表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第4章 理不尽と責任

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/173

    桜草樹家の長女④

 突然目の前で繰り広げられた言い争いに、その場を立ち去ることもできず立っていた一華は、それが一段落した様子を見て、ほっと息を吐いた。


「ごめんなさいね、一華。急にこんな話をしてしまって」

 今まで二葉と光を見ていた母の目が、ふと一華の方に向いた。一華は、どう答えていいか少し迷った後、「いえ」と微笑んだ。


「大事な話ですから。気にしないでください」

「ありがとう」

 母は軽く微笑んだ。そして、もうここを離れてもいいだろうかと互いに目配せしている二葉と光に言った。


「あなたたち、少しは一華のことを見習いなさい。一華は真面目だし、テストだっていつも二十位以内に入っているのよ」

「それは姉さまがすごいだけだよ」

「お姉さまはいつもすごいのよ」


 ずっと母に背を向けていた二人が、事前に示し合わせたかのように同じタイミングで、勢いよく母を振り返った。その様子に、母は少し気圧されたような顔をした。


「あなたたち、本当に一華のこと好きね」

「……まあ、うん」

「もちろんっ」

 気恥ずかしそうに顔を背ける光と、笑顔で大きく頷く二葉。今度はそれぞれ違う反応だった。


「だってお姉さまは、私の自慢のお姉さまだもの」

 他意も何もなく、ただ純粋にそう言う二葉は、一華が耐えられないほどに眩しかった。一華は「そんなことないわ」と笑顔を作った。


 そんなこと、ない。

 私は、そんなのじゃ。


「そういえばお姉さま、今度の児童会長の選挙に立候補するんでしょ」

 二葉が弾んだ声で言った。一華は突然の話題にたじろぎながら、「ええ」と答えた。


 一華と二葉が通う学校では、選挙で選ばれた六年生の生徒が初等部の会長を務める。もうすぐ学年が上がる今の時期は、ちょうど次の年の会長を決める選挙が行われる。一華もついこの間、先生から立候補したらどうかと勧められたばかりだった。


「どうして知っているの? まだ先生にしか言っていないのに」

「お友達から聞いたの。噂になってるのよ。他にも立候補する子がいるみたいだけど、お姉さまで決まりね、ってみんな言ってたわ」

「そうなの?」


 一華は驚いた。先生以外にはまだ話していないし、立候補者が発表されたわけでもないのに、もう下の学年にまで情報が広まっているなんて。


「立候補するなんて、さすが一華ね」

 母の言葉を、一華は緩やかに首を振って否定した。

「先生から、お声がけいただいたので決めただけで、自ら、というわけではないんです。私では足りないと感じていましたし、今でも自信はなくて」


 実際のところ、社会への影響力が強い家柄であり、優秀な生徒が多く通うこの学校で会長に選ばれる人は普通、何らかの分野でとても優秀な成績を修めているか、家柄が良い人となる。一華よりも優れた成績の生徒なんて学校にはたくさんいるし、きっと立候補者の中にも何人もいるだろう。そんな人たちに一華が勝てるとすれば、それはきっと、家柄だけだ。


 あなたなら大丈夫、と先生は言ってくれたけれど。

 それだって、きっと。


「随分と弱気なことを言っているのですね」

 突然後ろから、ここにいる四人のものではない声が聞こえた。実体のない空気を貫いて止めてしまえるようなその声に、四人の背筋が強制的に伸ばされた。


「……お母さま」

 母が硬い声で、いつの間にか部屋の扉付近に立っていた祖母のことを呼んだ。

「お帰りになっていたのですね」

「ええ、ついさっきにね」

 静かに答える祖母の目が、ゆっくりと一華のことをとらえる。その瞬間、胸のあたりに渦巻いていた緊張が、急激に足の指先まで伝わった。


 叱られる、と咄嗟に思った。


 祖母に見つめられたところから、じわじわと、自分の身体が石に置き換わっていくような気分がした。言い訳も、謝罪の言葉も、何一つ発することができない。祖母の前ではいつもこうなってしまう自分を不甲斐なく思うけれど、今の一華にはどうすることもできなかった。


「人から勧められて初めて行動しようとするのも、あなたに期待して声をかけてくださった先生の気持ちを無下にするような言葉も、桜草樹の一人として本当にみっともない。恥ずかしいですよ、一華」


 ただ一人、一華に対してだけに投げかける名指しの注意は、普段のものよりも一層鋭く感じられた。また叱られてしまうと分かっていたけれど、一華は耐えきれず顔を伏せた。


「……申し訳、ありません」

「そんな言い方しなくてもいいんじゃないですか」

 少し怒りを滲ませながら、光が抗議の言葉を口にした。一華が慌てて「光」と名前を呼んで窘めようとするけれど、一華の声は彼の耳に入っていない様子だった。


 感情の感じ取れない祖母の視線が、スッと光の方に移動する。その圧に若干後ずさりしながらも、光は祖母のことをキッと見据えた。


「……あの学校で、先生から推薦してもらえるだけで本当にすごいし、姉さまもちゃんと立候補するって自分で決めたんだから、みっともなくなんかないと思います」


「そうよ。それに、児童会長なんてとても大変なことだから、不安に思う気持ちも仕方がないと思うわ」


 二葉も、光に続いて言った。無駄だと思いつつも、一華は「二葉」と呼びかけた。庇ってくれるのは嬉しいけれど、正直、火に油を注ぐことになるのではないかと気が気でなかった。


 反抗的な二人の言葉に対して、祖母は鼻で笑うように小さく息を吐いた。


「甘えたことを。これから先、桜草樹家の人間として、もっと大勢の人の上に立つことになるのですから、初等部の会長くらいやり遂げなければ話になりません。もっと自分の立場を意識して行動してちょうだい」


 視線こそ一華の方を向いてはいなかったけれど、その言葉は確実に一華に対して向けられたものだった。そして、その厳しい言葉は、一華にとってどうしようもなく正しかった。


「一華だけではありません。あなたたちも、最近勉学をおろそかにしていると聞きましたよ」

 祖母の矛先が、今度は二葉と光に向けられた。二人は痛いところを突かれたという顔で、先ほどまでの勢いが嘘だったように黙り込んだ。その様子を見て、母がすかさずフォローした。


「そのことに関しては、つい先ほど私の方から十分注意しておきましたので、問題ありません」

「……そう」

 祖母は無表情のまま静かに答えた。そして、もう十分だと思ったのか、すぐに一華たちに背を向けて、何も言わないまま部屋を出て行った。


 びりびりと緊張が残る空気の中、まだ固まったまま動かない足をじっと見つめながら、一華は祖母に言われた言葉を頭の中で反芻していた。


 桜草樹家の人間として。

 会長くらい、やり遂げなければ。


「――さて」

 母が何事もなかったかのように明るく沈黙を破った。

「そろそろ夕食の時間だと思うわ。行きましょう」

「……待って」

 歩き出した母の背中にそう言ったのは、沈んだ表情をした光だった。


「どうしたの?」

 母が尋ねると、光は母のことを見つめて言った。

「俺、今から部屋で勉強してくる」

「今から?」

 母が驚いた表情をした。


「でももう夕食の時間じゃない。後じゃダメなの?」

「うん。今、何となくやらないと、って思って。ちょうど今やる気が出てきたんだ」

「私も」

 二葉も光の言葉に同意を示した。

「今やらないといけない気がするの。それに――」

 二葉と光は、お互い顔を見合わせた。そして、同じ考えであることを確かめたように頷くと、二葉が口を開いた。


「今、おばあさまと一緒にお食事したくないの」

「それは、分かるけれど……」

 母が戸惑ったように、二人の顔を順に見た。二人の顔が、いつになく真面目であるのを見て、観念したように「分かったわ」と言った。


「二人が勉強のやる気を出すなんて、珍しいことだし、仕方ないわね」

 その言葉を聞いて、二人はほっとした表情をすると、嬉しそうに目配せした。その様子に微笑みを浮かべると、母は一華をちらりと見て歩き出した。


「一華、早く行くわよ」

「あ……」


 私も、行きたくない。

 戻って勉強したいし、おばあさまとも会いたくない。

 なんて、絶対に言ってはいけない雰囲気だった。


「……はい」

 軽く呼吸を繰り返して気持ちを切り替えると、一華は笑顔を浮かべて頷いた。


「この荷物を部屋に置いたら、すぐに向かいます」

「分かった。先に行って待っているわ」


 優しい声でそう言うと、母は心なしか速足で歩いて行ってしまった。その後ろ姿を、一華は微笑んだまま見つめることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ