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第一章 日常喪失

 昼食は、朝と同じ配置で摂った。やはり男六人。誰も増えていない、減ってもいない。

 ロビーでは村上さんが声をかけてくれて、食堂では美少女が忙しく立ち回っている。オーナーと奥さんは調理室に籠りきりで顔を見せる余裕はないようだ。

 宿泊客達とも挨拶程度で特に会話もなく――調理場側・斜め向かいの男前が色々とおしゃべりしていたけれど――、そんな中で僕が「暗号」のタイミングを計っている頃。

 休憩の時間なのか、村上さんが食堂にやってきて、それから遅れて一人の男が入ってきた。

 見慣れない姿に、全員が自然と食堂の入口へ視線を動かす。

 男もまた、そこで足を止め、僕たちをゆっくりと見回した。その男は年にして五十代半ば頃、髭面でガッシリとした体躯、くたびれたトレンチコート。一般人ではないと一目でわかる。

「食事の直後で申し訳ありませんが……」

 いかつい容姿と裏腹に、丁寧な口調で男は語り出した。

 一月十六日、午後十二時五十分。

 現実は静かに、時を刻んでいる。



「私は黒井、長野県警所属の警部です。お見知りおきを。突然の事で驚かれると思いますが、まずは皆さんに事件のあらましをきいて頂きたい」

 警部。事件。まさか。取引の件がバレた?

 僕の顔がこわばる。が、物騒な言葉に他の客らも身体を固くしていて、僕だけは不審に思われるという様子は無い。

「事件は重沢スキー場のゲレンデで昨日起こりました。午後四時頃でしょうか。コースから少し外れた杉並木で 中年の男性スキー客が絞殺死体で発見されました」

 ん?

「またその直後に二人目の被害者……これは女子学生でしたが……遺体が発見されました。一人目の男性はロープのようなもので、女性は直接、人の手によって絞殺されておりましたが、 我々は同一犯と断定しました」

 んんん?

「それで大がかりな捜索を開始したのですが、直後に雪が降り始めたこともあり、現場での捜索は難航しました。夜を徹して周辺の捜索や山狩りを断行したのですが、折からの猛吹雪で視界は零となり、犯人にしても野外では凍死を免れないだろうということで、翌朝からは周辺のホテルやロッジを捜索

することにしたのです」

 えぇと。どういうことだ。展開について行けない。

 とりあえず、僕が巻き込まれている「事件」とは無関係、ということかな。

 女子学生の絞殺、という響きに生きた心地がしなくなる。もしや真綾が、いやそんなわけが、

「私、黒井がこのペンションを訪れたのは午前十一時三十分。すでに外は大雪でたどり着くのにも苦労したのですが、今では扉の開閉もままならず、この吹雪が収まるまでは、好むと好まざるとに関わらず誰一人としてこの建物から出ることはかないません」

 ……うん?

「そういう事情ですから私はあえて、本来は話せないようなことでも お話しすることに決めました」

 ちょっとまって、話が見えない。いやあの、見たくない。

「ハッキリと申し上げます。この場所に昨日の連続絞殺犯がいると私は確信します」

 その言葉に、僕の顔から血の気が引いた。

「なぜなら三人目の絞殺がこのペンション内で行われたからです、それもほんの数時間前に……」

 食堂内の、誰もが動けずにいる。

 村上さんと美少女は互いの震える肩を抱き合い、オーナーが奥さんの白い手を強く握りしめている。

 宿泊客の野郎どもにそんな行動が取れるはずもなく、各々が必死に自身の理性にしがみついている。

「オーナーからお聞きしたところ、昨日は日曜日でもあり、それまでの宿泊客は正午までに全員がチェックアウトされ、午後は従業員全員で客室の清掃をして、夕刻から七人の宿泊客を迎えたとのことです。」

 ……それは、つまり?

「つまり、ここにおられる六名の方と、もう一人の宿泊客、……山崎和夫という方がおられました」

 ヤマザキカズオ。もちろん聞き覚えなどない。それどころか、現在の宿泊客達の名さえ、僕らは互いに知らない。知る必要もなかったのだから。

「山崎氏は午後十時過ぎにチェックインされたのですが、身体が冷えて風邪を引いたようだと申され、オーナーから風邪薬を受け取り自室で休まれました。翌日、朝食に顔を見せられないので心配したオーナーが午前十時ごろに部屋を訪問したところ、山崎氏はいびきをかいてよくお休みのようでした」

 確認するように、黒井警部がオーナーの顔を見る。オーナーは、人好きのする笑顔を潜ませ、真剣な表情で頷きを返した。

「しかし私が訪問して殺人犯の話をしたことでオーナーは不安になり、再度山崎氏の部屋を訪れました。そして……遺体を発見されました」

 誰のとかどのようにとか何故だとか、浮かんでは形にできない疑問と憤りで誰もが身動きをとれない。

 黒井警部の野太い声だけが淡々と続いてゆく。

「オーナーの叫び声を聞いて私も急行したのですが、山崎氏はベッドにうつ伏せてすでに冷たくなっていて、首には細いハリガネのようなもので絞められた痕がありました。連続絞殺魔の犯行であることはほぼ間違いないと思われます」

 どうして。どうして。どうして。

 こんな時に、こんな場所で! とんでもない事件が、二つも重なる? こんな偶然、嬉しくない!

 真綾は無事なのだろうか。けれど、うかつに口を挟むと更なる面倒な事が起きかねない。警部の話を聞くことが先だ。

 僕は歯を食いしばりすぎて、頭が痛くなってきた。

「山崎さんの遺体はそのまま二号室に安置してあります。犯人と争ったのか窓ガラスが一枚割れており、室内は凍りつくような寒さ。ご遺体が痛む恐れはないでしょう……」

 遺体……安置……。この、山荘内に。

 誰かが「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。

「それから昨日の連続殺人ですが、一件目が午後四時頃とは先にお伝えしましたな。二人目の女性はその体温から死亡直後に発見されたことがわかっており、犯行時間は午後四時三十分から午後四時五十分の間であるということです」

 午後四時か。正確な時間は覚えていないけど、帰りのバスは午後六時近くだったから、逆算すれば僕と真綾が一緒に行動していた辺りだろうか?

「これまでの状況説明は、以上です」

 ぱんっ、

 黒井警部が手を叩き、一同の意識を切り替えさせた。催眠術から覚めたように、皆がビクリと跳ねる。その様子を確認してから、黒井警部は語気を強めて、言葉を続けた。

「まずは皆さんにお聞きしたい。それぞれのお名前と職業。このペンションに来た目的。昨日の午後はどこで何をしておられたか? 何時にチェックインされたのか? そしてこれが一番重要なのですが、本日の十時から十二時までのアリバイです」


 なんだ。何が起こっている。

 僕が巻き込まれたのは、アヤシイ鞄の取引代行ではなかったか?

 連続殺人ってなんですか!

 責任者の胸ぐらを掴みたいが、誰が責任者なのか解らない。黒井警部は警部であり逮捕が仕事であり事件を起こしたわけではない。

 お客様の中に真犯人はいらっしゃいませんか!

 名探偵でも構いません!

 ……、…………。

 とりあえず、僕ではない。

 にわかにざわつき始めた食堂内で、僕は僕なりの考えをまとめる。状況を整理する。

 僕と真綾に降りかかっている災難については確認済み。

 降ってわいた殺人事件について、関連性があるかどうかを考える。


■一月十五日。重沢スキー場にて二件の殺人事件が発生

 一人目の被害者:死亡推定時刻午後四時頃・中年男性・凶器はハリガネのようなもので絞殺

 二人目の被害者:死亡推定時刻午後四時半~五十分頃・女子学生・手による絞殺

■一月十六日。重沢スキー場より徒歩一時間の「朝霧山荘」で一件の殺人が発生

 三人目の被害者:死亡推定時刻午前十時~十二時前頃・山崎和夫・ハリガネのようなもので絞殺

※手口は違うが連続した時間から十五日の二件は同一犯のものと見ている


 僕は思いついて、ジーンズに押し込んでいた財布から昨日の荷物の発送伝票控えやらレシートやらを取り出す。時間が記されているはずだ!

 ふむ……。真綾と二人で最後にコーヒーを飲んだのは午後五時前。昨日の連続殺人が起きた時間帯は一緒にいたという事だ。

 ということは、二人目の女子学生って真綾じゃないよな。

 真綾は無事か? 無事だな?

 真綾は無事だ。妹は生きている。取引を成功させれば妹は戻る。

 ――よし。

 殺人事件がなんだ。連続絞殺魔がどうした。そんなものより、守らなくてはいけないものが僕にはある。

 ひとつ、妹・真綾の命。ふたつ、それを守るための僕の命。以上。

 ここで殺されるわけにも、ウッカリ間違えて犯人だと思われるわけにもいかない。

 もちろん、取引の件がバレるわけにもいかない。

 覚悟を決めろ、橘祐樹――否、高嶋篤哉。

 一世一代の大舞台だ。

 

「どうか一人ずつ正確にお答えいただきたい。御不快なのは承知しておりますが、もしもこの中に殺人犯が紛れておれば、皆さんご自身もいつ殺害されるかわからない。この天候ではどこに逃げるわけにもゆかないのですよ」

 それぞれが考えをまとめている最中に、黒井警部が追加報告を伝えてゆく。

「嘘や黙秘はご自身のためにならないと、これはハッキリと申し上げておきます」

 黙秘という発想はなかったなぁ。けれど、嘘は嘘とバレないように貫かねばなるまい。

 取引相手、捜査官、それぞれも嘘をつくだろう。少なくとも、三人は嘘つきがいる事だけが確かだ。

「積雪で電話線が切れたのか電話は不通です。携帯電話は元々圏外で地デジも衛星放送もこの天候では受信が不可能。つまり我らは外界と遮断されているということです。天候が回復するまではここにいる十一人で助け合わねばなりません。いや……十人……ですかな」

 止めてください、そのホラーテイストの語り口。

 ああ、そうか。殺人者がいるから、一人引いて十人での助け合い、か……

 電話が繋がらないという事は、もしかして黒井警部だって危ないんじゃなかろうか? 応援と連絡が取れないという事だろう。それじゃあなんの抑止力にもならない。どうせ捕まるなら、という自棄を誘発させる可能性もあるのだ。

 なぜ、連続殺人が起きたのか……犯人の心理状況は……動機は……それを掴めない限り、事件は終わらないし警察の存在が安心材料になるとも思えない。

 そして、犯人が真相を話すわけがない。

 山荘内に、生きてる人間は十一人。

 嘘つきは、恐らく四人、少なくとも存在している。

「では、まずは私たちが……。オーナーの田村亮介と、妻の真奈です」

 奥さんの手を握りしめたまま、オーナーが口を開いた。

「今日の午前中ですが、私と妻は厨房で昼食の用意をしていました。身内が証人にならないのであればアルバイトの二人に聞いてください」

 アルバイト……、女子大生二人か。村上梓さんと、大学の後輩だという香山理沙さん。

 黒井警部は先に知っていたようで、宿泊客達に向けて説明をしてくれた。

 村上さんは信州大学の四回生。今は休学して、ここで働いているという。オーナーの料理に感激して、シェフを夢見る押しかけ弟子なのだそうだ。

 後輩の香山さんは、彼女に誘われて短期間のバイトとして昨日からペンションに来たとのこと。

 彼女の到着時刻に関するアリバイは、意外にも黒井警部自身が握っていた。

 昨夜六時ごろ、現場付近を走っていた雪上車を呼び止め尋問した。駅前の酒屋の車だったそうだ。

 朝霧山荘へ配達を済ませており、午後四時半には山荘でオーナー夫妻と会話していたということで二人のアリバイはクリア。そして、酒屋の若者は電車の遅れで交通手段を失っていた香山さんを乗せて再び朝霧山荘付近まで向かうところだったという。

 その事に関しては、駅前の酒屋とも確認が取れているそうだ。

「彼女たちは食堂の清掃をしていましたので、私たちを時折見かけたと思います。彼女たちが食堂にいたことは私も妻も確認しています。なあ真奈」

「……はい、間違いありません」

 真奈さんは、うつむいたままで小さく声を発した。朝食時の、優しげな雰囲気が恐怖で消えてしまっている。仕方の無い事だろう。

「オーナーの仰る通りです。私たち二人は食堂にいましたし、ご夫妻のことはずっと見ていたわけじゃないけど、出て行かれたらわかったと思います。 てゆーか、お二人が犯人であるわけないですよね、センパイ」

 香山さんが口を挟み、村上さんの顔を覗きこむ。一方の村上さんは警部さんの登場から顔色は青ざめたままで、嗚咽を漏らしていた。

「センパイ? 大丈夫ですよー、私がついてますからっ」

 香山さんは、どうやら天然のようだ。もしかしたら、事態を把握しきれていないのかも。

「うっうっ…… わたしたちみんな殺されちゃうの……? どうして……」

 香山さんの腕の中で首を振りながら、ついに村上さんは泣き始めてしまった。

「こらこら。元気を出せ、いつもの梓らしくないぞ。……理沙ちゃん、梓を部屋で休ませてくれないか? 警部、良いですね?」

 収まる様子の無い村上さんを気遣って、オーナーが彼女の頭を優しく撫でた。しかし、それが逆に

 彼女の恐怖心を煽ってしまったらしい。

 仕方が無いと、オーナーが黒井警部へ確認すると、警部も頷きを返した。

「ええ、無論です。お二人は最初から疑っていません。絞殺魔が男であることはほぼ確定していますから」

「じゃ、センパイをお部屋に連れてゆきますネ。大変だけど私たちガンバらなきゃ!」

 事態を把握できていないのか、把握した上での笑顔なのか。

 香山さんはガッツポーズをとって見せてから、村上さんを抱きかかえるようにして食堂を出ていった。……見た目は香山さんの方が気弱そうなのに。女の子はわからないなあ……

「ところで警部、先ほど絞殺魔は男だとおっしゃいましたが、目撃者がいるのですか?」

 なんとはなしに全員が見送っていたところへ、オーナーが再び声を発した。

「ああ。いや、言い忘れましたが、昨日二人目の被害者には手で絞めた痣が残っており、鑑識の話では指の大きさからして男で間違いなかろうと。百%ではありませんから断定はできませんが、いずれにしてもあの子たちは犯人ではないでしょう。一人目の被害男性は身長が一七二センチあり、あの二人の身長では後ろからロープを回すのも難しい。腕力的にも無理ですよ」

「そう言っていただけて安心しました。ただでさえ怯えているのに、この上容疑者扱いではとても神経が持ちませんから。 本当は今すぐ家に帰してやりたいのですが、こういう状況ですからそれもままなりませんしね。あの子たちにはご配慮をお願いします」

「ええ、承知しております。今後は尋問からも除外しますので、ご夫妻からそう仰ってください」

 頭を下げるオーナーに、黒井警部も鷹揚に頷く。聞いていた僕達にも、ホッとした空気が流れる。

 それにしても、そりゃ警部さんは専門に事件を追っているのだから当たり前だけど、僕達の知らない情報を多く握っているようだ。他にも「言い忘れ」「覚え違い」なんかが出てくるのかも知れない。逆に、質問することで解ることもあるのかな?

「ありがとうございます。それでは我々夫婦への尋問はもうよろしいですか?」

「結構です。夫人は女性ですしオーナーが昨日ペンションにおられたことは裏が取れています。 あとは宿泊客の皆さんですが、まずは自己紹介と、先ほどお聞きしたことを順次お話し下さい」

 ……と、いったところでお鉢が回ってきた。

 僕達は顔を見合わせ、その中で黒井警部に一番近い位置にいた男性が語り始めた。

「俺は本村和樹、三十二歳。フリーのカメラマンだ」

 ワイルドな印象があるのは、その職業柄であろうか。身長は高い方ではないけれど、鍛えられていることがわかる体つきや日に焼けた肌から、重い機材を担いであちこち歩き回る姿が目に浮かぶ。

「スキーと雪山撮影のつもりで来たんだが……この天気、それに連続殺人事件かよ……。たまんねぇな」

 そういって、本村さんは不精髭を撫でながら表情を歪めた。咥え煙草がクシャリと折れる。

 スキー場に着いたのは午後六時。夕食を挟み、山荘へのチェックインは午後八時半頃。

 今朝は食事の後、フロントロビーで寛いでいたとのこと。

 特にアリバイと呼べるようなものはなく、簡潔な自己紹介に終わってしまった。

 そうだよなぁ……日常生活で、アリバイなんて意識しないものなぁ。

 僕はチラチラと周囲を見るが、一様に口が重く、互いの出方を伺っているようだ。殺人犯でなければためらうことなどないだろうに。

 そう、犯人でないのなら後ろ暗いことなんてない。僕は黒井警部に対して気後れすることなど何もないのだ。何も……。ベッド下に隠してある鞄も、この一件には無関係。

「さ、さつじんじけん……ですか。アリバイって、そんな刑事ドラマみたいなこと、急に……」

 口を開いた途端に素で口ごもった。大丈夫か、僕。

「高嶋篤哉、二十九歳です。東京で歌うたいをやってます。あ、プロとかじゃなくて、……フリーターです。居酒屋と本屋、楽器店のバイトを掛け持ちしてます」

 ここまでは、脳内設定どおり。さて、どう繋ごう。

「村上さん、でしたっけ。大丈夫かな……。心配ですね。早く解決すると良いんですが」

 話を引き延ばしながら、暗号を挟む加減を考える。

 洋食がメインであるらしいこの山荘で、指定された暗号をどう切り出すか悩んでいた僕に、この「アリバイ発表会」は有難かった。

 『僕は漬物が苦手なのに……』

 どこで言えというんだ! 悪目立ちするからこその暗号なのだろうけれど、芸人じゃないんだから無茶振りされたって即席でリアクションなどとれるもんか。

「夜行バスを利用して、スキー場には十五日の早朝に到着してました。昼頃にナンパした女の子と、ずっと滑ってましたね。夕方に荷物を宅急便で返送して……伝票の控えはこちらです。宛先はルームメイト名義なんですけど。午後四時に受付してもらってます」

 黒井警部に控えを渡す。一瞥して、直ぐに返してくれた。

「スキー用品の持ち帰りだけなら自力で済むんですが、……やたら、土産を頼まれまして」

 さあ、行くぞ。

「名産の漬物とか……ナイですよね。――僕は漬物が苦手なのに――。わかっててリクエストしてくるんですよ……はぁ」

 本当にこの高原の土産コーナーにあったかは定かじゃないが、とにかく土産で買って荷物になるので返送したと言い張った。無茶苦茶な混ぜ方だったが、取引相手は気づいてくれただろうか?

「そこから午後五時くらいまで、彼女とロッジでコーヒーを飲んでいました。レシートがこちらで、ん、午後四時四十五分ですね。それから別行動していた友達が迎えに来て、その子とはそこで別れました。

あーはい、フラれました」

 まさか、アヤシイ風体の輩に攫われましたというわけにもいくまい。

 妹をナンパ相手にすり替えて、大筋は本当の事を話した。

 到着した時間なども嘘をつく必要はない。山荘のチェックイン時間、午前中の行動を素直に話す。

「こんな感じでしょうか。まとまりのない話ですみません。とりあえず思い出せる限りをお話ししました。あとから思い出すこともあるかもしれないんですが……はは……。次の方、どうぞ」

 しどろもどろで発言を終えた僕を見て、右隣の寡黙な男前が名乗りを挙げた。

「じゃあ、僕が。松村 滋、三十一歳。東京の商社で営業職をしています」

 食事中に会話をすることはほとんどなかったが、話し始めると実に生き生きとした表情になり、僕は少し驚いた。

 営業職なら、話すのが仕事だもんな。同じ会社勤めでも、物言わぬパソコンを相手にしたSEの僕とでは対人スキルが違うというわけだ。オンオフスイッチを使い分けている人なのかな。

 こうして見ると、本当に整った顔立だという事がわかる。さらりとした髪質も、柔らかな物腰も、画面向こうのモデルか俳優みたいだ。さぞ営業成績は良いのであろう。

 僕自身が妹をナンパ相手にすり替えて話したものだから、「恋人が仕事の急用で東京へ帰ってしまい」なんて言葉は眉唾程度に聞いてしまう。

恋人はいるだろう、そりゃあ居るだろう。リア充ばくはつすればいいのに。

 けど、こんな男前を放置する女性が居るか? やっかみ半分で聞いていると、彼は気になることを口にした。

「僕にはガラスが割れた音は聞こえませんでした」

 ガラス…… ガラスが割れた? 午前中に? 誰か、そんな話をしただろうか。……あっ、

「アレって、もしかして。今朝十時半ごろ、遠くで何かが割れる音を聞いたんだけど」

 思わず、僕は口を挟んだ。

「山崎さんの部屋……、窓ガラスが割られていたって話ですよね。僕が聞いたのはその音かも」

 遠く微かなもので、聞き流してしまう響きだった。

しかし言われてみれば、あの音は部屋の窓ガラスが割られたものと考えるのが自然だ。山崎さんの遺体発見時、既に室内が凍りつくほどの寒さだったというのだ。時間としても丁度良いだろう。

でも「山崎さんの部屋の窓ガラスがいつ割られた」なんて、誰も話していない。

 松村さんは、何者なのだろう。怪しい。決して嫉みからじゃないぞ。

「ああ、そういえば何時頃か忘れましたが何かが割れたような音は聞いた気がします」

 誰か食器でも落としたのかと思って気に留めませんでしたが――、眼鏡さんが、話に乗ってきた。

「あのぅ、松村さん。どうして、午前中にガラスが割れたって……?」

「黒井警部が山崎さん? の部屋で割れていたって言うものだから、自分には聞こえてない旨を話しただけですよ」

 なんでもない風に、返される。けど……でも……。スッキリしない。

「窓ガラスが割れた音については、現在のところ不明です」

 僕が目で訴えると、黒井警部が咳き込んで手帳を広げた。とりあえず、一通りの話を聞いておきたかったところを混ぜっ返してしまったようで、なんだか申し訳ない。

「室内の調度品であるブロンズの彫像が窓の下に落ちていたので、恐らく山崎さんが犯人に投げつけ、それが交わされて窓に当たったのではないかと推察してますが、ガラスは鉄線入りのペアガラスで小さな穴が開いていただけ。『バンッ』という鈍い音がしただけと思います」

 そういうことは、先に言って頂きたい。

 小さな穴から、あの客室全体を冷やすまで……って、どれくらいの時間が掛かるのだろう。真冬に暖房ナシであれば、それほど費やすこともないとは思うけれど。

「それと、奥さんから同時刻頃、誤って皿を割ってしまったという話も聞いていますので、まあこれはよくある事らしいですが、それを聞き違えたのかも知れませんしね。今のところはまだ、犯行時間を断定するわけにはゆきませんな」

 まぎらわしい!

 ともあれ、窓ガラスが割れたというから、窓から殺人犯が逃亡してくれていたら平和なのに、という身も蓋もない事件解決案は消えたわけだ。

 午前中に山崎さんの部屋の窓ガラスが割られたか、オーナー夫人の真奈さんが食器を落としただけなのか。割れる音を聞いたのは二人、聞いてもいない事を訊かれてもいないのに主張したのが一人。

 さて、どういうことだろう。

「いやぁ、どうもどうも。大変ですねぇ~、刑事さんも。お仕事でこんな寒いところへ」

 いきなり軽薄な喋りが登場して、僕はグラスの水を噴きだしそうになった。えぇと、松村さんの向かい側、僕から見て調理場側の斜め向かいに座っていた長身の男前だ。

 誰に話すでなくおしゃべりしていた人ではあったが、殺人事件を前にしてもこの姿勢とは恐るべし。あああ、案の定、黒井警部が渋い顔をしている。

「年齢と職業は……。これ言わなきゃダメですか? ……しょうがないですね~。一応、東京のほうで大学勤めしてます。今年で三十六です。心は永遠の二十歳です」

 中学生くらいまでは、クラスに一人は居たタイプだなぁ。せっかく男前なのに……残念だなぁ。

「僕は橘潤一郎です」

 ……え?

「僕には妹がいるんですよ、妹が」

 同姓、妹、……まさか。

 僕は『奴ら』に唐突に捕えられたのであって、僕から発する「暗号」が引き金であって……まさか。

 ざわざわと胸が鳴る。顔を上げられない。橘さんが何を話しているのか頭に入ってこない。

「高嶋さんと同じで、捕まえた女の子にはフラれちゃったんですか?」

 自分の偽名が音声になったところで、僕は弾かれたように意識を取り戻した。松村さんが、笑いながら橘さんへ声をかけている。

 橘さんも、スキー場でナンパ活動をしていたらしい。

 フラれ。橘さんが。だよなぁ、いくら男前でも、こんなお喋りじゃ女の子も引くよなぁ。さっきから聞いていても、実のある話をしているとは思えない。

 何とも言えない憐みの眼差しを送ると、橘さんは事もなげに言った。

「出会いがあれば別れがある。ごく自然な話じゃないですか!」

「僕はフラれたわけではないけどね。仕事で帰ってしまっただけさ」

 松村さんは言い訳なんてする必要無いのに。

 とりあえず、僕達三人は「女に放置された」カテゴリで、なんとなく括ることができてしまった。

 違う違う、僕はフラれたんじゃない、妹を人質に取られているだけで、ナンパも彼女も、……

 ……やっぱりリア充は爆発すればいいと思う。

「……僕は山田孝樹、三十歳、仕事は派遣会社で営業をやっています」

 そこへ、左隣のアキバ君がボソボソと話し始めた。「最初の人から時計回り」などというルールは無いらしく、記憶がまとまった人から無造作に説明し始めているな、これは。

「ほ、本当は友達と来る予定だったけど誰も捕まらなかっただけで、別に友達がいないとかじゃありませんからね!」

 皆まで言うな。

 明らかに運動慣れしていない彼が、なぜスキー場まで……とは思ったが、この山荘の雰囲気は悪くないし、ネットで調べるだけだと交通状態まで気が回らないこともよくあることだ。スキーは建前、ここでゆっくりすることが目的だったのかな。

 橘さんに続き、彼もまたアリバイらしいアリバイのないまま、話を終えた。

「堀口瑞人です。製薬会社の営業をしています」

 最後に、僕の正面に座る眼鏡の男性が自己紹介を始めた。

 眼鏡の奥の冷たい瞳で、淡々と語る。

 職業柄、年齢と血液型と好きな球団の話は耳タコで、と彼が告げたところでやはり僕はむせかえった。しまった。僕が初対面相手に必ず振る話題だ。堀口さんにはNGっと。覚えておこう。

「今年の春で三十二になります。ここのところずっと忙しかったんですが、急にまとまった休みを貰えましてね」

 知人の紹介からここに興味を持ち、事前に予約をしてきたという。

堀口さんはスキーが目的ではないんだ。

 予約が正しいかどうかはオーナーたちに問えば確認できることだし、連続殺人犯が計画的に近くの山荘に予約を取るとも思いにくいなあ。

 堀口さんは、雰囲気が怖いだけの人……かな?

 正面に座りながらも正面から見ることは気が引けて、なんとなく彼の胸元辺りに視線を泳がせる。

 オフにもかかわらず、パリッとしたシャツを着ている。本当に休みに来ているんだろうか、彼は。

 さて……これで、全員が自己紹介を終えただろうか。

 黒井警部は手帳を眺め、それから閉じた。

「ありがとうございます。昨日のアリバイは今のところ高嶋さん以外は証明できていないということ

ですが、まあそれは当然かもしれませんな」

 じゃあ訊かないでよ! と思いながら僕は警部さんの話を大人しく聞く。

 荷物の返送伝票、真綾とお茶をした時のレシートも「その程度ではアリバイになりません」と一蹴された。一般のレジャー客はアリバイを気にしながら生活を送るわけがないので、致し方がないと思う。

 案外、僕の持ち物ギター偽装も、そこまで考えなくても良かったのかもしれない。

 レシートがアリバイとして成立しない理由として、ロッジと殺害現場との距離、茶飲み相手がいればロッジを中抜けできることが挙げられるそうだ。

 ねぇ、もしかして、殺人よりもアリバイ立証の方が難しいんじゃないかな……。


「……色々なことが、あったんですね。たった一日のことなのに。いや、まだ始まったばかりなのか」 

 僕は、僕自身が抱え込むことがあるだけに余計、気が滅入る。しかし他の人たちもそれぞれに思うことがあるのか、場の空気が重くなった。

 今後の行動についての質問や、部屋に居れば安心だろうとか(それはホラー映画なんかでよくある死亡フラグだと思うけど)、いくつか会話が飛び交い、やがて解散となった。

「今回の事情聴取はこれで終了します。ご協力ありがとうございました。夜六時の夕食時まではどうぞご自由にお過ごしください。それでは……」

 ということは、六時にも事情聴取があるんですね。

「すみません、オーナー。設備は通常通り使えますか? このあと、お風呂に入って一度スッキリしておきたいんですが」

 げんなりした気持ちで、僕は小さく手を挙げた。

「あ……ええ、大丈夫ですよ。お客様をこんな事件に巻き込んで大変申し訳なく思っていますが、いつも通り心を込めてお世話をさせていただきます。風呂も自由にお使いください」

 よし。

 誰を誘うでもないけれど、僕はそこに居ますよアピールをしておこう。

 それから、「取引」にも備えないといけない。

 連続絞殺魔潜伏と並行して、僕には僕の、事件がある。



 一月十六日。午後二時。

 事情聴取の後、取引相手からの接触が無いか身構えていたが、どうにも動きが無いようなので宣言

通りに浴室へ向かう事にした。

 なんでもよかった。とにかく気持ちを切り替えたかった。


「…………」

「なんですか」

 眼鏡を外すことで、鋭さを増したような眼差しが僕を射る。

「いや、だって、部屋に居るのが安全って言ったの、堀口さんじゃないですか」

 ふん、と彼は鼻を鳴らしただけだった。

 松村さんは苦く笑い、肩をすくめるだけだった。

 二人の浸かる湯船へ僕もそっと身を浸した。それだけのことで、少し心が軽くなった。

 殺人犯が潜んでいるかもしれない。現に昨夜、眠っている間に被害者が出た。

 柄の悪い男達に絡まれ妹が人質に取られ謎の取引をして来いと放り出され、辿りついた先では殺人事件。

 誰にも何も話せない非日常の連続の中、温かい湯船とその向こうに見える人影が、いっときの現実味を与えてくれた。

「そういえば堀口さん、スキー場から真っすぐ来られたんですね。じゃ、スキーはまだ滑ってないんだ」

「…………」

「お天気、よくなるといいですよね。昨日なんか絶好のゲレンデ日和だったのに」

 緊張が解けて、つい口が軽くなった。逆方向に振りきれたのかもしれない。

 苦笑いの松村さん、至ってクールな堀口さんを相手に、僕はポツリポツリくだらないおしゃべりをした。


 興が乗って歌いだしたがまずかったか。

 二人がさっさと風呂から上がってしまってからも、音響の良い浴室で湯船に浸かったままダラダラとした結果、

「……ツライ」

 湯あたりをした。馬鹿か。

 最後の、蔑むような堀口さんの眼差しが忘れられない。こうなるとわかっていたなら何か一言!

 扇風機にあたりながら「ワレワレハウチュウジンダ」と呟き、なんとも人恋しくなった。

 得意げに僕の真似をする幼い妹を思い出した。



 高校を出て東京の大学に進学して。長い夏休みのほんの数日だけ、田舎へ帰った。

 都会の壁を前にギターを諦めた僕は宝物を実家の片隅に封印しようと持ち帰ったのだが、妹は僕が家に居ればギターを弾いてとせがみ、僕が離れがたくて一人でギターを手にすれば聞きつけて隣にチョコンと座った。

 夏バテして縁側に横になれば「ねむたいの?」と、頬杖をついて僕の顔を覗きこむ。

『ねぇ、おにいちゃん。うたって?』

 ――あぁ、真綾。おにいちゃんはもう、うたうのはやめたんだ

 大学進学で地元の友人とは疎遠になり、大学では音楽のレベルの違いに腰が引けた。

 好きなものを隠し、知らないものを吸収しようと躍起になった。

『兄さん、歌えばいいのに』

 成長し、少し大人びた妹が寂しそうに言う。

『好きだったのよ』

『お前だからだ』

 聞いてくれるのが、真綾だから僕は丁寧に歌うし、聞いてくれるのが真綾だから、僕の歌を気に入ってくれる。それだけのことだ。

『変なの』

 よくわからない、と妹が唇を尖らせる。変なんだよ、兄は答えた。



 ぼんやりとした頭で、廊下に出る。階段を上りきったところで一度足を止めた。

 ひとりになるのが、なんとなく怖いと思った。

 絞殺魔に対する恐怖というより、単純な人恋しさだ。

 やれやれ、面倒なタイミングで郷愁に見舞われてしまったものだ。

「おや」

「警部さん」

 娯楽室に顔を出すと、ゆったりとしたソファに黒井警部が体を沈めていた。

「休憩ですか?」

「そんなところですかな。先ほどまでは食堂に居たんですが。山田さんと一緒でした」

「そうでしたか……」

 部屋に鍵をかけていれば安全、理屈は確かにそうだけれども…… ひとりはやっぱり、怖いのだ。

「ひとりは、こわいですもんね」

 僕は言って、黒井警部の隣に腰を下ろす。

「あ、ゲームもあるんだ」

「私にはよくわかりませんが。DVDの他にも色々と遊べるよう、揃えられているようですな」

 僕は大型液晶テレビの下にあるボックスから、ゲーム機器類を手に取る。

 その中に、一本の格闘ゲームを見つけた。

「うわ! コレなっつかしいな……。あの、すこし遊んでも?」

「えぇ、どうぞ」

「よければ警部さんも」

「え?」

「面白いんですよ、親指の皮がすりむけるまでやったもんです」

「……皮?」

 物騒な響きに、黒井警部が眉をひそめる。僕は笑った。

『おにいちゃんずるい! まあやかてない! もういっかい!』

 妹の声が頭に響く。

「気分転換に。難しいものじゃないですよ」

『兄さん!』

『行け! さっさと行け! 女の命が惜しけりゃな!』

『本当に……妹を返してくれるのか』

『あぁ。オレたちゃ嘘はつかねぇ。兄ちゃんこそ、わかってるよな?』

 ――警部さん。

 管轄というものがあるだろうけれど、真綾のことをこの人に相談できないものだろうか。

 そんな考えがよぎった。そしてすぐに打ち消す。

 ダメだ。 

 殺人犯が居て、怪しい取引人が居る。こんなところで、二人きりだとしても何を話せるものか。

 黒井警部一人に、何ができるものか。

 おとなしく、取引を成功させるしかないんだ……

 物思いにふけりながらも、僕はゲーム機を引っ張り出し、線を繋げ、起動させる。

 黒井警部と談笑しながら進めていると、軽いノックの後にスタッフの香山さんが顔をのぞかせた。

 定期清掃に来たのだという。

ゲームをする僕らの邪魔にならないよう、と気を配る彼女の背中に、自然と妹の姿が重なる。涙が浮かんで、思わず顔を伏せた。


 ゲームをやって笑って 妹を思い出しては泣きそうになって

 さぞかし変な人間に映ったかもしれない。事実、どうにも心は落ち着かないのだ。

 落ち着かなくても落ち着けなくちゃいけない。

 やらなくちゃいけないことがある。

 警部と別れ、僕はようやく部屋に戻った。

 食事の時間まで、軽く横になろう……

 鍵を開け、ドアノブを捻る。その瞬間に、紙片がヒラリと床に落ちた。

「…………?」

 拾い上げ、その姿勢のまま、固まった。



『気分が優れないように見受けられました。良いお薬があるのでよろしければ代金持参の上、今夜零時ごろ私の部屋までいらしてください:堀口瑞人』





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