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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第4章 理不尽と責任

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    手のひらの上の後悔④

 随分と、時間が経過したような気がする。


 社長が部屋を出ていってからずっと続いていた沈黙が、不意にノックの音で破られた。



「勝元です。入っていいですか」


 扉の向こうから声が聞こえた。蓮人が「いいよ」と答えると、ゆっくりと扉が開いた。そこには、勝元と、そして凪沙と創が立っていた。


 三人は、部屋の中で佇む蓮人と朔也の沈んだ表情を見て、微かに驚いた顔をした。そして、少し躊躇いながら、緊張した面持ちで順に部屋に上がった。


 柚たちの近くまで来ると、三人は足を止めた。その並んだ顔を見て、柚はふと、泣きそうになる。


 思いつめた、苦しそうな顔。

 そんな顔をさせながら、そんな気持ちを抱かせながら、彼らは柚のために、ずっと気を張ってくれていたのだ。



「……柚」


 名前を呼ぶ声。最初に口を開いたのは、創だった。


 創と目が合う。彼は、上手く言葉が出てこない様子で柚から目を逸らしたが、少し迷った後、再び柚と目を合わせた。


「もう、平気なの?」

「……うん」


 柚が頷くと、創はホッとした表情を見せた。それはすぐに、泣き出してしまいそうな表情に変わる。創はキュッと唇を結ぶと、勢いよく頭を下げた。


「ごめんね、柚」

「……え?」


 柚は目を見開いた。謝られるなんて思いもしなかった。


「どうして創が――」

「俺も、ごめん」


 今度は勝元が、創に続いて頭を下げた。


「どうして、勝元くんまで」

「何も、できなかった」


 顔を上げた勝元が、悔しそうに言った。


「あの魔法使いの行動を見て止めることも、桜草樹さんを助けることもできずに、柚が魔法を使っているのをただ見ていることしかできなかった。本当に、悪かった」


 創も頷いて、もう一度「ごめんね」と言った。


「そんな、二人が謝ることなんてないよ」

 柚は慌てて言った。

「私が勝手に行動して、迷惑かけたんだから、謝るのは私の方だよ。本当に、ごめんね」


 ズキリ、と胸が痛む。柚は、黙って俯いたままの凪沙の方も見た。


「凪沙ちゃんも、ごめん」


 影の差す凪沙の顔は、とても辛そうだった。事件が起こる前、今となっては遥か昔のことのように感じるそのときに見た凪沙の表情が、目の前にある表情と重なる。


「凪沙ちゃんが言ってくれてたこと、ちゃんと受け入れていれば、こんなことにはならなかったのに。一生懸命防ごうとしてくれてたのに、ごめんね」

「ごめんね。僕も、凪沙としっかり向き合っていればよかった」


 創も、凪沙の方を見た。凪沙は、ゆっくりと首を横に振った。


「……そんなこと言わないで」

 凪沙は、静かに言った。


「何もできなくて、謝らないといけないのは私の方。やろうと思えばもっとうまくできたはずなのに、躊躇ったからこんなことになった」

「それは」


 それは、違う。


 凪沙は、精一杯柚のために動いてくれた。周囲から悪く見られることも厭わずに、柚を危険から遠ざけようとしてくれた。凪沙はもっとうまくできたかもしれないと言うけれど、後々変に疑いの目を向けられないようにするためには、ああするしかなかったはずだ。


 創も勝元も、何もできなかったと言うけれど、予想外の事件が起きたのだから当然だ。それに、柚が勝手に動いたのだから、二人があの場でどう動いてもこの状況は変えられなかっただろう。


 三人とも、柚の力のことが広められないように気を付けていてくれた。すぐに対応してくれた。謝るのは絶対に違うはずだ。



「……誰も悪くない」


 朔也が、おもむろに口を開いた。再び謝ろうとしていた柚は、慌てて口を閉じた。


 朔也は、床の方に目線を落としたまま、静かに言った。


「自分を責め合っても埒が明かないし、誰かのせいにできるほど単純なことでもない。もう、気にするな」


 柚たちは、お互い顔を見合わせた。気持ちを確かめ合うように目を合わせて、表情を引き締める。

 朔也の言う通りだ。謝り続けても、何も変わらない。


「ありがとうございます、朔也さん」

 勝元が代表して礼を言うと、朔也は小さく「ああ」と答えた。


 その顔を見て、創が心配そうな顔をした。


「兄さん、何があったの?」

「……」


 少し間を開けてから、朔也は小さくため息を吐いた。


「社長と話をした」

「社長と……」

「ああ」


 朔也は、蓮人と目を合わせた。蓮人が頷いたのを見て、朔也は口を開いた。


「簡単に言えば、脅された。俺たちのことも、俺たちの周りの人のこともかなり知っている、プロジェクトのことを口外したり、協力を続けなかったりしたら、それを公表する、と言っていた」


「えっ」


 創たちは目を見開いた。


「知っているって、それって」


「実際どこまで知っているのかは分からない。けれど、柚の力のことは元々知っていてここに招いたようだし、ある程度知っているのは確かだろう」

「そんな……」


 三人の顔が、サッと青ざめた。それぞれ、深刻な顔で俯いてしまう。


「やっぱり、知っていたんだ」

 凪沙が苦々しく呟いた。それを聞いて、朔也と蓮人が表情を暗くした。


「あんなにはっきり言われたからには、従うよりほかはないだろう」

 そう言って、朔也は珍しく顔をしかめた。


「正直侮っていた。俺が話せば少しは変わるかと思ったが、どうにもならなかった。あの人は、本気だ」

「……」


 同意を示すように、皆、黙り込んだ。凪沙も、同じような表情で俯いている。


 柚が知っている中で、最も頭が良くて色々なことに対応できる二人が、揃ってこのようになってしまうこと。それだけで、五科工業が、あの五科誠司という人物が、力が及ばないほど強大な存在だということを思い知らされた。


「危害は加えない、みたいなことを言っていたから、それに懸けるしかないのかな」


 蓮人が余裕のない声で言った。その言葉に、皆、頷いた。


 今はとにかく、信じて従うしかない。

 そうするほか、ないのだから。



「……あの社長は、この部屋から出た後、何か話したのか」


 朔也が創たちに尋ねた。


「一階に集まった参加者全員に対して、柚のことを口外しないように、とか、魔法使いの襲撃の件は対処するから、これからも安心してプロジェクトへの参加を続けてほしい、とか、そんなことを軽く言っていただけでした」


 勝元が代表して答えた。


「俺たちに個別に話しかけてくることもなかったし、直接的に脅してきたわけでもないけど、有無を言わせない感じはあったかも」

「そうか。それなら、あの人は本当に、参加者が口外しないと確信しているのか」


 朔也が大きくため息を吐いた。


「みんな、弱みを握られているんだと思いますよ」

 凪沙は、部屋の扉の方をぼんやりと見ながら言った。


「あれから、誰も何も喋らないし、一応外部に連絡を取らないように見てたけど、そうする素振りも見せなかった。社長の言葉にも、特に何も言わなかったし、不安はあるけど、こっちの方は大丈夫なのかもしれません」


 そして凪沙は、ふと柚の方に目を向けた。


「そういえば、聞いたかもしれないけど、下にいる人たちはみんな、魔力の影響は特に受けていないみたいだから安心して。櫟依(いちい)くんも十分回復したし」


「櫟依くん、大丈夫だったの?」

 柚は、心配になって尋ねた。確か、目が覚めた直後に聞いた朔也の話の中にも、櫟依のことが出てきた気がする。


「怪我の方は、浅い切り傷だったからすぐに手当てをした。でも、あの出来事がショックだったのか、かなり気分悪くなったみたい。今はもう十分落ち着いてる」

「そっか、良かった」


 柚はホッと息を吐いた。大丈夫そうなら良かった。


 けれど、目の前に突然ナイフを持った人が現れて襲いかかってきたのだ。きっと精神的ショックは大きかっただろう。ひどいトラウマになっていなければいいけれど。


「まあ、取りあえずは様子見って感じですかね」


 勝元が言った。朔也と凪沙も頷いた。


「他の参加者や社長の動きに注意しながら、参加を続けるのが最善だと思う」

「他にどうしようもないですしね」


 それに、蓮人と創も頷いたのを見て、柚は、身体からフッと力が抜けていくのを感じた。


「柚」

 少し慌てたような声で、創が呼びかけた。

「大丈夫? 熱上がっちゃった?」


 創の手のひらが、柚の額に触れる。ひんやりしていて気持ちが良い。


「ううん、多分大丈夫」

 柚は、創に笑いかけた。


「なんか、ちょっと安心しちゃって」

「安心?」

「うん」


 目覚めた直後の焦りが、随分懐かしいもののように感じた。柚は、今まで忘れていた身体の熱に身を委ねるようにして、ゆっくり口を開いた。


「力のこと、バレちゃったから、私もみんなも、もう生きていけないのかと思った」



 ネットに詳しい個人情報まで晒されてしまった女の子。あの子のように、自分も、蓮人も、百合や柊人も、凪沙たちも、みんな、周囲の目から逃げないといけなくなるのだと絶望していた。けれど実際は、柚のことが拡散されることはなかった。社長の言葉を信じるならば、これから先も心配ないのだろう。


 社長のことも気になるし、全然安心できない状態なのは確かだけれど、想像していたような悪い事態にはならなかったことに、心の底から良かったと思えた。


「みんなが私のせいで、ひどい目に遭わなくて良かった」

「……うん」


 皆、優しい目で柚を見て頷いた。蓮人が柚を見る目も温かくて、柚の胸にじんわりと熱が広がっていく。



 良かった。

 まだ大丈夫だった。



 柚は息を吐いて、軽く目を閉じた。



 すると、そのとき、今日何度目か分からないノックの音が部屋に響いた。


「ルリでーす。入ってもいいですか?」


 高くて可愛らしい声が聞こえた。その声を聞いて、本当にもう、日常に戻ってくることができたのだと感じた。

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