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第五章 暗転

 連日降り続いた雪は山荘の一階部分をすっかりと埋めてしまっている。

 二階の窓からカケラだけ姿を見せた空は、ここからじゃ隙間さえ拝めない。

 重苦しい空気の上にはあらゆる思惑を越えて等しく陽の光が降り注ぎ、青い空が広がっているだろうに、山荘に閉じ込められた僕達には知ることができない。

 わかってる。

 暗く、重く感じるのは雪のせい。

 わかってる。

 降り積もる雪を止める術がないように、過ぎ去る時間を取り戻す術もない。

 わかってる。

 生きている人間がここに居て、死んでしまった人間はここには居ない。

 真奈さんが居ない。

 暖房をつけているのに、冷えた空気がなかなか暖まらない。



 一月十八日、午後十二時二十五分。

「黒井警部。夫人が亡くなったってどういうことですか! 夫人はあなたと香山さんで見守っていたハズでしょう。どういうことなのかちゃんと説明してください!」

 詰め寄る僕に、黒井警部が気圧されて「はぁ、」と後ずさる。周囲も、もたらされた事実よりも僕の声に驚いているようだった。

 叫んだ自分が、一番驚いている。

 真奈さんが遺体で発見された。

 香山さんが付き添っていたはずの私室で。

 針金のような、道具を使った絞殺だ。

 何もかもが今更で、どうしようもないことだった。

 ようやく、自分の感情にはっきりとした名前が見つかった。

 今更、どうしようもないことだった。

 黒井警部。香山理沙。高嶋篤哉。松村滋。橘潤一郎。堀口瑞人。

 広々とした食堂に、六人の生存者。

 山崎和夫。村上梓。山田孝樹。本村和樹。田村亮介。田村真奈。

 この山荘で起きた殺人事件の、六人の被害者。

 たった一人と限ったわけではない殺人犯が、この中に居る。あるいは人の命を奪い、自らも命を落とした者が二階に居るかもしれない。

 犯人は、腹の中で笑っているのだろうか。誰もが他人の様子をうかがいながら、決定的な感情は見せない。


 事件は、わずかな隙をついて起きた。午前十一時半から午前十一時五十分頃、わずか二十分程度のことだった。

 何も口にしていない真奈さんを気遣い、香山さんが調理室へと向かった。

 その間、黒井警部は部屋の前につきっきりで見張っていたという。眠る人妻の部屋に入るのは忍びないと付け足して。

 そうして、香山さんが戻ると――。

「真奈さんはベッドの横にうつ伏せで倒れ……首には緑色ゴム被覆の針金が巻き付けられていました。 これはオーナーが園芸用に使われていたもののようで、同じものが事務室の棚にもありました」

 黒井警部の証言も、上の空で僕の頭を通過していく。僕は、そんな話を聞きたいんじゃない。

「山崎さん、山田さん、田村オーナーが殺害されたのも、おそらくこの針金によるものと思われます。

真奈夫人の傍には枕や掛布団が散乱し、また針金の両端はクルクルと巻かれた跡がありました。恐らく犯人は、針金の両端を捩じってワッカ状にして首を絞めたか、それとも滑らないように 両端にドライバーのようなものを巻き付け、テコにして使ったか……詳しいことは鑑識が来ればわかるでしょう」

 こんな状況で、人妻がどうのといってられるか。容疑者がどうのと言っている場合か。無理やりにでも全員を招集するなり対応すればよかったんだ。

 あと、ほんのちょっと待っていれば、助かる命だったのに!

「犯人は窓から侵入したか……それとも……」

 『自分はしっかり見張っていたのに、何故だろう』密室だから完璧だとか、犯人は誰だろうとか、そういう問題じゃない。首を捻る黒井警部を殴り飛ばしたくなるのを、僕は必死に堪える。

 香山さんに対しどこか甘い黒井警部を恨むのは完全な八つ当たりだと解ってる。でも、じゃあ、どうすれば!


「あははははははははぁ」


 拳を握りしめる僕の傍で、冷えた空気を切り裂く異質な声が響いた。

松村さんだ。頬杖を突きながら黒井警部を見据えている。

「黒井さん、いい加減にしてくれないかなあ。 それでよく警部なんてやってられるね。長野県警には人材がないのかい?」

 よく言った。いや違う。違う、松村さんの雰囲気が今までと……。僕も毒気を抜かれ、体ごと松村さんへ向き直った。

 まるで抜き身の刃物を手にした狂人のような表情で、松村さんは笑い、話した。

 今までの、健康的で爽やかな印象が急転する。

 ま、まつむらさんがこわれた……?

 無能呼ばわりを受けてムッとする黒井警部、

 突然の異変に脅える香山さん、

 唖然とする庶民の僕、

 静観を決め込む裏世界の住人・堀口さん、

 愉快な事でも起きるのだろうかと腕組みをしている怪盗の橘さん(仮に僕が警部さんを殴ろうが、松村さんがナイフを持ち出して警部さんを刺そうが、止めるつもりはないと見た)。

「窓から入るったって、この雪だぜ。二階まで埋もれてるってのにどうして侵入できるんだ?」

「いや、私は可能性の一つとして言ってみただけだ。調べてみないと分からないが、天井裏や隣室、ジムとの間にドアがあるのかも知れない。ここは三年前に改造されている。 改造前にあったドアが今は壁紙などで隠されているのかも知れないだろう」

 いずれにしてもドアからは侵入していない、犯人は別の方法を使ったとしか考えられない。黒井警部の主張を、松村さんは鼻で笑い飛ばした。

「フッ、あんたはそのお嬢ちゃんが人殺しでないと勝手に思い込んでいるみたいだが、 まったくお笑い草だな」

 ビクリ、と香山さんの肩が震えるのを僕は見た。……どういうことだろうか。

「渋谷あたりを歩いてみなよ。見た目はいかにも生娘っていうガキが、 あんたみたいな田舎モンのオッサンをカモにしてたんまり稼いでいるぜ。あんたはこの理沙って小娘が本物のお嬢って思ってるだろ」

 真奈さんが殺害された状況、密室を巡っての問答の後、松村さんは意外な方向へ話題を移した。

 そういえば、香山さんが高校生の頃に松村さんを見かけた気がすると言っていたか。松村さんは演劇の経験があることからその時期だろうか、と答えていた。時期が合わないな、と首を傾げており、明確な回答は出なかったっけ。

 そんな、香山さんの正体?

 松村さんの本心が読めず、話を聞くしかない、が――

「なら教えてやろうか。ほら、昨日この娘が言ってだろう。俺とどこかで会ってないかと。 ああ、会ったことはあるさ。あの時は適当にごまかしてやったが、俺ははっきり覚えているぜ。この娘は裏の名をミーナって言ってな、渋谷では有名なデート嬢だ」

「松村さん、冗談ですよね? それとも人違いをされているのですか? デート嬢ってなんですか? 私には仰っている意味がわかりません……」

 香山さんが、震える声で会話に入る。

「ほら、その表情。何にも知らないウブな小娘って感じ。幻想のロリータ嬢さ」

 松村さんの態度は変わらない。けど、僕はここで違和を覚える。

 そんな、進んで知られたいはずがない事情を、記憶がおぼろげだからと香山さんが口にするだろうか?

 それに……「人殺し」という単語に反応した、香山さん……。香山さんが真奈さんを手に掛けただなんて思えない、だけど……それも、妙にひっかかった。この一件での殺人容疑とは、無関係の条件反射のように思えたのだ。条件……何に対してだろう。

「もういい。そこらにしておけ。キミの性悪さはわかったが人を傷つけて何が楽しい?」

「ふっ、信じないのはあんたの勝手だが、それなら一つ説明してくれるかなー」

 香山さんを庇うように立ちふさがり、黒井警部は松村さんに顔を突き合わせる。

「密室殺人ってのは小説の中だけだと思っていたが、本当に存在するのかい?」

「さあな、私はよく知らないが」

「よく考えてみなよ。あんたが真奈を見たのは昨夜が最後で、それから後はずっと理沙が 一緒だったんだろ? それで昼前の少しだけ部屋を出て、その間あんたが見張っていたんだよな?」

「そういうことになるな」

「じゃあ密室殺人だよな? 理沙が真奈を殺してないなら」

 なにを馬鹿な、

 場に衝撃が走る。香山さんが、真奈さんを……?

 状況は可能だとしても、動機など見当たらない。

「言っただろ。俺は昔の香山理沙を知ってるってな。理沙……ミーナは、二年前に渋谷の街から姿を消した。全てを忘れて人生をやり直すって噂だった。大学進学資格試験を受けてどこかの国立大学に受かったっていうから、よほど努力したんだろうよ」

 狂人いわく、香山さんには隠したい過去がある。忘れたい過去だった。

 それを知る客――山崎が現われる。香山さんにとって、その口を封じるほどに忌まわしい過去だった。

 誰かを殺せばそれを目撃する人間が居る。あるいは同じような過去を知る人物が現われる。

 消しても消しても、自分が現在を生きる以上、その足跡を消し去ることはできない。

 降り続ける雪を払っても払っても、積もる事は止められない。同じように、香山さんは罪を重ねてゆく。

 黒井警部が真奈さんの眠る部屋へ入っていない以上、真奈さんを殺すことができたのは香山さんしかいない。

 部屋が、密室である以上……。


 狂人の語りは跳躍、飛躍、更に跳び、

「あれ、皆さんどうしたんですか? また事件が起きたのですか?」

夢オチに帰結した。

 松村さんの表情はいつも通り穏やかだ。

「僕は……居眠りしていたのかな? なんか夢を見ていた気がするけど……」

 ……ダイナミックな寝言だった。

 悪霊映画のラストのような目覚め方をした松村さんが、キョロキョロと周囲を見渡す。

 誰も答えることはできなかった。

 僕は、香山さんが気になって、ふと視線を動かした。

 彼女は放心したような面持ちで食堂の隅に立ち尽くし、はらはらと涙を落している。その涙の意味は、誰にもわからない。

 皆が言葉を失う中、黒井警部が派手に咳払いをする。

「……とりあえず皆さんにはいつも通りお話願いたい。午後にはこの呪いの山荘からも解放されるでしょう。それまでに私の手で犯人を逮捕するつもりです。皆さんにも、ぜひご協力願いたいものですな」

 呪い、か。

 そうとでも思った方が、幾分か気が楽だろう。

 冷静に、ならないと。

 せめて、正しく犯人が逮捕されること。それくらいしか、僕が真奈さんの為にできることはない。

 僕が激昂して警部さんへ掴みかかったことも、松村さんのインパクトに比べれば可愛いものだ。

 そして僕は庶民の皮を被る。いや、「庶民」なのは動かしようのない事実だけれど。

 真奈さんへ感情を動かした事や、探し物がギターではない事を知られてはいけない。

「……松村さん。大丈夫ですよ、なかなか……凄い寝言でした」 

 緊張で声が震える。怯えているように見えるだろうか。

「呪われているのか……仕組まれていたのか、偶然の産物なのか。僕にはもう、なんのことだかよくわからなくなってきました。とりあえず憶測を飛ばし合うより、互いの身に起きた、確実なことを話すことが第一ですね」

 実はこの山荘では二十年前に惨劇が、生き残りが復讐の為に、なんて話を持って来られたら、僕達の二日間は本当にワケのわからないものになってしまう。

 僕たちなりに、納得のいく結論を導きたいものだ。

『天井裏で見た物を食堂で全員に話せ』

 メッセージの意図を読み解けないまま、僕は愚直に遂行する。

「とんでもないものを見つけてしまいました。見て……しまいました。そりゃスペードジャックも盗みますよね。僕が手にしていたのは、ギターだったのか最初から札束だったのか。それすらもわからなくなりました……。あの状態で、とても娯楽室に戻る気分にはなれませんでした。僕は正直、こうして食堂へ来るのも怖かった」

 娯楽室の中抜けからの一連の行動を伝える。嘘は挟まない。

 自分なりの推測はあった。

 天井裏は山荘内全ての部屋・施設の出入り口なっているのではないだろうか。そう僕は考えたのだ。

 一階は、天井。二階は、床下。その場所を知る人物は、防音仕様になっているジムからどこへでも入りこめる。鍵を持たなくたって。

 だから、山荘内に「密室」などあり得ない。合い鍵を入手する必要も、解錠のための道具もいらない。

 必要なのは、朝霧山荘に関する知識だ。

 それを、一般客であるハズの堀口さんが利用していた(麻薬取引に使う場所だから、念入りな下調べがあって不自然は無い。しかも、ジムは皮肉にも僕の部屋の真下!)。そして、堀口さんの行動自体は理解できなくても目撃した人物がいて、僕へメッセージを投げた。

 誰に怪しまれることもなく山荘内を『調べる』ことができ、偶然を装って『発言』が可能な、僕へ。

「高嶋さん、それはただならぬことですぞ。それであなたは現金をそのまま放置しておいたと言われるのですか? こりゃいかん」

 アレ?

「今から行って確かめて来ます。皆さんこの場で待っていてください!」

 うん?


(十分経過)


「ジムの天井裏を見てみましたが、それらしきものは何もありませんでしたよ。高嶋さん、夢でも見ておられたのではないですか?」

 ――色々、失敗した。

「僕の後に誰かジムへ向かったのかもしれません。鞄を持ち去った人物がいるのなら、鞄の所在を始めから知っていた人ですね」

 同じメモを見た橘さん(恩人なのにすみません)、所有者である堀口さんへ話を振る。堀口さんに命を狙われようが、救助・警察の応援部隊が到着してしまえばチャラだ!

「天井裏なんて、普段は使うことがない場所でしょう。埃が溜まっていませんでしたか、警部さん。不自然に綺麗になっていたり……」

「とは言いましてもなぁ、あそこは点検口でしたぞ」

 スペースがあったり埃がたまっていたり人の手が触れた形跡があったところで不自然ではない。

 僕の予想・希望はバサッと切られた。せ、せめてもう一度、確認に行ってくれたっていいじゃないか!

 喰い下がろうかというところで、落ち着きを完全に取り戻した松村さんが、ザクリと発言した。

「なんだ、結局無いのか。僕が言うのもなんだけど、高嶋さん、虚言癖とか持ってないですよね? 持病とかあったりします?」

「きょっ? まぁ……虚言癖があったり二重人格だったり隠された過去や見せられない顔があったりしたとして、それが事実か保身のための繕いかは……誰にもわからないですよね」

 つい先ほどまで一人エクソシストしてた人に言われたくない。

 反射的にムッとしたけれど、嘘に嘘を重ねた証言を続けている事は僕に限った事じゃない。僕は誤魔化して丸く収めようとした。

「……確かに虚言癖があると言っても、それが本当かは分からないね。失礼なことを言った。謝るよ」

 謝ってない、謝ってない。虚言癖疑惑の撤回と謝罪を要求したい。

 しかし松村さんはそれ以上、会話を続けるつもりはないらしく、いつも通りに簡潔な証言を述べる。

「じゃあ、僕の午前中の行動だ。高嶋さんが話していた通り、最初は三人で娯楽室にいました。その後、高嶋さんが席を立ったので、僕も自室に戻りました」

 ということは、堀口さん一人でトトロ観てたの? 一人になったから? ……。そこは黙っておこう。

「松村さん、気分が良くなられたのなら一つお聞きしたい。時間はよく覚えていませんが十一時前後にジムの周辺であなたをお見かけした気がするのです」

 そこへ、黒井警部が意外な一言を放った。

 午前十一時前後、ジム周辺。僕が天井裏を覗いて落ちて、片づけて立ち去ってから、そう間もない頃か……。

 僕の見事な転落劇を見ていたか、僕の後にあの天井裏を『使用』した、か……。

 そうだ。いつだったか、松村さんは僕を無害な人物であると認めた上で、ジムへ誘った事があったな。取引を終えた後だったので、部屋から離れるのを嫌った僕が遠回しに断った。

 それから、ジムを避けようとする堀口さんに、あのメモ……。

 松村さんも、ジムに関する何かを知っている? 知っていて、僕がジムから飛び出した後も、あの辺りに……?

 黒井警部からの問いへ、見間違いではないかと返すものの、本人だったと松村さんは押し切られ、首を傾げている。

 松村さんは部屋に居たと言い張るが、先程の豹変ぶりを見てしまうと二重人格だの狐憑き、幻覚だの、僕も変な方向へ考えてしま…… 幻覚? ストレス、――西原和幸!

 辿りついた答えに驚いた。

 山田さん以外に疑える人物も居なかったので、そのままにしてしまっていたが。

 まさか、まさか……!

「ああ、それとこれもお話しておいた方が良いですね。本村捜査官の私室を調べたところ……」

 が、警部さんのもたらした情報は、黒ひげ危機一髪の一刺しであった。

「覚せい剤と思われる袋が大量に入っている鞄と、スペードJのカードを発見しました」

 なぜ、僕が飛び上がるのを堪え、橘さんは神妙な面持ちで腕を組んだままなのか。

「この調子だと、高嶋さんが見たという大金もどっかにあるんじゃないですか?」

 ありがとう、松村さんありがとう。

「警部さん、そのカードの裏は……何色ですか?」

「ああ、カードの裏は黒でしたよ」

「僕の鞄が盗まれた時も、黒のカードでした。今回も黒、そして山田さんは赤のカード……。殺しと盗みは、別の人物ということになるんでしょうか」

 『盗み』のカードと『殺し』のカード。色で分けられているのなら、何らかの意図を読み解く事もできよう。

 僕のギター盗難は、麻薬取引を暴くの為のブービートラップだと考えられる。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、高嶋さん。ということは、あなたが盗まれた鞄に麻薬が入っていたということでしょう。じゃ、あなたが麻薬の売人? あなたが本村捜査官を手にかけたのではっ?」

「うわビックリした! そんな危ないものを持ってやらかしてここで告白する人間が居ますか! それでよく警部なんてやってられますね。長野県警には人材がないんですか! 松村さんの言葉をお借りしました!」


※自爆


「その慌てふためくところが余計に怪しいですぞ。もしもスペードジャックが間違ってギターを盗んだのなら、麻薬鞄の件を見てもわかるように、あなたに返却するのではありませんか?」

「それはスペードジャックに聞いてください。僕だって知りたいですよ……」

「貴様は警察を舐めとるのか! そんな言い訳が通用するとホントに思っているのか! さあ吐け! 何もかもブチまけてしまえッ! さあ、正直に話せばカツドンを食わせてやるからな。お前の父さんや母さんは泣いているぞ」

「うっうっ 父さん、母さん……」

 そして暴発しているんですが、誰か止めてくれませんか。

 本気で熱くなっているのは黒井警部だけで、周囲は止めるでなく小芝居を眺めている。間をとって、僕は質問へ質問を返す形でなんとか炎上を終わらせる。

「お父さん、いや違った警部さん。現段階で、僕の身が潔癖であると証明する理屈は無いですね。ただ……麻薬の売り手が居るのなら、買い手もまたこの席にいるのではないでしょうか」

 怪盗スペードジャックも麻薬取引の売り手も買い手も、僕は知っている。僕が知っている事を、それぞれも知っている。しかしここで反応を間違えれば己の正体を明かしかねない。場馴れしている二人なら、その心配はないだろう。

 そして僕は天下の庶民だ。高嶋篤哉・本名を橘祐樹、二十九歳。背景はない!

「仮に本村さんが麻薬の取引現場をおさえるために山荘にやってきたとして、それは一体誰と誰の取引だったのか……正直、ここに生きている人の中に居るとは限りませんからねェ……」

 堀口さんは実に非道である。それでこそ、と思った。

「念のため聞いておきますが、黒井警部、本村さんの身分証明書はホンモノなんですかね?」

「な、なるほど! 松村さん素晴らしいですな。確かに本村氏が本物の麻薬捜査官であるかどうかはわかりません」

 そこを混ぜっ返すのか、松村さん。

 黒井警部の興味の矛先が変わって有難いが、取引に関することを把握している僕には怪しく見えて仕方がない。

 売り手、買い手、怪盗、捜査官。とりあえず、七人の宿泊客にこの四人が潜り込んでいた。あとの三人……山崎さん、山田さん、そして唯一生き残っている松村さん。彼らにも、人には話せない事情があったというのだろうか。

 それはともかく、僕の発言は軽んじて松村さんには耳を貸す黒井警部に納得いかないのだが。

「十五日に殺された男性が本物の麻薬捜査官なんて、可能性もあるわけですね」

 松村さんが、どんどん想像を展開させる。いちいち、黒井警部が頷き考慮していく。僕と堀口さんは軽く視線を交わし、無言で逸らす。

 松村滋、あんたは何が目的なんだ? 何を握っているんだ。

「ちょ、ちょっとみなさん、いいですか……? ハハハ……」

 そんな状況へ、橘さんが一石投じた。

「『あの人も偽物かも』『この人の言ったことも嘘かも』と言い出したらキリがないと思うんですよ。それこそ『黒井警部って本物の刑事さんなんですか?』ということも言えますしね」

 冗談ですと両手を挙げながら、橘さんは一発芸のテーブルクロス引きのように、今までのやり取り全てを引っこ抜く。推理の根底がスコンと無くなってしまう。見事。

「いやー、申し訳ない。刑事と言う職業柄、ついつい他人を疑ってしまうんですなあ。ああ、言っておきますが私はホンモノの刑事ですよ。証明はできませんけどね。ハハハ……」

 一時は理沙くんまで疑ってしまいましたから、あんなに素直で良い子なのに……。

 黒井警部の言葉に、場は白々しい空気に包まれた。

 ……と、そこで、視界の端で香山さんが食堂から出て行くのが見えた。

 どうしたんだろう、松村さんに酷い事を言われていたからなぁ……。

 生きている人間は、ここにしかいないから、一人になって危険ということは無いだろう……。トイレかもしれない。ここで香山さんの行方に関して口にするのは場違いかな?

「私はずっと娯楽室に居ましたよ。橘さんは何やらお忙しいようで最初からいませんでしたね。残りのお二人も暫くしてそそくさと出て行きました。嫌な予感はしていましたが、今度はご夫人殺害に麻薬に一億円? 全く、退屈のしない休暇で涙が止まりませんね」

 話を本筋へ戻すべく、堀口さんが発言をする。


「松村さんはさすが元演劇部ですね。見事な演技だと感心しましたよ。まあそれはともかく、香山さんしか殺す機会がなかったというのなら、まずは彼女を疑うのが筋でしょうね。忍者屋敷でもそうそう隠し扉なんてありませんよ」

 そして血も涙もない推論だな? さすが堀口さん……

 どんな仕組みであれ、僕は狂人状態の松村さんの言葉が全て事実だとは思っていない。

 まぁ、全てが演技ではないにしろ、松村さんと香山さんには人に明かせない何かしらの接点はあるんだろうな。

 状況だけで行けば、香山さんに容疑が集まるのは仕方ないかもしれないけど……本格的な捜査で真相が解明されればいいと思う。それまで、彼女は辛い思いをするだろうな……

 僕が香山さんの事を考えている間に、警部さんが橘さんのアリバイ確認をしていた。あぁ、どさくさに紛れて自分の事は何も話していなかったな、あの人。

 午前中は誰にも姿を見せなかったけれど、本村さんの部屋へ麻薬鞄を置いたり(実に見事な始末だ)、報酬として現金鞄を持ち去ったりしていたんじゃないだろうか。

 今思えば、鞄を見つけた時に橘さんへ持っていけばよかったのかもしれない。

 怪盗スペードジャックは悪の組織から金を奪い、困っている人々へ分け与える。成功報酬は現金なのだ。決して慈善事業で僕を助けに来たわけじゃない。

 こんな時の、己の庶民っぷりがホント情けないなぁ……

 ともかく。迷走が多かった気もするけれど、これで。

「殺人に関しては誰ひとり、決定的な動機もアリバイも確認できず、ということですね。単独だったのか複数だったのか……犯人が全員生きているのか…… それすらも」

 残念ながら、「全く解らない」それが確固たる事実であった。

 ……と、いうことにして、もう間もなく到着するであろう救出部隊を待つ事になった。

 お客様の中に、名探偵がいることは珍しいのだ。事実は小説より奇なりだが、現実は日常でありふれている。



 僕の非日常も、恐らくはもう少しで終わるはずだ。

 恐怖、恐怖、恐怖、それから不安と怒りと悲しみと、取り戻した夢に、誰に明かすことのない小さな恋。猛吹雪のような怒涛の感情も、降り積もり、今はシンとしている。

 目の端に、じわりと涙が浮かぶ。こんな時まで僕は庶民だ。

 まばたきで誤魔化して、誰かに見られていないかとチラリと視線を巡らす。

 橘さんが、こちらを見ていた。そして、ウィンクを一つ。まったく意味が解らない。

 あはは、と思わず笑った僕へ、何事かと黒井警部が振りむいた。

「お茶、淹れなおしてきますよ」

 僕は席を立つ。すっかりお茶係になってしまった。香山さんもいつの間にか戻り、しかし言葉少なに席に着いていた。





 黒井警部。香山理沙。高嶋篤哉。松村滋。橘潤一郎。堀口瑞人。

 広々とした食堂に、六人の生存者。

 お茶を注ぎながら、それぞれの名を頭に浮かべる。

 さぁ、この中で、殺人犯は誰か。


 山崎和夫。村上梓。山田孝樹。本村和樹。田村亮介。田村真奈。

 この山荘で起きた殺人事件の、六人の被害者。

 この中にも、加害者はいるのか。

 救援の到着まで、あとわずか。

 もう少しだけ、考えてみようか。



■最終推理結果 (被害者=加害者)

 山崎=松村

 村上=山田

 山田=松村

 オーナー=松村

 本村=堀口

 真奈=松村 


■西原和幸と連続絞殺魔は別人→黒井警部による、根底からの情報撹乱ではないかと思われる。

 全ての事件を西原による犯行と考えると無理が生じるからだ。

■西原和幸=山田孝樹 ゲレンデでの二件、村上梓殺害(動機を見つけられないが、他にアリバイの無い容疑者がいなかった為、消去法)

■絞殺魔=松村滋 理沙とは過去に面識あり。全ての殺人は理沙の周辺に関するもので、絞殺魔の話を聞いて模倣犯を思いついた。

理沙を想っての犯行だが、理沙自身は気付いていない。

山田殺害の際のカードは、理沙がスペードジャックに憧れていると知って。しかし逆に悲しませたので以降は止めた。

■本村殺害犯=堀口、は捜査官であることが堀口にバレたため。(入浴時に、身分証明書も見られたか)


松村さんの正体が最後まで気になっていたけれど、香山さんと何かしら接点がある事だけはうかがえた。

自らを窮地に追いやるような発言をするとも思えないが、まるきりの嘘をここで話す理由もわからない。


 ……村上さんの件だけが、どうしてもわからなかった。松村さんを犯人とするには目撃情報が多すぎる。如何せん、僕もその一人だ。

 そうして山田さんが村上さん殺害に至った経緯を考えると、「ついカッとなった」というものではなかろうか。

 既に三人を手に掛け、大人しくしようとしていたのに、この女……! というスイッチは「西原和幸」のものであり、過労から感情が振り切れやすくなっていたのでは、と考える。




 下手な考え、休むに似たり。

 纏めた推理が、どれだけ当たっているものか。僕は心の中で、舌を出す。

 しかし皆さん、僕がお茶を淹れても何の疑いもなく口にするなぁ。

 こうして背を向けている間に、眠るように死ぬ薬を盛り込むとか、思わないのかな。

 絞殺事件が連続しているからといって、それしかありえないと思いこむのはどうだろう。

 ひとをころす方法なんて、幾通りもあるのにさ。



 雪の壁を越えて遠く遠く、サイレンの音が聞こえる。

 とんだ虹と雪のバラードが響いてくる。

 幾日かぶりに目にする、太陽の真下へと導くカウントダウンだった。





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