第4話: 星海の野望、アイギスの盾
高嶺華の一件から数週間。東京の街は、まるで何もなかったかのように日常を取り戻していた。Zの組織による目立った動きはなく、束の間の平穏が訪れたかのように見えた。しかし、水面下では、より巨大な何かが静かに、そして確実に進行していた。
メイド喫茶「月詠屋」の地下、ミラーの秘密基地。無数のモニターが明滅する中、ミラーはここ数ヶ月間にZの組織が関与したと思われるサイバー攻撃や小規模な破壊工作のデータを徹底的に再解析していた。猫耳型AIユニット「フェリシア」の補助を受けながらも、彼女の表情はいつになく険しい。
「…おかしい。これらのターゲット、一見バラバラに見えるけど、全てある一点に繋がっている気がする…」
ディスプレイには、被害を受けた企業や研究施設のリストが表示されている。その中には、精密機器メーカー、通信衛星の管制システムを開発する企業、さらにはマイナーな宇宙物理学の研究所まで含まれていた。
「まさか…Zの狙いは、地上だけじゃないっていうの…?」
ミラーの脳裏に、最悪の可能性が浮かび上がる。Zの持つ「法則を書き換える」という未知数の能力、そして彼の語る「人類の新たなステージ」。それらが宇宙というキーワードで結びついた時、想像を絶する規模の計画が姿を現し始めていた。
隣のトレーニングルームでは、クヲンが黙々と戦闘シミュレーションを繰り返していた。先天性無痛無汗症というハンデを抱える彼女にとって、日々の鍛錬と体調管理は生命線だ。最近導入した、ミラー特製の体内ナノマシンモニタリングシステムが、リアルタイムで彼女のバイタルデータを表示し、オーバーヒートの危険性を警告してくれる。
シンシアは、メイド喫
茶の仕事を終え、地下へ降りてきたところだった。水アレルギー対策として開発された特殊なインナースーツは、今や彼女の第二の皮膚だ。それでも、日常生活での水の脅威が完全に消えたわけではない。
「ミラー、何か分かったの?」
「…ええ、とんでもない可能性がね」
ミラーは、クヲンとシンシアに自分の推測を語った。Zは宇宙工学に精通しており、その最終目的は宇宙ステーションを乗っ取り、人工衛星ネットワークを介して全世界の「選ばれし人間」を瞬時に覚醒させ、洗脳することではないか、と。そのために、Zは今、必要なサンプルとデータを集め、そして「宇宙を乗っ取る」ための具体的な手段を模索しているのではないか。
あまりにも壮大で、荒唐無稽にさえ聞こえる計画。しかし、Zのこれまでの行動と、彼の持つ底知れない能力を考えれば、決して一笑に付せるものではなかった。
「そんなこと…本当に可能なの…?」シンシアが息を呑む。
クヲンは黙って聞いていたが、その瞳には強い警戒の色が浮かんでいた。
「確証はないわ。でも、このまま放置すれば、取り返しのつかないことになる。…私たちだけでは、情報も戦力も足りなすぎる」
ミラーは意を決したように言った。
「一度、“アイギス”に戻る必要があるわ」
「アイギス」――それは、ミラーがかつて所属していた、あるいは今も籍を置いているとされる秘密組織の名称だ。表向きには存在しない、正義の超能力機構とも噂されるが、その実態は謎に包まれている。
「あなたたちにも、来てもらうことになる。Zの計画を阻止するためには、彼らの協力が不可欠よ」
***
数日後。ミラー、クヲン、シンシアの三人は、東京湾に浮かぶ人工島「メガフロート・シティ」の地下深くに位置する、アイギスの本部施設へと足を踏み入れていた。ミラーは以前にも来たことがあるらしく、比較的スムーズに内部へ進めたが、クヲンとシンシアはまるで宇宙基地のエアロックのような厳重なセキュリティゲートで、全身スキャンから遺伝子情報の照合まで、徹底的なチェックを受けることになった。
施設内部は、近未来SF映画そのものだった。広大なドーム状の空間には、様々な研究区画や訓練施設が配置され、白衣を着た研究員や、特殊な戦闘服に身を包んだエージェント(その多くが何らかの超能力者であるようだった)が忙しなく行き交っている。
「すごい…こんな場所が、本当にあったなんて…」
シンシアは感嘆の声を漏らす。クヲンも、周囲の高度なテクノロジーや、そこにいる者たちから発せられるただならぬ気配に、僅かながら目を見張っていた。
やがて三人は、施設の最深部にある「所長室」へと案内された。重厚な扉が開くと、そこは意外にも、研究室というよりは高級ホテルのスイートルームのような豪奢な空間だった。そして、部屋の中央に置かれた巨大なマホガニーのデスクの向こうで、一人の女性が妖艶な笑みを浮かべて待っていた。
「あらぁん、ミラーちゃん!久しぶりじゃないのぉ!待ちくたびれたわよぉん!」
白衣をだらしなく着崩し、豊満な胸元を惜しげもなく晒しているその女性こそ、アイギスの所長、九十九オリヴィアだった。年齢不詳の美貌と、全てを見透かすような鋭い瞳。そして、全身から溢れ出る、底知れない変態性とカリスマ性。
「オリヴィア所長…お久しぶりです」
ミラーは努めて冷静に挨拶するが、オリヴィアはデスクから立ち上がるなり、ミラーに抱きついてきた。
「もぉー、相変わらずそのお胸、素晴らしい成長っぷりねぇ!ちょっと揉ませてちょうだいなぁ!」
「ちょっ…やめてください!公私混同も甚だしいですよ!」
ミラーは顔を真っ赤にして抵抗する。
オリヴィアは次にクヲンとシンシアに目を向けた。
「あら、そちらが噂のクヲンちゃんとシンシアちゃんねぇ?クヲンちゃん、その引き締まったお尻…たまらないわぁ!後でたっぷり触らせてね!シンシアちゃんは、メイド服姿のデータはないのかしら?私のコレクションに加えたいのだけどぉ」
クヲンは無言でオリヴィアの視線を避け、シンシアは苦笑いを浮かべるしかなかった。この所長が「かなり変態だが、信用できる人物」というのは、どうやら本当らしい。
一通りセクハラまがいの挨拶(?)を終えると、オリヴィアは途端に真剣な表情になり、ミラーに促した。
「それで、ミラーちゃん。わざわざ私に会いに来たってことは、よっぽど厄介な話なんでしょう?」
ミラーは頷き、Zの最終計画――宇宙ステーション乗っ取りと全世界同時洗脳の可能性について、収集したデータと共に説明した。オリヴィアは黙って聞いていたが、話が進むにつれてその表情は険しくなり、やがて深い溜息をついた。
「…ゼニス、あの男…やはり、常軌を逸していたわね。宇宙工学に精通していたのは知っていたけど、まさかそんな途方もないことを考えていたなんて。もし本当にそんな技術が確立されれば、人類は終わるわ。いいえ、新たな“家畜”として生まれ変わるのかもしれない」
オリヴィアの言葉に、部屋の空気は一層重くなった。
「Zの計画を阻止するには、まず、あなたたちの最新データを徹底的に取らせてもらう必要があるわ。ゼニスの洗脳は、おそらく精神感応系の能力者が鍵になる。あなたたちの特異体質や能力は、その対抗策を見つけ出すための重要なサンプルになるかもしれないのよぉ!」
そう言うと、オリヴィアは再び怪しい笑みを浮かべ、研究員たちに指示を出した。
「さあ、お楽しみのデータ収集タイムよぉん!」
***
それから三日間、ミラー、クヲン、シンシアは、アイギスの最新鋭設備を使った執拗なまでのデータ収集に協力させられた。それは、彼女たちの「隠された病気」と真正面から向き合う、過酷な試練でもあった。
ミラーは、特殊なヘッドギアを装着され、脳内の情報処理能力の限界を試された。フェリシアのサポートなしで、過去の膨大な記憶情報と、リアルタイムで流れ込んでくる複雑なデータを同時に処理させられる。何度も情報奔流に飲み込まれそうになり、意識を失いかけたが、その度にオリヴィアは「あら^~、ミラーちゃんの脳、最高に興奮してるわねぇ!もっとイケるわよぉ!」と嬉々として負荷を上げてくるのだった。しかし、その甲斐あってか、フェリシアの演算ユニットの最適化と、ミラー自身の精神抵抗力の向上が見られた。
クヲンは、オリヴィア所長がデザインしたという、体のラインがくっきりと浮かび上がり、なぜか猫耳と尻尾までついている特殊センサー満載のバトルスーツ(クヲンは本気で嫌そうな顔をしていた)を着せられ、灼熱の溶岩地帯を模したシミュレーションルームで、延々と戦闘訓練をさせられた。先天性無痛無汗症の彼女は、ダメージを自覚しにくい。ナノマシンからのバイタルデータだけを頼りに、オーバーヒート寸前まで戦い続ける。そのデータは、彼女の身体的限界と、それを超えるための新たな可能性を示唆していた。訓練後、オリヴィアはクヲンの汗一つかかない肌を舐めるように見つめ、「この体温調節機能の欠如…逆に言えば、極低温環境下では無類の強さを発揮するかもしれないわねぇ…ふふふ」と呟いていた。
シンシアは、ガラス張りの実験室で、様々な濃度や成分の水、さらには未知の液体を皮膚に噴霧され、そのアレルギー反応をミリ秒単位で記録された。赤く腫れ上がり、激しい痒みと痛みに耐えるシンシアの姿は痛々しかったが、彼女は歯を食いしばって耐え抜いた。オリヴィアはその反応データを見ながら、「素晴らしいわ!この皮膚の過敏な反応!これを逆手に取れば、特定の毒物や化学兵器を瞬時に感知できる生体センサーとして応用できるかもしれないわねぇ!もちろん、あなた専用の最強の抗アレルギー薬も開発してあげるわよぉん!」と目を輝かせていた。
三人は心身ともに疲弊しきっていたが、Zの計画の恐ろしさを目の当たりにし、そしてオリヴィアの(変態的ではあるが)真剣な姿勢に触れ、ここで諦めるわけにはいかないと決意を新たにしていた。
そんなデータ収集の最終日、アイギスの諜報部門から緊急連絡が入った。日本の大手宇宙開発企業「コスモ・フロンティア社」のメインサーバーが大規模なハッキングを受け、同時に、同社が極秘裏に開発を進めている新型宇宙船「アルテミス」の設計データを狙った物理的な襲撃計画が進行中であるというのだ。
「Zの奴ら…いよいよ本気で宇宙を盗りに来たわね…!」
オリヴィアの表情が引き締まる。
「ミラーちゃん、クヲンちゃん、シンシアちゃん!あなたたちに最初の任務を与えるわ!コスモ・フロンティア社を防衛し、Zの目的を探りなさい!これは、私たちの未来を賭けた戦いの始まりよ!」
オリヴィアは、三人にアイギスが開発した最新装備を手渡した。ミラーには、フェリシアの機能を大幅に拡張する新型のプロセッサーユニットと、より強力なサイバー攻撃を可能にするソフトウェア。クヲンには、冷却効率を極限まで高め、短時間ながらも飛行能力を付与する新型バトルスーツ「タイプ・ゼロカスタム」(デザインはオリヴィアの趣味が色濃く反映されていたが、性能は確かだった)。シンシアには、ステルス機能と広範囲探査能力を持つ新型ドローン「シルフィード」と、即効性の高い強力な抗アレルギー注射薬。
「さあ、行ってらっしゃい!私の可愛いモルモッ…じゃなくて、世界を救うヒロインたち!」
オリヴィアの言葉に送られ、三人は決意を胸に、コスモ・フロンティア社へと急行した。
***
コスモ・フロンティア社の広大な研究開発施設。既に施設内には非常警報が鳴り響き、職員たちが避難を始めていた。その混乱の中、Zの黒服の戦闘員たちが、効率的に施設の中枢へと侵入しつつあった。そして、彼らを率いていたのは、Zの幹部の一人、Sだった。
「あら、可愛いネズミさんたち、また会ったわねぇ。わざわざこんな所まで、私に会いに来てくれたのかしら?」
Sは、施設のメインコントロールルームで、新型宇宙船「アルテミス」の設計データが保存されているサーバーにアクセスしようとしていた部下たちを見守りながら、モニター越しに現れたミラーたちに妖艶な笑みを向けた。
「特にクヲンちゃん、今日はたっぷり可愛がってあげるわ。あなたのその綺麗な背中に、また新しい“思い出”を刻んであげましょうねぇ」
「S…!今度こそ、あなたの好きにはさせない!」
クヲンは新型バトルスーツ「タイプ・ゼロカスタム」の出力を上げ、Sに立ち向かう。スーツに搭載された小型スラスターが青白い光を放ち、クヲンは床を滑るように高速で移動する。
「ミラー、施設の防衛システムとサーバーの保護をお願い!」
「了解!アイギスの新しい“おもちゃ”、試させてもらうわ!」
ミラーは指先で空間に投影されたキーボードを叩き、強化されたフェリシアと共に、Sのハッキング部隊との熾烈なサイバー戦を開始した。施設のファイアウォール、監視カメラ、自動消火システムなどを巡る攻防が、目に見えない戦場で繰り広げられる。
シンシアは新型ドローン「シルフィード」を放ち、施設の立体構造と敵の配置をリアルタイムで把握。人質に取られている研究員たちの正確な位置を特定し、狙撃ポイントを探る。
「クヲンちゃん、Sの背後から増援!三時の方向に二人!」
「助かる、シンシア!」
クヲンはSの繰り出す真空の刃を紙一重で躱しながら、戦闘員たちを次々と無力化していく。タイプ・ゼロカスタムの冷却性能は素晴らしく、以前のようなオーバーヒートの兆候はまだ見られない。しかし、Sの戦闘力はそれを上回っていた。
「いい動きねぇ、クヲンちゃん。まさしく化け物だわ。でも、そんなおもちゃで『本物』である私に勝てると思っているのかしら?」
Sは嘲笑うと、その特異な能力「真空透過」を本格的に発動させた。壁や床、天井を自在にすり抜け、予測不可能な角度からクヲンに襲いかかる。その爪は真空の刃を纏い、クヲンのバトルスーツを切り裂いていく。
「くっ…!」
クヲンはSの神出鬼没な攻撃に翻弄される。特に、Sはクヲンの背中にある古傷――かつてS自身がつけた、今もなお癒えない傷――を執拗に狙ってくる。それは肉体的なダメージ以上に、クヲンの精神を苛んだ。
『クヲン、落ち着いて!Sの能力、一度に透過できるのは単一の障害物だけみたい!連続して壁を抜けることはできないはずよ!透過後の硬直時間も僅かにある!そこを狙って!』
ミラーからの的確な分析と指示が飛ぶ。サイバー戦で優位に立ったミラーは、施設のセンサーを利用してSの動きを予測し始めていた。
「シンシア、Sが次に現れるのは、クヲンちゃんの頭上の空調ダクトよ!」
「了解!」
シンシアはシルフィードから発射した小型粘着弾で空調ダクトの蓋を固定し、Sの奇襲経路を一つ潰す。そして、Sが体勢を崩した一瞬を逃さず、特殊な電磁パルスを放つ狙撃銃でSの動きを僅かに鈍らせた。
その隙を、クヲンは見逃さなかった。
「これで…終わりだぁっ!」
クヲンはタイプ・ゼロカスタムのスラスターを全開にし、Sの懐へ一気に飛び込む。そして、両手に形成した高密度のサイコ・ブレードを、Sの胸元に叩き込んだ。
「きゃあああっ!?」
Sの悲鳴が響き渡る。致命傷には至らなかったものの、その衝撃でSは大きく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「おのれ…よくも…!」
Sは憎悪に満ちた目でクヲンを睨みつけたが、形勢不利と悟ったのか、懐から取り出した小型装置を作動させた。それは強力な閃光と煙幕を発生させ、Sの姿をくらませるためのものだった。
「おっ、覚えてなさい…この屈辱は、必ず何倍にもして返してあげるわ…!」
捨て台詞を残し、Sは部下と共に撤退していった。しかし、彼女たちの手には、新型宇宙船「アルテミス」の推進システムに関する重要なデータが記録されたメモリチップが握られていた。
***
コスモ・フロンティア社への直接的な被害は最小限に食い止められたものの、Zの組織に「アルテミス」の心臓部とも言える推進システムのデータを奪われてしまった。三人は、その責任を重く感じていた。
アイギス本部に戻り、オリヴィア所長に事の顛末を報告すると、彼女は意外にも穏やかな表情で言った。
「よくやったわ、三人とも。初めての実戦にしては上出来よ。あのS相手に生き残っただけでも褒めてあげるわ。データが奪われたのは痛いけど、それはZの計画のほんの序章に過ぎない」
オリヴィアは、メインモニターに宇宙空間に浮かぶ国際宇宙ステーションの映像を映し出した。
「Zが本気で宇宙ステーションを乗っ取り、全世界同時洗脳を企んでいるのなら、もっと大規模な仕掛けが必要になるはず。奪われた推進システムは、おそらく彼らが建造中、あるいは奪取を計画している“方舟”の心臓部。問題は、それを宇宙へ打ち上げるための“翼”と、それを正確に導く“星”…そして、何よりも重要なのは、Z自身の持つ“法則を書き換える”能力の正体と、それをどうやって全世界規模に拡大するのか、という点ね」
オリヴィアの言葉は、Zの計画の途方もないスケールと、その成就を阻止することの困難さを改めて三人に突きつけた。
「私たちは…戦い続けるしかないのね」シンシアが呟く。
「ああ。運命を、こじ開けるまでは」クヲンが静かに応じた。
ミラーは、奪われたデータの断片からZの次の狙いを予測しようと、フェリシアと共に再び思考の海へ潜っていく。
その頃、漆黒の宇宙空間に浮かぶ、Zのアジト。
Sが持ち帰ったデータを手に、Zは満足げに微笑んでいた。
「フフフ…順調だ。これで“方舟”の心臓部は手に入った。あとは、それを宇宙へ打ち上げるための“翼”…そして、旧人類を効率よく“選別”し、新たなる種へと導くための“フィルター”だけだ」
Zの手には、精巧な宇宙ステーションの模型が握られていた。その目は、地球ではなく、さらにその先の深淵なる宇宙を見据えているかのようだった。
彼の言う「翼」とは何か、「フィルター」とは何か。そして、彼の真の目的とは。
星海の野望が、今、静かに動き出そうとしていた。