エピローグ:バール・ディスティニー
Zとの、人類の存亡を賭けた最終決戦から、数ヶ月の時が流れた。
宇宙ステーション「ギガント」は、アイギスの管理下で復旧作業が進められ、世界は少しずつ、しかし確実に、かつての秩序を取り戻し始めていた。
混乱に乗じて行方をくらませていたZの腹心だった幹部たち――S、M、Lは、世界各地で潜伏していたところをアイギスのエージェントによって次々と捕縛された。彼女たちは、アイギスが開発した特殊な制御装置によってその超能力を完全に無効化され、やがて国際司法裁判所の法廷に立つことになるだろう。彼女たちが犯した罪は重い。だが、彼女たちもまた、Zによってその運命を歪められた犠牲者だったのかもしれない。
そして、全ての元凶だったZは…公式には行方不明(MIA)扱いとなっている。おそらくは、『終焉の翼』と運命を共にしたWの最後の力によって、その意識データは宇宙の塵と消えたのだろう。だが、彼の死体は痕跡ひとつ発見されず、その存在は一つの大きな謎として、歴史の中に残り続けることになった。
戦いは終わった。しかし、私たちの日常は、新たな形で続いていた。
アイギスのメディカルセンターの一室。そこには、穏やかな表情で窓の外を眺める、一人の少女の姿があった。
「希…調子はどう?」
私が声をかけると、彼女はゆっくりと振り返り、小さく微笑んだ。彼女こそ、かつてWと呼ばれた少女。Zの呪縛から解放された後、アイギスで治療を受け、希という新しい人間の名前を与えられたのだ。
彼女が持っていた規格外の力「オメガ・フォース」は、もう使えない。しかし、その代償か、あるいは祝福か、彼女の身体には驚くべき変化が起きていた。あらゆる毒物やウイルスに対する完全な耐性、老化の停止、そして他者の感情の機微を敏感に感じ取る、極めて優れた感受性…。オリヴィア所長曰く、「とんでもないびっくり人間の誕生ね!研究サンプルとして最高だわぁ!」とのこと。もちろん、オリヴィア所長は(色々な意味で)希のことを気に入り、今では実の娘のように可愛がっている。彼女の代わりは、私には到底できないことだ。
その後のアイギスの調査で、Zに関するいくつかの新たな事実も判明した。
彼の拠点は世界各地に点在していたが、その一つが、なんとオリヴィア所長の父親がかつて研究に使っていた、旧式の宇宙船の残骸だったという。そして、驚くべきことに、そこで彼は数匹の猫を飼っていたらしい。
その報告を聞いた時、私の脳裏に、あの研究所で出会った賢い猫…私が「シロ」と呼んでいた猫の姿が蘇った。
まさか…。
オリヴィア所長の話では、Z…いや、アラン・キサラギは、研究所で猫を放し飼いにすることで、彼らの目や耳を通して、施設内の情報を収集する「生きた監視カメラ」として利用していたという。彼らは、猫に超能力を付与し、さらには人語を理解し話す猫を作ろうなどという、無茶で非道な実験の被害者…被害猫だったのだ。私がシロと心を通わせていると感じていた、あの時間さえも、彼にとってはデータ収集の一環でしかなかったのかもしれない。
「ゼニスは、超能力を手にしてもなお争い続ける人類に絶望していた。そして、試していたのよ」
オリヴィア所長は、静かにそう言った。
「百数十年前に、初めて完全な超能力者がこの世に現れてから、今を生きる人類に、その力を正しく扱う資格があるのかどうかをね。彼のやり方は、決して許されるものではないわ。でも、彼の問いかけそのものは、超能力者である私たち全員が、これからも背負い続けなければならないのかもしれない」
Zの脅威は去った。だが、世界から争いが消えたわけではない。超能力を悪用する者、その力に溺れる者、そして新たに生まれるであろう脅威…。私たちの戦いは、決して終わらないのだ。
私には、私たちには、その正しい力と向き合い続ける使命がある。
ある晴れた日の午後、アイギスの屋上庭園で、私は希と二人きりで話していた。
「希…」
「なあに、クヲン」
彼女は、もう私のことを「失敗作」とは呼ばない。
「あなたは…私が、オリジナルでなくて、良かったの?」
ずっと、心のどこかに引っかかっていた疑問。私ではなく、彼女こそが、全てのクヲンシリーズの本体であり、あの研究所が求めた「成功体」だったはずだ。
すると、希は静かに首を横に振った。そして、これまで見た中で、一番優しい笑顔で私に言った。
「オリジナルに相応しいのは、クヲン、あなたよ」
「え…?」
「あなたは、無数の私たちの悲しみと苦しみを、その一身に受け止めて、それでも自分自身の意志で未来を選んだ。誰かに与えられた力や運命に屈することなく、その手で、こじ開けた。だから、あなたがオリジナルなの。私たちは…あなたという希望に辿り着くための、ただの過程だったのかもしれないわ」
その言葉が、私の心の奥底にあった最後の氷を、静かに溶かしていくのを感じた。
そうだ。私は、誰かのためのサンプルでも、失敗作でもない。
私は、私だ。
その時、インカムにミラーからの通信が入った。
『クヲン、シンシア、緊急出動要請よ!南米で、発掘中の古代遺跡から覚醒したと思われる、正体不明の超能力生命体が暴れているらしいわ!』
すぐ隣で、同じく通信を聞いていたシンシアが、にやりと笑う。
「あらあら、休ませてくれる気はないみたいね。久しぶりの実戦、いいわ、腕が鳴るわね!」
私は、立ち上がり、空を見上げた。
どこまでも続く、青い空。
これからも、きっと多くの困難が待ち受けているだろう。多くの悲しみや、苦しみがあるかもしれない。
でも、もう迷わない。私には、信じられる仲間がいる。守りたい世界がある。そして、私自身の意志がある。
私は、インカムに向かって、力強く、そして晴れやかに答えた。
「任務了解。クヲン、出撃する」
(完)




