最終話: その手で運命をこじ開けろ
宇宙は、神々の戦場と化していた。蒼き希望の巨人『バール・ディスティニー』と、漆黒の絶望の化身『終焉の翼』。二つの機体が放つ光と闇が、静寂の宇宙空間で激しく交錯し、星屑を散らす。
「くっ…!速い…!これが、完全に覚醒したWの力…!」
私は、360度の全天周モニターに映し出される『終焉の翼』の神速の機動を、必死に追いかけていた。AI「バール」が弾き出す最適化された戦闘パターンをもってしても、Wが駆る漆黒の巨人の猛攻を捌き切れない。無尽蔵に供給されるオメガ粒子を推進力とするその動きは、もはや物理法則すら無視しているかのようだった。
『終焉の翼』の両肩から放たれる無数のオメガ・ブラストが、雨のように降り注ぐ。私は操縦桿を握りしめ、機体をスライドさせて回避するが、いくつかのビームがサイコシールドを纏ったアルファ装甲を掠め、コクピットが激しく揺れた。その衝撃が、私の脳裏に固く閉ざしていた記憶の扉を、容赦なくこじ開けていく。
――薄暗いカプセル。消毒液と錆、そして時折混じる血の匂い。
――「おはよう、クヲン。今日も良い子ね」。感情のない、電子加工された女の声。
――裸のまま引きずり出され、繰り返される「訓練」。
――薬。戦い。猫。痛み。叫び。そして、先端が細く尖った、見たこともない形状の装置。
――「これは、神経を直接刺激する特殊な電流よ。あなたの真の力を引き出すために脳のリミッターを完全に外すには、ある種の『快』を与える必要があると分かったの」
――ピィィィィィィン……。
――「ああああああっ!?」
――痛みではない、だが耐え難い「快感」の奔流。思考を麻痺させ、本能を支配する灼熱の刺激。そして体の奥深くから、無理やり引きずり出された記憶。
――「素晴らしいわ、クヲン。これが、あなたの新しい『力』の扉を開く鍵よ…」
「う…あ…ああああっ!」
忌まわしい記憶のフラッシュバックに、私の意識が乱れる。その一瞬の隙を、Wは見逃さなかった。『終焉の翼』の巨大な腕が、『バール・ディスティニー』の左腕を掴み、力任せに引き千切った。火花と冷却材が、静寂の宇宙に無音で散る。
『警告。左腕部、完全損壊。機体バランス、大幅に低下』
「クヲン、しっかりしろ!アルファとシンクロしてるサイコパルスの意識が乱れてる!」
バールの冷静な警告と、ミラーの必死の叫びが、ヘルメットの通信機から響き渡る。
『クヲン!聞こえる!?一人で戦ってるんじゃないわよ!私たちが、私たちがついてる!思い出して!』
『そうよ、クヲン!あんたが諦めたら、誰がこの世界を守るの!私を信じて!あんたは、もう一人じゃないんだから!』
地上から届くミラーの声。そして、Sが率いるZの艦隊を相手に、たった一機で奮闘しているはずのシンシアの声。
二人の声が、悪夢に沈みかけていた私の意識を、強く引き戻した。そうだ…私は、もう一人じゃない。あの灰色の檻の中で、唯一の話し相手だった猫…私がシロと呼んでいた、あの賢い猫の言葉が蘇る。
――「お前はたくさんいる。全部お前で、お前じゃない」
――「お前たちは、全部あいつらのデータ採取のためにいる。お前は頑丈みたいだけど、壊れたら、また新しいお前が出てくるだけだ」
そうだ。私は、無数の「私」の犠牲の上に生かされた、ただ一人の生存者。そして、目の前で戦っているWは…Wこそが、あの地獄で失われ、壊され、消費されていった、全ての「私」たちの悲しみと怒り、そして類稀なる才能のデータを元に作られた…あの研究者たちの理想とした『成功体』。私の…究極のオリジナルなんだ。
その真実に辿り着いた瞬間、私の心の中で、何かが音を立てて繋がった。悲しみも、怒りも、そしてあの忌まわしい記憶さえも、全てが今の私を形作る一部なのだと、受け入れることができた。
「そうか…私は…私で、いいんだ…」
その時、『バール・ディスティニー』の機体が、これまでとは比較にならないほどの蒼い光を放ち始めた。いや、それは単なる蒼ではない。虹色に輝く、温かく、そして力強い生命そのものの光だった。
『…パイロットとのシンクロ率、計測限界を突破。機体制御システム、アルファ・フレームとの共鳴レベル、ステージ4へ移行。アルファ・ドライブ、フルドライブ。これは…“意志の力”と推測…』
AI「バール」が、初めて驚愕の声を上げた。
私は、完全に生まれ変わった機体の感覚を確かめながら、静かに、しかし強く宣言した。
「コードネーム、こじ開ける運命。それは、自らの手で、支配から未来をこじ開ける者」
操縦桿を握りしめる。
「W、終わらせてあげる。私の手で、あなたを…そして、私たちの歪められた運命を、こじ開けてやる!」
***
「すごい…星が燃えているみたい」
ミラーがモニターを見て感嘆の声を上げる。覚醒した『バール・ディスティニー』の動きは、神懸かっていた。Wが駆る『終焉の翼』の神速の機動を、まるで未来予知でもしているかのように全て見切り、いなしていく。それは、単なる性能の向上ではない。私とバール、そして機体そのものが、完全に一つになった証だった。
「なぜだ…!?なぜ私の攻撃が当たらない…!?お前は、失敗作のはず…!」
Wの虚ろな声に、初めて焦りの色が混じる。
「違う、W。成功も、失敗作もない。あなたも、そして消えていった全ての“私”たちも、みんな、確かに生きていた。苦しんで、それでも生きていたんだ!その苦しみを、悲しみを、私が全て受け止める!」
『バール・ディスティニー』が、光の翼を広げ、『終焉の翼』へと迫る。それは、もはや戦闘ではなく、救済のための抱擁のようでもあった。
その頃、地上では、オリヴィア所長がZに直接コンタクトを取っていた。
「ゼニス…いいえ、あなたはアラン・キサラギ。そうでしょう?かつて、私の父の最も優秀な助手でありながら、実験中の事故で命を落としたはずの天才科学者。そのあなたの意識データが、オデッセイ号の…父が遺したオメガ理論を悪用して、あなたの肉体を修復しZという人工知能として蘇った…違うかしら?」
しばらくの沈黙の後、Zから返答があった。その声は、もはや威厳に満ちたものではなく、どこか悲しげな響きを帯びていた。
『…その通りだ、オリヴィア。私は、人類最高の天才キサラギ博士の遺志を継ぐ者。彼は、超能力の限界を知り、人類という種の生命としての限界に絶望していた。だから私は、彼の理論で不完全な人類の法則を書き換え、選ばれし人類を覚醒させ完成されたステージへと導く。それが、私に与えられた、唯一の存在意義なのだ!』
歪んだ理想、悲劇的な使命。しかし、もはや彼の言葉は、誰の心にも響かなかった。
***
宇宙での戦いは、最終局面を迎えようとしていた。私は、『終焉の翼』を追い詰め、最後の切り札である「サイトロン・テラニウム・オメガ・ハイパーブラスター」の照準を合わせた。その砲身には、小惑星すら粉砕するという、凄まじいエネルギーが充填されていく。
『最終兵装、使用可能。目標、『終焉の翼』。撃ちますか?』
バールの問いに、私は首を横に振った。
「いいえ、バール。目標は破壊じゃない。…救済よ」
私は、バールの照準システムをマニュアルで調整した。
「エネルギー出力を再設定。目標は『終焉の翼』の動力炉と、Wの子宮内制御コアの共鳴連鎖を、その根本から断ち切ることだけだ!」
「W!あなたはもう、誰かのための道具じゃない!あなたは、あなた自身の人生を生きる資格がある!」
私の叫びと共に、『バール・ディスティニー』の胸部から、虹色の閃光が放たれた。それは、破壊の光ではない。生命の輝きそのものだった。光は優しく『終焉の翼』を包み込み、その禍々しいオメガのオーラを浄化していく。漆黒の装甲に亀裂が走り、中から、宇宙服に包まれたWの体が、静かに宇宙空間へと放出された。彼女の下腹部にあった十字の紋章は、その輝きを失い、消え去っていた。
ヘルメットの中で、Wの瞳から、一筋の涙が零れ落ちるのが見えた。生まれて初めて流す、本物の涙。
「私…は…」
その瞬間、地上ではミラーがLとの熾烈なサイバーバトルに勝利し、国際宇宙ステーション「ギガント」の全世界同時洗脳システム、コードネーム・サンライズの起動を寸前で阻止した。シンシアもまた、Sを捕縛し、Zの艦隊を無力化することに成功していた。
全ての計画が破綻したZは、彼のメインサーバーがあるギガントの一室で絶叫した。
「なぜだ…!なぜ私の計算が、不完全な人間の“意志”ごときに敗れる…!まだだ、まだ終わらん…!」
Zが最後の抵抗として、ギガントの自爆シークエンスを起動しようとした、その時。彼の目の前のモニターに、解放されたWの姿が映し出された。
『あなたは…もう、誰の夢も見なくていいのよ』
Wが、最後の力を振り絞って、自らのサイコパワーをギガントのメインサーバーへと叩きつけた。Zの意識データは、閃光と共に宇宙の塵と消え、ギガントは全ての機能を停止した。
***
数ヶ月後。東京には、嘘のように平和な日常が戻っていた。
Wは、アイギスで保護され、専門のカウンセラーのもと、少しずつ人間らしい感情を取り戻していた。まだ言葉数は少ないが、時折、私やシンシア、ミラーと一緒にお茶を飲んだり、本を読んだりするようになった。彼女が初めて見せたはにかんだような笑顔は、何よりも尊いものに思えた。
シンシアは、メイド喫茶「月詠屋」のトップメイドとして、元気に働いている。もちろん、銀髪のウィッグ姿で。彼女が水アレルギーにも関わらず沖縄旅行で水着にこだわったのは、やはり、私たちを元気づけるためと、彼女自身の小さな挑戦のためだったと、後になって照れくさそうに教えてくれた。
ミラーは、相変わらずアイギスのラボに篭もり、Zが遺した負の遺産の解析と、世界のネットワークの修復作業に追われている。しかし、その表情は以前よりもずっと柔らかく、穏やかになった。時々、フェリシアに「たまには休暇も悪くないわね」と呟いているらしい。
そして私は、あの「月詠屋」のテラスで、膝の上で丸くなる黒猫を撫でていた。
「シロ…。私、やったよ。ようやく自分の運命を、ちゃんと、この手でこじ開けられたみたいだ」
猫は、私の言葉が分かったかのように、にゃあと一声鳴いて、その温かい体を私の手にすり寄せた。
空を見上げる。そこには、どこまでも広がる、抜けるような青空があった。
Zも、Wも、そしてあの研究所も、もういない。私たちの長く、過酷な戦いは終わったのだ。
しかし、私たちの人生は、これからも続いていく。
たくさんの悲しみと、痛みと、そしてかけがえのない絆を胸に。
私、クヲン。
ミラー。
シンシア。
私たち三人の少女が、その手でこじ開けた、新しい未来。その未来を、私たちはこれから、精一杯生きていく。