番の屑公爵様 私も同じく屑らしいですよ?
見並 遥奈 26歳。
どうやら私、異世界にやって来たようです。
いつもと変わらない朝。
アパートから会社に向かう通り道の神社にさしかかると、神社の茂みの中から必死な声で鳴きながら真っ白の猫が出て来た。
必死に鳴いていたはずの猫が遥奈と視線が合うと、ピタリと鳴き止みしっかりと視線を合わせてきた。
(猫が視線を合わせてくるって……ある?あるわね……)
遥奈は不思議な雰囲気を纏った猫をじっと見つめた。猫は視線を合わせたまま遥奈に向かって歩きつつ、また必死に鳴きながら遥奈の足に纏わりついた。
暫く纏わりついていたが、神社の方に歩き始めた。
ニャンニャン鳴きながら振り返り止まる。
少し進んでまた止まる。
止まる度に振り返り遥奈を見るのは、
「ついて来て欲しいのかな?」
そう思わせる行動だった。
遥奈は白猫の後を黙ってついて行き、神社の森へと入って行く。
神社の朝の森は朝露に濡れた新緑の匂いで満ちていて、とても気持ちが良かった。
仕事に疲れている心が癒されていくのがわかる。
遥奈は前を歩く白猫を見ながらふと思い出した。
(動画で動物が必死に人に鳴いて助けを呼ぶ映像が幾つかあったわね……猫ちゃんも、もしかして子猫がいて助けて欲しいのかしら?)
そんな事を考えていると、大きな木の根元で白猫が止まった。
白猫は根元の大きな穴を覗いて鳴き始めた。
「そこに子猫が落ちたのかな?」
遥奈は急いで穴を覗き込むも、とても暗くて先が見えない。
ハンカチを敷いて膝を突き、更に奥を覗いているとお尻を誰かがトンと押してきた。
遥奈はバランスを崩し、穴へと頭から落ちてしまう。
「嘘でしょ?!」
遥奈の叫び声も仕方ない事。
穴に落ちたのに、地面に辿り着かない。
ずっと落ち続けているのだから。
「死ぬ!絶対に死ぬ!」
遥奈は落ちながら恐怖で意識を手放していた……。
遥奈が目覚めたのは天蓋のある豪華なベッドの中だった。
「どこよここは……」
体を起こしてみようとするも、怠くて力が入らない。
もぞもぞしていると、部屋の扉が開いた音がした。
視線だけを向け相手を確認すると、扉から入って来た人は女性だった。
(何あの洋服。メイドのコスプレ?)
遥奈と視線が合った女性は慌てて部屋から出て行くと、廊下をバタバタ走る音だけ残して行ってしまった。
「行っちゃったわ。ここが何処なのか聞きたかったのに……」
遥奈は諦めてベッドに横になり天蓋の絵を眺めていた。
美しい黒髪黒目の女神様が描かれた絵を眺めていると、バタバタと走る音が聞こえてきた。
しかも、複数人の足音がする。
遥奈が部屋の扉をじっと見つめていると、姿を見せたのは西洋の人形のような容姿の優れた美しい男性。
その後ろからヒョイと顔を出したのは、綺麗な顔立ちの同じく美しい女性だった。
「目覚めたのですね。良かった」
そう言いながら遥奈に近付く男性はベッドの横に置かれた椅子に座ると、遥奈へと視線を向けた。
男性の隣には女性が腰掛け、同じように遥奈を見つめる。
「貴女様は我が家の裏庭の池に落ちてきたのです。私と妻が庭を散策していたら、空から振ってきたのです。覚えていますか?」
ゆっくり丁寧に、そして遥奈を気遣うように優しく説明してくれる。
「会社に向かう途中、白猫に呼び止められて……」
遥奈は朝起きた事のあらましを説明する。
「そうですか……。あ、私はロアル・アクトンと申します。こちらは妻のケアニーです」
男性が自己紹介をしてくれたので、遥奈は怠い体を起こそうと必死に動かす。
「そのままで大丈夫ですので」
「すいません。体が怠くて力が入らないのです。このままで失礼します。私の名前は、見並 遥奈です。助けて頂き、ありがとうございます」
横になったままではあるが、頭をペコリと下げた。
その仕草にケアニーと呼ばれた女性が、
「可愛らしいわ」と頬を染めはしゃぎ始めた。
「見並様は年は幾つかな?」
(様呼びって……)
「遥奈と呼んで下さい。歳は26歳です」
「「えっ?」」
夫婦の驚いた顔に遥奈がキョトンとすると、夫婦が慌てて問いかける。
「26歳……と?」
「異界の女神様は成長が止まるのでしょうか……」
夫婦の言葉の意味が解らない遥奈。
「いえ、失礼しました。その……どう見ても、デビュタント前の少女にしか見えませんので」
ロアルの言葉にケアニーもコクコク頷く。
「あの、鏡があれば自分の姿を見たいのですが」
遥奈がそうお願いすると、ロアルが遥奈の膝裏と肩に手を入れ抱きかかえた。
お姫様抱っこだ。
ロアルが隣の部屋に抱えて入ると、大きな姿見の前で立ち止まった。
格好良いロアルの腕の中には確かに遥奈が映っている。
10代の頃の遥奈で間違いなかった。
「嘘よね……若返るって、どう言う事なのよ!」
ロアルは遥奈の言葉に驚くも、動揺する遥奈をソファーへと座らせた。
沢山のクッションをケアニーが抱きかかえソファーに置くと、遥奈をクッションに埋めてしまう。
「遥奈様。お話は出来そうですか?」
そこからロアルと遥奈がお互いの事を教え合った。
ロアル曰く。
ここはジーマン魔法大国と呼ばれる国で、ロアルは侯爵家当主であった。
そして、ジーマン魔法大国は人族と獣人族が住まう国であり大陸一の力を持つ国。
この世界に時折『異界の女神様』と呼ばれる異世界人が現れる。
それは獣人族の誰かの番であり、異界の女神様は国に恩恵を与えてくれる大切な存在。
らしい……。
「あの……私がその異世界人である証拠は何なのですか?」
遥奈が疑問を伝える。
「黒い髪に黒い瞳は、この世界に存在しないのです。その色を持つ遥奈様が異世界の女神様である証なのです」
「………」
(異世転移?転移って若返るの?何で私なのよ。今日は徹夜でやっと仕上げた企画のプレゼンだったのにっ……)
「ちなみにですが、元いた世界に帰れたりは……」
遥奈の問いかけに顔色を悪くしながら二人は首を振った。
遥奈が悔しそうな表情をし、落ち込んで行くのを見てロアルもケアニーもどう声をかけて良いか思案する。
「遥奈様、暫くゆっくり過ごして下さい。国には異界の女神様の顕現を報告する決まりがありますので、報告させて頂きます」
ロアルの言葉に遥奈が質問をする。
「私が現れた事が知られたら騒ぎになりますか?」
「大騒ぎになりますね。国を挙げての催しが開かれるでしょう」
「……。じゃあ、私が公表して欲しくないって言ったら、秘密に出来るのかしら?」
「出来なくはないとは思いますが、いずれ公表される事になります。遥奈様は獣人族のどなたかの番ですから」
「まだ気持ちの整理がつかないのです。異世界に急に連れてこられて、番がいるとか言われても受け入れられないもの……」
ロアルは遥奈の気持ちを聞き、暫し考え込む。
「遥奈様の話では、その白猫は金の瞳と紅い瞳をしていたと仰ってましたね」
「そうなの。思い返したら紅い瞳のオッドアイなんて聞いたことないから不思議に思っていたの」
「金の瞳に紅い瞳……真っ白い猫、ですか……」
ロアルとケアニーは思い当たる事があったのか、小さく頷くと遥奈にこれからについて提案された。
「その白猫は遥奈様を迎えに行ったのでしょう。遥奈様はある貴族の番で間違いないかと。ですが、今は番を名乗らない方が良いでしょう。陛下には私から説明しますので、遥奈様は邸でゆっくり療養して頂きます」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
遥奈はロアルにお礼を伝え、再びのお姫様抱っこでベッドに運ばれた。
ロアルが陛下に先触れを出し王城に向かう。
陛下には急ぎ内密な話があると記してある。
先触れを出し謁見を望むことのないロアルの行動に何かを感じたのか、陛下は直ぐにロアルとの謁見を許可した。
陛下の執務室に通され、ロアルは丁寧に礼を取る。
執務室には陛下と二人きり。
陛下が他の者を下がらせていた。
「珍しいな、ロアルが先触れを出すとわな」
陛下はソファーに座り、ロアルに対面に座るように促した。
「急を要する事態が発生しました。侯爵家に異界の女神様が顕現なさりました」
ロアルの言葉に陛下は目を見開き、固まってしまった。
ロアルは苦笑いをしながら手を数回叩き、陛下を正気に戻す。
「陛下。いや、グセル。今から話す事は異界の女神様のお言葉も含まれている。友として相談に乗ってもらいたいのだ」
グセルと呼ばれたこの国の王とロアル侯爵は学友であり幼馴染。
腹を割って話をしたいロアルに、陛下は頷き説明を聞く事になった。
異界の女神様は、見並 遥奈あちらの世界では26歳であり、こちらに来られて若返り多分14歳〜16歳と思われる事。
異界の女神様を迎えに行った者がおり、真っ白の毛並みに金と紅の瞳を持つ猫だった事。
「おそらくですが、若返ったのは純潔が関わるかと……。そして、異界の女神様のお相手は……屑公爵だと推測されます」
ロアルの話に陛下はポカーンと口を開き、次に物凄く渋い顔をした。
「よりによって、フィルとはな」
フィル・ポート公爵
遥奈の番であるかもしれない彼は、女遊びの激しい屑公爵として有名である。
フィルは白狼の獣人で容姿の整った色気ダダ漏れの美丈夫。26歳の彼は婚約者もおらず、女遊びに精を出すが美麗秀麗な彼は公爵としては非の打ち所のない手腕の持ち主。
フィルの母であるヨルダ夫人は夫のジム公爵に惚れ込み、権力を使いポート公爵に降嫁していた。
ヨルダ夫人はグセル陛下の姉であった。
父親のジムはフィルと同じ整った容姿で社交界では人気の令息だった。
王女としての立場を使い、ポート公爵家に降嫁したのだ。
ヨルダ夫人はジム公爵が夜会で周りの夫人や令嬢から秋波を寄せられる度に嫉妬しジムに当たり散らしていた。
疲れはてたジム公爵はヨルダ夫人から逃げるようになり、浮気をしてしまう。
しかも、浮気相手はジム公爵の番であった。
人族であるヨルダ夫人は怒り狂いジム公爵を刺し、自らも命を絶ったのだ。
フィルが16歳の時である。
フィルが急遽公爵家当主となり、ポート公爵家を今日まで盛り立ててきた。
ヨルダ夫人とジム公爵の件は王家が闇の中に葬る事で事故死とし、真実を知る者は少ない。
ロアルが何故知っているのかと言うと、ヨルダ夫人の元婚約者であったからだ。
ジム公爵にヨルダ夫人が謙遜するまでは、それなりに仲良き婚約者であった。
恋は盲目。
突然の婚約者の変更となり、ロアルはケアニーと婚約を結んだ。
(ヨルダ様に何も思わなかった訳では無いが、今思えば婚約者変更は私にとっては良かった事だ。愛するケアニーと出会えたのだから)
ロアルがヨルダのことを考えているとグセルが異界の女神様に会いたいと言い始めた。
「王城には連れてこれない。屑公爵に匂いで番である遥奈様を見つけられては困る。会いたいならば、邸に来てくれ。あぁ、王都ではない郊外の別邸にいるから」
とりあえず、異界の女神様と陛下が会い話し合う事になった。
その頃、アクトン侯爵家では少し動けるようになった遥奈とケアニーが話をしていた。
「遥奈様は働いておられたのですね。ご両親の事は残念に思います」
「両親の事は仕方ありません。借金をして逃げるために子供を捨てる親なんて、いなくて逆に良かったと今は思っていますから」
お互いの話をしながら、この国の事を教えてもらう。
勿論、獣人についても。
「ところで、番とは絶対に結婚しなけれぱいけないのですか?相手は獣人で番が誰か解ったとしても、人族である私は解らないんでしょう?私がいた世界は恋愛結婚が普通なんです。好きでもない相手と結婚なんて嫌なんですけど……」
遥奈の大きな溜め息と最もな言葉にケアニーは黙るしかなかった。
「ごめんなさい……ケアニーさんに言っても仕方ない事よね……」
遥奈はベッドに座ったまま、ペコリと頭を下げた。
「いえ、遥奈様のお気持ちを察すれば当然の答えかと」
(こんな優しく良い子が屑公爵の番なんて、最悪ですわっ!元の世界でとても苦労されたのに、この世界でも苦労するなんてっ。よりによって屑がお相手なんて理不尽過ぎますっ)
ケアニーの心の中は番であるだろうフィル公爵の悪口が尽きなかった。
沈黙が流れるが、ロアルの帰宅によりまた騒々しくなってしまった。
「遥奈様は起きれるようになりましたか。良かったです。
急な事ですが、陛下が遥奈様にお目にかかりたいと邸に訪問されています。これからの事もありますので、会って頂けますか?」
陛下と聞いた遥奈は、え?であるが、来ているなら会わないわけにはいかないと、部屋に通してもらう。
ロアルが遥奈を抱きかかえ、ソファーに座らせた。隣にはケアニーが座り遥奈に寄り添ってくれた。
陛下とロアルが遥奈の対面に座り、話し合いが始まる。
「こちらがシーマン魔法大国の王グセル。私の友人でもありますから、安心して下さい」
ロアルの紹介で陛下と視線を合わせる。優しい瞳を見ると、悪い方には見えない。遥奈は相手の目と表情を見る癖がある。
高校生で親に捨てられ生き抜くには他人の顔色をうかがい揉め事を起こさず静かにする事で自分を守った。
人を見る目は、多分ある。
「見並 遥奈です。歳は正確には解りません。あっちの世界では26歳でしたから……」
「年齢が解る質問があるのだが、ケアニーから聞いてもらおう」
ロアルは立ち上がるとケアニーの耳元でひそひそと囁いた。
ケアニーはギョッとした表情をしたが、意を決したように遥奈の耳元で問いかけをした。
「そうなのですね……なら、私は16歳ですね。身体を処女の年齢に若返らせた訳ですか……」
初めての経験は16歳で間違いない。
視線を逸らした三人に気が付き、遥奈が謝罪する。
「言葉を選べなくて、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ申し訳ない……」
気不味い空気の中、遥奈が疑問を口にした。
「番に会ったら、私はどうなりますか?ケアニーさんには話をしましたが、好きでもない相手との結婚は嫌なんです。直ぐに結婚とか、考えられないんです」
「暫くは遥奈様の存在を隠しつつ、番に話をしようかと考えています。また何かあればロアルに伝えますので、暫くは療養して頂きたいと」
陛下の言う通りにしてみようと遥奈は決めた。
少しゆっくり過ごしたい。
徹夜を余儀なくされた身体は疲労困憊なうえに、異世界転移とか番とか……身も心も疲れていた。
「少しゆっくりしたいです」
ロアルが席を立ち、侍女を呼びに部屋を出た。
遥奈は意識が薄れ始めフラフラ身体が揺れる。
「失礼する」
今度は陛下が抱きかかえ遥奈をベッドへと運んだ。
遥奈は陛下の腕の中で眠りに就いていた。
幼い顔で眠る遥奈を見ながらケアニーは遥奈の以前の世界での話を伝えた。
「苦労されたのに、こちらの世界でも苦労する事になるかもしれないなんて。あまりにも理不尽過ぎます」
ケアニーは遥奈の髪を撫でながらポツリと漏らす。
「番は一生相手を愛し裏切る事のない相手。未来を見れば愛され大事にされるのは確かたが。相手がフィルとなると、過去がな……」
女遊びの激しいフィルを遥奈が受け入れるのかが問題だった。
黒髪黒目の美しい少女。
社交界に姿を見せれば華となるのは間違いない。
「「なぜフィル(様)なのでしょうか」」
陛下とケアニーな同じ疑問を口にした。
ロアルが侍女を連れて来て何をしても起きない遥奈の着替えを任せた。
ゆっくり眠ってもらい、明日から遥奈を楽しませるために何をしようか。ロアルとケアニーは計画を立てる事にした。
グセル陛下が王城に密かに戻ると、会いたくない人物が目の前からやって来た。
「陛下、不在のようでしたが、どちらに……」
目の前からやって来るのは、屑公爵事フィル・ポート公爵だった。
いつも飄々としたフィルだが、話の最中に陛下の両腕をがっしり掴んだ。
「なぜ陛下が私の番の匂いを纏っているのです」
フィルからのとんでもない殺気に一瞬驚くも、陛下はフィルの腕を振り解く。
番の話をしようとするが、フィルが陛下の横を通り過ぎると走って離れて行く。
「しまった!匂いでロアルの邸だと知られたかもしれんっ」
陛下が騎士を呼びフィルを負わせたが遅かったようだ。
獣化したフィルは、匂いをたどりロアルの郊外の邸へと向かってしまった。
「申し訳ない。遥奈様……」
陛下は急ぎ謝罪の文を書くと、アクトン侯爵家へと届けさせた。
アクトン侯爵家に着いたフィルはロアルと対峙する事になった。
「番に会いに来た」
「今は会わせる事は出来ない」
「人族は番の大事さを理解していない!番は私の命なんだぞ」
殺気立つフィルに怯える事はない。ロアルは一歩近付きゆっくりと口を開いた。
「フィル殿の番は人族です。解りますか?人族は番を感知しない。匂いなど解らないのです。フィル殿の社交界の噂はご存知であろう?どんな事情があろうと、女癖の悪い初対面の男を好きになるとでも?
いつか出会う番が大切な相手になるのは解っていたはず。それなのに、女遊びをするフィル殿を会わせる訳では無いでしょう?」
グッと息を呑み、フィルが両手をギュッと握りしめる。
「寂しさを紛らわすために女性を抱く。そんな男が番だなんて、あの方が不備過ぎますわっ」
ケアニーがフィルを叱責する。
「同じ女性として、貴方が番である事を許したくはありません!」
フィルが俯いていると、フィルの背後から声がかけられた。
「そこまでです。フィルの素行の悪さを今は責めている場合ではありません。異界の女神様にフィルの魔力を注がなければ異界の女神様の命が持ちません」
そう声をかけたのは、白銀の髪で金と紅のオッドアイの魔法師団長ギルだった。
ギルが口にした「命が持たない」その言葉にケアニーがヒュッと息を呑んだが、直ぐにフィルを邸の中に案内した。
「遥奈様は眠られています。目覚められて気怠げだったのは魔力不足だったのですね。ですが、フィル様」
急ぎ歩いていたケアニーが立ち止まりフィルと向かい合った。
「魔力を注ぐだけです。それ以上の触れ合いは許しません。私は遥奈様を保護した者として、遥奈様の意思を尊重する役目があります。
遥奈様は番そのものに疑問を向けておいでです。人族である遥奈様は恋愛結婚を望まれています。それなのに、番がフィル様だなんて……」
ケアニーは唇を噛み締め言い終えると再び歩き始めた。
甘く痺れる香りがフィルの思考を多幸感で満たしていく。
番の香りに誘われるようにフィルは歩みを早める。
ケアニーより先に部屋に入ると、香りがより一層強くなる。
フィルは寝台に走り寄り、眠る番の顔を覗き込む。
「可愛い……」
フィルが頬を染め、口元を緩ませている。
その表情を見たロアルとケアニーは引いていた。
無表情で冷徹でありながら、沢山の女性との浮き名を流すフィルの姿をずっと見てきた。
見た事のないフィルの番を見る甘い表情に恐怖心すら湧いてくる。
「フィル、番様に魔力を」
フィルは遥奈の手を握り、ゆっくりと魔力を注ぐ。
その様子を見たロアルとケアニーは諦めるしかなかった。
遥奈にフィルが魔力を注いだ。
この世界では、婚姻と同じ意味を持つ。
「私の番……」
フィルが遥奈の頬に手を伸ばすが、ケアニーから容赦ない叱責が飛ぶ。
「触れる許可は出しておりません!番であろうと、意識のない女性に触れる事は許しません」
ケアニーの言葉にフィルはグッと伸ばした手を握り込んだ。
「使用人を置いてくれて構わない。番が目覚めるまで側にいたい……」
力なくそう呟いたフィルを責めても仕方ない。絶対に魔力を注ぐ以外に触れない事を約束し使用人を二人つけた。
「本当に可愛いね。早く起きて私を見て欲しい。貴女の事が知りたい……」
フィルも番を前に感情が暴走している自覚はある。
今まで誰一人として心を傾けた女性はいない。
肌を重ねても、感情が昂る事はなかった。
番というだけで、こんなに胸が温かくなり愛しさが込み上げるとは知らなかった。
(父は番と仲睦まじく過ごしていた。母の言動に疲れ果てた時に出会ってしまった。
番など出会う事が奇跡。自分は出会わないだろうと、高を括っていたのだ……番は私の過去を知ったら責めるだろうか……)
魔力を注いだ事で遥奈の顔色も良くなり、美しさが増したように思う。
「フィル、番様は気に入りましたか?」
ギルがフィルに声をかけた。
「やはりギルが番を呼び寄せたのか?」
遥奈の手を握り込んだまま、視線だけをギルに向けた。
「フィルがいつまでも寂しそうにしているからね。それに、番と出会わなければ、あの公爵令嬢と婚約させられるだろう?もしかして、公爵令嬢の方が良かったか?」
ギルの軽口にフィルはじろりと睨んだ。
「一度寝ただけだ。今まで二度夜を共にした女はいない。二度がないと言う事は、婚約などあり得ないのだがな」
フィルは女性に対し二度はないと伝えている。
それでも、と誘いをかける令嬢を相手にしてきた。
「相手からしてみれば、一度寝たら自分に夢中になると思うだろうよ。社交界一の人気者だからね。フィルはさ」
ギルの軽口を聞き流すフィルだが、ふと表情を曇らせた。
「番はそんな私を嫌うだろうな……」
「どうだろうね?彼女は大丈夫な気がするけど」
フィルは番の美しい黒髪を眺め続ける。
夜空のような黒髪に触れてみたい。
瞳も夜空のようなのだろうか。
柔らかな頬と小さな唇。
番としての欲望が溢れてくる。
触れたい。
抱きしめたい。
私のものだ。と……
「触っちゃ駄目だからね」
ギルはフィルの欲望に気が付き釘を差す。
「彼女のいた世界に番はない。恋愛をしてお互い愛し合ってから結婚する。欲望のままに彼女に触れたり行動すれば、必ず嫌われる。彼女の意思をきちんと確認してから行動しろ」
注意事項を並べてギルは部屋から出て行った。
フィルは大事な番のためにと、ゆっくりと遥奈に魔力を注ぎ始めた。
眩しい光が瞼を照らす。
遥奈はゆっくりと瞼を開ける。
「日本じゃない……か」
天蓋の女神様を見てポツリと呟いた。
ん?昨日より身体が軽い?
身体が軽く感じた遥奈は身体を起こそうとすると、左腕が引っ張られ起き上がれない。
視線を向けると白銀の髪の男性が遥奈の手を握りしめたままベッドに突っ伏して寝ている。
遥奈が手を引こうとすると、ギュッと握り込まれた。
「ん……」
白銀の髪の男性がゆっくりと顔を上げる。
遥奈がベッドに座り寝起きのフィルの顔を見つめていた。
「我が番!目覚めたのだなっ」
番…。
その言葉に遥奈はビクリと体を跳ねさせ、強く握れた手を引いた。
だが離す気のないフィルの手からは逃げられなかった。
「ごめん、怯えないで。何もしない。離れないで」
美しい顔は今にも泣きそうな表情になる。
瞳に涙が浮かんでいるのは、遥奈の見間違いではない。
「貴方が私の番なの?」
(いやいや、こんなハンサム嫌なんですけど!!絶対にいやー!修羅場に絶対になるやつじゃんっ)
引きつる顔で問いかけた。
「私が貴女の番です」
そう言うと極上の甘い笑みで遥奈を見つめる。
「嫌なんですけど……」
遥奈の言葉に、フィルは目を見開き次にポロポロと泣き始めた。
「なんでもします!番のためならなんでもするから嫌わないでくれ」
遥奈の両手を包み込み、号泣し始めた。
遥奈はどうして良いか解らず、オロオロしている。
使用人から遥奈が目覚めたと聞き、急いで様子を見に来たロアルとケアニーは慌てて近寄る。
二人の目の前には、遥奈の手を握りしめたまま号泣する屑公爵。
暫くその光景をロアルとケアニーは眺めていた。
「フィル殿、いかがした?」
泣き止まないフィルにロアルが声をかけた。
「番に……嫌われた……」
グズグズ鼻を鳴らしながら、ずっと泣いているのが可哀想になってしまった遥奈。
「貴方が嫌いとかじゃなく、番が嫌なだけよ?」
フィルはピタリと泣き止み、バッと遥奈を覗き込む。
「番はいやだけど、私は嫌いではないと?好きだと?」
「好きではありません!知らない人を好きになりませんし、いくら格好良くても私は一目惚れするタイプではないの!外見より中身が大事だから!」
「では、私を知ってもらえれば好きになってもらえる可能性はあるのですね?では、番ではなく、正式に婚約しましょう。番の名前と年齢を教えて下さい。16歳なら直ぐに結婚できますから、早く好きになってもらわないと……」
捲したてるフィルの会話にケアニーが爆弾を投下した。
「先ずは、過去の女達をきちんと清算してからですわよ」
ん?
フィルは固まり、ケアニーは汚物を見る目でフィルを見ている。
「もしかして、女好きですか?」
「ち、違う!いや、違わないが好いた女性は誰一人いない。一度肌を重ねても、二度はない。今の私は番以外いらないのだから」
フィルが必死に言い訳をするも、遥奈は疑問をフィルに投げかけた。
「私の事を何も知らないのに、番ってだけで好きになるのは変よ?種族の違いがあるのも理解するけど、やっぱり私は嫌かなー。あ、貴方の過去の女性については気にしていないわよ?あっちの世界でも良くある話だから」
ロアルとケアニーが初めの方は、うんうんと頷いていたけれど、最後の言葉を聞いて、ん?となっていた。
「話し合いをしましょう」
遥奈の一言でダイニングへと全員で移動となった。
フィルは「抱き上げても?」そう尋ねてくれたが、身体も軽くなった遥奈は歩きたいと断りをいれた。
シュンと落ち込んでいたが、抱き上げられるのは何となく嫌だった。
ダイニングで朝食を食べ終え、紅茶を飲みながら話し合いを始めた。
「私は見並 遥奈よ。今は16歳みたい」
「私はフィル・ポート公爵。公爵家の当主だ」
フィルから自分の話をしてくれた。
苦労したのね……と、しんみりしていたが、寂しさから女性と肌を重ねるようになったと。
番には出会う可能性が低いだろうと、ずっと女遊びをし続けたらしい。
「フィルさんは寂しがり屋なんですね。
人肌恋しいのは、心が乾いているからだと思うの。心が満たされていたら、女遊びには走らなかったんじゃないかな?」
遥奈の言葉に、女遊びの激しい屑公爵と思っていたロアルとケアニーに雷が落ちたような衝撃を受けた。
「寂しいのは辛い事を私も知っているから」
親に捨てられた話を伝える。
26歳まで頑張って生きていた事を。
「遥奈嬢も寂しかったんだね。私も遥奈嬢が言うように寂しかったのかもしれない。外見と爵位に群がる女性を好きにはなれなかった」
「内面は大事よ?外見よりも」
遥奈の言葉にフィルが満たされた笑顔を返す。
「遥奈様は、フィル殿をどうなさりますか?フィル殿の番であり異界の女神様である事は時期に公表されます」
「番とか全く感じないけど、フィルさんの番で異世界人の私はフィルさんの魔力がないと生きていけないんでしょう?好きになるかは別として、交流するしかないんですよね?」
諦めるしかない。
遥奈は腹を括ってフィルとの交流を受け入れる事にした。
「フィルさん。女性関係は綺麗に清算して下さいね。修羅場はお断りですから」
フィルはぶんぶんと頷き、名残惜しそうにしながら公爵家に戻って行った。
遥奈は騒がしい毎日になる事になるとは、この時夢にも思っていなかった。
侯爵家を出て行った次の日から、フィルは毎日遥奈の元に通い詰めた。
花やお菓子や遥奈が勉強するために必要な本。
ドレスに宝飾品と、沢山の贈り物をする。
「フィルはマメなのね。そりゃあモテるわ」
今日も贈り物を渡してくるフィルに、ポツリと呟いた。
「女性には一度も贈り物をした事はありません。女性にお金を使った事はありませんよ?」
「え?デートで食事したり、こっちだと……観劇とか?観に行ったりしなかったの?」
「そんな手間はしません。出かける意味もありませんし、食事など一緒にする意味が解らない」
真顔でそう答えるフィルに。
「ただ寝るだけなのね……」
遥奈の言葉にフィルは気不味そうに視線を逸らした。
遥奈はフィルと一緒にいても「番」の言葉はやはり好きにはなれなかった。
フィルは優しくて正直な人。
日本で働いていた事も、「頑張ってたんだね」と頭を撫で褒めてくれた。
フィルは多分、絶対に我慢している。
番に触れたくて仕方ないように、熱の籠もった瞳で見つめる事がある。
フィルは呼吸を整えたり、席を外したりと欲を逃がしている。
私はどうしたらいい?
フィルは嫌いじゃない。多分好きにはなっている。
フィルも番だからではなく、私の内面を見てくれる。
でも、私はニ度も結婚しようとした人から捨てられている。
自分に自信がない。
フィルは社交界で人気の独自男性だし、肌を重ねた女性が沢山いる。
遥奈は無意識に悶々と悩み続けていた。
何かにずっと悩んでいるのを、ロアルもケアニーもフィルも気がついている。
遥奈の容姿はとても美しい上に、笑顔は可愛らしいのだが容姿を褒めても喜ばない。
似合いのドレスを着せても、何を褒めても流されてしまう。
遥奈は何かの理由で自分に自信がないのだろう。遥奈を見ていれば気付いてしまう。
遥奈は、ぼうっとしながら庭園を散歩していると、ギルが現れた。
「お久しぶりです。番様」
「久し振りね。白猫さん」
「フィルの番が異界にいるのはずっと前から知っていました。番様は結婚出来なかったでしょう?私が縁を切っていたからです」
「はぁ?」
「結婚してしまうと、こちらに呼び寄せられないのです。私は立場上、魔物討伐に向かわなければならなくなり数年王都から離れていました。王都に戻り、番様を探ると成人を過ぎておられました。私は時間がないと、急いで迎えに行く準備をしましたが、こちらの世界と番様の世界の時間軸が違うせいで番様は何度も結婚相手に出会われてしまう。
切っても切っても男性に好かれるので、私は苦労したのですよ?
番様は男性に大変好かれ過ぎです。私はとても苦労したのですからね!」
(おかしい……なぜ私が責められるのだろう)
「フィルの番である私をなぜ呼び寄せたの?番がいなくても女性にもてるフィルなら心配いらないでしょう?」
ずっと疑問に思っていた事をギルに聞いてみる。
「フィルは確かに女性に人気ですが、フィルも言っていたように外見や爵位狙いがほとんどです。フィルから聞きました。番様はフィルが寂しがり屋だと言ったそうですね。
フィルは仲良い家族を知らない。愛し合うとは何かを知らないまま当主となり社交界に出るようになります。腹に一物を持つものばかりの人に囲まれ、さらに愛を知る事は無くなりました」
「白猫さんはなぜそんなにフィルに愛を知るようにしようとするの?貴族の結婚は愛はいらない場合もあるって習ったわ」
「自慢になりますが、私には愛妻がいます。フィルは時折我が家に遊びに来るのですが、私と妻とのやりとりを見る視線に寂しさと羨ましさが感じられるのです。
フィルは無意識に愛を求めています。ですが、貴族令嬢では駄目なのです。
番という絶対的な相手でないと、フィルは秘めた愛を求める心を出せないのです。
情の深いフィルは誰かを愛したいし、大切にしたいのです」
「フィルは番の欲望もあるのかもしれないけれど、私を大切にしてくれるし他の女性にはしなかった事を沢山してくれるわ。
元々が溺愛体質なのね」
「フィルを少しでも好きになってくれたのであれば、受け入れてあげてください。
後、注意事項を番様に渡しますから気を付けて下さいね」
「では」と、帰ろうとするギルを遥奈が呼び止めたその時。
ギルの左頬に遥奈の拳がめり込みそのまま吹っ飛んだ。
遥奈も自分の拳の威力に驚くも、ギルを殴った事でスッキリした。
「フィルのためだからと、全てが許されるわけではないのよ。私は日本で傷付いた。自分の外見が悪いのか、性格が悪いのか…悩み続けて泣いたのよ!二度よ!男に捨てられた私の気持ちも考えなさいよねっ!」
ギルはようやく遥奈は深く傷付いていたのだと知った。
「フィルの事ばかりで番様のお気持ちを測ることはありませんでした。申し訳ありません」
と、遥奈に深々と頭を下げた。
「許したくはないけど、ここは日本じゃないし今の私はあの時の私じゃないから」
遥奈はギルを殴った事で許した。
ギルは一枚の紙を遥奈に渡すと輝きながら消えて行った。
遥奈は渡された紙を見てみる。
「どれどれ。結婚相手がいた事は話さない。恋人がいて肌を重ねた事も禁止。
って、26歳独身の処女って、日本での私が拒否するわよ!」
プリプリ怒りながら邸に入ると、フィルが待っていた。
「どうしましたか?」
怒りながら帰って来た遥奈を見て心配そうにしている。
「白猫にちょっとね」
フィルは聞こえなかったようだから、ギルに会った事は話さなかった。
ギルを殴ってスッキリした遥奈は前向きになった。フィルとは街に買い物に行ったり、食事をしたり。初めて観劇を観に行った。
特等席らしく、個室で二人でゆっくり観劇を見る事が出来た。
フィルは邸でも馬車の中でも街でも。
手を繋ぐか腰に手を回し、遥奈に触れたがる。
触れる度に魔力が流される。
最近気が付いた事がある。
フィルの魔力を熱く感じてしまう。
ギル曰く。熱い魔力を心地良く感じるのは、私がフィルを番として認識し始めたかららしい。
それは良い事なのだろう。
フィルとの心の距離が近くなる頃には、フィルとの婚約が知らないうちに公表されていた。
お相手は異界の女神様で、フィルの番であると。
異界の女神様が顕現された。
正式に王家と神殿から公表された事で、王都中お祭り騒ぎだ。
遥奈は騒がしいなぁーと、呑気に街歩きをしている。
遥奈は知らない。
陛下が騎士や影をつけ、遥奈に誰一人接触しないように徹底的に排除している事を。
フィルが魔力で圧をかけ、誰一人近づかせない様にしている事を。
献身的なフィルの姿を見たフィルの過去のお相手達が、遥奈を貶めようと画策している事を。
遥奈もフィルも知らずにいた。
遥奈が公の場に姿を見せる。
秋の夜会の会場は異界の女神様を一目見ようと例年以上の貴族が集まっていた。
広間の中央。綺羅びやかなシャンデリアの輝きの中、フィルの婚約者である異界の女神様を貶める為に集まる高位令嬢の集団がいた。
勝利の笑みを浮かべワインを片手に集まっていた。
「アナスタシア様。今日こそフィル様を射止めて下さいませ。公爵令嬢であるアナスタシア様がフィル様にはお似合いですわ」
筆頭公爵家のご令嬢のアナスタシアは、自身に侍る取り巻き達に視線をやると妖艶な笑みを浮かべた。
「フィル様には私以上のお相手はおりませんもの」
年若い令嬢達の会話を耳にした周囲の貴族達は、目の前の令嬢達が大きな勘違いをしている事を指摘しない。
令嬢達がやらかせば面白い余興にもなる。
それよりも、やらかして処罰されれば良いと腹の中では思っている。
アナスタシアの生家であるワルズ公爵家は社交界では疎ましく思われていた。
なにやら企んでいるであろう事を察し、これを機に社交界から消えてもらえればと願う。
この令嬢達は異界の女神様の立ち場を勘違いしている。
誰も教えない。
ワルズ公爵家の衰退を望む家門は多すぎた。
広間に足を踏み入れた時から貴族同士の腹の探り合いは始まっていたのだ。
魑魅魍魎の集う夜会が静かに始まる。
会場に両陛下の来場が伝えられると、ざわめいていた会場も静寂に包まれる。
全員が礼をとり、陛下のお言葉を待つ。
「楽にせよ。今宵は多くの者が夜会に参列しておると聞いている。今宵は「異界の女神様」の披露目を行う」
陛下が宰相に指示を下すと、フィルが遥奈をエスコートし陛下の前まで進み出た。
フィルと遥奈は両陛下に礼をとると、居並ぶ貴族達へと向き直った。
初めて遥奈を目にした貴族達。
女神様を思わせる黒髪黒目の美しい少女に皆が魅入っている。
会場中の視線を受けた遥奈は、困ったように小さくはにかんだ笑みを浮かべる。
その表情もまた可愛らしく、人々を魅了した。
「お待ち下さい」
一人の令嬢が居並ぶ貴族の前に歩み出た。
美しく妖艶なその女性はフィルへと甘い視線を向けた。
フィルは不快な表情へと変わり、遥奈は知らない振りをする。
(フィルの元彼女さん現る!修羅場はごめんなんだけどなぁー)
他人事なら野次馬で見るのも一興だけれど、当事者にはなりたくない遥奈はフィルから少し距離を取った。
フィルは遥奈から距離をとられたと気が付き、遥奈の腰に手を回すとグイッと引き寄せ離れないように力を込めた。
(怒ってるよー!元彼女さんが!)
遥奈は態と溜め息を吐き、遠くを眺めた。
周りの貴族達は遥奈を心配する者、余興を楽しもうとする者とそれぞれの思いで遥奈達を見ている。
「ワルズ公爵家のアナスタシアよ、何を待てと言うのだ」
陛下の鋭い声にフィルに見惚れていたアナスタシアはハッとなる。
「陛下、不作法を致しました事を謝罪致します。ですが、このような場だからこそ真実を伝え、フィル様が騙されている事を皆様に知って頂きたく私が自ら前に出た次第です」
アナスタシアは丁寧にカーテシーをし、陛下に非礼を詫びた
「申してみよ」
陛下の許可を得たアナスタシアは自身の持つ扇子で遥奈を指し鋭い視線を向けた。
「異界の女神様と呼ばれたこの女性は、女神様と言うに烏滸がましい女性。異界ではニ度も結婚の直前に破棄され捨てられた女性ですわ!
ニ度も……。
しかも、フィル様の年齢よりも歳上の女性だったのです。何をして若返ったのかは解りませんが、疚しい過去を持つ女性が異界の女神様なとあり得ません。何かの間違いだと、全て知った私がお伝えしようと覚悟を持ってここに立ったのです。
全てはフィル様と国のために」
アナスタシアの話を聞き、遥奈に向けられる視線が懐疑的な視線へと変わった。
遥奈の日本での全てが晒されてしまったにも関わらず、遥奈は気にしてはいない。
平然としたまま、明後日の方向に視線を向けている。
こんな世界に来てしまい苛立つ毎日を過ごして来たのだから。
全て、どうでも良い。どうにでもなれ。
そう思っていた。
ただ、遥奈を気にかけてくれた侯爵夫妻には少しばかり申し訳なく思う。
遠くを眺めていた遥奈の腰がギュッと力強く掴まれた。
フィルは怒りの表情をしている。それを必死に抑え込んでいる事が遥奈には解った。
(フィルには何も伝えていないから、幻滅されたのかもね……)
遥奈は溜め息を吐き、茶番の幕引きをすべく口を開いた。
「貴女は私とフィルが婚約した事に反対だと。取り消しを要望しているのですよね。私がいれば、フィルのためにも国のためにもならないと、そう確信しているのですね」
「そうよ。フィル様とは不釣り合いですわ。異界の女神様だとか持て囃されていますが、女性として年相応になっても結婚出来ずに殿方に捨てられるなんて、余程の屑でなければニ度も捨てられるなどあり得ませんもの」
ニ度も捨てられる。
遥奈はその言葉に肩が小さくピクリと跳ねた。
結婚を考える程に愛した男性。
捨てられて平気なわけはない。
遥奈の動揺はフィルへと伝わるが、フィルは目をきつく閉じたまま身動きしない。
会場中が誰も言葉を発しない事に困惑し始めた。
すると、ふわりと遥奈の目の前が光り輝き遥奈の視界に人の背中が視界に入る。
黒いローブに白髪の髪。
その背中はギルだった。
「アナスタシア様がどこから番様の情報を得たのかは後回しに致します。
番様の異界での出来事をきちんと説明しなければなりません」
ギルは振り返ると陛下へ視線を向け、次に遥奈へと視線を向けた。
「番様、貴女様には大変な迷惑をおかけしました。私がもう少し早く動けていたならば、このような茶番にも、まして番のフィルの女遊びも止められていたでしょうから」
遥奈にそう伝えると、ギルは会場中を見渡した。
「ご存知の方も多くいらっしゃるかと思いますが、改めまして魔法師団長のギルと申します。
フィル公爵の番様をお迎えに行ったのは私です。私とフィルは幼馴染であります。幼い頃からフィルの番様の気配を私は常に感じておりました。不思議に思い、友人の神官に話した事から全てが始まりました」
ギルが全てを話し始めた。
神殿でギルが感じる気配の話をしたところ、フィルの番は異界の者ではと結論が出た。ギルが神殿で魔法を使い探索すると、異界で遥奈を見つけたのだった。
フィルが正式に公爵家を継ぐにあたり、番を呼び寄せようとするが魔物討伐に赴く事になったり、戦争に赴いたりと数年が過ぎていた。
その間も遥奈を監視し、結婚の話が上がれば潰していたと。
遥奈は異界でも魅了的で男性からの縁は続き、話を潰す事に骨が折れたと溜め息を吐いて話をする。
遥奈を好ましく見ていた一部の貴族は、ギルの苦労にうんうんと同情し頷いている。
ギルが話の続きを始める。
遥奈が住む異界とこちらの時間軸が違うせいで遥奈が先に歳をとったのは、世界の流れの理のせいであり文句は神に言うべき事である。そう口にした。
遥奈は知らなかったが転移させられた翌日、結婚を前提とした告白を遥奈が受けると予知された。
三度目となる直前、ギルや神殿が遥奈を迎える準備が整ったため異界にギルが迎えに行った。
(え?もしかしたら日本で結婚出来たの?あ、でもギルに邪魔されるんだった……)
との事。
純潔の話をギルは口にしなかったのだが、人族にとって特に王族や高位貴族へ嫁ぐ際は純潔が重要しされた。
遥奈は古臭い考えに心の中で文句たらたら並べていた。
(女性に純潔強制するくせに、男性はやりたい放題?意味わからん)
遥奈は悪態だらけの言葉を無意識に口にしていた。
周りはそんな言葉を口にした遥奈を驚愕の眼差しで見つめている。
口にしている事に気が付いた遥奈は、悪びれず思った事を口にした。
「だってそうでしょう?女性に純潔を強制するならば、男性にも強制するべきです。そうしないから、フィルみたいな屑公爵が現れるんでしょう?それに、アナスタシア様?でしたわよね。貴女は高位貴族なのでしょう?純潔を捨てたのに、どこに嫁ぐつもりですか?」
遥奈の言葉にギョッとなる者が騒ぎ始めた。
「いくら異界の女神様とて、公爵令嬢を貶めるとは」
「アナスタシア様がそのような淫らな行動をするはずがない!」
と、遥奈を責め始めた。
「フィルが夜を共にした相手を口にしない事を利用したのでしょう?アナスタシア様の魔力にはフィルの魔力が少し感じられるもの。性行為をした証よね」
夜を共にした事を気にもせず口にする遥奈を見て、驚いたのはフィルだった。
フィルと夜を過ごした女性を前にしても、嫉妬を全く見せない遥奈にフィルは心底落ち込む。
と、同時に思い出す。
番である遥奈と結婚するはずだった異界の男達を。
フィルの魔力が跳ね、辺りは一気に冷えていく。
薄っすらと氷が床に壁にと広がっていく。
「フィルの嫉妬だから、気にせず放置するね。魔法に長けた者や獣人は相手の魔力を感じる事が出来る。番様の魔力は高いから見抜けるでしょう。アナスタシア様が何人と関係を持ちお相手が誰かも解りますよ?」
「は?」
アナスタシアはギルの言葉に驚き、顔を青褪めさせた。
「証拠はありませんが、私と番様を別々にしてアナスタシア様のお相手の名前を記せばそれが証拠になりますし、魔法師団の者なら同じく魔力を見れますが、やりますか?」
アナスタシアは顔を青褪めさせたまま、黙り込んだ。
それは遥奈の言葉を肯定したも同然であった。
「番様のお姿を変えたのは私だけの力ではありません。獣神様のお力も働いたのかと」
(知りませんが)
ギルの力より、獣神の名を出す事で納得する者は多いはずだ。
周囲もなんとなく納得したようで、遥奈への不躾な視線も無くなった。
ギルは振り返り嫉妬に狂い苛つくフィルの頭を思い切り叩いた。
「番様に嫉妬する気持ちは理解しますが、フィルがして良い感情ではありません。自分の過去を思い出しなさい」
「解っている……解ってはいるがっ」
魔力は消えたが、フィルは悔し気に唇を噛んだ。
(フィルは私の元カレに嫉妬してるのか……面倒くさいけど)
「フィル。私はあちらの世界で生きてきました。あちらの世界は愛し合う者が肌を重ねるのは普通で、そこから共に過ごし結婚に至るか別れるかを選択するわ。私は貴方より少し長く生きたの。好きな人も愛した人もいた。
それにあちらの世界では付き合う相手の過去に恋人がいたりするのは普通にあるの。気にする人もいるけれど、私は過去は過去だと気にしない性格なの。だから、誰が誰と付き合っていたとしても気にならない。
でも、フィルが気にするなら白い結婚でも私は気にしない」
フィルが遥奈に視線を向けると真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
「気が狂いそうなんだ。遥奈が他の男と……そう考えるだけで苦しい……」
フィルはポロポロと涙を流す。
遥奈を腕に引き寄せ、泣いている。
遥奈はよしよしと、いつもの事だとフィルを慰める。
冷たく感情を出さない公爵。
公敵を敵に回した相手には容赦ない罰を下す冷徹な公爵。
毎夜女性を変えてもなお、社交界で人気を誇る公爵が、人目を気にせず泣いているのだ。
アナスタシアを始め、会場中が呆然としている。
「遥奈様と出会われてフィル殿は変わられた。この光景は、侯爵家では今では日常と化している。番を得て、ただ唯一を愛する者にフィル殿は変わられたのだ」
ロアル侯爵がそう会場中の人々に語った。
「番を得たフィルが変わったのは事実であり、異界の女神様の顕現もあった。国は益々栄えるだろう」
陛下がそう纏め、遥奈のお披露目の夜会は終了した。
泣き止まないフィルの手を引いて、与えられた王城の部屋へと遥奈は歩いている。
後ろでメソメソしながらついてくる屑公爵と呼ばれた美貌の男性。
番が好き過ぎて外聞を忘れてしまう。
フィルの事を考える遥奈の表情は緩んでいた。
番だから絶対に裏切られない。
捨てられる事もあり得ない。
遥奈の全てを愛してくれる男性を、遥奈はようやく見つけたのだ。
フィルを愛しているのか?
まだ解らない。
フィルが好きか?
好き。
肌を重ねれるか?
多分、大丈夫。
そう自分に問いかけると、答えは出ている。
部屋に入ると、遥奈はフィルをソファーに座らせた。
「フィル。私は貴方を愛しているとはまだ言えない。でも好きか嫌いかならば、好きよ。私は捨てられた事があるから、結婚は私を捨てない人が良かったの。
番ならば絶対捨てられる心配はない。私がフィルのことを好きという気持ちから、愛しているに変われば良いだけだと気が付いたの。
私も女性の幸せを得たい。結婚して子供だって欲しい」
フィルは遥奈を引き寄せきつく抱きしめた。
「私の過去は屑でしかない。それなのに、遥奈の過去を知ると狂いそうに感情が暴れてしまう。どうしようもないドロドロとした感情が抑えられずにいるのです。
遥奈の心を得て肌を知る過去の男を消し去りたいほどに」
(うわっ!ヤバいやつ……元カレが日本にいて良かったよ!)
「過去は過去としましょう。気にしてばかりだと喧嘩になるもの。喧嘩の理由が過去の事なんて無駄でしかないわ。変えられない事をグダグダ言うより未来を見た方が有意義だもの」
「そうだね……」
あまり納得しないフィルだけれど、フィルが私の過去をどう自分の中で処理するのかはフィルにしか解らない。
その事は私には関係ないと思っている。
過去をきにしても変えられるわけではないから。
「自分の事を棚に上げて私を責めるのだけは許さないからね」
一応釘を差しておく。
番に頭の上がらないフィルは、嫉妬する度に怒り、泣き、慰められ。
と、面倒臭い人へと変わって行った。
後日、夜会での騒動の報告を受けた。
アナスタシアはワルズ公爵家の権力を使い、神殿から遥奈の経歴を盗んでいた。
夜会で遥奈の過去を晒して恥をかかせ、身を引かせるつもりだったようだ。
異界の女神様への不敬で処罰され、ワルズ公爵家は子爵まで降爵された。
(普通の貴族令嬢なら恥ずかしいのかもしれないけれど。捨てられた過去を広められた事には傷付いたけれど身を引く程とは思わないかな……)
以外とこの世界では日本の思考を持ち合わせたおかげか、遥奈はメンタル強めで過ごせている。
夜会から一月過ぎる頃、神託がおり遥奈の異界の女神様の加護が神殿から公表された。
豊穣と愛の加護
(愛の加護とは?)
遥奈は自分の加護に疑問を持つが、加護を有効利用するために動き出した。
〈純潔を強制すべきではない〉
純潔を重視する事の理由に托卵を回避する為の対策と知った遥奈は、日本であった妊娠検査薬なる物を提案して自ら作り上げた。
女性だけが一方的に性を抑制される制度は、好きにはなれなかった。
男性も同じなら何も文句は言わない。
でも純潔を奪い責任を負わない男性がいる事も知り、遥奈はより一層貴族社交を嫌った。
男性優位が強く身分制度には馴染めなかった。男性優位なこの世界の仕組みを嫌ったのだ。
身分制度もあるし、当主となるのは男性。
世界の仕組みの違いをとやかく言い出してはキリがない事は、社会人として生きた遥奈も理解している。
遥奈はある事を行動に移す。
フィルの嫉妬心も抑え込めるし女性の立場を上げれる事が出来る。
遥奈は陛下とロアルとギル以外の男性と顔を合わせる事を拒否した。
異界の女神様は女性としか会えない。
夜会に顔を出す事がない。
女性だけの夜会を開いている。
「だって女性は男性の後ろに黙って立ってるだけなら、別にいなくても良いんじゃない?」
と、陛下達を悩ませる事になる。
令嬢や夫人から婚約者や夫の女性関係の悩みを聞いてきた。
遥奈の存在が公になるまで、女性の立場が低いとは思わなかった。
ケアニーを見てもそんな空気は感じられない。
夫に愛され大切にされる姿しか見ていなかった。
社交界だけが男性優位って意味不明。
遥奈と言葉を交わしたい高位貴族が動き、社交界で女性が男性と会話をしても許される空気になった。
例外はいるものの、多くの女性達は決して不貞をしたい訳ではない。夜会で見知った男性と話し楽しく過ごす事をしたいだけ。
女性が夜会などの場で表立って男性と接触出来なくなったのも、番と関わらせたくない獣人の男性達が作り上げた暗黙の了解だと知った。
人族と獣人が住む国は擦り合わせる事が大変らしい。
フィルを見ていると理解出来る。
物凄く嫉妬深い。
獣人は厄介ではあるけれど、溺愛する姿を見た人族も、伴侶を大切にしようと努力するので結果的には良いのだろうか。
遥奈はワインを飲みながら目の前で号泣するフィルを慰める。
フィルと二人で参加した夜会で、関係を持った女性が突撃してきて過去の夜の話を遥奈に振った。
遥奈は全く気にせずフィルと突撃女を放置していた。
嫉妬を全くしない遥奈に対して、寂しい、愛されていない。と、泣き始めたフィル。
遥奈の日本での過去の事を蒸し返そうとしたので、「そんなに嫌われたいの?」
そう言ってみた。
フィルは慌てて謝罪し、「嫌わないで!」と縋りつき号泣して今に至る。
ワイン片手にフィルを見つめる。
面倒臭い番のフィルだけれど、遥奈だけに感情を見せ、沢山の愛を囁やいてくれる。
遥奈だけの唯一。
フィルだけの唯一。
二度も裏切られたけれど、愛し愛され、決して裏切られない相手に出会った異世界転移も、案外悪くはないのかな?




