一
守はいつもの草原の中にいた。
「今日、占い師と会ったんだ」
守は向かいにいる少女に声をかける。
「どんな人だったの?」
少女は微笑みかける。
「菜子と同じ声をしてた。それが、許せなくて」
あの時のことが思い出されて、自然に右手に力が入る。
「ゴメンね」
菜子と呼ばれた少女は頭を下げた。
「何で菜子があやまるんだよ」
菜子が口を開く。
「それは――」
☆
「もう朝か」
今日も守は目覚ましの音で目を覚ました。時間を確認すると朝五時。まだ眠っていたい気持ちを押さえ込み、伸びをして体を起こす。それから着替えを始める。
何か夢を見た気がするが、内容を覚えていなかった。それはいつものことなので、気にはとめない。
着替えが終わると、自室のある二階から一階へと、朝食の準備のために階段を下りる。
両親と離れて暮らし始めたのは小学四年生のとき。国内のみで行っていた営業を海外にまで手を伸ばしたら、これが大ヒット。それがきっかけで両親は海外――特に売り上げの高かったイギリスへと引っ越した。その時に守も引っ越す、という話は当然出ていたが、友達と離れたくないという理由で義妹の美香と日本に残った。
最初のうちは使用人が家事を受け持ってくれていたが、中学にあがるときに行方不明になった。それからは守が一人で家事を受け持っている。
台所に着いたので、冷蔵庫の中を確認するが……あまり食材が残っていなかった。本来なら昨日買出しに行く予定だったのだが、結局行かなかったので当たり前である。しかし卵とウィンナーが残っていたので、目玉焼きとウィンナーを焼けばなんとかなりそうだと判断し、守は調理に取りかかった。
調理が終わり食卓に食料理を運んでいくと、守の妹である美香が当然のように席に着いていた。すでに着替えは済ませていた。
「おはよう」
「……」
簡単に挨拶をかけるが、いつも通り返事はなかった。
思春期で年の近い異性を避けたいのは当然かもしれないが、これは異常だと思う。これで周りからは人当たりがよいと評判なのだから驚いたものだ。
全ての料理を食卓に並べ終えると、美香が箸入れに手を伸ばそうとした――が、自分の箸がないことに気づくと、こちらを睨みつけて来た。
どうやら、美香には自分で動くという選択肢はないらしい。
そこで、自分の箸もないことに気付いたので、再び台所のほうに箸を取りに戻る。
「はいよ」
食卓に戻った守は、持っている箸の一つを美香の前に差し出した。
美香が手を伸ばしてきた所で――
「……!?」
――引っ込めてやった。
「礼は?」
「早くよこしなさいよ」
美香は守の言葉に返事もせず、物凄い形相で睨んできた。
「分かった。礼はいいから挨拶くらいしろ」
「……いただきます……」
「はいよ」
しぶしぶ挨拶をする美香に、守はため息をつきながら箸を手渡す。
別に意地悪でこんなことをしているのではない。守と2人きりの時はこうしないと、食事の開始挨拶すらしないのだ。
「いただきます」
自分も挨拶をしてから朝食を食べ始めた。
ご飯を一口頬張ってから、目玉焼きの黄身に手を伸ばす。すると、トロッと黄色い液体が垂流れ出した。
今日もうまく焼けたな、と思いながら、ウィンナーを口に入れる。こちらも噛んだ途端にプシュっという威勢の良い音とともに、濃厚な肉汁があふれ出してきた。
使っている食材が良いというのも勿論あるのだろうが、焼き方が良かったというのもあるだろう。うん、きっとそうだ。
《ピンポーン》
守が一人納得していると、ドアチャイムの音が鳴り響いた――のだが、だれも動く様子がない。
そもそもこの家には、美香と守の二人しかいない。そして、現在の座席の位置では玄関へと続くドアに近いのは美香のほうだ。守の位置からみると、ドアは机を挟んだ向かいにあった。明らかに動くべきなのは美香だ。そう考え、守は席を立たなかった。
だが、美香も立ち上がらなかった。それどころか、道路を通る車の音が聞こえるほど部屋の中は静まりかえっていた。
数秒後、とうとう痺れを切らしたのか美香が口を開いた。
「ほら、とっとと出なさいよ」
「何で俺が!?」
「だって、他に誰がいるの?」
やはり、美香には自分で動くという選択肢は無いらしい。
これ以上言い返しても無駄なのは分かっているので、守は気が進まないながらも玄関へ向かう。
「はーい」
気の抜けるような声を出しながら玄関のドアを開ける。
「おはよう」
「はあ、おはよう」
すると、ここにいるはずのない二人の少女が立っていた。
二人のうち一人はストレートヘアで大人の雰囲気をまとった少女、もう一人は髪を二つの三つ編みに結った童顔の少女、という対照的な組み合わせだった。
「――って、涼ねぇ、杏子ちゃん、何でここに?」
そこにいたのがあまりに予想外の人物だったため、守は変に冷静な質問を投げかける。驚きのあまり、逆に声に表情がつかなかったのだ。
数日前までだったら、この二人がこの時間に萩本家の玄関口に立っていたとしても、守はここまで驚くことはなかっただろう。数日前まで、この二人は萩本家のすぐ隣の家に住んでいたのだから――数日前までは。そう、今、守の前に立っている二人の少女は、先日自宅が火事にあい、現在は一時ホテルで生活をしているはずの姉妹だった。
「とりあえず、あがるわね」
「ちょっと、涼ねぇ!?」
二人は守の質問を無視して、勝手に家に上がり込んでくる。
『涼ねぇ』こと、琴瀬涼子の性格からして止めても無駄なのは分かっているし、あがられてはまずい理由もないので止めはしない。
守が後ろからついて行くと、二人は美香のいるリビングへと入っていった。
「美香ちゃん、おはよう」
「あ、涼子さん、おはようございます」
すると、食事をしていた美香が、さっきとは打って変わって社交的な態度で涼子に挨拶をする。
それにしても、自分に接するときとその他の人に接するときの差は何なのだろうか……まあ、こんな様子だから周りから評判いいので、あまり文句は言えないが。
「美香ちゃん、杏子もいるよ!」
「ごめんごめん、アンコもいらっしゃい」
自分を無視されたと思ったらしい、涼子の妹である杏子、通称アンコが頬を膨らませながら美香に訴える。
やっぱ杏子は小さくて可愛い、マスコット的な意味で。これで美香と同じ高校1年生なのだから、世の中には不思議なこともあるものだ、とつくづく思う。でも胸は、美香よりも杏子の方が――それについては、とりあえず触れないでおこう。
「あ、守君。ご飯だけでもいいから朝ごはん貰いたいんだけど……」
いつの間にか、席についていた涼子が口を開く。
それを聞いて美香が動く様子はない――のは分かっているので、守は気が乗らないながらも台所へ向かう。
「目玉焼きとウィンナーしかないけどいい?」
「さっすが守君、太っ腹!」
「おにーちゃん大好きっ!」
本当に、この姉妹は……。
あんなことがあった後なので、この二人が元気な様子でいるのを見ると安心する。守は今日ばかりは文句を言わずに料理に取り掛かった。