二
「で、なんで家に?」
琴瀬姉妹の分の調理が終わった後、席についてから涼子に尋ねる。
やはりというかなんというか、守の食事は既に冷めてしまっていた。
「んとね、お父さんとお母さんが夜逃げしちゃって」
「夜逃げ、か……」
いきなり出てきた真面目な話に、守はその後の言葉が続かなくなる。
「逃げたのは今朝だから、正しくは朝逃げだけどね」
涼子は、ポキッという威勢のいい音を立ててウィンナーを食べながら答える。
少なくとも、朝に逃げても夜逃げだ。そして、今それを言う必要があるのだろうか。
「やっぱ、原因はこの前の――」
「火事は引き金なだけよ。どうも、家を建てるときに危ないところから借金しちゃったらしくてね。今朝、突然ホテルに借金取りが押し寄せてきて、お父さんたちは借金取りの注意を引きながら逃げ出したんだ。そのおかげで私たちはうまく隠れることが出来たから、別の道から脱出したわ」
「怖かったんだからっ!」
涼子に続き、杏子も口を開く。話しているその様子から、どれだけ怖い思いをしていたのかが分かる。
親戚の家に行くにしても、連絡をつけるのには時間が掛かるだろうし、近所には他に頼れるところがないから萩本家に来たのだろう。どこに行くか決まるまでの少しの間だけでも、うちでゆっくりしていってもらえば――
「そういうことだから、今日からこの家に住むことにするからよろしくね」
「ちょっと待った」
さすがの守も、こればかりは突っ込んでしまった。
「そうですよ。それに、突然言われても……」
「何か困る?」
「ええと、その……そう、部屋割りも困りますし」
「こんな広い家で、2人暮らしなんだし部屋くらい沢山空いてるわよね?」
「うっ……」
美香も口を挟んできたが、涼子の的確な反論の前にあえなく撃沈した。
守と美香の親は、俗にいう金持ちだ。いろいろな経緯があるが、単純に言って家の広さは尋常ではない。十人くらいまでなら、不自由無く暮らせるくらいの広さだ。どう考えても、それだけの広さがあって四人分の部屋割りに困るわけがなかった。
「経緯は分かったけど、何で親戚とかじゃなくてうちなの?」
「それはね、おねーちゃんがどうせならおにーちゃんちがいいって言ったからだよ」
「杏子ちゃん、嘘はついちゃだめよ」
「本当のことじゃん」
今度は杏子が説明に入ったのを、涼子が止める。内容は、おそらくいつもの杏子の嘘だろうし、涼子も答える気はなさそうなので正確な理由は迷宮入りのままだ。
「その辺のことは後で話し合うとして、今は――」
《ピンポーン》
そこで再び、ドアチャイムの音が鳴り響いた。
まわりを確認すると、相変わらず美香が動こうとする様子はない。また、涼子や杏子に行ってもらうわけにも行かないので、守は再び玄関へ向かう。
「はーい」
そう言いながら玄関を開ける。
「守、学校に行く準備でき――」
すると、そこにはいつものように幼馴染である美紗子がいた――のでドアを閉める。
「ちょっと、何で閉めるのよ?」
ところが、ドアが完全に閉まる前に、美紗子が手を差し込んでドアをこじ開けてきた。
「何でって……」
とてもじゃないが、琴瀬姉妹が同居するだしないだと話し合っている状況を、他者に見せるわけにはいかない。もちろん、幼馴染の美紗子にも、だ。かといって、上手い言い訳も見つからず、守は語尾を濁すことになってしまった。
「どうせまた、ベッドの下に入りきらなくなったエロ本を玄関にしまおうとしてたんでしょ」
「そんなことするか!」
どうして、美紗子はエロ本の隠し場所なんて知っているのだろうか。
「とりあえず、中に入るわよ」
「何でだよ?!」
いつもは入っても玄関までだ。今日に限っては、気まぐれで上がられたらまずい。ここで止められるのなら、止めておくべきだろう。
「あたしの顔を見て玄関を閉めたんだから、どうせ中に何かあるんでしょ」
「だからエロ本なんて」
「何? 本当にエロ本だったわけ?」
「違います……」
やはり、この幼馴染には隠し事は通じないらしい。
素直に守が端によける。このまま踏ん張っても、学校で変な噂を流されるだけだ。それに、リビングにさえ入られなければ特に問題はないはずだ。
守が道をあけたのを確認して、美紗子は靴を脱ぐ。そして、そのままリビングへと向ので――
「いや、ちょっと待て。そっちだけは――」
腕をつかんで呼び止めたが、
「別にいいでしょ。見られてまずいものがある訳でもないし」
「割とそうでもないんだが」
結局、振りほどかれてしまった。
そのまま、美紗子がリビングへと踏み込む。
「涼子先輩!?」
「美紗子ちゃん、おはよう」
「美紗子さん、おはようございます」
「美紗子おねーちゃん、おはよう」
「うん、おはよう……」
三者三様の挨拶に戸惑いながらも、挨拶を返した美紗子がこちらに戻ってくる。
「なんで、涼子先輩たちがここにいるのよ?」
やはり、見過ごしてはくれなかった。
「んんと、同居することに」
「はぁ!?」
「じゃなくて、さっき突然押しかけられて……」
あまりの迫力に、自ら爆弾投下しそうになった守だったが、軌道を元に戻す。
「あ、私たちは気にしなくて大丈夫よ。先に学校に向かってるから後から夫婦2人で仲良く来なさい」
リビングの中まで声が聞こえていたのか、涼子が守と美紗子に声をかけた。
――って、
「「夫婦って言うなっ!」」
美紗子との見事なユニゾンで涼子に返す。
この手のからかいは出来ればしないでもらいたい。実際は違うのに、学校では守と美紗子が付き合っている、ということが周知の事実として扱われているし。
「どうせなら、おねーちゃんもおにーちゃんと一緒に学校に行けばいいのに」
今度は杏子だ。
「いいのよ、杏子。学校へは好き合っている男子と女子が一緒に行く、って決まりがあるから」
「それなら、いいじゃん。おねーちゃんも杏子もおにーちゃんのことが好きなんだから」
「何を言っているのかしら? 杏子ちゃん」
涼子が引きつった笑みを浮かべていた。
京子の言葉の意味は分かっている。恋愛感情の『好き』ではなく、母親が子供に向けるような『好き』なのだろう。
「大丈夫だよ、涼ねぇ。今の言葉の意味くらい分かってるから。ありがとう」
「ゴメン、たぶん分かってない」
涼子からは、会話の噛み合っていないだろう変事が返ってきたが、会話は一時中断。美紗子が萩本家に来たということは、これ以上会話が長引くと登校時間に間に合わなくなる可能性がある。残っていた朝食を食べきるべく、守は本日三度目のテーブルに着いた。