第2話 あの日の言葉の意味①
会社での事件が起きた、二日後の昼。連休三日目を迎えた。
あの後、蓮人とともに『道』を通って自宅へ帰ると、帰宅しているはずの時間に柚がいないということで心配していた百合と柊人に迎えられた。二人とも、熱を出した柚と、柚を支える蓮人に対してとても驚いた様子だった。
熱を出した柚を蓮人が迎えに行った、と二人には説明したけれど、柚の状態を見て、柊人は何があったのか察したようだった。
今回のことで、社長は蓮人や朔也が『生命の司者』の力を持っていることを知っていて、二人も巻き込もうとしていることが分かった。きっと、柊人も無関係ではいられないだろう。何も詳しいことを尋ねてこなかったけれど、柊人にもいずれは話さないといけない、と蓮人は言っていた。
その夜から翌日にかけて、柚はずっと体を休めていた。たっぷり一日休んだおかげで、熱も下がり、体調は十分回復した。魔力も安定しているし、もう問題ないはずだ。
よし。
柚は、目の前にぼんやりと現れた『道』を見据えた。
ルリに言われた通り、点検をした腕時計を取りに行かなければならない。柚は、静かに揺れる『道』の膜から逃げないように、ゆっくりと、呼吸を繰り返した。
柚が力を使ってから、他の参加者たちには会っていない。
彼らが、柚の力を目の当たりにして、どう思ったのか。今、柚とともに同じプロジェクトに参加することについてどう思っているのか。全く分からない。
そもそも『司者』は、魔力を持っている時点で、この世の中において忌避される存在なのだ。天瀬のように、魔法が使える存在そのものを否定したりはしない人もいるけれど、実際に関わってしまえば、そんな考え方が変わることだってある。
社長が柚の参加を望んでいる手前、柚のことを攻撃してくることはないだろう。けれどあの中には、もう柚と会いたくないという人もいるのではないだろうか。未知の力を持った存在から離れたい、そのような存在と関わっていることを世間に知られることによるリスクを減らしたい、と考えて、彼らの方が『家』に来られなくなる可能性もある。
それでもやはり、一度会って、話すべきだ。
柚が迷惑をかけたのは事実だし、ここで会うのを避けたら、もう話すこともできなくなるだろう。彼らがどう思っているのか、知ることもないまま。
柚は、軽く目を閉じた。
大丈夫。
拒絶されても、厳しい言葉を言われても、ちゃんと、受け止めないといけない。自分がやったことの責任は、自分で取らないといけない。そう、凪沙にも宣言したのだから。
柚は目を開けると、大きく一歩踏み出した。
身体が、『道』に吸い込まれる。
次の瞬間には、もう柚の身体は『家』の地下室にあった。
ひんやりした空気が、全身の肌を包む。それに助けられるようにして、柚は一段一段、階段を上った。
一階へ辿り着く。この一か月、何度も見た風景が、全く知らない場所のように感じられた。身体の中身を押しつぶしてしまいそうなほど大きく動く心臓を鎮めるように胸に手を当てて、柚はゆっくりと、広いロビーを進んだ。
もうすぐ昼休憩の時間だから、食堂に行けば、会社に来ていた皆と会えるだろう。そう思って食堂の方へ歩いていくと、ふと、柚のものではない足音を耳にとらえた気がした。
足を止める。音は、外の方から聞こえるようだった。間もなくして、『家』の玄関の扉が開いた。
「あ……」
まず姿が見えたのは、バイトの制服を着た天瀬だった。彼は、柚からサッと目を逸らすと、一度止めた足を動かして『家』の中に入ってきた。それに続いて、順に制服を着た他の参加者たちも姿を現した。皆、柚のことを認めた瞬間、表情を硬くして、おずおずと歩いてくる。
彼らは、迷っている様子だったけれど、そのまま食堂へ行くことなく、柚の近くに来て止まった。合うことのない、柚を窺う目を見て、足が後ろの方へと引っ張られそうになる。
だめだ。
ちゃんと、話さないと。
柚は意を決して、短く息を吸った。
「あのっ」
皆の目が、一斉に柚に集まる。それが、魔法使いの女の子を咲が庇った日に見た、クラスメイト達が柚たちに向けた目と重なって、全身に鳥肌が立つ。
大丈夫。
柚はもう一度呼吸を整えて、皆のことを見た。そして、勢いよく頭を下げた。
「みんな、ごめんなさい」
皆が驚いた気配がした。柚は、頭を上げると、顔を少し伏せたまま言った。
「変なことに巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「いや、そんな……」
天瀬が、少し戸惑いが滲んだ声で答えた。
「別に、ユズのせいじゃないし」
「……うん。ありがとう」
微笑んでそう言うと、天瀬は柚から目を逸らして「うん」と小さく答えた。それを見て、変わってしまったのだ、と思った。
「みんな、もう分かってると思うけど、改めて言うと、私、『生命の司者』なんだ。生まれたときから、その力を持ってる」
皆を見ることができなかった。柚は、単語ごとに息を吸う勢いで、少しずつ、発音していった。
「社長も、何か言ってたかもしれないけど、改めで自分からお願いしたいです。私、ずっと、力のことを隠して生きてきて、そうやって、生活を守ってきたから。だからどうか、みんなにも黙っていてほしくて」
そう言うと、柚は再び頭を下げた。先程よりも、ずっと深く。
「お願いします。私を避けていいから、関わらなくていいから、どうか、私の力のことを広めないでください」
目の前に立つ、皆の気配を重く感じる。柚は、ぎゅっと目を閉じた。
「……しねえよ、そんなこと」
誰かの、呟くような声が聞こえた。勢いよく顔を上げると、中梛と目が合った。
「わざわざしねえから、そんな怯えた顔すんなよ」
中梛は、面倒くさそうにため息を吐いた。
「広めたってしょうがないしね」
櫟依も同意を示した。それに続いて、藍代と三ツ花もしっかりと頷いた。
「みんな、ユズの生活を壊すようなことしないよ」
天瀬が、ニコリと笑った。その瞬間、この空間全体が、パッと明るくなったような気がした。
みんなだ。
柚は、目の前に並ぶ顔を、順に見回した。
紛れもなく、この一か月、一緒に過ごしてきたみんなだ。
「……ありがとう」
足を後ろに引く力が消失する。ちゃんと、自分の足でここに立っているのだと感じられた。
「本当に、ありがとう」
皆のいつも通りの顔が、視界を満たす。
「むしろ、俺の方こそ悪かった。お前が『司者』だって知らなくて、色々ひどいこと言っちまった」
中梛が、少し顔を背けて言った。柚は、慌てて首を横に振った。
「中梛くんが謝ることじゃないよ。普通、私が魔力を持ってるなんて思わないし」
「いや、それでも言い過ぎた」
そう言って、中梛は真っ直ぐに柚を見た。その視線が、見たことないくらいに真剣で、柚は思わずドキリとする。
「本当に、悪かった」
「……うん」
柚は、どうすればいいか少し迷った後、小さく頷いておいた。
「その、みんな、あれから体調とかは大丈夫?」
柚が尋ねると、皆口々に「大丈夫」と答えた。
「魔力の影響、ってやつだよな。特に何ともないよ」
櫟依が答えた。
「本当に? 櫟依くん、体調悪くなったって聞いたけど」
「あー」
櫟依は、気まずそうな顔をして、髪を触った。
「全然、たいしたことなかったよ」
「顔真っ青になって、しばらく喋れなかったのに?」
天瀬が言うと、櫟依は「いや、その」と横を向いて視線を逸らした。
「ちょっとびっくりしただけ。すぐに治ったし、傷も軽かったし、白葉さんが気にすることじゃないから」
「傷……」
柚は、彼の腕に目を向けた。
「あの、もしよかったら、傷、見せてもらえないかな」
「え?」
櫟依は、驚いた顔をした。彼は柚の顔を見て頷くと、右の袖を巻くった。
袖を巻くると、傷がある部分には、白い包帯が巻かれていた。
「これ、取ってもいい?」
「え、いいけど、傷ちょっとグロいよ」
「大丈夫」
柚は答えると、そっと包帯を解いていった。包帯の下にあるガーゼも丁寧に剥がすと、そこには生々しい切り傷があらわになった。
傷ができたときは、とても痛かっただろう。けれど、本人も言っていた通り、そこまで深い傷ではないようだった。
これくらいなら。
「ねえ、その」
柚は、声が震えないように気を付けながら、櫟依に言った。
「もし、嫌じゃなければ、これ、私に治させてもらってもいい?」




