一
『それではよろしくお願いしますね』
「わかりました」
守は明るい看護婦の返事に、半ばため息をつきながら受話器を置いた。
そのまま振り返り、みんなが集まっているリビングへと向かう。
突然尋ねてきた、というより、半ば不法侵入してきた少女である南條早知のことについて話し合うため、早知を含めた同居者全員がリビングに集まっていた。
その様子はというと、どこの葬式か、というほど静まり返っていた。尚はともかくとして、美紗子や美香には一切理由を話していないためだ。とはいえ、自分も状況がわからなかったので、どこをどう話していいのかは分からない。
電話中に尚の声がリビングから聞こえてきたので、多少の事は話してくれていたのかもしれないが……。
しかし、なんだろう。この妙に冷たい視線は。しかも、二つもあるし。
さて、どこから話そうか、などと考えながら腰を下ろすと、冷たい視線を向けてくる一人である美紗子がゆっくりと口を開いた。
「まさか、いきなり発情して男子に襲い掛かるなんて見損なったわ」
「……」
美紗子に続き、美香が無言で、さらに冷たさが増した視線を送ってくる。
「ちょっと待て。おい尚、どういうふうに話した?」
明らかに情報の誤差が生じているようなので、おそらく原因であるだろう尚に視線を向ける。
「僕は、あったことをありのままに話しただけだが」
「……あとね、さっちゃんも見たことを付け加えてあげたんだよ。……ダメだったかな?」
尚に聞いただけなのに、早知からも言葉が返ってきた。
可愛く言ってもだめだからな、と突っ込みたいが、これが早知の普段の状態なので突っ込めない。これでいて、スイッチが入ったときはああなるのだから怖いものだ。
とりあえず、原因は早知のようだ……多分。尚に原因が無いとも言い切れないのが怖い。
「俺は尚を落ちてくる本から庇っただけだ」
「男なんだから、言い訳なんかしない。もう、今すぐ幼馴染を挽回したいわ」
既に美紗子の信頼を失っているようで、全く信用されていなかった。
ちなみにそこで使うのは挽回じゃなくて、返上だ。どう頑張っても、幼馴染を返上するのは無理だし。
「美紗子ちゃんは後で夜這いでもすればいいでしょ。で、電話の結果はどうだったの?」
「そんなことしませんから」
相変わらず一言余計な事を加える涼子に、美紗子がわざわざ反応する。
一瞬、美紗子が夜這いしてくる姿を不覚にも想像しようとしてしまったが……どうやっても浮かばなかった。それどころか、ムリに想像すると、一方的に虐待されている姿しか思い浮かばない。
嫌な想像をわざわざ続ける必要も無いので、想像を振り切ってから電話での内容の説明を始める。
「ええと……結局、同居する事になった」
「なんで、あんたはこうも易々と。それに、この子誰よ?」
「本気で言ってるのか?」
「……そうだよね、さっちゃんのことなんて覚えてないよね……」
一応は訊いてみたが、美紗子の様子からすると本当に覚えていないらしい。早知が萩本家にいるときに美紗子が鉢合わせたことはないから、単純に考えて九年以上会っていないってことだし、仕方が無いのかもしれない。しかし時がたつのは早い。あの時はあんなに意気統合していたのに。
「僕は覚えているぞ」
「そりゃあな、初めて会ったのが数分前だし」
「……まぁな」
尚が口を挟んできたので、無意識に突っ込んでいた。突っ込まれた尚を見ると、一瞬唖然とした顔になり、その後いつもの状態に戻った。
それにしても尚がこんな間の抜けた発言をするのは意外だ。……って、もしかすると早知を元気付けようとしていたのかもしれない。守は心の中で、尚に謝罪の言葉を述べる。
「お兄ちゃん、早知おねーちゃんと美紗子おねーちゃんはどこで会ったの」
「ああ、病院だけど……。美紗子、そこまで言われても思い出せないか?」
守の言葉を聞いて、美紗子は何かを思い出すように真剣な表情になった。
「ええと……って、もしかしてさっちゃん!?」
「……そうだよ。もう、みっちゃん。忘れるなんてひどいよ……」
「ごめんごめん」
美紗子はようやく思い出したらしい。
もしかしても何も、さっきから自分が何度もさっちゃん、って呼んでいたと思うのだが。美紗子が早知のことを思い出したとたん、二人は打ち解けられたようで早速近況報告などをしていた。
「で、おにーちゃん。何で病院で?」
「ええと……」
状況についていけてない杏子が再び訊ねてきたので、あまりハッキリとしない記憶を手繰り寄せながら答える。同じく状況が分からない涼子も聞き入っていた。
守と早知、そして美紗子が出会ったのは、小学一年生の初冬だった。守が木登り中に誤って落下したときに足を骨折、そして入院となったときに同室になったのが早知だ。同室にいた同年代の子供が早知しかいなかったこともあり、すぐに打ち解けた。また、度々見舞いに来た美紗子もそこに加わるようになったというわけだ。
守が退院するときに、手紙を書きたい、と言われたので住所を教えた。それを頼りにしたのか、それ以降何度か病院を抜け出しては萩本家に遊びに来ている。早知が入院している理由が心臓の病気(とはいっても、死にいたるものではないようだ)らしく、どこか遠くに行かれるよりは、と病院側もそれを見てみぬふりをしている。そのたびに病院と電話をしているので、早知の担当の看護師さんとはすっかり仲良くなってしまったのだ。
遊びに来ている、といっても、夜は薬の投与が必要とかで、今までは来ても昼だったのだが……。
「そうだったんだ」
「で、今日はこんな時間に抜け出して大丈夫なの?」
「それは――」
一通り話し終わると、杏子は納得したらしく笑顔でうなづいている。だが涼子からは予想される質問が返ってきたので、守が答えようとしたところ――
「待ちなさいよ」
早知と話をしていた美紗子が、何か気になるところがあったらしく話に入ってきた。
「それって、大人のいない家に同年代の異性を上げてたってことよね」
「ああ、そうだけど。それがどうかしたか?」
「私達もよく遊ばせてもらってたし、それは別に普通のことじゃない?」
特に悪いようにも思えないのでそのまま聞き返したが、涼子も同意見らしいし、自分の感覚が変だったわけではないらしい。
というよりも、それが問題だったら一番まずいのは美紗子だ。萩本家に上がってる回数はとびぬけて美紗子が多いだろうし、つい先日までは泊まった事があったのは美紗子だけだったわけだし。
美紗子の言いたいことがわからず、涼子と顔を見合わせていると、何かに思い至ったらしく涼子が美紗子に向き直った。
「もしかして、自分だけ特別扱いされてると思ってたんでしょ?」
「ち、違いますよっ」
図星だったらしく、美紗子は顔を赤くしながら必死に否定していた。
「守、それで大丈夫なのか」
「ああ。病状がこのごろ良い方向に向かっているらしくて、うちで自宅療養だって」
自分でも、言っていることが変なのは分かっている。だが、これ以上詮索されると、余計な話を出さなければならなくなるので、できるだけサラッと流した――つもりだったのだが……
「普通、自宅療養って文字通り、自宅でするもんじゃないの?」
やはり美紗子は違和感を感じたらしく突っ込んできた。やはり無理だったらしい、今のをスルーしろというのは。周りを見ると、尚や涼子もうなずいているし。
話しても良いか? という意味合いをこめて早知の方を見ると、本人は意図が分からなかったようで不思議そうに首をかしげていた。
早知の性格からしてあまり引け目には思わないだろうし、と考え詳しい理由を話す。
早知の家は、早知が入院している私立新目総合病院からはかなり離れているらしい。また、仕事の都合、親の性格などが相まって、親が早知の元を訪れることはほぼ無いと言っていい。父親が病気を持って生まれてきた早知を、恥としか思っていないらしく、偶然にも一度会ったときの早知に対する父親の接し方は酷いものだった。
一度はしっかりと文字通りの自宅療養を行ったらしい。しかし、そんな家庭環境では効果があるはずも無く、体調を崩して再び入院生活に戻ったそうだ。
とはいえ病気の状態は改善に向かっていることは変わりなく、夜の薬投与が無かったので、早知は今日のこの時間に病院を抜け出したらしい。
それでいつも通りこちらが病院に連絡を入れたところ、通い慣れている萩本家なら自宅療養の場所としては効果的なのではないか、という担当医の提案で同居が決まった、というわけだ。あの後、早知の親に連絡を入れて許可が出れば、との事だったが、早知の父親の性格からして反対することは考えにくいので、同居はほぼ決定と言って間違いない。
大体、そんな内容を話した。
内容が内容だったので、しばらくは静まり返っていたが、その沈黙を破ったのは美紗子だった。
「だいたい状況は分かったけど、あんたは何でこうも簡単にOKしちゃうのよ?」
やはり、美紗子としては納得がいかないらしかった。
「お前は、さっちゃんが一生退院できなくても良いって言うのか?」
「さすがお兄ちゃん、優しい!」
早知の友達としては引けないところなので、真剣な目で美紗子を見る。杏子がかけてくれた言葉は嬉しかったが、今はとりあえず触れないでおく。
「それは……。それに、居候の人数が増えたらあんたも大変でしょ」
たしかに美紗子の主張は正しい。それは今も身に沁みて感じている。だが……
「だったら、お前が出ていけよ。お前だけ、うちに住まないといけない理由は無いんだか……げふっ」
「もう、勝手にすればいいじゃない」
美紗子は、何やら文句を言いながらリビングを出て行った。
守は殴られた箇所を押さえながら、それを見送る。いきなり理由も無く殴るのはひどいと思う。それにこのごろ美紗子の理不尽な暴力が多い気がするのは、気のせいではないだろう。
だいぶ痛みが治まってきたので周りを見ると、涼子と尚が口を押さえて笑っていた。何で笑っているのかは分からないが、そんなことをしているのなら少しはこちらの心配もしてほしい。
なにはともあれ、こうして無事(?)に早知の同居が決まったのであった。




