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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第1章 始動

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第2話 『道』①

 会社を裏口から出て、ビルやブロック塀で囲まれた細めの道を十分ほど歩いたところに寮はあった。



 それは、西洋風のお洒落な建物だった。


 白い壁に深いオレンジの屋根。建物の前には、車が何台か止まれそうな広さの庭。想像よりもかなり小さい。三つ編みでかわいい主人公の女の子が、優しそうなおじいさんと暮らしていそうな雰囲気。それが森の中や草原の真ん中に立っていればもっとメルヘンチックだっただろうに、その家はボロボロなビルの森の中にぽつんと立っているのだった。



 無機質なコンクリートの壁が続く中で、その建物だけが浮いている。おとぎ話のようなその雰囲気が、そんな空気の中ではかえって異様で不気味だった。魔女の家のようにも見えてくる。


 これ、本当に寮なのか?



「会社の社員寮は別にありますが、それとは別に、あなた方にはこの寮を使ってほしいと思っています」


 仕事の関係で会社を抜けられない社長に任されて柚たちを先導してきた景山が、柚たちを振り向いて言った。その平坦な声を聞きながら、柚たちは入り口の前に立ってその建物を眺めていた。



 真下から見上げると、益々不気味だ。春の微妙な曇り空を背負い、生暖かい空気をまとった寮は、物語にあるような、異世界へと繋がる扉のように思えた。正直、何とも言えない。


 他の人たちもそうなのだろうか、不味くはないけれど不思議な味のものを口の中に入れてしまったような顔で、黙って建物を眺めている。



 入り口の扉は、すりガラスが四つ嵌め込まれた焦げ茶色の大きな扉。建物はまだ新しいらしく、その扉の表面も艶があって綺麗だ。まるでチョコレートみたいだ、と思ったところで柚は、幼い頃母に読んでもらったヘンゼルとグレーテルの童話を思い出した。


 私、今から食べられるのだろうか。



「では、中に入りましょう」


 景山が、躊躇いなくその扉を開ける。扉は、音もなく滑らかに開けられた。その瞬間、今の雰囲気にそぐわない、甲高く可愛らしい女の子の声がとんでもない勢いで飛んできた。



「『特別プロジェクト』に参加する皆さん、私たちの『家』にようこそ!」



 セミロングの綺麗な黒髪に、黒いリボンのカチューシャ。裾がふわっとした黒いスカートに白いレースのエプロン。そして白タイツ。


 扉の先に立っていたのは、悪い魔女ではなく、メイド服の少女だった。



「初めまして! 私、ルリっていいます。よ・ろ・し・く・ねっ!」


 周りに花を散りばめたような背景が合いそうなとびきりの笑顔で、彼女はそう言った。その威力に、柚は一歩後ずさる。



 す、すごい。都会の方にはメイドカフェなるものがあるというのは聞いていたが、まさか都会には、こんな町中で当然のようにメイドが存在しているのか。これが都会の文化というものなのか。ありえないほどのカルチャーショックだ。


 そもそも柚は、本当にメイドというものが存在しているのかも知らなかった。完全にフィクションだと思っていた。うわー、都市って本当にすごいんだなあ、と歓声を上げたい気持ちをぐっとこらえる。



「柚は、どうしてそんなに目を輝かせているの?」

 呆れたような目を柚に向けてくる凪沙。仕方がないでしょ、初めて見るんだから。



「あの……どういう方ですか?」

 勝元が尋ねた。すると、彼女はキョトンとすると、何で分かり切ったことを聞くんだろう、というような顔で答えた。


「見た通り、メイドですよ」

「……」


 本物だ。リアルメイドなんだ。都会にはメイドという職業が存在するんだ。帰ったら百合に教えてあげよう。



 しかし、そんなふうにテンションが上がっているのは、どうやら柚だけのようだった。ルリ、と名乗った女の子は、こちらを見て、不服そうな顔をした。


「何だか皆さん、反応が薄いですね。ルリとしては精いっぱいのおもてなしをしようと、自分でも怖くなるくらいのテンションで明るく迎え入れたつもりだったのですが。もしや皆さん、メイドというものをご存じないのでしょうか」


 ブツブツと文句を言うルリに、景山は大きくため息を吐いた。そして、柚たちの方を振り返り、観光地のガイドのように、彼女を手で指し示した。


「彼女はこの寮――私たちは親しみを込めて『家』と呼んでいますが、その管理人であり、従業員です。炊事や掃除など、身の回りの管理をしてくれる方です」

「そうなんです。よろしくです」


 景山の紹介に、ルリはぺこりと頭を下げた。その様子をちらりと見て、景山が目を細めた。


「誰の趣味ですか?」

「何がですか?」

「メイド服です。今までそのような格好をしているのを見たことがなかったのですが」

「あー」


 ルリは、少し考えた後、平然と答えた。


「別に誰でもいいじゃないですか。ルリ可愛いし、メイド服似合うし」

「……そうですか」


 景山は、色々と諦めたような表情を見せた。



「まあ、とにかく、ルリがこれから『家』で皆さんをお世話するということです」


 景山の様子など意に介さず、ルリは柚たち参加者の方に目を向けた。


「ああ、あと、『道』の管理もしますよー」

 えへへー、と彼女は笑った。


「『道』って?」

 天瀬が尋ねた。


「『道』っていうのは、転移魔法を使った通路のことですよ。多分、社長が話してくれたと思うです。ルリは、それが正しく作用するように管理して、おかしくなったときにはすぐに修理できるように待機する見張り役でもあるのです」


 ルリは胸を張って敬礼をして見せた。



 管理や修理。それって、もしかして。

 ルリちゃんは、もしかして。



「えっと、管理とかっていうのは……」

 勝元が尋ねると、ルリは更に胸を張って、得意げに言った。



「そう! ルリは魔法研究者なのです!」

「……魔法、研究者」


「はい。あのですね、ルリは、魔力とか魔法とかに興味があるから、それを研究してるのですよ。ルリ自身は魔力を持ってないから、そこはちょっと残念ですねー」



 魔法研究者。それは、かつて魔法を技術に応用して自分のものにしようとした人間たちのこと。あの『大災厄』が起きた後も、活動は続けられているようだ。表立って研究を行うことができないため、隠れながら、今もあちこちで研究がおこなわれていると聞く。



 柚は、目の前で屈託なく笑っている少女をまじまじと見る。外見は小学校二、三年生くらい。肩に当たって外側にはねた黒い髪。よく見れば、それは完全な黒ではなく、深い青色が混じっているようだった。光のあたり加減によって、その色が濃く現れ出たり、暗くなったりする。幼い顔立ちに、切り揃えられた前髪が可愛らしい。



 この子は本当に、魔法研究者なのだろうか。



「こんなところで立ち話も何なので、取りあえず中に入りましょう。ルリさん、案内をお願いします」

「はーい」


 景山の言葉に元気よく返事をすると、ルリはメイド服の裾を翻して「こちらです」と建物の中に進んでいった。



 入り口から入ってすぐのエントランスホールに続いて、奥にはロビーがあった。きれいな白い壁が、部屋の雰囲気を明るくしている。床は板張りで、カウンターのようなものが手前に、机やソファーのセットが奥の方に置いてある。ロビーから左右に廊下が伸びていて、入り口の正面には階段があった。どこかのホテルのようにきれいだった。



「では、先に『道』を実際に見てもらおうと思うです」


 ルリは、階段の方へひょこひょこと進んでいき、跳ねるような足取りで段を降りていった。


 その階段は、地下に続いているらしかった。柚たちもそれに続いて、薄暗さの目立つ白い明かりの中を進んでいった。



 踊り場で折り返すと、階段の終わりが見えてくる。そこは、がらりと広い部屋のような場所だった。他に通路はなく、地下にはこの一部屋しかないようだった。



 一階と同じ、白い壁。それに囲まれた部屋の中には、ずらりと、長方形の木の枠が立てて並べられていた。



「はい、到着―」


 最後の一段を、手を広げてトンと飛び降りたルリは、少し奥の方に駆けて行ったところでくるっと振り返った。パッと右の手のひらを出して、びっしりと規則正しく並んでいる木の枠を示す。


「じゃっじゃーん。これが『道』の入り口でーす」


 柚はその木の枠を見た。普通の部屋の扉と同じくらいの大きさの木の枠。木の枠からは、くっきりとこの部屋の奥の様子が見えた。


 これが本当に、目的地まで繋がるのだろうか。


 まじまじと眺めていると、ルリがムッとした顔をした。もっと大きな反応を期待していたらしい彼女は、ムキになったように説明を始めた。


「これ、すごいんですよ。今はまだ目的地を設定してないから『道』としての機能はないけど、設定すれば、どんなに遠くだって数秒で行けちゃうんですよ。――あ、ほら、これはもう設定してあるやつです」


 ルリは、一番隅にある木の枠に駆け寄って、躊躇いもなくそこに腕を突っ込んだ。



「え……」



 木の枠の内側に伸ばされたルリの腕。そこには何もないのだから、腕は当然、普通に見えるはずだ。しかし、枠を通過した後、枠の向こう側に存在するはずの腕は、切り取られたようにきれいに消えていた。



 入れられたルリの腕の周りに、波紋のようなものが広がった。木の枠が作る四角の表面が、部屋の奥を変わらずに映したまま、揺れて見えた。水に油が浮いているような、ぼんやりとした鈍い光が丸くなって消える。



「すごい……」


 思わず呟くと、ルリはパアッと眩しいほどの笑顔を浮かべて「そうですよねっ」と言った。撫でられてしっぽを振っている犬のようだった。


「この『道』は、あなたが作ったのですか?」

 桜草樹が聞いた。それに、ルリは腕を引き出しながら、首を横に振って答える。


「作ったのは他の研究者さんですよ。ルリはそんなに高い技術を持ってないです」

「高い技術……」


「はい。こうやって表に出ない『裏』の仕事をしているだけあって、同業者の情報は結構耳に入ってくるんですけど、魔力の解明って、昔と同様、あんまり進んでないです。超人的な力ですから、原理とかもしっかり解明できてなくて、まだ利用なんて程遠いのです。だから『道』なんて、誰も辿り着いていない、信じられないほど進んだものなんですよ。魔力を持たない人間がこんなに完全な『道』を作り出すことなんて、基本的に不可能です」



 少し前までの雰囲気とはかけ離れた、落ち着いたルリの声に、皆黙って耳を傾けていた。出迎えてくれたときよりも表情は大人びて見えたけれど、それでも小学生くらいの女の子の外見で、難しい言葉をつらつらと話すルリには、何か違和感があった。



「では、これを作ったのは、魔力を持っている研究者、なのですか?」


 桜草樹が、緊張した面持ちで尋ねた。その質問に、周りの皆の表情が硬くなったが、ルリは何も気にしていないように「いいえ」と答えた。


「その人は研究者の中でも飛びぬけて優秀で、魔力を持っていなくても『道』を作ることができるんです。超天才ですよ」

「そうなんですか。優秀な方ですね」


「はい。とはいっても、ルリが知らないだけで、これくらいのものを作れる研究者は他にもいるかもしれないですけどね。研究者たちは、自分の利益のためにも、研究が摘発される危険性を減らすためにも、研究の成果について外部に漏らさないようにしているのです。だから、情報として出回っている状況よりも、実際はもっと進んだところまで行っている、ということもあり得るのです」


 そう言うと、ルリは柚たちに対してにやり、と笑った。


「皆さん、ルリのことヤバいやつだと思ってるでしょ」


 皆が何も言わないのを見て、ルリはふふん、と鼻を鳴らした。


「安心してください。ルリは、ヤバくない方の魔法研究者ですよ」

「ヤバくない方、とは」


 桜草樹が聞いた。それに、ルリは柔らかい笑顔を見せた。



「魔法研究者には二種類あるのです。一つ目は、『大災厄』の前に行われていたように、魔法を技術に応用するため、魔法使いを捕らえて実験を繰り返していた研究者。それは、今でも世間の目を避けながら続けられているのです。現在は昔よりも科学が進歩していますし、解明はどんどん進んでいます。もしも自由に魔法を扱うことができるようになれば、世界征服だって夢じゃないですよ」



 落ち着いた口調で言うと、ルリは近くにある『道』の枠に触れた。



「二つ目は、『大災厄』が起きる前、研究や戦争に利用されていた魔法使いたちを解放するため、彼らの代わりとなる技術を開発しようとした研究者です。大々的な魔法使いの奴隷化が無くなった今、彼ら研究者の目的は、人々の生活をより良くすること、そして、人間界に残った魔法使いたちが再び利用されようとするのを防ぎ、また彼らが人間界で生きる手助けをすること、というふうに変わり、研究は受け継がれていったのです」



 そして、ルリはくるりと柚たちの方に向き直り、明るい笑顔で笑った。


「ルリはその二つ目の方の研究者から研究を引き継いでいるのです。だから、ヤバくない方ですよ」


 その笑顔を見て、柚はほっと息を吐いた。魔法研究者にも、世間から危険視されているような人たちだけでなく、二つ目のような人たちも、ちゃんと一定数存在しているのだ。



「それに、『道』に関して言えば、二地点を繋ぐだけで精いっぱいで、完全な転移魔法みたいなのはさすがに使えないです。本物の魔法とは違いますし、できることにも限りがありますから。だから、安心してほしいです」


「そう、なんですか」

 桜草樹が真剣な顔で言うと、ルリは「そうなんです」と満足そうに頷いた。


「そして、『道』を作り出すことはできなくても、方法さえわかれば管理はできるので、優秀なルリにその役が任されたって感じですよ。管理人という肩書きだって、一時的なものです。鑑見(かがみ)さんが帰ってくれば、ルリはただの従業員になるです」


 鑑見さん。

 本来の管理人、ということなのだろうか。じゃあそれは、『道』を作った人のこと?



「あ、でも」


 ルリが急に真面目な顔になり、人差し指をピンと立てた。


「『道』のことは、なるべく同居家族以外には言わないでください。皆さんご存知の通り、たとえ悪いことに使ってないとしても、魔法の利用が知られれば世間からは責められてしまうでしょう。もしも皆さんの内の誰かがこのことを公にすれば、社長は辞任、五科工業は存続の危機。技術は危険な研究者の手に渡り、この国は混乱するかもしれません。そして何より、研究に協力していた皆さんは、犯罪者のように見られ、普通に生活することは難しくなるでしょう。私たちと皆さんは、運命共同体で、共犯者ですからね」



 運命共同体で、共犯者。

 その響きに、柚は背筋がゾッとするのを感じた。



「ま、質問があれば、またいつでもルリのところまで来てくださいね! じゃあ、ずっとここにいるのもつまらないので、他のところに行きたいと思いまーす」


 小さい子が横断歩道を渡る時のように、腕をピンと挙げて歩き出したルリの後に続いて、私たちは階段を上がった。



 一階に出る。薄暗い空間にいたせいで、瞼の裏がじわじわと痛かった。



「さてと、どうしましょうねー」


 ルリが、左右に伸びる廊下を交互にきょろきょろと見た。


「景山さん、あれ配ってくれたですか? 『利用上の注意』だとか『家』の見取り図とかが描いてあるプリントとかとか」

「はい、お渡ししました」


 柚たちの一番後ろについていた景山が答えた。それに、ルリが「うーん」と顎に手を当てた。


「じゃあ、時間もないですし、そこら辺の説明は省いちゃいますよ。簡単に場所の説明しておくと、階段から見て右側に食堂、左側に共用の洗濯場などなどがあるです。また確認しておいてくださいね」


 それからルリは、突然メイド服のポケットに手を突っ込んでもぞもぞと探り始めた。そして、「ふっふっふ」と不敵な笑みを浮かべると、勢いよく手を引き出した。


「じゃっじゃーん」


 高く掲げられたそれは、一つの輪にまとめられている、たくさんの鍵だった。ロビーの電気の光を受けて、鍵が一瞬キラリと鋭く輝く。


「これはー、皆さんのお部屋の鍵ですよー。ということで、今から個人の部屋に向かってもらうのです」


 鍵が軽く動いて、再び電気の光を反射する。何だか、ルリに合わせて鍵も不敵に笑っているように見えた。

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