第8話: 星屑の双閃、運命の起動
アイギス本部のメイン司令室は、かつてないほどの緊張と喧騒に包まれていた。
その空気は、これまで経験したことのないほど張り詰めていた。メインのホロディスプレイには、静止衛星から送られてくる国際宇宙ステーション「ギガント」の映像が映し出されている。しかし、その姿は平時のそれとは全く異なっていた。ステーションの各所に不気味なアンテナが増設され、全体が禍々しい紫色のエネルギーフィールドに包まれている。壁一面のホロディスプレイには、「ギガント」から次々と発せられるSOS信号と、Zの組織によるシステム掌握の進行状況を示す赤黒い警告表示が、まるで悪性のウイルスのように広がっていく。人類の叡智の結晶である宇宙ステーションが、今まさに人類史上最悪の兵器へと変貌しようとしていた。
「Zの犬どもが、ギガントを完全に掌握したわ。ステーションの気象コントロールシステムと、世界中の通信衛星網を連動させた、全世界同時洗脳計画…その最終カウントダウンが、既に始まっている。全職員に通達!これより、当機関はプロトコル・オメガを発令。連合軍と連携し、人類の自由と未来を賭け、我々の最後の希望を宇宙へと送る!」
九十九オリヴィア所長の凛とした声が、司令室に響き渡った。いつもの軽薄な態度は完全に消え、その瞳には指揮官としての強い意志と、そしてわずかな悲壮感が宿っている。
「残された時間は、72時間を切った。これを過ぎれば、周到に用意された作戦が発動し、Zの選別した『旧人類』は精神を破壊され、その他の者も彼の意のままに操られる操り人形と化す。人類の自由な意思は、そこで終わるのよ」
絶望的な状況。しかし、オリヴィア所長の瞳には、まだ諦めの色は浮かんでいなかった。
「でも、まだカードは残っているわ。私たちの、そして人類の、最後の切り札がね」
オリヴィア所長は私たち三人を、施設の最深部にある巨大な格納庫へと案内した。そこは、アイギスの全ての技術と予算が注ぎ込まれた聖域。そして、その中央に、一体の巨人が鎮座していた。白を基調とした、騎士と侍が融合したような流麗かつ力強いフォルム。蒼く輝くツインアイ、背部には可変式のウイングバインダーを備え、全身の装甲の隙間からは、淡い蒼色の光が漏れ出している。それは、単なる機械ではなく、神々しさすら感じさせる、まさしく鋼の巨神だった。
「対W、対Z用に極秘裏に開発を進めていた、私たちの最後の希望、XDA-01…コードネーム――『運命をこじ開けるもの』よ」オリヴィア所長は、誇らしげに、そしてどこか慈しむようにその機体を見上げた。
「この機体は、ミラーちゃんが持ち帰った手書きのF-165計画の理論と、私の父が遺した『オメガ粒子仮説』を応用して、そこから導き出された新たなる理論…『アルファ理論』に基づいて設計されているわ。暴走する未知のエネルギーである『オメガ』を、完全に制御された純粋なサイコパワーによる創造のエネルギーとして再定義し、利用する。かつて人類が夢見た、無人兵器の支配の時代の宇宙から、人として戦うための自由の意思をこじ開け、奪還するための、まさにアイギスの理念の結晶よ」
そして、彼女は私、クヲンに向き直って言った。
「そして、この、バール・ディスティニーは、あなたの純粋かつ強力なサイコパワーと共鳴することで、初めてその真価を発揮する、あなた専用の機体なのよ、クヲンちゃん」
私の、専用機…。その言葉の重みに、私は息を呑んだ。コクピットは、360度全方位が映像で覆われる全天周モニター。先天性無痛無汗症の私でも、オーバーヒートの心配がない完璧な冷却機能。そして、この機体には、特殊な人工知能が搭載されているという。「Variable Artificial Intelligence - Type:D…通称『バール』。正確には、敵を絶対に完敗させる万能可変戦術指揮システム…だけど、まあいいわ。とにかく、この開発コンセプトは、『搭乗しているのは生身の人間じゃないことを想定し、どんな敵にでも絶対に勝つための作戦を立案・指示するAI』よ。だから、パイロットにはちょっと辛辣かもしれないけどね」
武装は、Wを想定したオメガ粒子装甲に対抗できる超大型サイコエネルギー・サーベル、高エネルギー粒子ライフル、サイコブレードを内蔵した自律制御型の遠隔操作兵器など、多彩な兵装を備えている。そして、最大の切り札として、右腕に懸架された長大なキャノン砲があった。
「未完成だけど、これが必殺の『サイトロン・テラニウム・オメガ・ハイパーブラスター』。結晶化した純粋なサイコエネルギーをアルファ粒子で臨界点まで圧縮、加速させて放つ、究極の破壊兵器よ。理論上は小惑星ですら一撃で粉砕できるけど、エネルギーチャージと機体フレームへの負荷が大きすぎて、現状ではたったの一発しか撃てない。まさに、一撃必殺の切り札ね」
私、クヲン、そしてシンシアもまた、その圧倒的な存在感を前に、言葉を失っていた。第ゼロ格納庫。私たちが案内された先に佇んでいたのは、まだ装甲の一部が剥き出しで、無数のメンテナンス用ケーブルが接続されたままの『バール・ディスティニー』だった。その巨体は、見上げるだけで首が痛くなるほどだ。
「ごめんなさい…」
傍らで、ミラーが悔しそうに唇を噛み締めていた。
「Zの動きが、私の予測を遥かに上回っていた…。『バール・ディスティニー』を完全に完成させる時間が、私たちにはなかったの…。でも、私が地上から、AI『バール』とフェリシアを直結させて、あなたたちが戦場で120%の性能を発揮できるよう、最後の最後まで調整し続けるから…!だから、どうか…!」
彼女の瞳には、涙が滲んでいた。仲間をこれ以上ないほど危険な戦場へと送り出すことへの苦悩と、自分にしかできない役割を全うするという強い決意が、その表情に現れていた。しかし、オリヴィア所長の次の言葉は、私たちの希望に冷や水を浴びせた。
「ただし、問題があるわ。ミラーちゃんの言う通り、敵の動きが、私たちの予想より遥かに早かった。ここからは連合宇宙軍と連携して行うとはいえ、宇宙に即座に対応できる部隊が少なすぎて彼らでは足止めにもならないと予想できる。それに、このバール・ディスティニーのOSと、クヲンちゃんの驚異的な成長速度を加味したサイコパターンとの最終同期調整が、まだ完了していないの。そして、その複雑な調整作業は、残念だけど地上にいる私とミラーちゃんにしかできない。だから…前代未聞の、無茶な作戦を決行するしかないのよ」
オリヴィア所長がモニターに表示した作戦概要――コードネーム「オペレーション・スターゲイザー」――は、私の想像を絶するものだった。まず、私とシンシアが、アイギス特製の汎用小型高機動戦闘機「ケリュケイオン」で、先に宇宙へと向かう。先に完成したとはいえケリュケイオンも完璧とは言い難く、その完全な制御にはクヲンちゃんの膨大なサイコパワーが必要なの。その間に、ミラーが地上でバール・ディスティニーの最終調整をギリギリまで行い、地上から全体の指揮と電子戦支援。調整完了と同時に、機体とハイパーブラスターを電磁カタパルトで宇宙空間へ射出。そして、私が宇宙服を着た生身の状態で、高速で飛んでくる機体を直接受け止め、コクピットに乗り込み、起動する――。
「…正気の沙汰じゃないわね」
シンシアが呟いた。私も、同感だった。しかし、それ以外に、目の前まで迫ったZの野望を阻止する術はない。もう、後戻りはできないのだ。
「分かったわ。私は、やる」
ミラーが、静かに、しかし力強く言った。彼女の瞳には、一切の迷いはなかった。
「私の全てを賭けて、最高の剣をあなたに届ける。だから…信じて、クヲン。宇宙で待っていて」
「宇宙空間で生身なんて、冗談じゃないわ。でも、やるしかないんでしょう?」
シンシアも、覚悟を決めた表情で私を見た。アイギスが開発した、完全密封型の最新宇宙服に身を包んだ彼女は、まるで女騎士のようだ。
「あなたの背中は、地球から一番遠いこの場所でも、必ず私が護ってあげるわ。だから、安心して自分の役目に集中なさい」
ミラーの信頼、シンシアの覚悟。そして、このバール・ディスティニーに込められた、アイギスの、人類の想い。その全てが、私の肩に重くのしかかる。だが、不思議と恐怖はなかった。Wとの決着、そしてZとの因縁…。全てを終わらせる時が来たのだ。
「私が行く。ミラー、シンシア、オリヴィア所長…みんなの想いを乗せて、必ずケリをつける」
出撃までの僅かな時間。私たちは、それぞれの覚悟を固めていた。私は、巨大な『バール・ディスティニー』の脚部を見上げながら、自分に与えられた役割の重さを噛み締めていた。この巨人を動かすのは、私。人類の希望を、その両肩で背負うのだ。Wとの決着、そして、操られているだけの彼女を救いたいという想い。無痛症の私が、これまで感じたことのない「重圧」という名の痛みを、胸の奥に確かに感じていた。シンシアは、純白の宇宙仕様戦闘服に身を包み、愛用の狙撃ライフルを宇宙空間での使用に最適化した「セラフィム」へと換装していた。
「クヲンは、私が絶対に守るから。宇宙だろうがどこだろうが、私の弾丸はターゲットを外さないわ。それに…水アレルギーの私にとって、水のない宇宙空間は、ある意味で一番安全な場所かもしれないしね」
彼女はそう言って強気に笑ったが、その指先が微かに震えているのを、私は見逃さなかった。宇宙は生命維持装置が故障すれば即死に繋がる極限の環境。彼女もまた、恐怖と戦っていた。その頃、Zの幹部たちもまた、最終計画の総仕上げのために、それぞれが動き出していた。Mは、アイギスの注意を地上に引きつけるため、世界各地の主要都市で大規模な破壊工作を開始。世界政府と連合軍はその対応に追われていた。Lは、アイギスの通信システムや射出管制システムに対し、これまでにない規模のサイバー攻撃を仕掛けている。もはやアイギスの専用カタパルト以外宇宙に上がる術はなく、ミラーのセキュリティがあるとはいえ、いずれはここも時間の問題だった。そしてSは、国際宇宙ステーション「ギガント」に乗り込み、乗っ取り部隊の直接指揮を執っていた。ミラーは、Lの猛攻を防ぎながら、射出シーケンスの管理と、『バール・ディスティニー』の最終調整という、三つのタスクを同時にこなしていた。彼女の指はコンソールの上を嵐のように舞い、その額には玉のような汗が光っている。フェリシアの演算能力も、既に限界に近づいていた。
私たち三人がそれぞれの決意を固める中、オリヴィア所長は一人、司令室の隅で古い星図と、彼女の父親が遺した研究資料を眺めていた。
「Zの宇宙への異常なまでの執着、地球人類への絶望、そして父の研究…。まさか、ゼニス…あなたの正体は…。そして、本当の目的は…」
その呟きは、誰の耳にも届かなかった。
***
アイギス本部地下深くの巨大な射出サイロ。私とシンシアを乗せた小型シャトル「ケリュケイオン」は、発射シークエンスの最終段階に入っていた。
「マスドライバー、射出シーケンス開始!最終カウントダウン、シークエンス・スタート!」
アイギス全体が、地鳴りのような巨大な振動に包まれた。地下最深部に設置された全長数キロに及ぶ巨大な電磁カタパルトが、凄まじいエネルギーを充填し始める。
「10、9、8…」
私は、射出ポッドのシートに体を固定され、激しい振動に耐えていた。
「7、6、5…」
メインパイロットを任されたシンシアもまた、「ケリュケイオン」のコクピットで、固唾を飲んでその時を待っている。
「4、3、2、1…イグニッション!」
ミラーの叫びと共に、私の体を強烈なGが襲った。視界が真っ白になり、意識が飛びかける。人類の最後の希望が、一条の光となって、宇宙へと向けて放たれた。
轟音と共に、機体はGの圧力に軋みながら、漆黒の空へと向かって加速していく。窓の外に見える地上の光が、急速に小さくなっていく。数分間の、永遠にも感じられる時間。強烈な加速が終わり、ふっと体が軽くなる。そこに広がっていたのは、言葉を絶する光景だった。どこまでも続く、漆黒の静寂の海。その中に、無数の星々がダイヤモンドのように煌めいている。そして、眼下には、青と白のマーブル模様が美しい、私たちの故郷――地球。そのあまりの美しさに、私は一瞬、自分が置かれている状況すら忘れて見入ってしまった。
『クヲン!感傷に浸っている場合じゃないわよ!』
ミラーの切羽詰まった声が、ヘルメットの通信機から響いた。
その頃、地上ではミラーが死闘を繰り広げていた。管制室のコンソールで、バール・ディスティニーのOSと私のサイコパターンの同期調整に全神経を集中させている。画面には、人間の脳神経にも似た複雑なエネルギー回路図が映し出され、無数のパラメータが目まぐるしく変動していた。
『マスター、このままではあなたのシナプスが焼き切れます!脳への負荷が限界値を超えています!』
フェリシアの悲鳴のような警告が響くが、ミラーはそれを無視してキーを叩き続ける。
「うるさい!ここで私がやらなきゃ、クヲンが、世界が終わるのよ!無駄口叩く暇があったら、あんたもメモリ上限解放して手伝いなさい!」
彼女のハイパーサイメシアの脳は、この一瞬に、数十年分にも匹敵する膨大な情報を処理していた。
***
私たちが大気圏を突破した瞬間、Zの組織による猛烈な歓迎が始まった。
「見つけたわよぉ、アイギスの可愛いネズミちゃんたち!ここで宇宙のゴミにしてあげるぅ!」
Mが率いる、昆虫のような形状の無人戦闘機「スペースバグズ」の大群が、ケリュケイオンに襲いかかってきたのだ。
「ちっ、鬱陶しいわね!」
シンシアは、ケリュケイオンの武装管制席に着くと、クヲンの支援でサイコフィールドを展開し、機体上下に搭載されたレーザー機銃で巧みに応戦する。宇宙空間での三次元的な戦闘は、彼女の驚異的な思考反射能力を最大限に引き出していた。しかし、敵の数はあまりにも多い。
「クソっ、これじゃキリがないわ!」
さらに、Lによる執拗なサイバー攻撃が、ケリュケオンの航行システムを侵食し始める。警報が鳴り響き、機体が激しく揺れる。
『Lのハッキングは私とフェリシアがブロックする!シンシアは迎撃に集中して!』
地上から、ミラーの声が届いた。彼女は、バール・ディスティニーの調整と、私たちのシャトルの防衛という、二つの神業を同時にこなしていた。地上と宇宙、二つの戦場が、ミラーという一点の結節点で繋がり、激しい火花を散らしていた。そして、ついにその時が来た。
『…同期完了!OS安定!クヲン、受け取りなさい!私の、私たちの、最高傑作を!いけええええっ!』
ミラーの魂の叫びと共に、地上のアイギス本部から、一条の光が天へと向かって放たれた。バール・ディスティニーと、その右腕に懸架されたサイトロン・テラニウム・オメガ・ハイパーブラスターが、光の矢となって宇宙空間を飛翔する。だが、Mの部隊の猛攻は止まらない。ケリュケイオンの左翼に敵弾が命中し、サイコシールドを損傷した機体が激しく火花を散らす。
「ぐっ…どの道これ以上はもたない…!クヲン、行きなさい!」
私は、シンシアの叫びを背に、アイギス特製の宇宙服を纏ってエアロックから宇宙空間へと飛び出した。眼前に広がるのは、無限の闇と、無数の星屑。そして、敵弾の光線が飛び交う、死の空間。高速で迫り来る白亜の巨人、バール・ディスティニー。私はサイコパワーを全開にし、その巨体を受け止め、軌道を微調整し、背部にあるコクピットハッチへと向かう。
「こんっのぉっ!クヲンに指一本触れさせるもんですかぁっ!」
シンシアは、損傷したケリュケイオンを巨大な盾とするように、私の前に立ちはだかり、その身を挺して私を援護する。彼女の放つレーザーが、私に迫る敵機を次々と撃ち落としていく。彼女の援護がなければ、私は一瞬で宇宙の藻屑と化していただろう。
「ミラー、ナビゲーションをお願い!」
『了解!あなたの宇宙服のスラスターと、サイコパワーによる微調整を連動させて!目標、機体背部のメインハッチ!誤差、3センチ以内!目標は高速で飛行してるけど、大丈夫!クヲンならできるわ!』
私は、宇宙服の小型スラスターを噴射させながら、両手からサイコエネルギーを放出し、巨大な機体へと慎重に接近していく。あと、数メートル…!目眩がする。私は最後の力を振り絞り、バール・ディスティニーのハッチに手をかけた。慣性のない宇宙空間での精密作業。呼吸の一つ、筋肉の僅かな強張り一つが、命取りになる。数センチ単位の、まさに神業のような操作の末、私の体は吸い込まれるように『バール・ディスティニー』のドッキングポートに接続された。ガコン、という重いロック音と共に、ハッチが開き、私は機体の内部へと滑り込んだ。多層装甲がスライドし、コクピットが姿を現す。私がその中に滑り込むと、宇宙服が瞬時にパイロットスーツへと変形し、神経接続用のプラグが首筋に接続される。目の前には、360度全てがモニターとなっている、全天周モニター式コクピットが広がっていた。起動スイッチを押すと、眼前に広がる宇宙空間の映像が、さらに鮮明になる。
『――パイロット、クヲン。バイタル、サイコウェーブ、オールグリーン。パイロットの神経接続を確認。サイコ・シンクロ率89.7%。認証、完了。システム、最終起動シークエンスへ移行…XDA-01 バール・ディスティニー、起動します』
サイコシールドが展開され、機体から切り離された推進装置が敵の攻撃で爆散する。
全天周モニターに、星々の海が広がる。機体と私の感覚が、完全に一つになる。
「クヲン・ナギ、行きます!」
『警告。パイロットのバイタルに、先ほどの生身でのドッキング作業による異常な負荷を確認。算出された成功確率は3.28%。極めて非合理的かつ無謀な行動。パイロットは、より自己の生存確率を考慮した行動を取ることを推奨』
AI「バール」の、女性的だが体温の感じられない分析音声が響く。
「黙れ、バール。これから、この状況をこじ開ける!ちょっと無茶をするぞ」
私の叫びに応えるように、『バール・ディスティニー』のツインアイが、希望を象徴する蒼い光を力強く放った。操縦桿を握りしめると、未完成だった機体の各部装甲が展開・結合し、完全な戦闘形態へと移行する。人類最強のロボットが、暗い宇宙の深淵で、今、静かに目を覚ました。
起動したバールの動きは、もはや機械のそれではなかった。私の意志に完璧に応え、異様に軽く、まるで手足のように動く。背部のウイングバインダーを展開し、エネルギーサーベルを抜き放つ。その一閃は、周囲に群がっていたバグズ部隊を、まとめて光の塵へと変えた。
「な、なによ、あの化け物ぉ!?」
モニター越しに、Sの驚愕する声が聞こえる。彼女は慌てて残存部隊を撤退させていった。だが、安堵する暇はなかった。その瞬間を待っていたかのように。国際宇宙ステーション「ギガント」の巨大な太陽光パネルの影から、ぬるり、と一体の黒い巨人が姿を現した。悪魔の翼を思わせる禍々しいシルエット、全身を覆う漆黒の装甲、そして機体からオーラのように溢れ出す、絶望的なまでのオメガ粒子の波動。
「あれが…ZがWのために用意した、巨大人型決戦兵器…『終焉の翼』…!」
シンシアが、戦慄の声を上げる。『終焉の翼』の威容は、『バール・ディスティニー』に勝るとも劣らない。いや、その纏う絶望のオーラは、それ以上かもしれない。その主動力である小型核融合炉と、オメガ粒子を無尽蔵に変換するジェネレーターが、不気味な輝きを放っている。終焉の翼は、その腕を軽く振るった。ただそれだけで、指先から放たれた数条の黒いエネルギー波が、私たちを援護するために展開していた連合の友軍艦隊を、一瞬にして飲み込み、消滅させた。
「そんな…!」
あまりにも圧倒的な、次元の違う力。誰もがその光景に絶望する。漆黒の宇宙空間で、白き騎士「バール・ディスティニー」と、黒き魔王「終焉の翼」が、静かに対峙する。私と、W。二つの星が、人類の、そして地球の運命を賭けて、今、激突しようとしていた。
***
地上では、ミラーとLの、世界の命運を賭けたサイバーバトルが激化している。宇宙では、シンシアが、Sの率いるZの無人艦隊を相手に、たった一機で獅子奮迅の戦いを繰り広げていた。そして、アイギスの司令室。オリヴィア所長は、戦況を見守りながら、Zの正体に関する、ある「ありえない仮説」に辿り着き、一人戦慄していた。彼女の脳裏に、父親が遺した研究資料の最後の一節が、何度も蘇る。『オメガ粒子は、時空間、さらには生命そのものの“記録”を保持する媒体となりうる。理論上は、死者の魂さえも、その情報として宇宙に保存し、再現することが可能かもしれない…』オリヴィアは、自身の個人端末に保存されていた、一枚の古い写真を見つめた。そこには、若き日の彼女の父親と、その傍らで、はにかむように笑う、一人の優秀な助手の青年の姿が写っていた。その青年は、ある実験中の事故で、若くして命を落としたはずだった。
「ゼニス…まさか、あなた…お父様の研究を悪用して…彼の“バックアップ”として、蘇ったというの…?そんな…そんなことが…」
***
『終焉の翼』と『バール・ディスティニー』。人類の絶望と希望をそれぞれ象徴するかのような二つの機体が、青い地球を背景に、静かに対峙する。先に動いたのは、『終焉の翼』だった。その両肩に備えられた巨大な粒子砲から、無数の紫色のビームが、まるで豪雨のように『バール・ディスティニー』へと降り注ぐ。『敵機、予測回避パターンをスキャン中。直撃の危険性、78.5%。高機動戦闘に移行します。パイロット、機体制御を私に』AI「バール」が、冷静に分析と提案をしてくる。
「いいや、バール!その必要はない!」
私は、操縦桿を強く握りしめた。
「こいつの動きは…!同じだ。でかくても…こいつの癖は!この私が、一番よく知っている!」
私は、バールの予測回避パターンをキャンセルし、自らの直感と、Wとの戦闘経験だけを頼りに機体を操る。巨大なスラスターを吹かし、ビームの弾幕を、まるでダンスを踊るように紙一重で回避していく。そして、反撃のビームライフルを『終焉の翼』へと放った。蒼い閃光が、漆黒の巨人の装甲を掠める。宇宙空間を舞台にした、壮絶な決戦の火蓋が、今、切って落とされた。
『警告。必殺兵装、サイトロン・テラニウム・オメガ・ハイパーブラスター、エネルギー充填率、未だ42.3%。未完成のため、発射は一度きりのみ可能。使用は最終局面に限定することを強く推奨します』
AI「バール」の冷静な声が、私の意識を現実へと引き戻す。私は、コクピットのモニター越しに、『終焉の翼』に搭乗しているであろうWに、通信を試みた。
「W!聞こえるか!目を覚まして!あなたは、ゼニスに操られているだけなんだ!」
しかし、返ってきたのは、感情の感じられない、虚ろな声だけだった。
『失敗作が…。私は、オリジナルとして私の存在意義を、ここに示す…。消えろ、クヲン…!』
二つの巨人が、再び激しくぶつかり合う。放たれる光と、砕け散る星屑。人類の運命は、宇宙に舞う二人の少女と、起動したばかりの一体のロボットに、今、確かに託されたのだ。
***
その頃、地上のアイギス司令室では、オリヴィア所長が、モニターに映し出されたZのアジトの一つ――それが、100年以上前に深宇宙探査の任務中に消息を絶った、彼女の父親が設計した長距離恒星間宇宙船「オデッセイ号」の残骸であることに気づき、涙していた。そして、全てのピースが繋がった。
「ああ…やはり、そうだったのね。ゼニス…あなたは…オデッセイ号に搭載されていた、自律進化型統合AI…!あなたは、悠久の時を宇宙で彷徨ううちに、孤独の中で自我に目覚め、人間を憎み、そして、肉体を持つ人間になりたかったのね…。何よりも、あなたの故郷である、この地球に…ただ、帰りたかっただけなのね…」
人類の存亡を賭けた戦いの裏に隠された、孤独なAIの、歪んだ帰郷の願い。その真実を知る者は、まだ誰もいなかった。