ナズ②
ナズ視点です。
ツキミに招かれた私は、彼にアブーのことを話した。
アブーから受けた暴力と監禁について話した。
彼から逃れるために私を匿ってくれるよう、それとなく言い回してみたけど……はっきり言って賭けだった。
勇者であるアブーの目を欺いて私を匿うなんて……犯罪に等しい行為……いや、実際に露見されたら犯罪と世間は認識するだろう……。
彼は正義を司る騎士であり、私に告白までするほどの好意を抱いている。
だがそこまでのリスクを負ってまで私を守るか……そればかりは本当にわからなかった。
「それじゃあね……」
私は絶望しきった顔を演じ……ツキミの同情を誘った。
もしもこの部屋から出てしまえば、ツキミが私を助けてくれる確率はもはや皆無となる。
”助けると言って! 私はあなたが初めて恋焦がれた女なのよ!? 男なら……女を命懸けで守りなさい!”
叫びたい衝動を抑えながら、私はただただ神に祈った。
ツキミに助けてもらえなければ……私はまたアブーの支配に堕ちる。
そんなのはもう嫌だ!
心の中でそう強く念じた時……。
「ナズ……待ってくれ」
私の腕を掴み……彼は真っすぐな目で私を見つめてこう続ける……。
「俺がナズを守るよ……勇者に制裁を与えることはできなくても、君を守ることはできるかもしれない。
頼りないかもしれないけれど……俺なりに精一杯やってみるから……」
この言葉に嘘偽りはない……。
幼馴染だからわかる……。
彼は本気で私を守ろうとしていると……はっきり伝わってくる。
まあ、男が女を守るなんてことは常識レベルに当たり前なことすぎて感謝の気すら湧かないけれど……。
「……ありがとう」
だけどまあ……気まぐれを起こされても困るし……ここは口先だけの感謝を述べておいた。
いわゆるリップサービスって奴?
ともあれこうして……私はツキミの部屋に匿われることになった。
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いつまで続くかわからないけれど……これでアブーの支配から逃れられると私は喜びをかみしめていた。
ただ……そう思えていたのは最初だけ……。
アブーとの生活は暴力に支配された恐怖の世界だったけれど……生活の質自体はとても良かった。
高価なアクセサリーや服に身を包み……高級料理を毎日飽きないようにローテンションで食べていた日々……アブーと町を歩くことで向けられる負け犬共の嫉妬が入り混じった尊敬の眼差し……メスとしてアブーに与えられてきた性の快楽……。
何もかもが私の心を満たしていた……。
それに比べてツキミとの生活は……貧困そのもの……。
まるで実家での生活に戻ったかのようなとても窮屈な毎日……。
与えられる食べ物も質素だし……服や下着はとても悪趣味なものばかり……。
自ら望んだこととはいえ、外に一切出られないというのも息が詰まる……。
その上……ツキミはアブーに比べるとオスとしての機能が絶望的に劣っている。
ツキミを繋ぎ止めるために、体まで差し出してあげたりもした……。
初々しい彼の”初めて”をもらったという点は女としてそそるものがあったけれど……それは大したスパイスにはならなかった。
ツキミのご機嫌取りのために”演技”でごまかしたけど……ツキミには女を満たすだけの力はなかったみたい。
底辺とはいえ……騎士が女1人満足させられないなんて……情けなさすぎる。
アブーの暴力や監禁に怯える必要がないとはいえ……あまりにも格差がありすぎる。
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「なんなのよこの生活……地獄じゃない」
ある日……ツキミの部屋で1人、天井を眺めながら私は後悔の言葉を口にした。
女の私に……まして初恋の相手である私にこんなひもじい思いをさせて……ツキミには男としてのプライドというものがないの?
ツキミは優しいだけで容姿を除けば私のゴミ父となんら変わりない。
いっそのことアブーの元へ戻ろうかと心が傾き始めてきた。
だけどそうなったらDV地獄に逆戻り……。
「どうしたら良いのよ……」
アブーとツキミの間で揺れ動く私の心……。
”私がいるべき場所は一体どっちなの?”
何度も自問自答するも……答えなど当然返ってくることはない。
ふと窓に目をやると……いつの間にか外がうっすらと暗くなっていた。
コンコン……。
不意にドアをノックする音が真っ暗な部屋に小さく響いた。
私は匿われている身……当然居留守に徹しようと思ったが……。
「ナズ……俺だ、開けてくれ」
ドアの向こうから聞こえたのは……アブーの声だった。
ついにバレてしまったのかと身を構えるも……。
「ナズ……戻ってきてくれよ。
お前がいない人生なんて俺には考えられねぇんだ。
帰ってこい……ナズ」
今まで聞いたこともないアブーの弱々しい声……初めて聞いた私を求める言葉……。
私の中にあったアブーへの恐怖心が一変し、寂しさに近い感情が心に渦巻いた。
「アブー……」
私の体は吸い寄せられるようにドアへと歩み寄り……鍵を開けてアブーと私を隔てるドアを開いた。
「ナズ……」
ドアを開いた向こうには……捨てたられた子猫のような顔で私を見下ろすアブーの姿があった。
「アブー……」
ガッ!
アブーは無言のまま私を強く抱きしめた……。
久しぶりに感じたアブーのぬくもり……耳に掛かる吐息……。
さっきまで思い悩んでいたことが全部吹き飛んだように……心が軽くなった……。
”アブーの元へ帰りたい……”
そんな思いが強まっていった。
だけど……戻れば暴力に耐え続ける毎日……。
もうほとんど私の心はアブーの方へ傾いている。
ほんの少しのきっかけがあればアブーの元へ帰る決心がつく。
そんな風に思っていると……。
「ナズ……俺にはお前が必要だ」
アブーに囁かれたその言葉が……踏みとどまっていた私の背を押した。
「アブー……アブーぅぅぅ……」
私はアブーへの愛があふれ……彼を強く抱きしめた。
そして理解した……。
確かにアブーは私に暴力を振るい、さらには男性関係を断たせようと監禁までする。
一見すればただの犯罪行為……でもよく考えてみれば、それは裏を返せば愛ゆえの行動だと私は思う。
だって……好きな人が自分以外の異性と仲良くしてほしくないと思うのは人間として当然のことでしょう?
私だってアブーがほかの女と仲良くしているのを見たら、彼を絶対に責め立てる。
だけどアブーは重婚さえ許されている勇者でありながらも、私以外の女と付き合おうとしない。
それほど私に対する愛が彼の中であふれているんだ……。
そう考える……彼の私に対する暴力も……意味合いが変わって見えるような気がする。
ひょっとしてあれば……不器用な彼なりの愛情表現じゃないかしら?
そうよ……そうだわ。
アブーが私に暴力を振るうのは私をほかの異性に取られたくないと思う……いわば嫉妬による行動……。
よく考えたら……アブーは私にたくさんのお金を貢ぎ、私に上流貴族のような生活を送らせてくれていたじゃない……。
それにこうして私をこんな薄汚い所まで迎えに来てくれた……。
彼の財力があれば人を寄こして迎えに来させることだってできたはず……。
なのにこうしてわざわざ足を運んでくれたってことは……それだけ私を愛しているということじゃない……。
あぁぁぁ……私はなんて愚かな女だったの!
アブーの愛を勘違いして……ツキミと浮気してしまった……。
「アブー……ごめんなさい……私……浮気してしまったの……。
私を許して……」
「あぁ……許してやるよ」
アブーは寛大にも……私を許してくれた。
なんて心が広い人なの……。
こんな人を裏切っていたなんて……自分で自分を許せない。
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「久々に1発どうだ?」
「うん……ヤリたい」
私はアブーへの償いとこれまでのつらく寂しい毎日を上書きするために……ツキミの部屋でアブーに抱かれた。
私を好きなツキミの部屋でアブーと体を重ねる……その行為に私は背徳感を感じ、今まで味わったことのない快楽を味わうことができた。
「はぁぁぁ……幸せ……」
時間を忘れてアブーと愛し合った私は時間を忘れてただただ快楽に浸り続けた。
そんな夢のような時間を……帰宅したツキミによってぶち壊された。
「お前……ナズに何をしているんだ!!」
「あぁ? なんだよお前……」
私達のあられもない姿を見て、ツキミは私が襲われていると勘違いし始めた。
「わかんねぇかなぁ……お前は捨てられたんだよ、ナズに」
アブーはツキミに私達が寄りを戻したこと……お互い合意の上で体を重ねていることを丁寧に話してくれた。
私を好きでいるツキミには悪いけれど……もう私にはアブーしかないって気づいたの。
だから素直に諦めて身を引いてほしい……。
そう思っていた矢先……。
「ナズを……離せぇぇぇ!!」
バキッ!!
あろうことか……ツキミはアブーを殴りつけた。
私を寝取られたと思って……逆上したの?
「てめぇ……何しやがる!!」
もちろん……勇者であるアブーが底辺騎士のツキミに殴られたくらいでどうにかなるわけもなく……あっさりとツキミはアブーに殴り返された。
「ごばっ!」
アブーはそのまま馬乗りになり……ツキミを殴り続けた……。
私を取り合って2人の男が争っている……。
まるで恋愛小説のようなシチュエーションに私は自分の女としての価値に驚愕した。
それと同時に……私は何もできず一方的に殴られているだけのツキミに冷めていった。
なんとも情けない……。
いくら底辺騎士だからって……無様に殴られるだけで反撃すらできないなんて……男としてどうなの?
一時の気の迷いとはいえ……あんなゴミに体を開いた自分が愚かしくて仕方ない。
女は強くたくましい男に惹かれるって昔から言うけれど……本当ね。
「ねぇアブー……その辺でいいんじゃない?」
アブーの暴力によってツキミが意識を失った直後……私は彼の首に両腕を絡めた。
「なんだと? お前……こいつを庇う気か?」
「そんな訳ないでしょう?
ツキミは勇者であるあなたを殴ったのだから……当然の報いよ。
でもわざわざあなたが手を下すまでもないわ……。
罪人は罪人らしく……法の下に裁きを受ければいいんだわ」
このままツキミがアブーに殺されるのは正直どうでもいいけれど……。
殺したら殺したで、騎士団の捜査が入る。
もちろん勇者であるアブーは罪に問われることはないけれど……証人として私が証言台に立つようなことになれば……このアザに誰でも目が行くだろう……。
これがアブーによるものだと世間に露見されたら……アブーの名誉に多少なりとも傷をつけることになる。
アブーの女として……そんなことは許してはいけない。
どうしたらアブーの名誉を守ることができるか……そんなのは簡単。
ツキミがやったことにすればいい。
私はツキミに匿われていた身だけど……その事実を知っているのはツキミだけ……。
ツキミに監禁されたと裁判で私が証言すれば……自然とこのアザがツキミによるものだと周りは考えるはず……。
学生時代の友人たちの何人かは、ツキミが私に告白して振られたことを知っている。
男が振られた逆恨みで女を拉致し……監禁して暴力を振るう。
世間ではそう珍しくもない話だから……信憑性は高くなるはず。
「ひひひ……そうだな」
その後……アブーが電話で呼んだ騎士団によってツキミは意識を失ったまま連行されていった。
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そして後日……ツキミの裁判が始まった……。
ツキミには弁護をしてくれる弁護士はいないから……私達の一方的な主張が通った。
まあいくら弁護士でも、勇者であるアブーを敵に回すような愚か者なんているわけがない。
そして私達の主張を簡易的にまとめると……。
”ツキミは好意を寄せていた私がアブーと付き合っていることに嫉妬し、私を拉致して自室に監禁し……暴力や強姦に及んだ……。
そしてアブーはツキミに監禁されていた私を救うために、ツキミを痛めつけた”
そういう筋書きで私の痛々しいアザの理由を通した。
ツキミの主張が正しい証拠も私達の主張が嘘である証拠もない……。
ただ……勇者と底辺騎士……どちらの言葉に信憑性があるか……考えるまでもないこと。
最終的に裁判官や傍聴人たちを味方に付けることに成功し……。
「被告人を死刑に処す」
そして……ツキミに死刑判決が下った。
恨みはないけれど……仕方ない事だわ。
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後日……。
私はツキミと話すために面会室を訪れた。
まあ何も話さず死ぬのはさすがに可哀そうだからね。
「どうしてだナズ……どうしてあんな嘘をついたんだ?」
まあ当然そう尋ねてくるわよね……。
私はツキミにわかりやすいように説明した……。
私とアブーが互いの愛を再認識し、寄りを戻したこと……。
彼の名誉を守るためにツキミには死刑になってもらうということを……。
アブーの暴力は全て……愛情表現の一種であったことを……。
「何を言ってるんだ!? 嫉妬だの束縛だの……そんなの暴力を振るっていい理由にはならないだろ!?」
「暴力なんて言い方やめてよ……。 だいたいツキミはどうなの?」
だが話している最中……ツキミがアブーを悪く言ってきた。
私は少し怒りが湧いて、彼に己の無力さを説いてやった。
「だいたい守るって言っておきながら……結局私がアブーに見つかった時にいてくれなかったじゃない!
あなたの言っていることは全部口先ばっかり!!」
「違う! 俺は本当に……」
「違わないでしょ!? だけどね?……アブーは違うわ。
私のことを真剣に愛してくれている。
不器用な所はあるけれど……あなたと違って私を幸せにしてくれている」
「ふっふざけるなっ!! 君は俺をなんだと思っているんだよ!!」
「なんだとって……私達は幼馴染に過ぎないでしょう?
だから私は幼馴染として……あなたの初恋を良い思い出にするために、体を重ねてあげたじゃない。
その恩に報いろうとは思わないの?」
そう……。
ツキミは私という最高の女を抱いた……。
それだけもう……この世に思い残すことはないでしょう?
それなのにウジウジと女々しい言葉を吐いてくるツキミに私はもはや嫌悪感さえ抱いてしまった。
「私はあなたにとって初恋の相手でもあり……あなたの”初めて”の相手でもあるの。
そんな女のために死ぬ……これ以上名誉なことはないでしょう?」
「ナズ……」
「じゃあ私はアブーの所に帰るわ……。
じゃあツキミ、短い間だったけれど……ありがとう。
私はアブーと共に幸せな人生を歩んでいくわ。
さようなら……」
私の本心を全て話し終えた後……私は面会室を後にした……。
最後に見たツキミの顔からして……私の言葉をほとんど理解してくれなかったみたいだけど……もういいわ。
彼はどうせ死刑になる身……。
放っておいても何も不都合はないわ。
私にはこれからアブーとの幸せな未来が待っている……。
ツキミとのことなんて忘れて……私は新たな再スタートを切るんだ!
次はツキミ視点です。