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転生エルフは納豆が食べたい!【第0幕】過去編:発酵の聖者と、時空を渡る芽胞  作者: Geo
第一章 【精霊の愛し子】

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1/5

千年の森と、生きた伝説

今から一千年前。


エルン。


その名を持つ森は、今よりもさらに深く、さらに濃く、世界の果てまで続くかのような広がりを持っていた。

幹の一本一本が城壁ほどの太さを誇り、その根は大地の奥底で互いに絡み合い、まるで森全体が一つの巨大な生き物のように脈打っている。

そこに住むエルフたちは、人間が「魔法」と呼ぶものとは、まるで異なる力の源を信仰していた。


精霊。


目には見えない、けれど確かに存在する、無数の小さな命たちとの「共生」。

腐葉土がやがて新たな芽吹きとなる「生命の循環」。

その果てしない流れを尊び、感謝し、共に生きること。

それが、エルン族の根幹にある信仰だった。


 ◇    ◇    ◇


エルン族の中に、一人の少女がいた。

名をアリエル。


当時、まだ十六の数えで——エルフの成長速度で言えば、人間でいう十二、三歳ほどの外見をしていた。

銀を溶かして光に透かしたような白金の髪。翡翠と琥珀の混じり合ったような、複雑な色をした瞳。


ただし、外見がどれほど人目を引くものであっても、そのことで彼女が「伝説」と呼ばれるようになったわけではない。

アリエルが特別だったのは、その「感じ方」にあった。


エルフの中でも精霊と心を通わせる才は、ある種の選ばれた者だけに宿る。長老たちが言うには、千人に一人。あるいは万人に一人。

そしてアリエルは——「ナトゥー」の精霊と、魂ごと繋がることのできる、歴史上でも極めて稀な存在だった。


ナトゥー。


それは、エルン族の言葉では「不滅の守護者」を意味する。


摂氏百度の熱にも、マイナス数十度の凍土にも死なない。

芽胞という鎧に身を包み、あらゆる極限環境を眠りながら渡る。

そして条件が整うと、何千年の眠りを経ても目覚め、再び活動を始める。

その「極限の再生力」——エルフたちはそれを、精霊の「祝福」と呼んでいた。


 ◇    ◇    ◇


「アリエル。また一人でいたの?」


森の中の泉のほとりで、少女は膝を抱えてしゃがみ込んでいた。

腐葉土の上に座り込み、目を閉じ、何かに耳を傾けているような顔をしている。


声をかけたのは、アリエルより三つ年上の少年——族長の息子で、アリエルの幼馴染でもあるカイルだった。


「うん」


アリエルは目を開けず、短く答えた。


「……また、ナトゥーと話してるの?」

「話してるっていうか」


少しの間があった。


「一緒に、いる感じ」


カイルは少し眉を寄せた。

彼にも精霊と交信する力はある。エルン族の精鋭として選ばれるほどには。

だが、彼のそれは「交信」だ。言葉を交わし、依頼し、力を借りる——一種の契約に近い関係。

アリエルのそれは、違う。


「一緒にいる」


まるで精霊が、彼女の中に住んでいるかのような言い方だ。


「変なやつ」


カイルは苦笑して、隣に座り込んだ。


「長老がまた呼んでるよ。あなたの力は一族の宝だ、粗末にするなって」

「私は粗末にしてない」

「してないけど……ひとりぼっちで泉のそばに座ってる姿を見た人は、誰でも心配するって」


ようやくアリエルが目を開けた。

泉の水面に映る自分の顔を見て、少しだけ首を傾ける。


「ねえ、カイル」

「なに」

「ナトゥーたちが言ってる。今年の冬は、疫病が来る、って」


沈黙が落ちた。

風が泉の水面を揺らし、アリエルの白金の髪を静かに持ち上げた。

カイルは言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。


「……どこから来る疫病?」

「南の人間の街から。腐った水が原因。でも、ナトゥーたちは止める方法を知ってる」

「本当に?」

「うん。ただ、誰も信じてくれなかったら意味がない」


アリエルは立ち上がり、カイルを見た。

翡翠と琥珀が混じった瞳の奥に、年齢に不釣り合いなほど落ち着いた光がある。


「私が証明しなきゃいけないの。ナトゥーたちの力が、本物だって」


それが、のちに「発酵の聖者」と呼ばれる少女の——最初の一歩だった。


 ◇    ◇    ◇


その冬。

エルン族の長老たちが「子供の戯言だ」「精霊への冒涜だ」と批判する中、アリエルは一人、ナトゥーの精霊を増やすことを始めた。

腐った藁に宿った精霊を、丁寧にディーズ豆へと移し、温度を保ちながらアリエルのエネルギーを与える。できあがったものを、疫病で倒れた族人の傷口に塗り、あるいは煮出して飲ませた。


結果は——明白だった。

アリエルが手当てした者は、一人として死ななかった。

長老たちは押し黙り、カイルは目を見開き、族の民は彼女の前に跪いた。


「奇跡だ」

「精霊の愛し子だ」

「—— 聖者アリエル」


けれどアリエルは、そう呼ばれるたびに少し困ったように眉を寄せた。


(奇跡じゃない。ただ、ナトゥーたちに教えてもらっただけ)


心の中でそう思いながら、それを口にするのはいつも、カイルだけに対してだった。



それから月日が流れ、アリエルは二十歳になり、三十歳になり、五十歳になった。

エルフの平均寿命は二百歳ほどだ。だが「老い」は確実にやってくる。

百歳を過ぎれば毛髪に白が混じり、関節が軋み始め、魔法の精度が落ちていく。

それがエルフ、いや、生きるものの定め。


——だがアリエルは、違った。


五十歳になっても、百歳になっても、彼女の白金の髪は色を変えなかった。肌は翁の輝きを失わず、動きは俊敏で、精霊との交信の精度は衰えるどころか、年を経るごとに研ぎ澄まされていった。


「なぜアリエル様は老いないのですか」


ある日、若い族人が長老に問うた。

長老は長い沈黙の後、静かに答えた。


「ナトゥーの精霊が……彼女の細胞の中に住んでおられるからだ」

「住んでいる?」

「人の体の細胞は、日々死んで、日々生まれ変わる。普通の命は、その生まれ変わりが少しずつ不完全になって、やがて老いる」


長老は遠くを見るような目で続けた。


「だがアリエル様の細胞は——ナトゥーの加護により、完璧に修復され続けている。芽胞のごとく、老いを知らぬまま」


族人は絶句した。


「では……アリエル様は永遠に?」

「わからぬ。ただ——今のところ、老いというものを知られていない」




百年が過ぎた。

二百年が過ぎた。


アリエルの周囲の者たちは、一人、また一人と大地に還っていった。


カイルが死んだ。

子が生まれ、孫が生まれ、その孫も老いて死んだ。

それでもアリエルは、十六の頃と変わらぬ顔で、泉のほとりに座っていた。


「悲しくないの?」


ある日、幼い族人がアリエルに問うた。


「悲しい」


アリエルは静かに答えた。


「とても、悲しい」

「でも、泣いてないじゃないか」

「泣いた後、また前を向かなきゃいけないから。ナトゥーたちが言う——生命は循環する。大地に還ったみんなは、森の栄養になって、また新しい命を育てる。だから、悲しいけれど、怖くない」


子供は少し考えてから言った。


「アリエル様は、ずっとそうやって生きていくの?」


アリエルは答えなかった。

代わりに、遠くの木々を見上げた。

五百年分の歴史を映す、深い深い瞳で。


(私は——何のために生きているのだろう)


その問いの答えを、彼女はまだ知らなかった。

一千年の時が満ちる、その日まで。



五百年が過ぎ、八百年が過ぎた。


「生きた伝説」と呼ばれるようになって久しく、アリエルはエルン族の精神的支柱として、深く、静かに、森の中に根を張り続けた。

ナトゥーの知識を集め、記録し、後世に伝える。疫病が来れば薬を作り、飢えが来れば発酵食品の作り方を教え、争いが来れば和解の場を整えた。


彼女が「聖者」と呼ばれるゆえんは、奇跡を起こすからではない。

ただ、誰よりも長く生きながら、誰よりも真摯に、目の前の命と向き合い続けたから——それだけだった。


そして今から一千年前。

アリエルは、ある研究を完成させようとしていた。


ナトゥーの芽胞が持つ、時空を超える力。極限環境を眠りながら渡り、再び目覚める、その奇跡の仕組み。

もしそれを制御できるなら——菌だけでなく、意識そのものを、時を越えて送り届けることができるかもしれない。


それはまだ仮説に過ぎなかった。

ただ一つ確かなのは。

一千年の歳月を経て、アリエルが藁の腕輪に込めた「記憶」が、一人の転生OLの左手首で、静かに脈打ち始めたということだ。


—— ここから、全ての物語が始まる。

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