第4話 才能①
『二年生 期末テスト日程』
二週間後に迫っているテストの予定のプリントを眺める。そして、前回の中間テストの結果が書かれた紙を取り出す。
『学年 十一位』
中間テストが終わってからも、ずっと勉強を続けてきた。今回こそは、十位以内を取りたい。そんな決意を固めながら、一華は紙をしまった。
自分の部屋を出ると、何やら騒がしい声が下の階から聞こえてきた。気になって階段を降りると、二葉と光、それに母の声がはっきりと聞こえてきた。どうやら、二人が帰ってきたところを、母が出迎えていたようだった。
「あ、お姉さま」
階段を下りた一華を見つけた二葉が、「ただいまー」と手を振った。一華は「おかえりなさい」と返した。
「ちょうど帰ってきたところ?」
「うん。美術部に行って友達と絵を描いてきたの。光は楽団でちょっと練習してきたんだって。ちょうど帰りが一緒になったのよ」
「そうなの。二人ともお疲れさま」
一華が言うと、二葉と光は嬉しそうに「ありがとう」と言った。
「じゃあ、お部屋に戻ろうかしら」
「俺ももう少し練習しようかな」
二人が歩き出すと、案の定、母が「待ちなさい」と引き留めた。
「話の途中でしょう」
「話なんてないよ」
「何も聞いてないわ」
息ぴったりな二人に、母はいつもの通り溜息を吐いた。
「成績の話よ。二人とも、まだ一年生なのにもう成績が落ちているんでしょう。前のテストなんて、下から数えた方が圧倒的に早いくらいだったじゃない」
「それは……」
二人とも、母に背を向けて気まずそうな顔をしている。
「だって最近忙しいから」
「私も忙しいの」
「自分のやりたいことをやっているから忙しいんでしょう」
母は呆れたように言った。
「あなたたちがそれぞれ絵と音楽の道に進むことには反対しない。もう世界で戦える実力だって先生たちも言っていたもの。けれど、それでも勉強はある程度しておかないといけないって、前にも話したでしょう。それに、成績が落ちたら勉強を優先するって約束もしたはずよね?」
「そうだったっけ」
「そんなこと言ってたかしら」
二人とも、汗をかきながら白々しく答えた。その様子を見て、母はきっぱりと言った。
「今度の期末テストで改善しないようなら、しばらく絵と音楽の活動は禁止することにしましょう」
「えーーーー」
二葉と光の不満の声が、玄関と廊下いっぱいに響いた。二人は勢いよく母を振り向くと、母に詰め寄った。
「禁止なんて、そんなのってないわ」
「それは流石にひどい。やりすぎだよ」
「でも、そういう約束でしょう。覚えてないはずないでしょう」
涼しい顔で、母は答えた。
「それに、今から頑張って勉強して、順位を上げればいいだけの話じゃない。それができたら、私も禁止はしないわよ」
「えー」
二人は、さっきよりもずっと弱々しい不満の声を出した。母がもう意見を変えないことも、達成可能である条件だということも、二人とも分かっているようだった。
「いい?」
母が尋ねると、二人は渋々頷いた。
「半分くらいなら良いの?」
「ええ、前と同じくらいまで上がれば良いわ」
「よし、じゃあ頑張るよ」
「私も今から頑張るわ」
二葉と光は、二人で顔を見合わせて気合を入れた。そのまま急いで階段を上っていくのを見送りながら、一華もまた、頑張ろうと気合を入れた。
それからテストまでの二週間、一華は暇さえあれば勉強をした。習い事は休めないから、放課後の時間はあまり取れないけれど、寝る前と、学校の休み時間に少しずつ勉強を進めた。前もって進めていたのもあって、かなり効率よく勉強できた気がしていた。
二葉と光も、この二週間はほとんど楽器や筆を触らず、ひたすらに机に向かっていたらしい。二人とも、自分の本当に好きなものを人質のようにされれば、流石に勉強せざるを得ないようだった。
今まであまり勉強してこなかったとはいえ、二週間テスト範囲の内容を頭に詰め込めば、あの二人もある程度の成績は取れるだろう、と一華は思った。だからきっと、二人が好きなことを禁止されることはないだろう。
一華は、一華自身の目標のために頑張ればいい。二人に負けないように頑張らないと。自分に喝を入れて、一華は眠い目をこすりながら勉強を進めた。
テストが終わり、その数日後、結果が返却された。
結果が返却されるたびに、死刑宣告を待つような気持ちで構えている一華だけれど、今回はかなり自信があった。そして、思った通り、返却された順位は学年八位だった。
結果を見て、思わず飛び跳ねたくなるのを一華はぐっと我慢した。
初めて、一桁の順位をとれた。
前回のテストが終わってからの数か月の努力だけではなく、今までの努力全てが報われたと思えた。一華の今までが、とても価値のあるものだったという自信が湧いてきた。
家に帰り、一華はまず順位を見てもらおうと、母を探した。母は、リビングにいるらしかった。走り出しそうになる衝動を抑えながらリビングに向かい、扉を開く。母を呼ぼうとしたところで、母の驚いた声が一華を迎えた。
「すごいじゃない、二人とも」
母にしては、随分と大きな声だった。何となく足音を立てないようにして移動すると、母の前に二葉と光が立っているのが見えた。二人とも、とても得意げな顔をしていた。かなり興奮しているのか、二人の白い頬は赤くなっている。
嫌な予感がした。
一華はゆっくりと後ずさりをした。三人に気づかれないうちにこの場を離れないと、となぜか思った。
「すごいでしょ。私もびっくりしちゃったわ」
「やっぱり、やればできるってことだね」
二葉と光の声も、普段より上機嫌だった。
「ちょっと成績下がっても、二週間でこれだけ取り戻せるんだから、何も問題なかったんだよ。心配せずに音楽を続けたっていいと思う」
「そうよ。これで絵を描いてもいいのよね。これからも、ずっと描いていたって問題ないわよね」
「まあ、そうね……」
はしゃいでいる二人に気圧されながら、母は頷いた。
「十分よ。よく頑張ったし、これからは、多少成績が下がったとしても目をつぶっていいかもしれないわね」
母の言葉に、二人はガッツポーズをした。勉強を優先しなくてもいいという言質を取って、かなり気持ちが高ぶっているようだった。
そんな会話を聞いているうちに、一華の手が、入ってきた扉のドアノブに触れた。このまま気づかれないようにドアノブをそっと回せば、部屋から出ることができる。
自分は何をしているのだろう、と自分の行動に苦笑いしながら、静かにドアノブを回す。
「それにしても、本当にすごいわね」
母が心の底から感心した声で言った。
「二人とも、学年八位を取るなんて」
回していたドアノブが手から離れて、ガン、と大きな音を立てた。驚いてこちらを見た三人が、一華の姿を見つけて表情を明るくした。
「一華、帰っていたのね。今の聞いてた? 本当にびっくりよね」
母が嬉しそうに言った。
「八位……?」
頭を殴られたような感覚がした。顔が引きつるのが、我慢できなかった。
「本、当に?」
「信じられないよね。俺もびっくりした」
「すごいでしょ。こんな順位初めて」
一華の衝撃をよそに、二人は興奮気味に言った。二人の笑顔を見ていると、余計に笑えなくなった。
意味が、わからない。
下から数えた方が早い順位じゃなかったのか。全然勉強してこなかったんじゃなかったのか。
そんなこと、信じられない。
「お姉さま?」
何も言わない一華の顔を、二葉が覗き込んだ。一華は慌てて、ぎこちなく微笑んだ。
「ごめんなさい、本当に、驚いてしまって」
「そうよね。私も初めは信じられなかったもの」
一華の様子を特に気に留めないで、二葉は笑った。
「お姉さまはいつも成績良いから、お姉さまに近づけて嬉しいわ」
「……」
ひきつった微笑みを維持するので、精一杯だった。
すごいねと言わないと、と内心焦るけれど、どうやってもその言葉は出てこなかった。
「そういえば一華は? もう結果は返ってきたの?」
母が尋ねた。今一番来てほしくない質問だった。
まだだと言ってこの場を早く立ち去りたかったけれど、どうせ後で知られるなら仕方がない。一華は正直に頷いた。
「はい。私も、八位でした」
「すごいわ。三人とも同じなのね」
大袈裟に感動した様子で、二葉が言った。
「さすが姉さまだね」
光が、どこか得意げな様子で言った。それに対し、母も「そうね」と微笑んだ。
「一華はいつも通りね」
「……はい」
急速に身体から熱が抜けていくのを感じた。
いつも通りなんかじゃない。一桁の順位を取ったのは初めてだった。今までで一番良い結果だった。一華が長い間努力してきた結果だった。それなのに。
「せっかくだからお祝いしないとね。他のみんなにも見せてきたら? きっと驚くわ」
「じゃあ、おばあさまにも見てもらおうかしら」
「きっと、これでおばあさまも俺たちのことを認めてくれるよ」
盛り上がる三人の横で、一華は愛想笑いをした。今はこの三人に、一華のことを見てほしくなかった。一華の方に意識が向かないようにと、切実に思った。




