三
その日の高校への登校時間、守と美紗子は二人で通学路を歩いていた。
涼子の言葉通り、守と美紗子を除く三人が先に高校へ向かったためだ。
「で、本当に同居するつもり?」
隠しておくことも出来そうにないので、守は美紗子に今朝のこと全てを話した。
最初は半信半疑だった美紗子だが、後に真剣に話を聞くようになり、こうして今、今後のことについての相談に乗ってもらっているところである。
やはり、美香がいるとはいえ、未成年の異性の同居はまずい、というのが美紗子の意見だった。
「だから今悩んでるんだって」
詳しい事情は分からないし、自分は何もする気は無いといえども、守の意見も美紗子と同じものだ。しかし、事情によっては仕方が無いかな、という気持ちが無いわけでもない。
「まあ、いいわ。とりあえず、おじさんとおばさんにも相談しときなさいよ」
「ああ」
言い方はあんなんだが、守の判断に一任してくれる、という意味の判断で間違いないだろう。
「あと、どっちに傾いても、あたしに報告すること。それじゃあ、早く学校行くわよっ」
そこまで言い切ると、美紗子は突然学校に向けて走り出した。
最後に余計な一言を残していくあたり、やっぱ美紗子だ。どっちにしても美紗子には結果を伝えるつもりだったので問題ないが。
「おい、待てって」
守も慌てて美紗子の後を追いかけた。
私立新目高校。そこが守の通っている高校であり、その二十三HRが守の通う教室だ。
守が教室に入ると、そこにはいつもの見慣れた光景が広がっていた――のだが、着いてから数分と経たないうちに、教室はあるひとつの話題で持ちきりになっていた。
それ自体は、特に気にすることではない――本来なら。
「おい、本当か? 女子と同居するって話」
ただし、その話題の内容が自分に関わることだと話は別になる。
どうやら美紗子が、学校に来たとたんに仲のいい友達に今朝の事件を話したらしい。
女子たちからは、様子見といった感じでまだ守に真偽を確かめにくる様子はなさそうだ。しかし、そうなるのも時間の問題だろう。
いち早く守本人に真偽を確かめに来たのは、普段からよく一緒にいる鈴木浩太と山口大樹だった。
今回質問に来たのは仲の良い男子二人だからいいものの、これが女子だったらどうなるのだろうか。周りを沢山の女子に囲まれて、質問攻めにされる。これが、どんなにきついか……いや、それは考え方を変えればハーレムではないだろうか。普通では考えられないほど多くの女子に囲まれて学校生活を過ごす。誰もが一度は夢見ることが、間もなく起こりうる。こう考えると悪くない気も――
「おーい、守。戻って来い!」
「――!?」
声をかけられて現実逃避から連れ戻された守は、覚悟を決めて聞き返した。
「それで、なんだっけ?」
「だから、今流れてる噂が本当かどうかってことだよ」
最初に話しかけてきた男子、山口大樹から再度質問が来た。
「まあな」
「うぉ、すげーじゃんそれ!」
今度は、鈴木浩太が、興奮した様子で口を開いた。
「どこがだよ。考えてもみろ。大変なことはあっても、いいことなんてひとつも――」
「何を言ってるんだ。女子との同居生活っていったら、全ての男子高校生の夢じゃないか! 間接キスあり、ラッキースケベあり、そして最後にはベッドで……うぉ〜〜〜、やっぱいいことばっかじゃないかー!」
「ないだろ、そんな展開。最後のをやった日には退学になりかねんし。てかおまえ、三次元の女子には興味なかったんじゃないっけ?」
「ああそうだ。だが、ギャルゲーでしか起こりえないシチュエーションを体験してみたいと思う気持ちの何が悪い!」
全てだ、という解答はあえて返さない。
浩太は三次元に興味がないと公言している。しかし、その理由は自宅が神社で、女子と付き合うことが許されないから、ということらしい。宗教上の規律を守っているのはえらいと思うが、その結果が二次元というのが何とも言い難い。
「何? あんた、もう同居するって決めたの?」
突然聞こえてきた声の方を見ると、一通り噂を流し終わったらしい美紗子が、腰に手を当てたお馴染みのポーズで立っていた。
「だから、まだ検討中だって言ってるだろ!」
この幼馴染がからかってくるのはいつものことなので、守はムキにならず出来るだけ平然と答える。完全には隠しきれなかったが。
「ふ〜ん。じゃあ、何で山口君の質問を肯定したのよ?」
「だって、今朝押しかけてきたのは事実だし――」
そこまで言ったところで、守は違和感を覚えた。
たしか、大樹の言った言葉は――
「ちょっと待て。押しかけては来たが、まだ同居するとは……」
発言の途中に、さらなる疑問点が浮かんだ。
「おい、美紗子! 何で、嘘を流してるんだよ」
「あたしは、同居するかもしれないって言っただけよ」
「じゃあ、何で――」
――同居することになってるんだよ、と言おうとしたところで、守の頭にひとつの考えが浮かんだ。
考え、というほどのことでもない。おそらく、噂が人から人へ伝わるときに拡大解釈されたせいだろう。それ自体はごく一般的に起こりうることなので、ほぼ間違いない。
しかし、自分がその対象になると厄介なことこの上ない。改めて女子の噂好きの恐ろしさを痛感させられる。
「そろそろ時間だし席に戻るから」
そんなことを言い、美紗子が自分の席へ向かっていく。時計を見ると、すでにSHRが始まる時間だった。
「俺にも幸せを分けろよ!」
「達者でな」
大樹と浩太がそれぞれ言葉を放って席に戻る。
だから、幸せとは間逆で……というか、今、死ぬことを確定された気がする。
まったく役に立たない友達の背中を見送りながら、守は沈んだ気持ちでチャイムを聞くことになった。
そして、その日の昼休みには、噂は学校中に知れ渡ることとなった。
「ただいま」
「おかえり、守君」
「おかえり、おにーちゃん」
家に帰ると、涼子と杏子が当然のように出迎えてくれた。妹からの返事がないのはいつものことなので気にしない。
そのまま、手を洗いに水道へ向かおうとしたところで――
「おにーちゃん、私たちがこの家に住むのを許してくれてありがとう」
杏子がとんでもない言葉を口にした。
「へっ?!」
守は杏子の言葉に対し状況が理解できず、素っ頓狂な返事をしてしまった。
少なくとも、自分はそんなことを話した覚えはない。そして、この家のことについての決定権は守にある。さすがの美香もそれくらいは理解しているはずだ。他に考えられる可能性は……
そこまで考えたところで、一つの考えに思い当たる。
「だって、学校でそういう話が流れてきたわよ」
そして、それが正しいのを涼子の言葉で思い知らされた。
「それは、少し間違ってて――」
今ここで否定しないと大変なことになりそうなので、否定しようとすると、
「だって、守君が肯定したって……」
「……」
涼子が上目使いで、目に薄く涙をためて見つめてきた。普段から大人びた雰囲気を放っている涼子なだけに、女子としてのか弱さと甘えるような表情、不意に見せたその二つがより強調されていた。
思わず心を奪われた守は、何も言い返すことができない。そうしている間にも、強い保護欲と妙な支配欲が心を蝕んでくる。
それに、原因はやはり今朝のあれだったようだ。たしかに一度は肯定したし、その後も否定していない。昼休みに女子に囲まれたときも、ボロが出ないように基本黙り通していた。
つまり、守には否定のしようがないわけで……。
「そういうことだからよろしくね」
「……」
一瞬でいつもの凛とした表情に戻った涼子に、守は何も言い返せなかった。
こうして、いつの間にか同居が決定する流れになってしまった。
本人が了承してないのに、『そういうことだから』って……
「――あっ! そういえば、まだ親父に許可とってないし……」
名案だ、とばかりに思いついたことを言ってみた――のだが、
「お父さんも、泊めていいってさ」
美香の言葉に、あえなく撃沈した。
なんで、この妹はこういう時だけ口を挟んでくるのだろうか。
こうして、守の意思とは関係なく、琴瀬姉妹の同居が決定することとなった。
ためしに、明日の分の更新を朝の7時にしてみたいと思います。