第2話: 蝕む日常、繋がる絆
前回の激闘から数日。東京の喧騒は何も変わらずに続いていたが、その水面下では、確実に何かが蠢き始めていた。メイド喫茶「月詠屋」の地下、ミラーの秘密基地は、相変わらず無数のモニターの光とキーボードの打鍵音に満たされている。
「…フェリシア、状況レポートの最適化、完了した?」
ミラーは、頭に装着した猫耳型のカチューシャヘッドホン――外部装着型人工知能ユニット「フェリシア」に話しかけた。それは単なるアクセサリーではなく、彼女の生命線とも言えるガジェットだ。
『はい、マスター。新宿セクターにおける異常エネルギーパターンの変動予測、誤差0.03%以内に収束しました。ただし、依然としてノイズが多く、Zの組織による意図的な情報撹乱の可能性が濃厚です』
フェリシアからの機械合成音声が、ミラーの鼓膜を直接振動させる。彼女、ミラーは「超記憶症候群」という、世界に僅か十数例しか確認されていない特異な記憶能力の持ち主だった。一度見聞きしたことは、それが些細な情報であっても、まるで今そこで起きているかのように鮮明に、永遠に記憶されてしまう。普通の人間ならば数秒で忘れるような街の雑踏の音、すれ違う人々の顔、看板の文字――それら全てが、彼女の脳内には寸分の劣化もなく記録され続けるのだ。
フェリシアがなければ、この膨大な情報奔流はミラーの精神を瞬く間に蝕み、思考はおろか、自己同一性すら崩壊させてしまうだろう。猫耳型のユニットは、愛らしい見た目とは裏腹に、ミラーの脳内で洪水のように渦巻く情報をリアルタイムでフィルタリングし、必要な情報だけを整理・提示する役割を担っていた。
ふと、ミラーは実験的にフェリシアを頭から外してみた。
「――っぐ…ぅ…!」
瞬間、世界が一変する。数日前に見たニュース映像のキャスターの声、昨夜読んだ論文の難解な数式、数年前に偶然耳にした流行歌のメロディ、幼い頃に見たアニメのワンシーン…それらが一斉に、暴力的なまでの鮮明さで彼女の意識に雪崩れ込んでくる。頭蓋の内側から無数の針で刺されるような激痛。呼吸が荒くなり、視界が明滅する。
(ダメだ…やはり、これなしでは…!)
ミラーは震える手でフェリシアを再装着した。途端に、脳内の喧騒が嘘のように収まり、思考に秩序が戻ってくる。
『マスター、無茶はいけません。現在のあなたの脳内情報蓄積量は、クリティカルレベルの87.4%に達しています。これ以上の急激な情報流入は、ユニットによる制御限界を超える可能性があります』
「わかってる…わかってるわよ…」
額に滲んだ冷や汗を手の甲で拭い、ミラーは深呼吸した。もしフェリシアが故障でもしたら?あるいは、敵に奪われたりしたら?その想像は、彼女を底知れぬ恐怖に突き落とす。だからこそ、彼女は時折、このユニットなしで耐える訓練を試みるのだが、成功した試しはなかった。唯一、この情報地獄から一時的に逃れる方法は、思考を完全に遮断して頭を空っぽにするか、あるいは――
(…ちょっと、えっちなことでも考えれば、少しはマシになるのよね…あの自作の超振動型ディルドとか、深層学習型吸引ユニットとか…いやいやいや!今はそんなこと考えてる場合じゃ!)
ミラーはぶんぶんと頭を振り、頬を染めながら雑念を追い払った。彼女の天才的な頭脳は、時としてあらぬ方向にもその能力を発揮してしまうのだった。
***
同時刻、秋葉原のメイド喫茶「月詠屋」。シンシアは、今日も完璧な笑顔とサービスで客たちを魅了していた。しかしその内心は、常に細心の注意で張り詰められている。
「シンシアちゃん、いつものクリームソーダお願い!」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたしますね、ご主人様♪」
注文を受け、シンシアはキッチンへと向かう。彼女が特に気を使うのは、液体を扱う作業だ。グラスに注がれるソーダ水、客が零したお冷、雨の日の濡れた傘。それら全てが、彼女にとっては脅威となり得る。
シンシアは「水アレルギー」だった。これは一般的なアレルギー疾患とは異なり、皮膚が直接水に触れることで発症する稀な皮膚疾患だ。自身の汗や涙、唾液にすら反応してしまうため、日常生活は困難を極める。水に触れた部位は、約十五分後から赤く腫れ上がり、耐え難い痒みと灼けるような激痛に見舞われる。その症状は二時間ほど続くが、患者にとっては地獄のような苦しみだ。幸い、体内の水分は害をなさず、経口摂取も固形物や半固形物であれば問題ないが、「ただの水」を飲むことはできない。
訓練や戦闘で汗をかけば、たちまち全身が発作に見舞われる。そのため、彼女の戦闘服や下着はミラーが開発した特殊繊維で作られており、汗を瞬時に吸収・分解する機能を持つ。それでも、予期せぬ水の接触は避けられない場合がある。
(今日は雨の予報じゃなかったはず…でも、念のため小型の吸水シートと抗ヒスタミン軟膏は携帯しておかないと)
シンシアは、ポーチの中身をこっそり確認する。彼女の美貌とプロポーションは、時に危険な状況で「武器」となるが、この水アレルギーは致命的な弱点だった。
一方、基地の地下訓練施設では、クヲンが黙々と戦闘シミュレーションを行っていた。彼女の動きは既に人間のそれを超越しており、仮想空間内で生成された無数の敵性プログラムを、サイコ・ブレードで次々と切り裂いていく。
しかし、開始から三十分もしないうちに、クヲンの動きに僅かな変化が現れた。呼吸が荒くなり、額には玉のような汗が浮かんでいる――ように見えるが、実際には一滴の汗も流れていない。
クヲンは「先天性無痛無汗症」という、これもまた極めて稀な疾患を抱えていた。痛みを感じる神経が機能しておらず、また、発汗による体温調節機能も欠如している。戦闘において痛みを感じないことは一見有利に思えるが、それは自身のダメージに気づきにくいという諸刃の剣でもあった。どれほどの深手を負っても、彼女がそれを知覚できるのは、全身に埋め込まれたナノマシンがバイタルデータを収集し、脳内の受信器官へ情報を送信して初めてだ。
そして、より深刻なのは発汗できないこと。激しい運動を続ければ、体内に熱がこもり、やがてはオーバーヒートを起こして生命の危機に瀕する。故に、彼女の戦闘スタイルは必然的に超短期決戦型となる。特に、日中の屋外や密閉された空間での戦闘は、極力避けなければならなかった。
(…身体内部温度、危険域に接近。シミュレーション、中断)
ナノマシンからの警告を受け、クヲンは訓練を中止した。全身が燃えるように熱く、心臓が早鐘を打っている。彼女はすぐに冷却ミストが噴射されるチャンバーに入り、強制的に体温を下げ始めた。
(この体では…長時間の戦闘は、無理…)
クヲンの表情に、わずかな陰りが差した。世界最強のサイキッカーと謳われる彼女もまた、人知れぬハンデキャップを抱えて戦っているのだ。
これら三人の秘密の病は、互いだけが知る共有事項だった。それは弱さの露呈であると同時に、彼女たちの間に特別な絆を育む要因ともなっていた。
***
その頃、Zのアジトでは、新たな企みが進行していた。薄暗い円卓の間に集うのは、Zの腹心たる幹部たち。
「ククク…先日のデータ、なかなか楽しませてもらったよ、S。あの黒髪の小娘、クヲンとか言ったか?実にいい“素材”だ。だが、私の興味はもっと別のところにある」
そう言ったのは、L。胸と尻が不自然なほど豊満な、しかし知的な雰囲気を漂わせる美女だ。彼女はホログラムモニターに映し出されたミラーの解析データを見つめ、舌なめずりをした。
「このミラーというハッカー娘…その頭脳、実に興味深い。私の脳内インプラントAI『オラクル』が、彼女との“対話”を望んでいるようだ。ぜひとも捕獲して、その頭蓋を開き、じっくりと構造を調べてみたいものだよ」
「相変わらず悪趣味ねぇ、L。でも、その気持ち、分かるわ」とSが艶めかしく微笑む。「私はやっぱり、クヲンちゃんかしら。あの無垢な体に、絶望という名の傷を刻みつけてあげたい…」
そんなサディスティックな会話を、Mは目を輝かせながら聞いていた。彼女の興味は、シンシアに向いていた。
「はぅぅ…シンシアちゃん…あの子の苦悶に歪む顔を想像するだけで、ゾクゾクしちゃうぅ…メイド服をびしょ濡れにして、めちゃくちゃにしてあげたら、どんな声で啼いてくれるのかしら…?」
Mは、その童顔に似つかわしくない歪んだ笑みを浮かべた。彼女は自らの再生能力を過信しており、危険な遊戯を好む傾向があった。
Zは、そんな幹部たちの言葉を静かに聞いていたが、やがて口を開いた。
「M、お前に任務を与える。ターゲットはシンシア。彼女の“弱点”を利用し、我々の力を示すのだ。ただし、殺してはならん。生け捕りにし、我々の“施設”へ連れてこい。他の二人への見せしめにもなるだろう」
「はいぃぃ!お任せください、ゼニス様ぁ!最高のショーをお見せしますわぁ!」
Mは歓喜の声を上げ、その場から飛び出すように消えていった。その姿は、まるで獲物を見つけた飢えた獣のようだった。
Sは面白くなさそうに鼻を鳴らし、Lは「お手並み拝見といくか」と呟いた。
東京の闇が、再び少女たちに牙を剥こうとしていた。
***
数日後。シンシアは単独での情報収集任務のため、都心から少し離れた再開発地区を訪れていた。ここはかつて大型の化学プラントがあった場所で、現在は取り壊しが進み、広大な更地といくつかの廃墟が点在しているだけだ。Zの組織がこの地区の地下に秘密のデータサーバーを隠しているという情報を掴んだミラーの指示だった。
「…ミラー、この辺りで間違いない?人の気配は全くないけど」
シンシアはインカムを通じてミラーに報告する。彼女は周囲を警戒しつつ、廃墟の一つに足を踏み入れた。
『ええ、サーモグラフィと電磁波探知に微弱な反応あり。おそらく、地下深くにカモフラージュされた施設があるはず。でも、気をつけて。何らかのトラップが仕掛けられている可能性が高いわ』
ミラーの警告通り、シンシアが廃墟の奥に進むと、床の一部が不自然に新しいことに気づいた。罠だ。しかし、それを回避しようとした瞬間、天井から金属製の檻が落下し、シンシアは一瞬にして閉じ込められてしまった。
「しまっ――!」
ガンッ!という重い音と共に、檻は完全にロックされる。強化チタン製の格子は、シンシアの力では破壊できそうにない。
『シンシア!?どうしたの!』
ミラーの切羽詰まった声がインカムから聞こえる。
「罠よ!檻に閉じ込められたわ!すぐに脱出を…」
シンシアが言い終わるか終わらないかのうちに、天井に設置されていたスプリンクラーが一斉に作動した。冷たい水が、シャワーのように檻の中のシンシアに降り注ぐ。
「きゃああああああっ!?」
それは、シンシアにとって死刑宣告にも等しい状況だった。全身が瞬く間にびしょ濡れになる。肌を刺すような水の冷たさと、これから訪れるであろう地獄の苦しみが、彼女の脳裏を過った。
「うふふふふ…!かかったわねぇ、シンシアちゃん!」
どこからか、甲高い女の声が響き渡った。檻の外、闇の中から現れたのは、Zの幹部、Mだった。彼女は濡れそぼるシンシアを満足げに見下ろし、舌なめずりをしている。
「あなたのために、特製のシャワールームを用意してあげたのよぉ?気に入ってくれたかしらぁ?」
「M…!あなただったのね!」
シンシアは歯噛みする。水は容赦なく彼女の体を濡らし続ける。特殊繊維の戦闘服も、これだけの量の水には対処しきれない。
『シンシア!スーツの緊急防水モードを起動!それと、皮膚保護用のバリアジェルを噴霧して!』
ミラーが必死の指示を出す。しかし、
「無駄よぉ。この空間には強力なジャミングを施してあるから、外部からのコントロールは一切受け付けないわぁ。あなたのその可愛いメイド服も、すぐにびしょ濡れねぇ」
Mは嘲笑う。
シンシアの体は、既に限界に近づいていた。水に触れてから、まだ数分しか経っていない。しかし、アレルギー反応は確実に進行し始めていた。肌が粟立ち、微かな痒みが出始める。
「くっ…!」
シンシアは必死に耐えようとするが、Mはさらに追い打ちをかける。
「さあ、もっと楽しませてちょうだい?あなたの苦しむ顔、ゼニス様もきっとお喜びになるわぁ」
***
ミラーの基地では、シンシアからの通信が途絶え、モニターには「SIGNAL LOST」の赤い警告が表示されていた。
「シンシア!応答して、シンシア!」
ミラーの顔から血の気が引いていく。フェリシアがハッキングを試みるが、Mが仕掛けたジャミングは強力で、突破口が見えない。
「クヲン!シンシアが危ないわ!位置情報は送信した!急いで!」
「…了解!」
隣の訓練室で待機していたクヲンは、ミラーの叫びを聞くや否や、弾かれたように飛び出した。彼女の表情はいつになく険しい。シンシアが囚われているのは、例の再開発地区。基地からはバイクで十分ほどの距離だ。しかし、現場の状況が分からない以上、一刻の猶予もなかった。
問題は、時刻が真昼に近いということ。そして、シンシアが囚われているのが、おそらく熱のこもりやすい廃墟の内部であるということ。クヲンにとって、極めて不利な戦闘環境だった。
(シンシア…無事でいて…!)
クヲンはアクセルを全開にし、漆黒のバイクを駆って現場へと急行した。
一方、ミラーは基地で必死にジャミングの解除を試みていた。しかし、Mの仕掛けたサイバー攻撃は巧妙で、ミラーの思考を妨害するかのように、基地のシステムへも断続的な攻撃を仕掛けてくる。
「くっ…このパターン…!私の思考ルーチンを読んでいる…!?」
ミラーは、敵が自分の能力や癖を熟知していることに気づき、戦慄した。そして、最悪のタイミングで、基地のメインシステムの一部がダウン。フェリシアの補助機能も大幅に低下し、ミラーの脳内に再び情報奔流が襲いかかろうとしていた。
「う…あ…ああ…!フェリシア…!演算能力、低下…!」
『マスター…!危険です…!強制シャットダウン…!』
視界が歪み、意識が遠のきかける。このままでは、廃人になってしまう。
(ダメ…ここで私が倒れたら…シンシアも、クヲンも…!)
ミラーは最後の力を振り絞り、奥の手を使った。
「思考シールド…モード…“えっち”!起動!」
彼女は咄嗟に、脳内の思考リソースを強制的に一つの方向――えっちな妄想――に集中させた。自らが設計した、しかし倫理的な問題から封印していた数々のエグすぎる自慰装置の設計図、その詳細な使用感、シミュレーション結果…。普段なら顔から火が出るような妄想を、今は必死に、具体的に、詳細に思い描くことで、脳の他の領域への負荷を軽減し、情報奔流から意識を逸らす。
「はぁ…はぁ…これで…少しは…時間を稼げる…!」
頬を真っ赤に染め、荒い息をつきながらも、ミラーはキーボードを叩き続ける。その姿は、傍から見れば完全に変質者だが、彼女にとってはこれが唯一の、そして最後の抵抗手段だった。この僅かな時間で、システムの復旧とジャミングの突破口を見つけなければならない。
***
廃墟に到着したクヲンは、シンシアが囚われていると思われる建物の前に立っていた。内部からは、微かにシンシアの苦しそうな声と、Mの甲高い笑い声が聞こえてくる。
「…シンシア!」
クヲンは建物の壁を蹴破り、内部へ突入した。そこには、檻の中でぐったりとしているシンシアと、その前で愉悦の表情を浮かべるMの姿があった。シンシアの顔や腕は既に赤く腫れ上がり、全身を激しく震わせている。意識も朦朧としているようだ。
「あらぁ?お仲間のお出ましねぇ。でも、遅かったみたい。シンシアちゃん、もう限界みたいよぉ?」
Mはクヲンを一瞥すると、挑発的に言った。
「…そこを、どけ」
クヲンの全身から、冷たい怒りのオーラが立ち上る。
「嫌よぉ。せっかくの楽しいショーなんだもの。あなたも一緒に見物しましょ?」
Mはそう言うと、手下の強化人間たちを呼び出した。屈強な肉体を持つ男たちが、武器を構えてクヲンを取り囲む。
「まずは、あなたから“処理”してあげるわねぇ」
戦闘が開始された。クヲンはサイコ・ブレードを瞬時に形成し、強化人間たちに襲いかかる。しかし、廃墟の内部は熱気がこもり、風通しも悪い。クヲンの体温は、戦闘開始から間もなく危険なレベルに上昇し始めていた。
(熱い…!体が…思うように動かない…!)
無痛症のためダメージは感じないが、ナノマシンからの警告が、彼女の脳内でけたたましく鳴り響いている。動きに精彩を欠き始めたクヲンを見て、Mはにやりと笑った。
「あらあら、もうバテちゃったの?あなたも、見かけ倒しなのねぇ」
M自身も戦闘に加わり、その不死身の再生能力を駆使してクヲンを翻弄する。Mの攻撃はトリッキーで、クヲンは回避しきれずに打撃を喰らう。痛みはないが、確実に体力を奪われていく。
「ク…ヲン…ちゃん…逃げて…」
檻の中から、シンシアが掠れた声で叫んだ。彼女は自らの苦しみよりも、クヲンの身を案じていた。
「シンシア…!」
クヲンはシンシアの声に奮い立ち、最後の力を振り絞ってMに反撃を試みる。しかし、オーバーヒート寸前の体では、Mの素早い動きに対応できない。Mの強烈な一撃がクヲンの脇腹に叩き込まれ、彼女は壁に叩きつけられた。
「うふふ、これで終わりかしらねぇ?」
Mが勝ち誇ったようにクヲンに近づいた、その時。
『――クヲン!今よ!敵の再生コアは、眉間にある極小のインプラント!そこを破壊すれば、一時的に再生能力を阻害できるわ!』
ミラーの声だった。ジャミングを突破し、Mの弱点を特定したのだ。彼女の“モードえっち”による時間稼ぎと、必死のハッキングが功を奏した瞬間だった。
同時に、檻のロックが解除され、スプリンクラーも停止した。
「なっ…ジャミングが…!?」
Mが驚愕の声を上げる。
クヲンは、最後の力を振り絞って立ち上がった。その瞳には、まだ戦う意志の光が宿っている。
「…まだ…終わってない…!」
クヲンは一直線にMに向かって突進し、渾身の力を込めたサイコ・ブレードを、ミラーが示した眉間の一点に叩き込んだ。
「ぎゃあああああああっ!」
Mの絶叫が廃墟に響き渡る。眉間のインプラントが砕け散り、Mの体は痙攣しながら黒い煙を上げて崩れ落ちた。…かに見えたが、次の瞬間には再び再生を始めようとしていた。しかし、その速度は明らかに遅い。
「クソ…!覚えてなさいよぉ…!」
Mは捨て台詞を残し、煙のように姿を消した。深手を負ったのは間違いないだろう。
クヲンは、その場に膝から崩れ落ちた。全身から湯気が立ち上り、意識が朦朧としている。
「シンシア…無事…?」
「クヲンちゃん…!」
シンシアは、まだ腫れの引かない体を引きずるようにしてクヲンに駆け寄り、その体を支えた。
「ありがとう…クヲンちゃん…。ごめんね、私のせいで…」
「…ううん…ミラーも…助けてくれた…」
やがて、ミラーが手配したサポートチームが到着し、二人は急いで基地へと搬送された。
***
基地のメディカルルーム。シンシアは特殊な抗アレルギー薬の点滴を受け、肌の腫れと痛みは徐々に引いていった。クヲンは冷却ジェルで満たされたカプセルの中で、強制的に体温を下げている。
隣の部屋では、ミラーがソファにぐったりと倒れ込んでいた。フェリシアは充電モードに入っている。彼女は“モードえっち”の副作用で、精神的に極度の疲労困憊状態だったが、仲間が無事だったことに安堵の表情を浮かべていた。
「…ごめんね、二人とも。私の情報収集が甘かったせいで、あんな危険な目に…」
治療を終えたシンシアが、クヲンとミラーの元へやってきて言った。その声には、自責の念が滲んでいる。
「…シンシアは、悪くない。私が…もっと強ければ…Mを、完全に倒せたはず…」
冷却カプセルから出てきたクヲンも、悔しそうに呟いた。
「二人とも、自分を責めるのはおよしなさい」
ミラーはゆっくりと体を起こし、いつもの調子を取り戻そうと努めながら言った。
「私たちは三人で一つ。誰か一人でも欠けたら、今日の勝利はなかったわ。それぞれの弱さを、それぞれの強さで補い合う。それが、私たちの戦い方なんだから」
ミラーの言葉に、シンシアとクヲンは顔を見合わせ、小さく頷いた。彼女たちの間には、また一つ、困難を乗り越えたことによる強い絆が生まれていた。
しかし、Zの組織の脅威が去ったわけではない。Mは撤退したものの、その執着心は増しただろう。そして、SやLといった他の幹部たちも、虎視眈々と次の機会を狙っているはずだ。
「運命を、こじ開ける…」
ミラーが再び、あの言葉を口にする。
「そのためには、もっと強くならなきゃね。三人で、一緒に」
少女たちの戦いは、まだ道半ば。蝕む日常と、それでも確かに繋がっている絆を胸に、彼女たちは再び立ち上がる。その先に、どんな運命が待ち受けていようとも。