『扉の番人』②
「――これ」
蓮人が、一つの封筒を出して桜草樹の前に置いた。
「君のおばあさんから預かっていた封筒だ。この中に、どうやって『扉の番人』の力を使えばいいのか、書いてあるはずだよ」
蓮人の声は、わざとらしいほどに落ち着いていた。そこで、桜草樹はずっと伏せていた顔を上げた。
「ここに……」
涙で濡れた赤い目で、桜草樹は封筒を眺めた。それはきっと、桜草樹がこの三か月間求め続けた答えだった。
感情を吐き出して泣いたからなのか、無意識に魔力が使われてしまったからなのか、それともようやく目的が達成されたことへの安堵からなのか、桜草樹の表情はぼんやりとしていた。彼女は、恐る恐る、といった様子で、そっと封筒を手に取った。
「桜草樹さん」
そんな彼女に、蓮人が呼びかけた。
「一つ、勘違いしているかもしれないから、伝えるね」
桜草樹の目が、ゆっくりと蓮人に向けられる。それを確認して、蓮人は言った。
「『扉の番人』の後継者は、『扉の番人』本人が指名できるものではないよ。『扉の番人』の力そのものが、最も適性があると判断した人を選んで、その人の身体に入るんだ。だから、次の『扉の番人』が誰なのかは、前の『扉の番人』が死んで、次の人にその力が現れて、そこで初めて分かるんだ」
「え……?」
桜草樹は、困惑した表情を浮かべた。
「祖母は亡くなる直前、私に『大切な話がある』と言っていました。私はてっきり、それが『扉の番人』の力のことだったのだと思っていたのですが……」
「いや、確信はないけど、それはその通りだったと思うよ」
困惑したままの桜草樹に、蓮人は言った。
「力については、『扉の番人』本人や他一部の人しか知らない。けれど、自分が死んだ後じゃないと、自分の後継者が分からない。そうなると、力を適切に受け継ぐことができない。だから『扉の番人』は、後継者になる人を予想して、力について話すそうだよ」
「予想、って、そんなことできるの?」
柚が尋ねると、蓮人は「できるよ」と答えた。
「『扉の番人』の適性がある人っていうのは、責任感と忍耐力がある人らしい。だから、桜草樹家の中で最もそれに当てはまる人を判断して、力はその人を選ぶだろうと予想をつけることは可能なんだ」
そう答えた蓮人の声は、とても力強かった。彼は、桜草樹を励ますように、彼女を正面から見つめた。
「つまり、君のおばあさんは、最も適性のある人物が君だと判断したってことなんだよ」
桜草樹は、戸惑って蓮人の顔を見つめ返した。
「でも、妹や弟の方が優秀だし、お父さまやお母さまだって、私よりずっと落ち着いていて頼りになるのに……」
「それでも、君のおばあさんは、その中でも君が最も相応しい人物だと判断して、話そうとした。そして実際に、力は君に受け継がれた」
「……」
桜草樹は目を見開いて、手に持った封筒に目を落とした。
「おばあさまは、ずっと前から、私を……」
桜草樹は、そうしてしばらく封筒を見つめていた。そして不意に、目を閉じて姿勢を正した。
再び目を開けた桜草樹の表情は、さっきまで泣いていた彼女でも、今まで一人で戦っていた彼女でもない、驚くほど真っ直ぐで頼もしい顔だった。それを見て、柚は思わず感嘆する。
きっと今、目の前にいるのが、本当の桜草樹なのだ。
彼女は、覚悟を決めた様子で、丁寧に封筒を開けた。そして、中から取り出した紙を、じっと見つめた。
「……ありがとうございます」
桜草樹は、スッと立ち上がった。
「力を使うための道具は、祖母の書斎にあるそうなので、一度帰ります。見つかったら、また報告しに戻ってきます」
「うん。いってらっしゃい」
蓮人が頷くと、桜草樹も唇を引き結んで頷いた。そして、一礼した後、振り返って駆け出した。その背中を、柚もしっかりと見送った。
***
柚の『道』を通って『家』の地下に出ると、一華はすぐに、その二つ隣の自分の『道』に飛び込んだ。
一瞬、自分の周りの空間が離れる感覚がした後、目の前に自分の部屋が現れた。部屋の角に佇む『道』の枠が、一華の背後で静かに消えていく。一華は迷わず部屋を飛び出して、祖母の書斎へ向かった。
祖母が倒れていた場所を走り抜け、書斎の扉を勢い良く開ける。そして、部屋の照明をつけるのも忘れて、薄暗い中、書斎の机の前まで進んだ。
あのときからそのままの状態の、机の上。きれいに積まれた書類と本。年季の入った万年筆。いつか撮った家族写真が入れられた写真立て。
一華は、呼吸を繰り返して息を整えると、写真立てを手に取った。
笑っていない、写真の中の祖母。その厳しい表情を、じっと、初めて正面からしっかりと見つめた。その表情が、記憶の中の祖母の表情とぴったり重なる。誰よりも厳格で、いつだって冷静だった祖母。一華の弱いところをすべて見抜いていた、祖母。
写真立てを裏返して、写真を入れる蓋の部分を取る。そこには、祖母が残した手紙に遭った通り、見たことのない形をした、小さな鍵が入っていた。
一華はそれをつまむと、今度は本棚の方に向かった。部屋の奥の方にある本棚の、下から二段目。『扉の番人』について書かれていたあの書籍があったところ。
一華は、シリーズ小説の八巻のカバーが被せられた本と、その前後の巻数の本を棚から抜き出した。そして、その棚の奥を覗き込んでよく目を凝らすと、スライド式の小さな扉が見つかった。
その扉を開けると、壁に埋め込まれた金庫のようなものが出てきた。一華はそこにある鍵穴に、先ほど写真立ての中から見つけた鍵を差し込んで回した。
カチャリ、と小さな音が響く。すると、金庫の扉の一部がぐにゃりと歪んで、小さなくぼみが現れた。一華はそこに、自分の人差し指の先を押し付けた。
触れる指先に、痺れのような微かな痛みを感じた。それと同時に、カチ、と何かが外れる軽い音が聞こえた。扉を引くと、金庫は音もなく静かに開いた。
その中には、二十センチ四方くらいの小さな箱が入っていた。こげ茶色の本体に、金色の線が控えめにあしらわれている。蓋の部分には、一華の胸に現れたのと同じ、『扉の番人』の模様が描かれていた。綺麗で繊細なデザインで、まるでオルゴールの箱のようだった。
箱を開けると、中には握りこぶし大の水晶玉のようなものが入っていた。玉は、白い絵の具を溶かしたように、白く濁っていた。
一華は、手に持っていた手紙を見た。
『箱は、『結界箱』と呼ばれるものです。この中にある玉に魔力を注ぐことで、結界を維持することができます。玉が透明に澄んでいれば、魔力は十分だということを示しています。濁っているなら、結界が弱くなっている可能性があるため、魔力をさらに注ぐ必要がある、ということです。玉が濁らないよう、魔力は定期的に注いでください』
これに、魔力を注ぐこと。それが『扉の番人』の役目。
祖母がずっと続けてきた、世界を守るための仕事。
ふと、箱の中に、折りたたまれた小さな紙が入っていることに気が付いた。それを開いて、一華は息を飲んだ。
『あとは任せましたよ、一華』
それは紛れもなく、祖母の達筆な文字だった。
直接伝えられなかったときのために、祖母が生前残したメッセージ。この箱を次に開けるのが誰か、確かではない中、祖母は一華の名前を書いた。
理不尽に選ばれるのは。
あの日、祖母が言った言葉。彼女は、あのときから、きっと。
箱をそっと閉めて、ぎゅっと抱きかかえる。そして、一華はそっと目を閉じた。
任せてください、おばあさま。




