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転生エルフは納豆が食べたい!【第0幕】過去編:発酵の聖者と、時空を渡る芽胞  作者: Geo
第二章 【豊かさという名の毒】

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人間の発展と「無精霊・偏食」への傾倒

変化というものは、いつも静かに始まる。


嵐のように来るのではない。朝靄のように、気が付けばそこにある。

気が付いた時には、もう世界が変わっている。


八百年以上を生きたアリエルは、それを知っていた。

知っていたのに——今回は、少し遅かった。


 ◇    ◇    ◇


最初の異変に気づいたのは、収穫祭の季節だった。


ガルディア王国の使者が、毎年恒例の「稲の捧げもの」を持ってエルンの森を訪れた。

アリエルは泉のほとりで受け取り、礼を言い、使者が去るのを見送った。

そして——捧げられた稲を手に取った瞬間、指先が止まった。


(……少ない)


量のことではない。

稲の穂に宿るナトゥーたちの気配が、例年の半分にも満たなかった。


(なぜ)


アリエルはわらを鼻先に近づけた。

かすかに、焦げた匂いがした。

焚き火でも、土の自然な腐敗でもない。人工的な、何か別のものを燃やした匂い。


(何があった)


その夜、アリエルは珍しく、自分からガルディアの街へ赴いた。



街の変化は、一目で見て取れた。


最初に集落を建てた頃からすれば、もはや別の場所と言っていいほどに発展している。

石畳の道、二階建ての建物、夜でも明かりを灯す街灯。市場には多くの物が溢れ、往来する人々の服は厚く、顔色は——良い。


それは喜ばしいことのはずだった。


だがアリエルの目は、市場の食材の並びに引っかかった。


(白い)


米が、白い。


以前は、籾殻を取り除いただけの玄米や、雑穀を混ぜた飯が主食だった。それが今では、徹底的に精米された白米ばかりが並んでいる。


肉が多い。


魚も干物もあるが、圧倒的に肉が多い。香辛料をふんだんに使った、脂の多い料理が軒先に並んでいる。


そして——ナトゥーが、ない。


正確には、ないわけではない。市場の隅の方に、少しだけある。

値札を見ると、以前と比べてずいぶん安い。

だが客が寄り付いていない。


「……ナトゥーはいかがですか! 身体に良いですよ!」


売り子の声が、通りに響く。

だが通り過ぎる人々の大半は振り向きもしない。


一人の中年の男が、立ち止まって値札を見て、それから隣の肉屋を見て——肉屋の方へ歩いていった。


アリエルは、その背中をしばらく見ていた。


 ◇    ◇    ◇


「白米と肉料理は、今や豊かさの証なのです」


翌日、ガルディアの宮廷で、アリエルに対応した王の側近——初代エドワード王の孫にあたる、コーリンという若い貴族が説明した。


「祖父の時代は確かに、ナトゥーや雑穀に頼る食事が主流でしたが……今は違います。精米の技術が発達し、肉の流通網も整いました。それは文明の発展の証ではないでしょうか」

「ナトゥーを食べなくなったのか」

「貧しい食事というイメージが……その、定着してしまいまして」


コーリンが、少し言いにくそうに言った。


「あれは昔、食べるものがなかった時代に食べていたもの、という認識が広まっていまして。今は豊かになりましたから、わざわざ——」


「腹の中に棲む精霊が、減る」


アリエルは静かに遮った。


「は?」


「精米された白米は、糠の部分に宿っていた精霊ごと削られている。肉ばかりを食べれば、体の内側に住む精霊の力が失われる。そうなれば——」


「アリエル様」


コーリンが、丁寧だが明確に遮った。


「私どもは今、大変元気にやっております。街の人々も、昔に比べて体格も良く、病気で倒れる者も減っています」


「今は、減っている」


「……はい」


「では——十年後、二十年後は?」


コーリンは、答えなかった。

答える必要がないと思っているのか、答え方がわからないのか。

アリエルには判断がつかなかった。



問題は、食事だけではなかった。


街を歩いていたアリエルは、広場の一角に人だかりを見つけた。

何事かと近づくと、演台の上に立った男が、よく通る声で何かを語っていた。


白い衣を纏い、胸に赤い炎の紋章を縫い取った男だ。


「——見えない悪魔が、あなたの体を蝕んでいる!」


男の手には、赤く輝く石が握られていた。


「土の中に、食物の中に、空気の中に! 無数の悪魔が潜み、病をもたらし、命を奪う!」


人々が息を呑む声が聞こえた。


「しかし! 火の神は我らに光を与えてくださった! この『火の魔法石』の力で、すべての悪魔を祓うことができる!」


男が石を掲げると、赤い光が広がり——周囲の石畳に向けて、一瞬、熱波のようなものが放たれた。


「これが、清炎魔法! 清らかな炎の御業! 精霊なき清浄こそが最も美しく、気高い状態なのです!」


拍手が起きた。

大きな拍手だった。


アリエルは、その光景を見ながら、指先が冷えていくのを感じた。


(あれは——)


ナトゥーたちが、悲鳴に似た声を上げた。



「火の信仰」は、ここ数年で急速に広まった新興宗教だった、と後で宮廷の文官に聞いた。


異国から伝来した「火の魔法石」——大地の深部にある特殊な鉱石で、特定の詠唱と組み合わせることで、細胞レベルの熱波を発する。

それを手に入れた教団が、「清浄こそ至高」という教義を引っ提げて急拡大していた。


確かに効果はあった。


清炎魔法をかけた傷口は化膿しにくい。食器に使えば腐敗が遅れる。部屋に使えば異臭が減る。


「見えない悪魔を祓う魔法」として、人々はこぞって教団に入信し、日常のあらゆる場面に清炎魔法を使い始めた。


食卓を拭く前に。肌に触れる前に。食べ物を調理する前に。


「清潔」という言葉が、いつしか「清浄」という言葉に置き換わっていった。



アリエルは、翌日また広場に行った。

昨日と同じ白衣の男が、今日も演説をしている。

人だかりも昨日より多い。


アリエルは人々の間を抜けて、演台の前まで歩いていった。

尖った耳が人目を引いた。エルフだ、という囁きが周囲に広がる。


「聖者アリエルだ」「エルン族の」という声も聞こえた。


男は演説を止め、アリエルを見た。

警戒している。だが、動揺は表に出さない。できる演者だとアリエルは思った。


「何か?」

「一つ聞いていいか」

「もちろん。我らは問いを歓迎します」

「清炎魔法で——土を焼いたことはあるか」


男が少し眉を動かした。


「土の中にも、悪魔は潜みます。農地を清浄に保つことは——」


「農地の土の中には」とアリエルは遮った。「精霊がいる」


「精霊? それは……我らの信仰とは異なる解釈で」


「目に見えない命が、土の中で植物の根と繋がっている。雨が土を豊かにできるのは、その精霊たちが栄養を分解して届けるからだ。清炎魔法でそれを焼き尽くせば——」


「清浄な土には、悪魔も棲めません。清浄な土で育つ作物は、より清らかで——」


「数年で、土が死ぬ」


広場が、静まり返った。


「土が死ねば、作物が育たなくなる。作物が育たなければ、人が飢える」


男の顔に、初めてわかりやすい感情が浮かんだ。


不快、だった。


「……アリエル様。長い年月を生きてこられたことは敬意を持って拝察いたします。しかし、我らの信仰と教義を否定されるのは——」


「否定ではない」


アリエルは静かに言った。


「確認だ。十年後、土を見なさい。そうすれば——わかる」


それだけ言って、アリエルは踵を返した。


 ◇    ◇    ◇


宮廷に戻ったアリエルを待っていたのは、コーリンの困り顔だった。


「アリエル様……教団の方々と、少々揉めたと聞きまして」


「揉めていない。話しただけだ」


「はあ……その、教団は今や、王国内でかなりの影響力を持ちまして」


「知っている」


「王陛下も、無下にはできない立場で……」


「わかっている」


アリエルはため息をついた。

八百年生きて、こういう状況にも何度か遭遇した。

正しいことを言っても、それが力を持つ者の利益と相反する時——正しさは、なかなか勝てない。


「コーリン」


「はい」


「ガレスのことを覚えているか」


コーリンが少し面食らった顔をした。


「祖祖父様のことですか? 歴史の授業では……」


「あの人は、私が言ったことを信じた。結果を見る前に」


「……」


「今のあなたたちには、それが難しい、ということはわかっている。だが——せめて」


アリエルは窓の外を見た。


石畳の街並み。豊かで、清潔で、にぎやかな。


「農地への清炎魔法だけは、やめさせてほしい。土が死んだら、取り返しがつかない」


コーリンは長い間黙っていた。


「……善処します」


善処、という言葉が何を意味するか、アリエルは長年の経験でよく知っていた。


(難しい、ということだ)




その夜、アリエルはエルンの森の中を歩きながら、ナトゥーたちと話した。

言葉ではない。気配と温度で。


(どうすればいい)


返ってくる感覚は——焦るな、という静けさだった。


(焦るな、と言っても)


アリエルは足を止めた。

巨木の根元に腰を下ろし、目を閉じる。


土の中の精霊たちが遠くまで伸びているのが感じ取れる。街の方向では、その繋がりがところどころ途切れていた。清炎魔法が当たった場所だ。


焼けた土の匂い。


(痛い、とナトゥーたちが言っている)


「知ってる」


アリエルは呟いた。


「でも——どうやって止める。言葉は届かない。力で止めることはしたくない」


ナトゥーたちの返答は、温かいものだった。

急かすな、と。


種が地に落ちて、芽吹くまでに時間がかかるように。

変化には、時間が必要だ、と。


「……私は、待てる」


アリエルは目を開けた。


「でも——土は、待てるか?」


答えはなかった。

代わりに、遠くの草原の方から、虫の音が聞こえてきた。秋の虫だ。

まだ、ここには虫がいる。

ここの土は、まだ生きている。


それだけで、今夜は十分だとアリエルは思うことにした。


 ◇    ◇    ◇


左手首の藁の腕輪を、アリエルはそっと撫でた。


(記録しなければ)


この変化を。人間の発展の光と、その影を。

豊かさが生む油断を。正しさが力に負ける瞬間を。

土の精霊が死んでいく速度を。

いつか来る、まだ見ぬ者が——この世界に生きる時に、同じ過ちを繰り返さないように。


あるいは。

繰り返したとしても、取り戻す方法を知っていられるように。


木々の上の方で、梟が鳴いた。

森の奥から、精霊を伝わって、土の記憶が静かに流れ込んでくる。

街の灯りが、木々の間から遠くに瞬いていた。


人間たちは今夜も、賑やかに生きている。

それは、嬉しいことのはずだった。


——ただ、少しだけ、アリエルの胸の奥が痛んだ。

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