表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第4章 理不尽と責任

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/173

    あの日の言葉の意味④

 桜草樹と別れた後、柚は自宅に戻った。


 リビングの扉を開けると、そこにはソファーの上で体操座りをしている柊人の姿があった。祝日なのに、なぜか制服を着ている。


「ただいま」


 声をかけると、柊人は振り返って「おかえり」と小さく言った。


「学校に用事があったの?」

「うん、ちょっと」


 忘れ物や先生の頼み事などだろうか。学校に入るときには、登校日でなくても制服でなければならないという決まりがあるから、制服を着ているのだろう。


 見ると、柊人の周りには学校の宿題や本などのものはおろか、時間をつぶせそうなものは何も置かれていなかった。いつも持ち歩いているヘッドホンも見当たらない。


「何してたの?」

「ぼーっとしてた」


 何でもないことのように、柊人は言った。本当に何してたんだ。


「百合は?」

「友達と遊びに行ったみたい」

「そっか」


 時計を見ると、まだお昼の二時だった。電気の付いていない薄暗い部屋に、カーテンを通して差し込む光がまだ暖かい。祝日のこんな時間に家にいるのは、何だか新鮮だった。



『お願いします。とても、大切なことなんです』



 柚に縋りつく桜草樹の声が、まだはっきりと耳に残っている。


 今まで一度も、蓮人の口から桜草樹の名を聞いたことはなかった。だから、彼女の知りたいことを、彼が持っているかどうかは自信がない。けれど、ただやみくもに情報を集めていた段階から、『生命の司者』のことを誰よりも知っている蓮人に接触するところまで来たのだ。きっと、彼女のこの一か月の行動の理由が、心の底から求めていた何かが、もう少しで手に届くところまで来ている。



 蓮人がバイトを終えて帰宅するまで、まだかなり時間がある。少し疲れもあるし、それまで休んでいようかとも思ったけれど、何となく落ち着かない。せっかくだから家の掃除でもしようかと、掃除道具を取りに行こうとしたところで、ふと痛いくらいの視線を向けられていることに気が付いた。



 振り返ると、柚を凝視する柊人と目が合った。


 柊人は、柚と目が合った後も、目を逸らそうとはしなかった。ただ、感情の読み取れない目でじっと柚を捉えている。


「な、何?」

 ふと胸の中に現れた後ろめたい気持ちをどうすることもできないまま、柚は、瞬きもせず柚を見つめる柊人に尋ねた。


「……」

 柊人は黙ったままだ。だんだん、嫌な汗が噴き出してくる。



 しばらく見つめ合った後、柊人は口を開いた。



「柚姉ちゃん」

「何?」

「最近、魔力使いすぎじゃないかな」


 ドキリとする。やはり、それを指摘されるか。


「そう、かな」

 ぎこちなく微笑むと、柊人はようやく柚から視線を逸らして「うん」と答えた。


「今日も、使ったんだね」

「……」

「一昨日、倒れるほど強い魔力使ったのに」

「……うん」


 柚は、柊人から顔を背けて頷いた。柊人がそのことに気付かないはずがないのだ。そしてきっと、柚が他の人の前で魔力を使ったことにも、気づいている。


 普段の柊人は、柚たちのことに気が付いても、柚たちが自分から話さない限りは踏み込んでこないことが多かった。それなのに、今日は積極的に切り込んでくる。その言葉からは、責めるような雰囲気さえ感じられた。


「ごめん、柊人。私――」

「うん。知ってる」


 柚の言葉を遮って、柊人は言った。


「知ってるよ」

「……そう、だよね」


 そう言って、柚は口をつぐんだ。柚が隠したいと思っていることを、柊人は全て知っている。その上で、何を言えばいいのか分からなかった。



「一か月前、近くで起こった魔法使いの誘拐事件のときも、魔力、使ったんだよね」


 追い打ちをかけるように、柊人は淡々と言った。


「その後、少し体調崩してた」


 柊人は、柚のことを少しも見る気配がなかった。柚は、何も言えず俯いた。



 あの日、バイト先のコンビニに駆け込んできた女性。その人の腕の怪我を、柚は、魔法を使って治した。



 近くにいた咲やバイト仲間に見られないよう注意したし、それほど強い魔力も使わなかったつもりだ。けれど、久しぶりに魔力を使ったことや、爆発を起こした魔法使いの魔力の影響を少なからず受けたことで、少し調子を崩してしまった。



 あのときは、爆発という経験したことのない状況に巻き込まれ、冷静さを欠いていたし、とにかく必死だったから、特に考えずに魔力を使ってしまった。言い訳になるけれど、仕方がなかったのだ。


 でも、もしあのとき他の人に目撃されていたら、柚は今よりもっと悪い状況になっていただろう。自分の危機感のなさと無責任さを悔やみながら、柚はまた「ごめん」と謝った。


「ごめんね。バレることも考えずに、すぐに魔力を使って。柊人たちも、巻き込むことになったかもしれないのに」


 柊人は、柚のことを見ず、床の方にじっと視線を落としていた。しばらくして、その姿勢から少しも動かないまま、柊人は呟いた。


「……違うよ」

「え?」


 柚は、驚いて柊人を見た。


「違う、って」

「違う」


 柊人は、今度はきっぱりと言った。視線が、柚の方を向く。外からの光が届かないその瞳は、とても暗かった。



 彼は、しばらく柚のことを見つめた後、ふと目を伏せて、唇を引き結んだ。そして、抱えた膝に顔をうずめるようにして、言った。


「……兄ちゃんが、すごく、心配してる」

「あ……」


 柚の頭の中に、微笑む兄の姿が浮かんだ。心臓が、何かに鷲掴みにされる。


 そうだ、お兄ちゃんは。


「兄ちゃんの魔力と比べて、柚姉ちゃんの魔力は安定してて、周りの人への影響が少ないことは知ってる。一昨日も、一か月前も、大丈夫だった。でも」


 柊人の暗い瞳が、長い前髪に隠れる。



「兄ちゃん、いつも心配してた。柚姉ちゃんも、魔力を使うことで、取り返しのつかないことを引き起こすんじゃないかって。――誰かを助けるつもりで使った魔力で、誰かを傷つけるんじゃないかって」



 悲痛な声。柚は、何も言えず俯いた。

 柚も、分かっていた。蓮人がそのことを心配していることを。



 一か月前の事件の後、蓮人はずっと、柚にそのことを注意しようとしていたのだろう。だから、柚は蓮人のことを避けてしまった。彼の口から、あの日に関わることを、聞きたくなかったから。心配だと話す彼の顔を、見たくなかったから。


 魔力を使わない方が良いことは、分かっている。けれど、柚の力を必要とする人たちを前にすると、使わなければと思ってしまう。使わないという選択肢が咄嗟に選べるほど、柚は強くない。それを、蓮人に非難されるのが、怖かった。


 でも。


 柚は、目の前でうずくまる柊人のことを見た。影が差す中で、この世界の自分の存在をなるべく小さくしようとしているように、膝を抱えた柊人。中学に入学したばかりだというのに、ピカピカじゃない、サイズの合わない制服に身を包んだ、小さな背中。今にも消えてなくなってしまいそうなその姿が、あのときの兄の姿と緩やかに重なる。



 あの日と、同じ制服。

 もう柊人も、あのときの兄と同じ年齢になるのだ。



「ごめん」

 何とか絞り出した声で、柚は言った。

「ごめんね、辛いこと言わせて」


 柊人は、顔をうずめたまま、ゆっくりと首を横に振った。


「兄ちゃんに対して、僕からは何もできないから」


 囁くような小さな声が、穏やかな昼下がりの部屋に、溶けるように響いた。


「姉ちゃんに、任せるしかなくて。押し付けて、ごめんね」

「そんなこと……」


 隠れた柊人の表情を想像して、やるせない気持ちが胸を圧迫する。



 ずっと、このままなのだろうか。

 柊人はこんなにも兄のことを思っているのに、これからも、関わらないようにしながら生きていくのだろうか。



「柊人」


 呼びかける。すると、柊人はパッと顔を上げて柚のことを見た。


「柊人にとっては、もう知ってることばかりかもしれないけど、ちゃんと話すよ。最近、どんなことがあって、お兄ちゃんとどんなことを話したのか。五科工業の『特別プロジェクト』のことも、きっと柊人にも関わってくることだろうし、話さないといけないと思ってたから」


 柊人にもいずれは話さないといけない、と蓮人は言っていたけれど、今のままの調子ならば、蓮人がそれを話す機会はしばらく訪れないだろう。二人の間に入って、二人を繋ぎとめることができるのが柚だけであるなら、きっと柚が話すべきだ。


 柚は、目を逸らさないように、しっかりと柊人を見つめた。驚いた顔をした柊人の瞳が、ちらりと光って揺れた。


「……うん」


 柊人の表情が、もどかしいくらいにゆっくりと変化する。そして、変化の先に、彼はとても優しい微笑みを浮かべた。


「ありがとう」


 柚は、密かに息を呑んだ。それは、心の底から喜んでいる笑顔だった。柊人のこんな表情を、柚はもうずっと見ていなかった。


 しかし、柊人はすぐに、その笑顔を翳らせて「でも」と言った。


「でも、何も話さなくていいよ」

「え?」


 予想していなかった返答に、柚は思わず聞き返した。


「いいの?」

「うん」


 頷いて、柊人は少し寂しそうに笑った。


「また、百合姉ちゃんだけ、仲間外れになるから」

「……そう、だね」


 柚は頷いて、ぎゅっと拳を握った。


 そうだった。また、百合だけ。

 どうしようもない気持ちになって、柚は唇を噛んだ。いつまでこのままなんだろう。



「……」

 柊人がふと、音もなく立ち上がった。そして、柚の近くまで歩いてくる。


「……姉ちゃん」

 柊人が、いつも通りの静かな声で柚を呼んだ。


「掃除、やろうとしてたんだよね」

「あ、うん、そうだよ」


 唐突な言葉に、感情がついていかない。柚は戸惑いながら頷いた。柊人は、それを見て、少し上目遣いになって言った。


「一緒にやってもいい?」

「もちろんだよ。ありがとう」


 柚は大きく頷いた。きっと、柊人なりに気を遣ってくれたのだろう。


「百合、いつ帰ってくるかな」

「ちょっと、遅いかも」

「そっか。じゃあ、百合が帰ってくるまでに掃除とご飯の支度終わらせようっと」


 柚は笑って言った。柊人も、安心した顔で頷いた。


 蓮人のことも、柊人のことも、百合のことも、どうすれば良いのか分からない。けれど百合には、何も心配せずに友達と笑っていてほしい。柚たち三人の事情に巻き込まれずに、ただ笑っていてほしい。それは、きっと三人ともが思っていることだ。



 だって百合は。

 百合だけは、この力を持っていないのだから。



 柚は小さく頭を振った。とにかく、気を付けないといけない。百合のためにも、蓮人のためにも。


 皆が、これ以上苦しまないように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ