桜草樹家の長女⑨
翌日の昼休み。多くの生徒が廊下に出て移動している中、一華はその真ん中を堂々と歩いて進んでいた。
小野たちと会う約束は特にない。けれど一華は、彼女たちの教室がある方向へと歩いていた。
彼女たちの教室に辿り着く前に、小野の姿は見つかった。珍しく、その隣に川井の姿はなかった。小野は俯きがちに廊下の隅を歩いていた。その少し離れたところには、小野や川井に嫌がらせを繰り返し、一華のことを話して笑っていた生徒たちがいた。小野のことは見ておらず、何やら話が盛り上がっている様子だった。
ちょうどいい。
一華は深呼吸をすると、気づかないふりをしながら、小野の方に近づいていった。
「あ」
一華に気が付いた小野が、小さく声を上げる。けれどすぐに、顔を背けて誤魔化した。そんな小野の行動を無視して、一華は彼女に声をかけた。
「あら小野さん、ごきげんよう」
微笑む一華に対し、小野が戸惑った顔をした。「ごきげんよう」とか細い声で答える彼女の視線が、後ろにいるあの生徒たちにちらちらと向けられる。生徒たちは、盛り上がっていた会話を中断させ、隠すこともなく一華たちの方を凝視していた。
「あ、あの、ごめんなさい。その……」
彼女たちの前で話さない方が良い、という話を無視して声をかけてきた一華に、不安そうな目を向ける小野。そんな彼女に、一華はにこりと微笑んだ。
「昨日の放課後は遊びに誘ってくれてありがとう。楽しかったわ」
小野の目が見開かれる。何が起こっているのか分からない、という表情だった。
目線をそっと動かすと、一華たちを見ている生徒もまた、怪訝な顔をしていた。一華はそれを確かめると、彼女たちにも聞こえる大きさの声で言った。
「でも、もうこれで終わりにしましょう」
「え……?」
小野が、困惑したまま言った。
「終わり、って……」
「飽きちゃったのよ」
一華は微笑みを崩さずに言った。
「というより、合わなかった、という方が近いのかしら」
「……」
小野の表情が固まる。構わず、一華は続けた。
「一緒に過ごしてみて分かったの。最初は楽しかったけど、やっぱり私とあなたたちじゃ見ている世界が違うのよ。昨日のお誘いも、どんなものかしらと思って、忙しい中習い事の時間を削ったけれど、帰ってからやっぱり習い事の方が大事だって思ったの。この家にとって必要なことを犠牲にしてまで作る時間じゃないわ」
悪意がないように、なるべく無邪気になるように、声を出す。
「……え、何、で」
掠れた声が、小野の口からこぼれた。信じられないものを見るような目で、彼女はじっと一華を見つめたまま動かなかった。
他の生徒たちも集まって来たらしく、周囲がざわめく。その集まった生徒たちの間から、川井が飛び出してきた。
「どうしたの?」
一華と小野の間に立って、心配そうな顔をした川井は尋ねた。そして、小野の様子に気が付くと、彼女は慌てて小野に駆け寄った。
「もう会うのは終わりにしましょうって話していたの」
微動だにしない小野の背中に手を添えた川井に、一華はにこやかに言った。川井が、勢いよく一華を見る。
「急に、どうしたんですか。何でそんなことをここで……」
「私、あなたたちと合わなかったの。それを二人に伝えたいと思っていたら、ちょうどそこで小野さんに会ったから、ちょうどいい機会だし言っておこうと思って」
「……何、それ」
川井の顔が険しくなる。それは、先ほどの小野と同じ、信じられない、とでも言いたそうな顔だった。
「何で、そんなこと言うの? 一華さん、この子がどんな気持ちであなたに――」
「ごめんなさいね」
一華は川井の言葉を遮った。彼女が何か言う前に、もう一度「ごめんなさい」と繰り返した。
「私から声をかけて、仲良くしてほしいとお願いしたのに、申し訳ないと思っているわ」
「……え?」
怒りの表情から一転、川井が戸惑った顔をした。表情が消えていた小野も同じ顔に変わる。
「それは、私たちからじゃ――」
そこで、川井はハッとして言葉を止めた。微かに驚いた表情で一華を見つめる川井に、一華は軽く顎を引いた。それを受けて、川井もまた、注意して見なければ気づかないくらいに小さく頷いた。
「――そうですよ。一華さんから声をかけてきたのに、ひどいじゃないですか」
「川井さん?」
突然発言を変えた川井に、小野が目を丸くした。
「何言ってるの? 違う、よね……?」
「違わないよ。一華さんのことを庇わなくてもいいから」
少し強い口調でそう言うと、川井は一華を睨んだ。
「どうして、私たちに声なんかかけたんですか」
「偶然、目に留まったの」
一華は答えた。
「中等部に上がって、私が今まで見たことのないような方々もたくさん入学してくるから、社会経験として、そういう方と一人くらい仲良くしてみたいと思っていたの。けれど、入学してから下品な接し方をしてくる方ばかりが集まってきて、うんざりしていたわ。そうしたら、偶然そうじゃない方を見つけて、何となく声をかけた感じかしら」
「私たちと仲良くしていたのも、気まぐれ、ってこと?」
「ええ、そうかも」
一華は笑って、少し首を傾げた。
「でも、ちょっと期待外れだったから、終わりにしようかと思って」
「……ひどいですよ。この子、あなたとお話しできて、本当に喜んでたのに、期待外れなんて言い方って」
「申し訳ないと思っているわ」
一華は少し眉を下げた。そして、最後に再びにこりと微笑んだ。
「これからはお互い、関わらずに生きていきましょう。もう話しかけたりなんてしないでね。それでは、ごきげんよう」
そう言って、一華は二人から視線を逸らした。その途中、目を大きく開いて呆然と一華を見る小野が目に入った。まだ状況が飲み込めていないような表情だったけれど、それでもその目には大粒の涙が溜まっていた。一華は気づかないふりをして、軽く目を閉じた。
二人を置いて、一華は歩き出す。いつの間にか、周囲には大勢の生徒が集まっていた。一華はその中から、小野たちに嫌がらせをしていた生徒たちのもとへと迷わず歩いて行った。
「ごきげんよう。見ていたの?」
「あ、えっと……」
一華が笑いかけると、話しかけられると思っていなかったのか、彼女たちはうろたえながらお互いに顔を見合わせていた。
「私たちのお話をじっと聞いているなんて、相変わらず下品なことをするのね。あの子たちにも、頭の悪い嫌がらせをしていたみたいだけど、この学校の品位を損なうような行動は、これからのあなたたちのためにも、控えた方が良いわよ」
「……」
誰も、一華に噛みついてこない。入学直後に一華に群がってきたときの威勢はどこにもない様子だった。
黙ったままの彼女たちに、そして周りにいる他の生徒にも伝わるように、一華ははっきりと言った。
「二葉と会いたいのよね? それなら、心配しなくても一年後にはあの子もこの中等部に上がってくるわ。そこで自分で話しかけてちょうだい。それとも――」
一華はそこで、微笑んだまま、少しだけ声のトーンを落とした。
「一年以内にこの学校を退学する予定でもあるのかしら」
「あ……」
一華を見る彼女たちは、完全に怯えた様子だった。
そのとき、一華たちを取り囲んでいた生徒の壁から、先生が現れた。先生はその状況を見て、顔をしかめた。
「何の騒ぎかと思って来てみたら、またあなたたち? いい加減、桜草樹さんに付きまとうのはやめなさい」
「ち、違います先生。私たちは――」
「大丈夫ですよ」
一華は、彼女たちの声を遮って言った。
「話し合いをしていました。これからは態度を改めると約束してくださいましたよ」
「あら、そう? それなら良いけど……」
先生は、納得がいかないような顔をしていたけれど、一華の言葉を信じて引いてくれた。その後、先生に促されて、集まっていた生徒たちは散り散りになっていった。一華に直接脅された生徒たちも、そそくさとその場を離れていった。
一華も離れようと歩き出しながら、そっと後ろを振り向いた。皆が散っていく中、小野は動かずに、俯いて両手で涙をぬぐっていた。その近くには、川井だけでなく、二人のクラスメイトらしき生徒たちも集まって、小野を慰めていた。
ごめんなさい。
心の中で謝ると、一華はすぐに歩き出した。もう二度と、彼女たちと話すことはないだろう。
これでいい。
もう二度と、友達なんて作らない。こんなふうに傷つけてしまうくらいなら、こんな思いになるくらいなら、それが続くくらいなら、もう、二度と。
一華にはそんなこと、許されない。
もうしばらく一華の過去編が続きます。長々とごめんなさい。
いよいよ、白葉家に訪れるまでの彼女の身に何が起こったのかが明らかになっていきます。
お付き合いよろしくお願いします。




