表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第4章 理不尽と責任

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/173

    あの日の言葉の意味⑤

 玄関の鍵が開いた音が小さく聞こえた。しばらくして、部屋の扉が音を抑えてそっと開けられた。


「おかえり」


 ダイニングのテーブルに広げた学校の課題から顔を上げて、柚は部屋に入ってきた蓮人に言った。蓮人は、ボリュームを抑えた声で「ただいま」と返した。


「まだ起きてたんだね。まだ本調子じゃないだろうし、早く休んだ方が良いよ」

 手に持っていた荷物を置きながら、蓮人は言った。時間を見ると、もう日付が変わろうとしていた。


「お兄ちゃんが帰ってくるの、待ってたんだ」

 柚は、なるべく音を立てないように気を付けながら、椅子を引いて立ち上がった。


「お兄ちゃんに、話したいことがあって」

「話したいこと?」


 蓮人が、手を洗いながら少し柚のことを振り返った。柚は、小さな声でも話せるように、蓮人の近くまで移動した。


「プロジェクトの参加者の中に、お兄ちゃんに会いたいって言ってる子がいるんだけど」

「僕に?」


 洗った手を拭き終わった蓮人が、怪訝な顔をした。


「どんな子なの?」

「えっと、桜草樹(おうかやな)一華(いちか)さん、って名前で、ちょっと前に魔法で助けた子だよ」

「桜草樹、って」


 蓮人は、微かに目を見開いた。


「柚が助けたの、桜草樹家の子だったんだ」

「うん。桜草樹家の長女だって言ってた」


 柚は頷いてそう言った。


「お兄ちゃんも知ってるんだ、桜草樹家のこと」


 世の中の情報に疎い柚でも、彼女と会う前から元々知っていた名前だ。柚と同様、情報弱者の蓮人でも、やはり知っているのか。


「うん、知ってるよ」

 蓮人は頷くと、何でもないことのように言った。



「そういえば忘れてたけど、代表のおばあさんにも、昔会ったことがあるよ」


「ええ?」



 思わず大きな声を出してしまって、柚は慌てて口を押えた。二階で寝ている二人を起こしてしまっていないだろうか、と心配になる。


「会ったことあるの?」

 声を潜めて聞くと、蓮人は柚の反応の大きさに戸惑いながら「うん」と答えた。


「おばあちゃんが亡くなる少し前くらいだから、僕が小学一年生になったばかりの頃だったかな。僕とおばあちゃんと、桜草樹さんの三人で、この家に集まって話をしたんだ。柚も一度会ったことはあると思うよ。小さかったから覚えてないかもしれないけど」


「え、っと……?」


 知らない情報が多くて頭が混乱する。桜草樹家の前の代表が、わざわざ都心から離れたこんな山奥を一人で訪ねて、一般庶民の祖母と兄と話をしたとか、柚とも会ったことがあるとか。それはつまりどういう状況なのだろうか。



「それで、その子は僕にどんなことを話したいって言ってたの?」


 柚の混乱をよそに、蓮人が尋ねた。


「ああ、えっと」

 脳内が疑問で埋め尽くされそうになりながら、柚は何とか蓮人の問いに答えた。


「詳しい事情とか、どうして話したいのかとかは何も聞いてないけど、何かすごく大事なことみたいだったよ。それに、その子ずっと『司者』について調べてて、お兄ちゃんのことも、『生命の司者』の代表みたいな感じだから会いたいらしくて」


「『司者』のことを……」

 蓮人が微かに眉をひそめた。それを見て柚は、やはりだめだったか、と後悔した。


「ごめん、桜草樹さんに勝手に色々話しちゃって。お兄ちゃんのことも、話すかどうか迷ったんだけど、やっぱり話さないほうが良かったよね」

「ああ、いや、それは大丈夫」


 蓮人は、少し慌てた様子で首を横に振った。


「柚が気にすることはないよ。その子になら『司者』のことを話しても問題ないと思うし」


 問題ない、って。


 脳内に更なる疑問が投げ込まれる。柚は、次第に大きくなる戸惑いにめまいを感じながら、平然とした顔をした兄のことを見た。


 桜草樹になら知られても大丈夫とは、どういうことなのだろうか。『生命の司者』と彼女との間に、何かしらの重要な繋がりがあるというのか。


「えっと、じゃあ、会っても大丈夫、なんだよね」

 混乱をそのままに取りあえず尋ねると、蓮人は軽く頷いた。


「うん、大丈夫。一昨日のこともあるし、一度会っておきたいな」


 そう言うと蓮人は、不思議そうな顔をした。


「でも、『司者』のことを知りたいなら、おばあさんに聞けばいいのに。教えてくれないのかな」

「あ……」


 そうか、知らないのか。


 うちにはテレビがないし、家族皆スマホも持っていないから、ニュースに触れる機会が少ない。魔法使い関連のニュースであれば、身近な問題であるし、ほとんど毎日報道されているようだから目にする機会もあるけれど、それ以外のこととなると知るのは難しい。柚自身、櫟依から聞いて初めて、桜草樹の祖母のことについて知ったのだ。蓮人が知らないのも当然だった。


 少し言いにくいけれど、伝えるべきだろう。柚は蓮人に「お兄ちゃん」と呼びかけた。


「何?」


 蓮人の目が、正面から柚を見た。柚は、何となく重い気持ちになりつつ、口を開いた。


「……桜草樹さんのおばあさん、ちょっと前に亡くなったみたいで」

「え?」


 今度は蓮人が大きな声を出した。そして、先ほど柚がしたのと同様に、慌てて口を押えた。


「え、亡くなったって」


 声のボリュームは抑えられていたけれど、見開かれた蓮人の目に、驚きがはっきりと表れていた。彼は、瞬きもせず、じっと柚を見た。


「それ、本当?」

「う、うん。本人もそう言ってたし」


 あまりの驚きように、柚は少しうろたえた。そのおばあさんとは以前会ったことがあると言っていたし、亡くなったのはショックなことではあるだろうけれど、蓮人の反応は予想していたよりずっと大きく、何かが違うような気がした。



 呼吸を整えるように、少しの間黙った後、蓮人は柚に尋ねた。


「それって、いつ……?」

「確か、今から三か月前くらいだったと思う」

「三か月前……」


 蓮人の顔が、少しずつ、苦く、険しい表情に変わっていく。痛みに耐えるように細められた目で、蓮人は少し俯いた。


「そうか、そういうことだったのか……」


 その声からは、苛立ちや焦りや、何かを悔やんでいるような、そんな感情が感じられた。これほど余裕のない蓮人の声は、久しぶりに聞いた気がする。


「その子、いつ会えるって言ってた?」

 柚のことを見ないまま、蓮人は尋ねた。


「えっと、お兄ちゃんの都合に合わせるって。なるべく早くがいいとは言ってたけど」

「じゃあ、明日にしよう」

「え、明日?」


 確かに早いほうがいいとは言ったけれど、そこまで早いのはさすがに予想外だ。


「でも、お兄ちゃん明日一日バイトじゃ……」

「誰かに代わってもらう。今から連絡してみるよ」

「う、うん……」


 蓮人の勢いに気圧されて、柚はただ頷いた。他ならぬ蓮人が、バイトよりも桜草樹と会うことを優先するなんて。それだけで、事の重大さが窺えた。


「急だけど、その子は明日でも大丈夫そうかな」

「多分、大丈夫だと思う。すごく焦ってて、今すぐにでもって感じだったから」

「そっか……」


 蓮人は苦々しく呟いた。柚は、少しの間その顔を見つめた後、口を開いた。


「明日の朝、お兄ちゃんと会えるかどうかの返事をすることになってるから、そのときに伝えるね」

「うん。良ければそのままこっちに向かってほしい」


 そう言って、軽く息を吐くと、蓮人は窺うように柚のことを見た。



「その子――桜草樹さん、かなり追い詰められてたんじゃない?」



「……うん」


 柚は、少し躊躇ってから、頷いた。それを受けて、蓮人の顔が、さらに険しくなる。


「……申し訳ないことをした。全部、僕のせいだ」

「……」


 その表情が、この一か月間、何度も見た桜草樹の表情と重なる。自分を責め立てるように言葉を吐く蓮人に対して、何を言えばいいのか分からなかった。



 どうしてみんな、柚の知らない何かで、一人で苦しんでしまうのか。

 どうして柚は、何も、できないのだろうか。



「……柚」


 不意に名前を呼ばれた。ハッとして見ると、先ほどまでとは違う優しい表情を浮かべた蓮人が、柚のことを見つめていた。


「ごめんね、柚にもいろいろ迷惑をかけて。明日、よろしくね」


 胸がズキリと痛む。柚は、笑顔を作って「うん」と答えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ