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第3話: 偽りの共感、歪んだ渇望


東京。その巨大なコンクリートジャングルには、今日も無数の若者たちが吸い寄せられ、そして消費されていく。スマートフォンの画面越しの繋がりは容易く手に入るが、その実態は驚くほど希薄で、脆い。誰もが「いいね」の数に一喜一憂し、見せかけの共感に飢え、そして本物の孤独に喘いでいた。

渋谷、スクランブル交差点。信号が変わるたびに、膨大な数の人々が意思を持った津波のように交差する。その一人一人に人生があり、ドラマがあるはずだが、ここでは誰もがお互いにとって背景の一部でしかない。そんな雑踏の中に、高嶺華たかね はなはいた。彼女は、国内でもトップクラスの名門、帝都大学に通う三年生。艶やかな黒髪を風になびかせ、ブランドものの服をさりげなく着こなす姿は、誰が見ても「勝ち組」そのものだった。彼女のSNSアカウントは数万のフォロワーを抱え、アップされる写真は常にきらびやかな日常を切り取っている――高級レストランでの食事、海外旅行の風景、有名ブランドの新作アイテム。コメント欄には、羨望と称賛の言葉が溢れていた。

しかし、華の大きな瞳には、常に拭いきれない影が宿っていた。

(まただ…誰も、本当の私なんて見てない…)

ラウンジで一人、スマートフォンの画面を眺めながら、華はため息をついた。SNSでの「リア充」ぶりは、すべて彼女が丹念に作り上げた虚像だ。成績優秀、容姿端麗、実家は裕福。その完璧すぎるスペックは、周囲の人間にとって近寄りがたい壁となり、嫉妬と妬みの対象にこそなれ、真の友情を育む土壌にはならなかった。「高嶺の花」――それは、彼女にとって最大のコンプレックスであり、呪いの言葉でもあった。

心の奥底では、誰かに認められたい、本当の自分で愛されたいという渇望が渦巻いている。しかし、それを素直に表現する術を、彼女は知らなかった。知ろうともしなかった。傷つくのが怖かったからだ。

そんな彼女の心の隙間に、甘美な毒が忍び寄ろうとしていた。

「――その瞳、美しいですね。ですが、少し寂しそうです」

不意に声をかけられ、華は顔を上げた。目の前に立っていたのは、知的な雰囲気の、しかしどこか人間離れした美貌を持つ女だった。Lエル――Zの組織の幹部の一人である。彼女は今回、Zの命令ではなく、純粋な知的好奇心から、この「興味深いサンプル」に接触を試みていた。

「あなたは…?」

「通りすがりの、あなたの理解者、とでも言っておきましょうか」

Lは妖しく微笑むと、小さな紅水晶のような輝きを放つペンダントを華の目の前に差し出した。

「これは“エンパシー・チャーム”。身につければ、あなたの言葉は人々の心に深く染み渡り、誰もがあなたを理解し、共感し、そして愛するようになるでしょう。あなたのその素晴らしい才能と美貌に、ふさわしい賞賛が与えられるはずです」

その言葉は、悪魔の囁きそのものだった。しかし、長年の孤独と承認欲求の渇きに苛まれていた華にとって、それは抗いがたい魅力を持っていた。

「…本当に…?」

「ええ。ただし、強い“想い”が必要ですよ。あなたが本当に望むのなら、ですが」

華は震える手で、そのチャームを受け取った。ひんやりとした感触が、まるで彼女の心の乾きを潤すかのように感じられた。


***


メイド喫茶「月詠屋」の地下、ミラーの秘密基地。

ミラーは、いつものように猫耳型AIユニット「フェリシア」を装着し、膨大な情報処理に追われていた。時折、フェリシアを外しては情報奔流に苦悶し、慌てて再装着するという、彼女なりの「耐性訓練」を繰り返しながら。ハイパーサイメシアを持つ彼女にとって、忘却は許されない呪いであり、フェリシアは唯一無二の防波堤だった。

「ミラー、ちょっと気になる情報があるんだけど」

シンシアが、メイド服から戦闘準備用のタクティカルスーツに着替えながら声をかけた。水アレルギーを持つ彼女にとって、このスーツはミラーが開発した特殊素材で作られており、汗や僅かな水滴からも肌を守る生命線だ。今日は非番だが、Zの動きが活発化しているため、いつでも出動できるよう準備を怠らない。

「最近、帝都大学の学生の間で、特定の女子大生を神格化するような動きがあるの。高嶺華って子なんだけど、彼女のSNS、ここ数週間でフォロワーが異常な伸び方をしてて…しかも、彼女に少しでも批判的な意見を言った子が、集団でネットリンチに遭ったり、不自然な形で孤立させられたりしてるらしいのよ」

「高嶺華…データ検索」

ミラーが呟くと、フェリシアが即座に関連情報をメインモニターに表示する。華のSNSアカウント、学内での評判、そして彼女の周辺で起きている不可解な出来事の数々。

挿絵(By みてみん)

「…微弱だけど、観測できるわね。Zの組織が使うサイコエネルギーの痕跡が。それも、精神感応系のパターン。対象者の承認欲求を増幅させ、周囲の人間の感情をコントロールする…厄介なタイプよ、これは」

ミラーの表情が険しくなる。

「おそらく、Lあたりが面白半分で手を出したか、あるいはZが新たな“実験”でも始めたか…」

隣のトレーニングルームでは、クヲンが黙々とイメージトレーニングに励んでいた。先天性無痛無汗症を持つ彼女は、常に自身の体調管理に細心の注意を払う。特に、これからの季節、気温の上昇は彼女にとって死活問題だ。わずかな戦闘でもオーバーヒートの危険が伴う。

(また…誰かが、心の弱さにつけ込まれている…)

クヲンは、かつて自分もまた、そうした存在だったことを思い出していた。身寄りがなく、非合法の研究施設で実験動物のように扱われ、ただ生きるためだけに力を振るっていた日々。あの頃の自分もまた、誰かからの「承認」や「繋がり」に飢えていたのかもしれない。


***


一方、高嶺華は「エンパシー・チャーム」の力に酔いしれていた。

チャームを身につけてからというもの、彼女の世界は一変した。ゼミでの発言はことごとく称賛され、以前は遠巻きに見ていた同級生たちは、我先にと彼女の周りに集まってくる。SNSを開けば、賞賛と愛の言葉で埋め尽くされ、かつて彼女を「高嶺の花」と揶揄した者たちは、手のひらを返したように媚びへつらってきた。

(これが…これが私が求めていたもの…!誰もが私を理解し、愛してくれる世界…!)

初めて感じる万能感。しかし、その喜びは徐々に歪んだ形を取り始める。彼女は、自分に少しでも批判的な態度を取る人間や、過去に自分を傷つけた人間に対し、チャームの力を無意識に、そして意識的に使うようになっていた。彼女の言葉一つで、ターゲットは周囲から孤立し、精神的に追い詰められていく。まるで、見えざる手によって社会的に抹殺されるかのように。

帝都大学の学園祭が近づいていた。華は、この学園祭のメインステージで、自分の「王国」を完成させようと計画していた。ステージ上で自分の思想を語り、エンパシー・チャームの力を最大限に解放して、会場にいる全ての人間を自分の熱狂的な信奉者にするのだ。それは、歪んだ承認欲求が生み出した、巨大な公開洗脳ショーに他ならなかった。

「ミラー、高嶺華の動き、捕捉したわ。帝都大学の学園祭、メインステージで何か大規模なことをやらかすつもりよ!」

シンシアからの緊急連絡を受け、ミラーは即座にクヲンに出動を指示した。

「クヲン、今回の相手は精神攻撃が主体かもしれない。物理的な戦闘力は未知数だけど、油断しないで。シンシアは潜入して情報支援と、必要なら“例のモノ”の使用許可を出すわ」

「…了解」

クヲンは短く応じ、漆黒のバイクに跨った。彼女の瞳には、いつもの冷静さに加え、わずかな共感のような色が浮かんでいた。


***


帝都大学の学園祭は、模擬店やライブステージで大変な賑わいを見せていた。その喧騒の中、シンシアは大学のイベントスタッフに扮し、巧みに会場のセキュリティシステムにアクセスしていた。彼女の耳には超小型インカムが装着され、ミラーからの指示をリアルタイムで受信している。ミラー特製の超撥水ナノコーティング剤を全身に塗布し、万が一の水濡れにも備えは万全だ。

メインステージでは、既に高嶺華による「特別講演」が始まろうとしていた。華は純白のドレスに身を包み、胸元には紅水晶のエンパシー・チャームが妖しい光を放っている。彼女がマイクの前に立つと、会場に集まった数千人の学生や一般客から、熱狂的な歓声が上がった。その光景は、既に異様だった。

「皆さん、ようこそ!私の“理想の世界”へ!」

華が朗らかに微笑み、語り始めると、会場の空気は一変した。彼女の言葉一つ一つが、まるで甘い蜜のように聴衆の心に染み渡り、彼らの瞳からは理性の光が消え、陶酔したような表情が浮かんでいく。エンパシー・チャームの力が、会場全体を包み込もうとしていた。

その時、ステージの袖から、一人の少女が静かに姿を現した。クヲンだ。

「…そこまでだ、高嶺華」

クヲンの凛とした声が、会場の熱狂を切り裂く。聴衆が一斉にクヲンに敵意の視線を向けた。

「邪魔者が入ったようね。皆さん、あの子を排除してくださる?」

華が扇動すると、洗脳された聴衆がゾンビのようにクヲンに襲いかかってきた。

「スキルエンゲージ――《サイコ・フィールド》!」

クヲンは両手を広げ、周囲に不可視の念動バリアを展開。襲い来る聴衆を傷つけることなく押し留める。

「目を覚ませ!お前たちは操られている!」

しかし、華の洗脳は強力で、聴衆はクヲンの言葉に耳を貸さない。

「無駄よ。私の言葉は絶対。私の愛は、全ての人を包み込むの!」

華は恍惚とした表情で歌い始めた。それは「ハートブレイク・ソング」――聞く者の心の奥底に潜むトラウマや弱さを刺激し、精神を破壊する禁断の歌だった。

美しいメロディとは裏腹に、その歌声はクヲンの精神を直接攻撃する。かつて研究施設で受けた非道な実験の記憶、孤独と絶望に苛まれた日々のフラッシュバックが、クヲンの脳裏をよぎる。先天性無痛症のため肉体的な痛みは感じない彼女だが、この精神的な苦痛は、まるで胸を直接抉られるような感覚だった。

(苦しい…これが…心の痛み…?)

クヲンの動きが、一瞬鈍る。

『クヲン、しっかり!彼女の歌は、脳の扁桃体に直接作用してる!私が送るノイズキャンセリング波で、ある程度は中和できるはず!』

ミラーからの通信だった。彼女はフェリシアを駆使し、必死で華の能力の解析を進めていた。しかし、ミラー自身もまた、華の歌声から発せられる強烈な「孤独の波動」に当てられ、自らの記憶の奔流――ハイパーサイメシアによる情報の洪水と、天才ゆえの疎外感――に飲み込まれそうになっていた。

(ダメ…ここで私が潰れたら…!私たちは…一人じゃない…!クヲンと、シンシアと…繋がってるんだから!)

ミラーは、過去の辛い記憶ではなく、仲間たちとの絆を強く意識することで、精神の崩壊を寸前で食い止めた。それは「モードえっち」とは異なる、新たな精神防御法だった。

『シンシア!華のエネルギー源は、おそらくあのチャームと、SNSからの“共感”よ!SNSアカウントへのアクセスを遮断できれば、力を削げるはず!』

「了解!やってみるわ!」

シンシアは、イベント会場のWi-Fiシステムに侵入し、ミラーから送られてきたプログラムを実行。一時的に、帝都大学周辺から高嶺華のSNSアカウントへのアクセスが遮断された。同時に、シンシアは会場の大型スクリーンをジャックし、ミラーが収集・再編集した映像を流し始めた。それは、華がSNSで演じていたきらびやかな虚像ではなく、彼女の本当の苦悩、孤独、そして承認欲求に喘ぐ痛々しい姿を映し出していた。

「な…何なの、これは…やめて…!」

エネルギー供給の一部を断たれ、さらに自身の隠してきた本心を暴露された華は、激しく動揺した。エンパシー・チャームの輝きが急速に失われ、彼女の歌声も力を失っていく。聴衆の洗脳も解け始め、会場は混乱に包まれた。

その隙を突き、クヲンは華の目の前に到達していた。サイコ・ブレードを構えるが、その切っ先は華に向けられていなかった。

「高嶺華…お前の気持ち…少しだけ、分かる気がする」

クヲンは、静かに語りかけた。

「私も…ずっと一人だった。苦しみは誰にも理解されず、ただ力を求められるだけの日々だった。でも…今は違う。私には仲間がいる。信じられる人が、いる」

華の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。強がりの仮面が剥がれ落ち、そこにはただ傷つき、救いを求める一人の少女の姿があった。

「私…ただ…誰かに分かってほしかっただけなの…!愛されたかっただけなのよぉ…!」

「…ああ。知ってる」

クヲンはそう言うと、華の胸元で虚しく点滅するエンパシー・チャームを、サイコ・ブレードの柄で軽く打ち砕いた。紅水晶は砕け散り、残っていたサイコエネルギーも霧散する。

華は、その場に泣き崩れた。


***


事件後、高嶺華は大学のカウンセリングを受けることになった。SNSアカウントは削除し、しばらくは休学するという。全てが元通りになったわけではないが、彼女の表情には、以前のような刺々しさは消え、微かな希望の光が灯っているように見えた。皮肉なことに、この事件をきっかけに、彼女の才能や苦悩を本当に理解しようとする数少ない学友が現れたのだ。

ミラーの基地に戻った三人は、それぞれの想いを胸に、静かな時間を過ごしていた。

「人の心の繋がりって、本当に複雑ね…あんなに簡単に手に入るように見えて、本当はすごく脆くて、でも、一度確かに結ばれたものは、何よりも強いのかもしれないわ」

ミラーは、珍しく哲学的なことを呟きながら、フェリシアを優しく撫でた。情報奔流の苦しみは変わらないが、仲間との絆が、それを乗り越える新たな力になることを彼女は実感していた。

シンシアは、自分のスマートフォンのSNS画面を見つめていた。数百万のフォロワー。しかし、その数字の向こうにある、本当の「繋がり」とは何なのか。彼女は、メイドとして、そして一人の少女として、その答えを探し続けようと心に決めた。水アレルギーというハンデを抱えながらも、誰かのために戦うことの意味を、改めて噛み締めていた。

クヲンは、窓の外を静かに眺めていた。高嶺華の流した涙。それは、彼女が初めて直接触れた、他者の「心の痛み」だったのかもしれない。無痛症の彼女にとって、それは新しい感覚であり、同時に、仲間たちとの絆の温かさを再認識させるものだった。

その頃、Zのアジトでは、Lが今回の事件のデータを分析し、不気味な笑みを浮かべていた。

「高嶺華のサンプル、実に興味深い結果を示しましたわ。心の闇の深さと、サイコエネルギーの共鳴…フフ、ゼニス様の理論の正しさが、また一つ証明されましたねぇ」

モニターの向こうで、Zは静かに頷いた。

「心の闇は、どこにでもある。それは伝染し、増幅し、やがて世界を覆い尽くすだろう。我々の理想世界の実現は、もう間近だ。次の“種”は、もう芽吹き始めている…」

東京の夜空に、また一つ、不穏な星が瞬いた。少女たちの戦いは、まだ終わらない。運命をこじ開けるその日まで。


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