第6話 戻った日常と戻らない関係①
桜草樹の力について一段落した次の日。会社でバイトをする皆が戻ってくる昼休みに合わせて、朔也は桜草樹とともに『家』に姿を現した。
「蒼柳創の兄の、蒼柳朔也だ」
集まった参加者を見回して、朔也は言った。
「大学の研究のため、桜草樹さんに協力を申し込んだ。その関係で、しばらくここに出入りすることになる。見かけても気にしないでほしい」
昨日話し合った、朔也が出入りすることへの表向きの理由。それを朔也は、疑われる心配なんて一切ないくらい堂々と告げた。彼の隣では、同じく平然とした顔の桜草樹が軽く頭を下げた。
「前にちょっと見かけたときも思ったけどさ」
天瀬がまじまじと朔也のことを眺めた。
「何か、ツクルのお兄さんって感じがする。モデルとかやってそうな雰囲気じゃん」
「それで頭もいいって、何か、すごいな……」
櫟依もしみじみと言った。
「っていうか、蒼柳の家って、あのT市記念病院だったんだな。魔力の被害にあった人の治療とかを受け入れているっていう」
「うん。治療についての研究が許可されてるんだ。兄さんが今しているのも、強い魔力の影響を受けた人の治療の研究なんだよ」
櫟依の隣で、兄を褒められて誇らしげな顔をした創が説明した。朔也も、創に続けて説明した。
「強い魔力を浴びると、身体に障害が残ったり、昏睡状態になったりする人が多い中で、桜草樹さんは、柚の強力な魔力を受けても影響が残らなかった。だから、その条件が何だったのか調べるために協力してもらうことになった」
「なるほどー」
天瀬と櫟依の気の抜けた声がそろう。二人とも、朔也からバシバシ出ている頭がいい人のオーラに気圧されている様子だった。
「話は以上だ。時間を取らせて悪かった」
朔也がそう言うと、彼を気にかけつつ、参加者の皆は食堂へと歩いて行った。それを見送って、その場に残った勝元が尋ねた。
「結局、桜草樹さんのことは解決したって認識で良いんですか」
「ああ、解決した」
朔也は頷いた。
「ただ、事情を詳しく話すことはできないから、さっきの俺の説明がすべてだというように振る舞ってほしいし、探るようなことも避けてほしい。無理を言ってすまない」
「分かりました。気にしないでください。何か事情があることは理解してますから」
勝元は答えた。一緒に残っていた創と凪沙も、同意を示すように頷いた。
「皆さん、私の事情に巻き込んでしまって申し訳ありません」
桜草樹は、三人のことを見回して謝った。
「今までも、色々と迷惑をかけてしまいましたし」
「いや、いいよ。事情は分からないけど、何か重要なことだったっていうのは分かったから。俺も、あんまり気を遣えなくてごめんな」
勝元は申し訳なさそうに言った。創も勝元に続いて言った。
「人に話せないことのために、一人で頑張ってたんだよね。協力できなくてごめんね」
「いえ。お二人とも、私が不適切な質問をしても責めることなく応じてくださいましたし、お二人が気にされることはありません」
二人に対してそう言うと、次に桜草樹は、凪沙に顔を向けた。その瞬間、勝元たちの表情が強張った。
凪沙は、正面から自分を見つめる桜草樹を、本当に微かではあったけれど、緊張が感じ取れる目で見つめ返していた。そんな凪沙と対をなすように、桜草樹はしおらしく頭を下げた。
「入月さんも、色々とありがとうございました」
「……」
嫌味と取るにはあまりに自然すぎる言葉に、以前の彼女たちのやり取りを見ていた柚たちは唖然とした。凪沙自身、想像していなかった彼女の態度にかなり引いている。
「私、結構ひどいことした自信があったんだけど」
「ひどいこと、ですか?」
キョトンとした顔をする桜草樹。そして、すぐに「ああ」とつぶやいた。
「白葉さんと蒼柳さんに、お二人の体質についてお尋ねしようとしたときのことでしょうか。あれは、入月さんのおっしゃったとおり、私が自分の行動の危険性を理解していなかっただけですので、ひどいことをしたのはむしろ私の方です。申し訳ありませんでした」
「それも、今となってはそうかもしれないけど、それだけじゃないでしょ」
二人が言い合ったことに言及するどころか、突然もっと前の出来事について謝り始めた桜草樹を、凪沙は信じられないものを見る目で見た。
「自分で言うのも嫌なんだけど、私、桜草樹さんに邪魔だとかここに来るなとか、色々強く言ったはずだよ」
具体的に言われてもなお、桜草樹は全く思い当たることがない、という顔をしていた。
凪沙は、そこで初めて怪訝な顔をして、柚の方を見た。柚も、凪沙を見つめ返して首を傾げた。
凪沙を庇うために、もしくは逆に凪沙の言葉なんてたいしたことないと挑発するために、わざと忘れたふりをしている可能性もある。しかし、今の桜草樹からは、そんな雰囲気は少しも感じ取れなかった。
凪沙は、今度は神妙な顔で桜草樹のことを見た。桜草樹は、状況がうまく掴めていない様子で、戸惑った顔をしている。
「桜草樹さん、まさか、記憶が……」
凪沙のつぶやきに、柚はハッとする。
建前とはいえ、桜草樹は柚の魔力の影響を受けなかったと朔也は説明した。実際、彼女に何かしらの障害が残った様子は見られなかった。けれど、その障害が、目に見えないものだったのだとしたら。
「まあ、忘れてるんだとしたら、桜草樹さんの気持ち的に、覚えておかなくても良いものっていう意味かもしれないな」
表情を曇らせた柚に気づいたのか、勝元はそう言った。そして、先ほどまでの落ち着いた声色から一転、軽い口調で「そういえば」と話題を変えた。
「朔也さん、いつの間にか『道』まで用意してもらったんですね。びっくりしました」
すると、朔也が口を開く前に、勝元に引っ付いて大人しくしていたルリが頬を膨らませた。
「そうなんですよ。突然『道』を作ってほしいって凪沙と二人で詰めてきて、ルリ怖かったですよ。プロジェクト参加者でもないのに、図々しいと思わないのですか」
「そっちが俺たちを利用するつもりなら、俺たちがそっちを利用したってかまわないだろう。使えるものは使わないと」
「本当に創のお兄さんなんですか、あなた」
澄ました顔で言う朔也に、ルリはじっとりとした目を向けた。
「だいたい皆さん、最近ルリ使いが荒いですよ。柚も一華も、何回も何回も『道』の設定を変えてほしいなんて頼んできて。いくらルリができる子だからって、『道』を設定するのにも手間がかかりますし、ルリだって暇じゃないんですよ、まったく」
「ごめんね、ルリちゃん」
柚が謝ると、ルリはふてくされた表情で柚を見上げた。
「ごめんじゃないですよ。柚なんて、預かった腕時計を取りに来るように伝えてたのに、取りに来たと思ったらすぐ帰っちゃいますし、また取りに来たと思ったら『道』を設定してほしいって言いだしますし、あなたは一体何のプロジェクトに参加してるつもりですか」
「それは本当にごめん……」
反論の余地もなく、柚はうなだれた。柚の左手首には、ついさっきルリから返却された腕時計が、数日ぶりにはめられている。
「まあ、いいですけどね。魔力の影響で柚の機械だけちょっと壊れてて、直す時間も必要でしたから、どのみち他の人より返すのが遅くなる予定でしたし」
柚の態度を見てもう十分だと判断したのか、ルリはあっさりと恨み言を引っ込めた。
「『道』のことも、必要なことだっていうのは分かってるんですよ。社長からも、何か頼まれたらできる限り協力するように、と言われてますし」
「……そうか」
朔也の表情が険しくなる。きっと彼は、数日前に社長と相対したときのことを思い出しているのだろう。
深くて暗い、社長の穏やかな目を思い出して、柚は思わずゾッとする。柚たちの事情を掌握していて、詳しいことは何一つとして明かさない社長。そんな彼が、柚たちへの協力を指示して、朔也が彼専用の『道』を作ることも許可した。柚は、暗がりの中から姿の見えない誰かがじっとこちらを見つめているような、純粋な恐怖を感じた。
「そう心配しなくてもいいですよ。社長だって、取って食べたりはしないですから」
のんびりとした口調で、ルリは言った。
「じゃあ、ルリは皆さんと違って忙しいので、仕事に戻ります。また何かあったら協力してあげますので、声をかけてください」
生意気にそう言うと、ルリはてくてくと食堂の方に歩いて行った。
ルリの背中が食堂の扉の向こうに消えたのを確認すると、朔也は柚たちに尋ねた。
「あの子は、結局どういう子なんだ」
「……さあ」
柚たちは皆、首を傾げた。ルリとはこの一か月間、かなりの頻度で接してきたけれど、社長と同様、ルリがどういう子でどういう立ち位置なのか、未だによく分からないままだ。分かっているのは、『道』の管理をしている魔法研究者だということ、社長たちによく懐いていること、見た目の割に大人びすぎた喋り方をすること、くらいだろうか。
誰一人として答えを持たない状況に、朔也は小さくため息を吐いた。そして、「さて」とつぶやくと、朔也は桜草樹に対して呼びかけた。
「そろそろ行くか。どこか話せるところに移動しよう」
「それでは、二階にある私の部屋でいいでしょうか」
「ああ」
桜草樹の提案に頷くと、朔也は柚のことを見た。
「柚も一緒に来い」
「え、私も?」
突然の指名に、驚いた声が出る。
「何で?」
「昨日知り合ったばかりの人と部屋で二人きりというのは、桜草樹さんにとって良くない。柚が同席すれば問題ないだろう」
なるほど、確かにそうだ。
「それじゃあ、俺たちはこれで解散だな」
勝元が言うと、創と凪沙は頷いた。
「柚は、明日も来る?」
凪沙が尋ねた。柚は「うん」と答える。
「いろいろ落ち着いたし、明日からまたバイトに来ようと思うんだ。みんなもまた来てって言ってくれたし。学校終わったらすぐ来るつもりだよ」
「そっか」
凪沙は小さく頷いた。
「凪沙ちゃんはどうするの?」
「しばらく大人しくしてた方がいいとも思ってたけど、柚がいるなら来ようかな」
淡々と答える凪沙の言葉に、柚はふと心配になる。
しばらく大人しくしていた方がいいと思ったということは、凪沙はまた、参加者の皆から何か言われたり、逆に何か言ったりしたのだろうか。
「心配しなくていいよ。あれから何か言われたとかはないし、揉めてもない。ただ、私がいるとみんなが萎縮するんじゃないかと思っただけ」
柚の表情をちらりと見て、凪沙は言った。
「ここでそろそろ戻らないと、もう行けない気がするから、柚と一緒のタイミングで戻るのが一番都合がいいかなって思った。ただそれだけだよ」
「……そっか。それならよかった」
柚は微笑んだ。凪沙の言葉をそのまま信じていいのか分からなかったけど、凪沙がどうするのかは凪沙が決めることだ。柚が心配したって仕方がない。
「みんな来るなら、僕もちょっと寄ろうかな」
気楽そうな声でそう言って、創はにこっと笑った。
「兄さんとも会いたいし」
「そうだな。しばらくは毎日来るつもりだから、毎日会えるぞ」
本気なのか冗談なのか分からない調子で朔也は言った。それに、創はにこにこと嬉しそうな顔を浮かべている。創と新の関係性もそうだけれど、この兄弟には何とも言えない絶妙な距離感があるよなあと思う。
「じゃ、また明日」
勝元が柚たちに手を振った。柚も手を振ると、朔也と桜草樹とともに二階の部屋へと向かった。




