第5話 『扉の番人』①
前回で回想終了です。
場面は白葉家に戻ります。おかえりなさい。
「……祖母から『扉の番人』のことについて頼まれた、ということは」
立ち上がって頭を下げたまま動かなかった桜草樹を、まず椅子に座らせて落ち着かせる。軽く瞬きを繰り返して息を整えた後、桜草樹は口を開いた。
「祖母はやはり、『扉の番人』だったということですか」
「そうだよ」
蓮人は頷いた。
「『扉の番人』の力は、代々桜草樹家の中の一人が受け継ぐ。『扉の番人』だった君のおばあさんが亡くなって、その力が今度は君に受け継がれたんだ」
「そう、だったんですね」
桜草樹は俯いて言った。
「祖母は一度も、そんなことを言っていませんでした。『扉の番人』という言葉を口にしたこともなく、魔力を持っているような素振りも一切見せませんでした。きっと、家族の誰もこの力のことは知りません」
「そうだね。『扉の番人』の力は、世界を守る大切な力だ。もし世界の混乱を望む人がいて、その人に正体を知られてしまったら、世界は危険に晒される。だから、『扉の番人』は自分の力のことを誰にも話さないんだって、君のおばあさんは言っていたよ」
「祖母が……」
小さくつぶやいた桜草樹が、顔を上げて蓮人のことを真っ直ぐ見た。蓮人はその目を、しっかりと見つめ返した。
「この話を聞いたのは、もう十何年も前に、君のおばあさんがここに来たときだ。おばあさんは、然るべきときが来たら、力を受け継ぐであろう人に力のことを自分から説明するつもりだった。けれど、もしもそれより先に自分が死んでしまったら、力について伝えられる人がいなくなる。そのときの保険として、おばあさんは力を伝える役目を僕たちの祖母に託したんだ。もし自分が死んだという情報が流れてきて、上手く役目を果たせていないような状況になっていたら、次の『扉の番人』を訪ねてほしい、って」
静かに語る蓮人の声が、他の音がないこの空間の中に積もっていく。蓮人はそこで、そっと目を伏せた。
「僕たちの祖母も、もう長く生きられないことを悟っていたのかもしれないね。その役目は僕がすることになるかもしれないからって、その話に僕を同席させた。実際、その年に祖母は亡くなった。だから、今の桜草樹さんに力のことを伝えるのは、僕が託された役割だったんだ」
そう告げる彼の声は、落ち着いているようでいて、自分を激しく責める感情が詰め込まれている声だった。蓮人は、真剣な顔つきで蓮人の言葉を聞く桜草樹に対して、深々と頭を下げた。
「だから、今回のことは僕の責任だ。本当に申し訳なかった」
「そんな、謝らないでください」
桜草樹は、緩やかに首を横に振った。
「祖母が亡くなったことをご存じなかったのですよね。それに、私の祖母とお話しされたのも、ずっと昔の、まだ幼い頃だったのでしょう。責任を感じる必要なんてありません」
「でも、覚えておくべきだった。最近魔法使いの事件が増えている理由として、すぐに思い当たらないといけなかった。僕の落ち度だ。そのせいで、君に辛い思いをさせてしまった」
「そんなこと……」
そう言った桜草樹は、続く言葉を探そうとしばらく迷った顔をしていたが、見つからなかったのか、苦い顔をして黙り込んだ。
桜草樹も蓮人も、声を出すことさえできないような様子だった。背負わされた責任に今にも押しつぶされてしまいそうな二人の表情を見つめながら、柚はしばらく閉ざしていた口を開いた。
「あの、ごめんね。ちょっと、聞いてもいい?」
このタイミングで聞くことではない気もしたけれど、気になって仕方がないことがあった。柚の言葉に、蓮人は柚のことを少し見て、微かに頷いた。それを確認すると、柚は疑問を口にした。
「前にルリちゃんが、最近事件を起こしている魔法使いは新しく人間界に入ってきた魔法使いたちで、『扉の番人』が役目を果たせば解決する、みたいなことを言ってたんだ。
でも、『扉』って、百年前に『大災厄』が起きたときに閉じて、それから一度も開いてないんだよね。ここ数ヶ月だって、開いたところを見たことがないし。本当に、桜草樹さんが受け継いだ力と、事件が増えたことって、関係あるの?」
ルリがこぼしたつぶやきと、今の二人の会話から推測すると、『扉の番人』の世代交代が突然起こってしまい、何の情報も持たないまま『扉の番人』になってしまった桜草樹がその役割を果たせなかったため、魔法使いが新しく人間界に来てしまい、事件が頻発するようになった、という流れなのだろう。だから二人は、こんなにも責任を感じている。
しかし、二世界を繋ぐ出入り口である『扉』は開いていない。それなら、事件が増えていることと桜草樹が役目を果たせていないことは、本当に関係があるのだろうか。こんなにも二人が責任を感じる必要は、本当にあるのだろうか。
柚の問いに、蓮人は少し驚いた顔をした後、力なく微笑んだ。そして、そのままゆっくりと首を横に振った。
「ありがとう、柚。でも、関係はあるんだ。――人間界と魔法界が繋がるところは、『扉』だけじゃないから」
「『扉』だけじゃ、ない?」
驚いて、柚は聞き返した。
「空に見える『扉』だけじゃなくて、他にも『扉』があるっていうこと?」
「うーん、そうとも言えるけど、そうじゃないというか……」
難しい顔をして少し考えた後、蓮人は口を開いた。
「昔聞いた話だと、二つの世界が初めに繋がったポイントが『扉』で、最初はそこだけが世界を行き来できる出入口だったらしいよ。でも、世界同士がだんだん近づいていったせいで、他にも二つの世界が繋がるポイント――接触点が現れるようになった。
接触点の現れる場所はランダムで、現れたり消えたりする。一方で、『扉』の位置は動かないし、消えたりもしない。だから、『扉』は接触点の中でも、目に見える一番大きくて代表的なものっていう認識なのかな」
「なるほど……」
柚はつぶやいた。
「つまり、『扉』だけじゃなく、その接触点の方も現れないようにしないと、二つの世界を行ったり来たりできちゃうってこと?」
「はい。だから、そうならないように、『扉』が閉じた今も、『扉の番人』が力を使い続けなければならないのです」
今度は、桜草樹が答えた。
「接触点の対策として、精霊は二つの世界の間に結界を作ったそうです。その結界を維持することも、『扉の番人』の役割です」
「もうそこまで知ってるんだね」
蓮人が少し驚いて言うと、桜草樹は「はい」と頷いた。
「祖母の書斎で見つけた本に書いてありました。でも――」
そこで、彼女は表情を曇らせた。
「私が調べて分かったのは、それが全てです。それ以上のことは、何も」
そう言って彼女は、柚たちに向けていた視線を机の上に落した。
「祖母が亡くなって、そのあとすぐに、突然魔力が現れました。それが何なのか突き止めようと、とにかく文献を探しましたが、見つかったのは、今話した『扉の番人』の記述と、『司者』の存在に関する記述だけでした」
「だから、『司者』も調べていることの一つだ、って」
「はい」
柚の言葉に、桜草樹は小さく頷く。
「祖母の書斎を探しても、『扉の番人』に関係するものは他に全く見つかりませんでした。だから、魔法に関することなら何でもいい、少しでも手がかりになりそうなものは、関係があってもなくても、とにかく調べないといけないと思いました」
でも、と桜草樹は、膝の上に置いた拳を握りしめた。
「でも、調べても調べても、どうすれば『扉の番人』の役目を果たせるのか、何もわかりませんでした。そんな中、魔法使いの事件が起きるようになって、毎日毎日、報道されるようになって、それで――」
そこでふと、桜草樹は言葉を止めた。そして、独り言のように尋ねた。
「あの女の子が誘拐されたもの、遺体となって見つかったのも、この近く、なんですよね」
「……」
柚も、蓮人も、何も言えなかった。
「……私の、せいなんです」
震えた声が、食いしばられた歯の隙間からこぼれる。
「白葉さんが先ほど言っていたように、私がきちんと役目を果たしていないから、新しく魔法使いが来て、事件を起こしているんです。おばあさまがずっと一人で続けていた役目を、私がきちんと受け継げなかったから、たくさんの人が傷ついているんです」
普段あんなに凛としている声が、道端の小さな石粒のように、ぽろぽろと頼りなく、こぼれていく。それに合わせて、強く握られた彼女の拳の上に、涙の粒が落ちていく。
『申し訳ないですが、私は他のことで忙しいので、そんなものに参加している時間がなくて』
『私にはもっとしなければならないことがあるのに、何よりも優先しなければならないことがあるのに』
プロジェクトが始まった頃からずっと、何かに追い立てられるように、やらなければならないことがあると繰り返していた桜草樹。人からどう見られるかなんて気にせずに、余裕なく動き続けていた桜草樹。
「私にもっと才能があって、頼りがいがあれば、おばあさまはもっと早く私に力のことを話してくれたかもしれないのに、私にもっと能力があれば、もしおばあさまが選んだのが二葉や光だったら、もっと早く『扉の番人』の情報を集められたかもしれないのに、それなのに、私が上手くできない間に、どんどん事件の被害は増えていって、どんどん、世界が混乱していって」
ため込まれていた感情が、掠れた弱々しい声とともに、溢れていく。涙が、次々と彼女の白い手の上ではじけて、滑り落ちていく。
「この近くで亡くなった女の子も、私のせいであんなひどい目に遭ったんです。私がもっとちゃんとしていれば、あの子は今も笑っていたかもしれないのに、私のせいで、あの子は亡くなったんです」
あの日のニュースを、女の子がひどい姿で発見されたという報道を、真っ青な顔で聞いていた桜草樹。そのときの表情が、目の前の彼女の姿と緩やかに重なっていく。
『私だってどうしたらいいか分からないんです。でも何とかしようとしているのに、みんなのために、何とかしようとしているのに、何でそんなことを言うのですか。私のことなんて、私の家のことなんて、何も知らないくせにっ』
そう、凪沙に対して叫んだ彼女は、どんな気持ちだったのだろう。
突然、何の前触れもなく、世の中から忌避される力を持たされて。
何も分からないまま、どこにあるか分からない情報を探し回って。
自分のせいで世界が壊れていくのを目の当たりにしても、何もできなくて。
誰にも相談できないまま、たった一人で、大きすぎる責任を抱え込んで。
三か月間、彼女はずっと、どんな気持ちで彷徨い続けたのだろう。
「……助けて、ください」
そう言う彼女の声は、何かのきっかけですぐに消えてしまいそうな、あの桜草樹一華から出てきたと信じられないくらい、脆くて小さな声だった。
俯いたまま、彼女はさらに深く、頭を下げた。握った指の隙間から覗いた、行き場のない魔力の光が、無邪気にちらちらと点滅する。
「助けてください。もう、私のせいで人が死ぬのは、嫌なんです」




