井さん……」

 警察官同士の会話へ、一般人が何を言えたものではない。

 真奈さんが自殺。

 その言葉だけがグルグルと頭の中を回り、僕は会話を音声としてだけ聞きとるしかできなかった。理解まで到達しない。

「彼の携帯に日記があったの知ってるかい?」

「日記……ですか? いや、私が見た限りではそんなものは……」

「……ふっ、黒井さんじゃ見逃しても仕方がないか」

 九条警視は小馬鹿にしたように笑い、

「その日記によると、山田は香山理沙に一目ぼれして彼女を守ろうとしてたんだ。強姦魔なんかじゃない。 彼が食堂あたりをウロウロしていたのは、そこに香山理沙がいることが多かったからだ」

 日記については後で見せよう、九条警視は話を続ける。

「黒井さんは山田が村上梓の殺害犯人だと言ってたが、それは違うね」

 それだけが、ようやく僕の心に届いた。あぁ、やっぱり山田さんは殺人者じゃなかった。自分でさえ出せなかった答え、自分の間違った答えに、安心してしまう。

「それと、山田の身元は照会済みだ。都内の小さな会社でwebデザインやアプリ制作をしていた」

「はあ。しかしそれなら誰が村上梓を殺害したのでしょう。彼女は……」

「鑑識の話だと彼女に乱暴の痕跡はない。つまり着衣の乱れは西原の偽装ってことだ」

「では西原は山崎、村上、山田、田村の四人を殺害した、と」

「いや、違うね。三人だ」

「三人? では西原、堀口の他にも殺人犯がいるということですか?」

「まあ、そういうことだね」

 西原が三人を殺した。堀口さんが本村さんを殺した。真奈さんは自殺だった。

 そして犯人はもう一人。山田さん、松村さんではなかった。もちろん香山さんでもない。とはいえ、橘さんが、とも考えにくいんだが……、

 のろのろと思考を巡らせていると、若い警官が一人、入ってきた。警視庁の上着を纏っている。

「警視、厚生省の係官が早急に尋問したいと堀口の引き渡しを求めています」

「ああ、そうだったな。証拠も出たことだし堀口はもういいだろう。 それにしても国際密輸組織の大物バイヤーがこんなところで捕まるとは。黒井さん、お手柄でしたね」

「ハハハ……突然閃めいたのですよ、我ながら大したものだと思っとります」

 多数決だ。これは絶対、多数決で決めた。

僕はジトリと黒井警部を見るが、もちろん気にする彼ではない。

 堀口さんも気に留めず、最後まで表情を崩さずに食堂を後にした。堀口さんに関しては本心を読めずじまいだったな……。どうか、出所後に報復へ来ませんように。僕が願うのはそれくらいだ。

 国際密輸組織の大物バイヤーなんて、縁が遠すぎる。そんな人間と、現地調達した一般人を取引させるなよ……。取引はもちろん、僕の命は文字通り首の皮一枚で繋がったのだと思い知らされた。


「殺害された麻薬取締官・本村……島崎氏は気の毒だったが彼への手向けにもなります。松村の誤認逮捕は少々勇み足でしたがね」

「いや、松村は……」

「わかっています。しかし彼は無罪放免でよいでしょう。本人も十分反省していますし、あなたも汚点は残したくないはずだ」

 うむ、この九条という男性は、黒井警部の扱いが上手いな……。反論の余地を与えず、それでいて頭も柔らかそうだ。ただのエリートってだけではないのかもしれない。

「はあ……。しかし堀口が麻薬のバイヤーとすると、相手がいるはずですが。それにスペードジャックは本当に存在していたのか……。その辺りが私には皆目わかりません」

 わからないままでいて下さい。お願いします。

「私の任務は連続絞殺魔の西原を逮捕すること。余事には関心はないが……ただ一つだけ、話しておきたいことが」

 そこで警視が言葉を切る。


「今朝方、橘真綾という女子大生が警視庁に出頭して来ました。

話の要旨は三つ、

(一)三日前に重沢スキー場で暴力団風の男たちに襲われたこと(真綾は兄と二人で旅行中だった)。

(二)男たちは真綾を拉致し彼女を人質にして朝霧山荘で行われる麻薬取引の代役を兄に強要したこと。

(三)兄と別れた直後に、真綾をヤクザから救いだし、山荘に向かった謎の二枚目がいたこと。

ところが三日たっても兄から連絡が無く、不安になった真綾が警察に助けを求めたらしい」

 真綾ー!

 僕は目を大きく見開いた。ハハ、と橘さんも小さく笑いを漏らしている。

「私が想像するに、シスコンの兄と二枚目のお助けマンが、……あはは、いや、これは失礼。とにかく橘さん、妹さんが心配している。すぐに連絡をしてあげないさい」

 だめだこりゃ。僕と橘さんは、肩を震わせて必死に笑いを堪えた。いや、ちょっと堪え切れずに涙が出ている。

 ここまで言われて、黒井警部は気付いていないようだった。「橘さん」を真に受けているのかな。そして二枚目を僕に当てはめかねて首を傾げているといったところか、失礼な!

「スペードジャックねえ……、まるで道化師のような奴だな。しかし、もしもこの場にいるなら言っておく。火遊びはほどほどにすることだ。私はお前を監視しているぞ。いいな、怪盗スペードジャック! 次は絶対に許さないぞ! 絶対にだッ!」

 九条警視が叫ぶ。

 沸点を通り越した僕たちは、もうリアクションを取ることができない。まったく状況を把握できていない香山さんと松村さんも置いてけぼりだ。

 思わず静まり返った食堂に、九条さんは居心地悪そうに咳払いをする。

「えーと、それで黒井さん、この写真なんだが……」

「田村オーナーですよね? これが何か?」

「いや、それは西原の写真だよ。ゲーム会社の社員証から焼き増したものだ」

「え? ……えええええーーーーーーーーっっ!!!」



 えええええーーーーーーーーっっ!!!!



「驚くのも無理はないが、西原は田村オーナーを殺害して成りすましていた。そして怯える梓の口を塞ぎ、山田を殺害してその罪を被せた。更に山田の殺害も、たまたま話に出たスペードジャックの犯行に見せかけるよう小細工したわけだ」

 淡々と九条警視は語る。

 黒井警部を含め、一同は放心状態で聞いている。

「西原の着衣から食事時の会話を録音したMPプレイヤーが発見された。黒井さんたちの話はすべて

聞かせてもらったよ。西原は実に頭が良い。彼が如何にして会話を誘導していたかがよくわかった」

 どこか嬉しげに楽しげに、警視は語る。なにが面白いのか僕にはさっぱり分からない。

「村上梓の強姦疑惑、山田氏の変態疑惑、スペードジャックの殺害関与疑惑、すべてオーナー(西原)が言い始めた」

 確かにそうだ。控えめだが、消し難い疑念を与える言葉を、オーナーは常に発していた。

 しかし……改めて言葉にされると酷い疑惑の連発だな。オブラートに包む、ということは大事なのだとこんなところで勉強してしまった。

 『オーナーだから大丈夫』この絶対の安心感は、まず始めに誰もが抱く事で、そこを疑うと何も成り立たなくなってしまう部分がある。

 警部さんも、真っ先に山荘スタッフ全員はシロという大前提で話を進めていたし。それすらも、西原の罠だったとは。

「し、しかし私にはまだ信じらません。田村オーナーは殺された……彼が西原ならいったい誰に」

「オーナー(西原)の体内からは微量の睡眠薬が検出されている。真奈が夕食時に仕込んだ。眠っていれば非力な女でも首は締められる」

「……ど、どういうことなのか私には」

※そして鑑識能力・知識の無い密室の宿泊客たちにもわかりようのないことでした。

「詳しいことは真奈の遺書に記されているが、私から掻い摘んでお話ししよう」

 ――真奈さんの遺書。

 グサリと、ダイレクトな痛みが突き刺さる。それは僕に限った事じゃない。警部さんを含め、この山荘で過ごした全員が、神妙な面持ちとなる。

 自殺だと、すぐにわかった。警視は先に告げていた。それはこういうことだったのだ。


 真奈さんの遺書は、この連続殺人事件のほとんどを裏付ける内容だった。

 真奈さんだからこそ知り得た秘密。決して、生きている間は誰にも打ち明ける事の無かった秘密。

 西原の犯行、そして『ご主人の亮介氏が殺されたことで生きる望みを失った』ことによる、芽生えた感情。つまり、『一般人が心の支えを取り戻せないと知った瞬間に見せる衝動的行動』。真奈さんは、それを支えとしてしまったんだ。

 ――事件のタネ明かし。西原和幸の行動を纏めるとこうだ。

■十五日。午後五時までにスキー場での殺害を終える 

■朝霧山荘に辿りつき、オーナー・田村亮介を殺害したのは午後六時

→納品の際に酒屋の若者が会った「オーナー」は本物。

その後、香山さんを山荘前まで送り届けたが彼は「入れ替わったオーナー」を目にしていない

「午後四時半頃のオーナーのアリバイ」は生前の田村亮介のものであり、

「田村亮介」と初対面であった黒井警部が鵜呑みにしてしまうのも仕方ない……

■亮介の遺体は二号室へ運ぶ。室内の彫像でガラスを割り冷蔵庫状態にして犯行時間の隠蔽工作をした

■今季が山荘で初めてのバイトであるという香山が到着する前に、

西原は真奈夫人、村上梓を拘束・口外しないよう脅しをかける

「明日になれば自分は出てゆく。それまではオーナーのふりをして宿泊客を騙すからお前達も協力しろ」

■これから来る後輩を思い、梓は怯えるしかできない。危険な目に遭わせたくないはずだ

■真奈は違う。恐怖より、良人を奪った西原への怒り、復讐の気持ちの方が勝った。

そのことから、機を伺うために梓へも西原に抵抗せず大人しく従うよう勧めた

■だが西原は思い違いをした。

西原は真奈と一夜を過ごした事で彼女が自分のものになったと勘違いした。

真奈の従順さはその証であろうと考えた。

「他人を愛したことが無い人間は他もそうであろうと勘違いする」

 ハッ、と蔑むように、憐れむように、警視は冷たい言葉で補足する。

「真奈は亮介の亡骸を前にして誓っていた。この男を殺してからあなたの許に行く。遺書にはそう記されてたよ」


 スキー場での事件は、黒井警部の登場により宿泊客達も知るところとなる。

 挙句、雪で山荘は閉ざされた。『明日になれば自分はでてゆく』と、描いたシナリオを完遂できなくなったのだ。

 そこで、仕事で取り組んでいた『ペンションが舞台のゲーム』をなぞらえ、オーナーの演技を続行

する事になる。だが料理に関しては、真奈の手を借りるしかなかった。

 村上梓は不安要因でしかない。頃合いを見て合鍵を使って侵入し、その息を止めることとする。捜査撹乱を狙い、さも暴漢に遭ったように見せかける。

 『夫婦だから』は最強の理由だ。香山も、以前から二人の仲の良さを村上からたくさん聞いている。西原が常に真奈と行動を共にすることへ、誰が疑問を抱こうか。

 そうすることで、真奈が黒井警部へ真相を話そうとする事を防いだ。自分が単独行動する時は、調理場で真奈を縛り上げ猿ぐつわを噛ませていたという。

 その傍ら、厨房から食堂とロビーは見張っていて、獲物が来るのを待っていた。 高嶋がロビーで首を絞められ、山田が食堂で殺害されたのはそういうわけだ。

 追い詰められた真奈は、十七日の夕食時、西原の食器に睡眠薬を入れた。そして事務所でウトウトしだした西原の首に園芸用の針金巻きつけ締め上げた。

 ちょうど同じころ。二階では麻薬の売人、堀口の手によってもう一つの殺人が行われていたのは、

偶然の一致だろう。

「西原は東京で一人、スキー場で二人、この山荘で三人。計六名を殺したところで田村夫人に殺害された。本村(島崎)捜査官は堀口によって絞殺され、最後に田村夫人が自らの始末をつけた……。以上が今回の事件の全容です」

  僕たち宿泊客の誰が、読み解く事ができたであろう。

 全ては真奈さんの胸の内に隠されていた――違う。違う、違う、違う!

 サインはあった。ずっと、SOSを出していた。


 料理だ。


 西原には絶対に真似ができなかった事。真奈さんが生かされていた理由。

『さすがは本場仕込み、いや、さすがですな』

 十七日の夕食はフランス料理なんかじゃなかった。警部さんがそう言うまで誰も何も気に留めず、

それまでの食事を口にしていた。

『田村亮介はフランスで修業をしたシェフだった』『本格的なフレンチは一度も出ていない』『欧州料理を実際に知っている香山さんでなくとも、誰かは気付くはず』

 しかし誰もが気付かず、通り過ぎてしまった。真奈さんの絶望は、そこから芽を伸ばして最悪の花を咲かせてしまったんじゃないか。こんな形で残された真相という名の果実なんて誰の心にもぬくもりなど与えない。やすらぎなど、何一つ。

「た、たかしまくん?」

 松村さんが、ギョッとして僕の背を軽くたたいた。

「あ、すみません、気が…… ゆるんで……あはは、これだからぼくは」

「高嶋さん……、じっとしててください」

 ボロボロと僕の頬を伝う涙を、香山さんが優しくぬぐってくれる。さっきまで食器を拭いていた布巾だよね、それ。そう思うと、今度は笑いがこみあげてくる。

 泣いて、笑って、感情にごまかしがきかない状況には覚えがある。娯楽室で警部さんとゲームをしていた時だ。あの時は、清掃に来た香山さんを妹の真綾に重ねて泣きそうになっていた。


 助けることが、出来た命だったのかもしれなかった。

 ほんとうに、あと、ほんのすこしのことだったんだ。

 真奈さんのSOSは、きっと、そこかしこに散らされていた。


 僕が泣いてしまったせいで、誰も涙を流せない状況となる。気まずい。

 いや、黒井警部は長話に飽きてきているのか。そ、それはあんまりだ!

 黒井警部や僕たち宿泊客達の雰囲気を察し、九条警視も肩をすくめた。

「いや、私もちょっと饒舌すぎました。皆も疲れただろうし、そろそろお開きにしましょうか。じゃ、私はお先に失礼する。東京に来られたら声をかけてください。一緒に酒でも飲みましょう」

 最後の言葉は黒井警部さんに向けられた。

「あ、はあ……」

 警部さんは、ぼやけた返事をして名探偵然としたエリート警視を見送った。

 ――そろそろ職を変えるかなあ……。退職金で小さな本屋でも始めて……老後はのんびり暮らしたいなあ。

 聞こえてる。警部さん、心の声がダダ漏れです。

 僕たちは顔を見合わせて、そうして笑った。


「これから、どうするんだい?」

 切り出したのは、橘さんだった。

「私は……山荘の事件が落ち着いたら、一度、実家へ帰ります。きっと、パパにも事件は伝わると思うから」

 とんだ、ひと冬の冒険だったが……疎遠になりがちだという父娘の、わずかでも架け橋になることを僕は願う。

「僕は、とにかくオーディションですね……。推理については大外れもいいところでしたから、刑事役は向いていないかも。悪役専門の役者を目指すのも悪くないですね」

「松村さん、それ笑えませんから」

 僕なんて、完全に松村さんを疑っていたんだから。相当な演技力、舞台度胸があると思います。

 そして、やっぱり黒井警部は皆の犯人推測を基にしていたんだなぁ……

「はは。高嶋君は?」

「僕は、そうですね……ギターを取り戻そうと思います」

「え、まだ探してるの」

「いいえ、そうじゃなくて。あ、ねぇ、警部さん」

「そうだな、推理小説をたくさん集めた…… うむ、どうしましたかな、高嶋君」

「歌いませんか。娯楽室から、ギター持ってきます」

「おぉ。そういえば、そんな話をしていましたね」

「約束でしたから」

 事件が解決したら――……


『おにいちゃん、ねぇ、うたって!』


 いつだって、どこにいたって、僕の背を押し、心の傷を抉っては元気づけてくれる妹の声が聞こえた。

 その声のお陰で、僕は進み続けることができた。涙を落しても、前を向いて、なんとか生き残った。

 僕はギターを弾く。へたくそなギター。へたくそな歌。妹のお気に入り。我が家の定番の曲。

 そこへ警部さんがご機嫌に乗る。

 笑う。

 皆が笑う。

 一緒に聞いて欲しかった人はここに居ないけれど、愛しい人の傍へ行った今、届いているだろうか。



 僕は歌おう、命の限り。

 この山荘を後にしても、星たちの間に眠っているだろう命を思い、北の空へ向けて。





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