二
同世代の女子との同居生活となると、自分が何もする気がなくても問題が発生するのは世の常らしい。
その一つが起こったのは、尚との同居が決まった日の夕方だった。
夕食の片付けを終えた後、守は事前に取り込んであった洗濯物をたたんでいた。
普段は一五分ほどで終わる仕事も、五人分となると、やはりかかる時間も多くなる。量は二倍ほどしかないはずなのに、それ以上に増えている気がするから世の中は不思議なものである。
そんなことを考えながら作業していた守だったが、改めて目の前をみると沢山あった洗濯物も半分ぐらいは片付いていた。
残り半分も頑張るぞ、と気合を入れなおし、たたみ終わった美紗子のTシャツを美紗子の服の山に置く。昨日、このノースリーブのTシャツのせいでひどい目にあったのだが、思い出してもいやな気持ちか、あのときの美紗子の姿しか思い浮かばないのでやめておく。
さっさと終わらせてしまおうと、次の洗濯物に手を伸ばす。
リビングにある大型テレビには、若手のお笑い芸人がコントをやっている姿が移っていた。
そして、それが終わったところで、自分が今持っている衣服へと視線を戻し……
「……」
守は自分が今もっているものに対する驚きと興奮で息を呑んだ。
そこにあったのは、三角の形をした白い布に、小さな赤いリボンのついたものだった。持っている手からは、普通の布と変わらないはずなのに、妙に心地よい手触りが伝わってきて、あるはずのない温もりも感じられてくる。
はたから見れば、女子用の下着を顔の前に広げてそれを眺めている変態にしか見えないのは分かっているが、驚きと興奮のせいで体が動かなかった。
全く――全く! ――やましいことは考えてないし、早くたたもうとは思うのだが、なかなか出来ない。決して自分が変態なのではなく、思春期の男子ならきっと同じ状況に陥ると思う。というか、そうならない人がいたら見てみたい。
なぜ布切れごときがこんなにも男性本能を動かすのかは不思議だったが、それを考えていると本気で理性が吹っ飛びそうなので、心を無にし体を動かそうとしていると――
「――っ」
何かが後頭部に当たる感覚がした。痛みのあまり、ぶたれた所を手で押さえ横を見ると、
「なに堂々と下着なんて眺めてるのよ、このド変態」
お茶を飲みに台所へ言っていた美紗子が、隣に腰を下ろすところだった。
「それは……」
守が答えられずにうろたえている間にも、美紗子は先ほどまで守が持っていたモノをたたんでいた。
仕方がないとは思う。自分では他意はなくても、実際アレを眺めていたわけだし。それに、男の本能なんてものを美紗子に説明するなんて無理だろう。
守が必死に自分に言い訳しているうちにも、美紗子はたたみ終えたものをたたみ終えた洗濯物の山の上に置き、次に取り掛かってる。このまま何もしないわけにもいかないので、余計なことは考えないようにしながら自分も作業に戻ろうとしたとき、
「僕も手伝わせてもらって構わないか?」
突然目の前をきれいな手が横切ったので、その方向を見ると、美紗子の反対側に尚が座っていた。
「ああ。でも、別にやらなくてもいいぞ」
「いや、居候させてもらう身なんだから、せめてこれくらいはやらせてくれ」
「それじゃあ、たのむ」
このやり取りの間にも、尚は既に一枚をたたみ終えていた。
やはり尚は礼儀正しいというか、義理堅いというか。こちらからも大したことはしてあげられないのに、しっかりお礼をしたい、と考えるところが尚らしいと思う。
こちらもそれに答えてあげるようなことをしてあげないとな、等と思っていると、再び尚が口を開いた。
「夜でよければ勉強も見てやろうか?」
「……いいよ、そこまでは」
今ばかりはこちらの目をしっかり見てくる尚の視線に絶えられなくなり、視線をそらした。
もうバレている美紗子が相手ならともかく、他の人に見せられるほど勉強ができるわけではない。さすがに浩太のように赤点まではいかないものの、激しくそれに近い状態だ。
すぐにでも飛びつきたくなるような提案だったが、そんな理由もあり顔を伏せて黙り込んでいると、
「あの英語の話し方じゃ、英語はもちろん、そのほかの教科も赤点すれすれというところだろう。大丈夫なのか?」
「……はい、お願いします」
さすがに折れた。
あの短いやり取りでそこまでの事が分かるのだろうか。考えてみると、話しかける前に馬鹿なトークしていたし、アレを聞かれていたなら分からなくもないか。それはそれで、いろいろと恥ずかしい。
「……あたしには頼まなかったくせに」
ふと隣を見ると、美紗子がそんなことをつぶやいていた。見てくれる気があるならさっさと言ってほしかった。いつも馬鹿にするだけなので、てっきり見てくれる気は無いと思っていたのだが。しかし、既に尚にお願いした訳だし、指導役が二人いる意味は無いので後の祭りだ。
「――おっ」
守は、最後に残った洗濯物に手を伸ばそうとして――引っ込めた。
最後に残っていたのは、三角の形をした布きれ――つまり、女性の下着だった。先ほどとは違って、白と青のストライプという柄だ。そこから察するに美紗子のもなのだろう。しかし、なぜ二次元にしか存在し得ないと思われているものを穿いているのだろうか。それを喜ぶのは浩太ぐらいだろうし。まさか美紗子が浩太を狙っている……なんてことは無いだろう。やはり、不思議である。守が美紗子の下着の柄を知っている理由は、美紗子が守の家に何度も泊まりに来ているからであって、別に覗いていたりしている訳ではない。
さすがに守とて同じ失敗を二度も繰り返すようなことはしない。とっととたため、というメッセージをこめて、美紗子のほうを見る。その時、思わぬ方向から伸びてきた手がそれを持っていった。
「あ、一条院君。それあたしの……」
「それがどうかしたか?」
尚が持っていこうとしたそれを取ろうと、美紗子が手を伸ばした。しかし、尚がそのまま自分のところに持っていってしまう。
尚は、そのまま何も気にすることなく、普通にそれをたたみ終えた。それから、軽く伸びをして廊下の方へと歩いていく。
なぜそんな平然とあんな破壊力をもったモノをたためるのだろうか。しかも、持ち主を前にして。
でもあの様子からすると、単に自分が意識しすぎていたのかもしれない。所詮、布なわけだし。女子の前で下着を手にして黙るってどんな変態に見えていたのだろうか。改めて考えると、すごく恥ずかしい。 これから、何度も起こりうる可能性のあることだろうし次は気をつけよう、と守は心に決めた。
一応、確認のために美紗子を見てみると、下を向きながら何かを呟いていた。
「ありがとな、美紗子」
「……いいもん……」
一応礼を言ったが、明らかに通じていないだろう変事が返ってきたので、守は気にせずその場を離れた。
「あ、一条院君。それあたしの……」
美紗子が残った洗濯物をみると、自分の下着を尚が持っていこうとするところだった。
一般的な女子として、自分が身に着けているもの、とくに下着を異性にたたまれるのは抵抗がある。守のように慣れた相手でもそうなのだから、今日が初対面の男子となればなおさらである。
それゆえ自分でたたもうと手を伸ばしたのだが、先に尚に持ってかれてしまった。
「それがどうしかしたか?」
尚は美紗子の心情を察していないらしく、ただ純粋にそんな質問をしてきた。
その間にも、尚の手で自分の下着が何の躊躇もなくたたまれていく。
「……」
その様子を見ている美紗子は、正直、複雑な思いだった。
もちろん先ほどの守がしていたように、じろじろと眺められて嬉しいわけがない。先ほどは杏子のものだったから良かったものの、自分のものだったら本気で蹴りかかっていたかもしれない。というか、絶対やっていた。
しかし、今のように平然とたたまれる方がいいのか、といわれるとそうでもない。自分の前で自分のものをとなればなおさらだ。
守の様子を見ている限り、男子には好きな女子や、きれいな女子の下着を見たいというのは自然と起こる感情らしい。
しかも先ほど尚がたたんだのは、しまぱんだ。小学校のとき、浩太が「しまぱんを見て、喜ばない男子がいるわけがない!」と言っていて、守もそれに同意していたので試しに買ってみた。もちろん履き心地は他のものと変わらなかったが、個人的にデザインも気に入ったので、それ以来はき続けている。
しかし、尚はそれを平然とたたんでいた。それは、つまり尚が自分を女性として意識していないことを意味している。たしかに尚はかっこいいと思うが、別に尚が好きなわけではないし、とりわけ好みというわけでもない。そうであっても、自分が女性として見られていないのはショックだ。
去年も何人かの男子に告白されたし、髪型なども可愛く見せるように努力はしている。服装も実用性を重視しているとはいえ、デザインを捨てているわけではない。なのに尚からは女性として見られていなかった。
さらにそれを幼馴染である守の前でやられたのが、気に入らなかった。守のことも、話しやすいだけで好きなわけではない。しかし何か付け入る隙を見せるとそこをついてくるので、出来るだけ守るに弱みを見せたくない。
「ありがとな、美紗子」
守の方を見ると、幸運にもそのことには気づいていないようで、なにかこちらに話しかけているようだ。
「……いいもん……」
尚に女性として見られてなくても。少なくとも、守は手に取ることをためらったようだし、きっと尚が女性に興味がないだけだろう。
美紗子が悩んでいる間にも、守はどこかへ行ってしまった。
美紗子がショックから立ち直ったのは、それからしばらく時間がたってからだった。
 




